森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

身体表現の美しさからくる心の清らかさ

2008年12月10日 23時54分58秒 | 過去ログ
火曜日は人間発達学の講義。
日曜日で年内の講演が終わったせいか、
疲れがなく、舌が回るまわる。
久しぶりの絶好調トークに脱線しまくる。
その分、覚醒度はUPする。
最近、スライドでの講義のため、
逆に、その動き、表現のしかたが単調となり、
学生には受けが悪いようだった。
心の理論からそう読み取っていたが、
それをなくすと、快調快調。

大学での講義も楽しいものだ。
この感覚が久しぶりに沸く。

学部の研究を見て、
大学院生の川崎、大植、河野、谷口くんがくる。
川崎君の論文がアクセプトされた。
谷口君の賞のコピーをもらい、
大学院の講義に向かう。

今回のテーマは片麻痺の回復過程に生じる両側性の活動に意味を持つのか?
というもの、これで4つの質問をみなに要求した。
自由に討議してもらいたい。
研究室の議論に上下関係はない。
上下関係の階層性は、
自由度を奪う。
自由度が奪われば、創造性も奪う。
教授だろうか、助教だろうが、院生だろうが、学部生だろうが、関係ない。

21時過ぎに院の授業を終え、
同僚の福本氏と前岡氏と一杯やりに行く。
愚痴をいう(いわれる)ことで、感情を表出し、
明日からの仕事に向き合うことができればよい。
奈良に住んでいるひととしかできず、残念。
大阪の同僚とは何かイベントがないと一緒に飲むことはほとんどない。
表出しなければ、妄想(自己組織化に基づく自己完結システム)が作動し、
悪い方向に行く場合もある。
明日は忘年会なので、それが幸せになればよい。

本日は、年内に5本の論文・執筆本の1章分を仕上げないといけないのだが、
そのうち、1本が終了した。
しかし、もう年の瀬。
あと仕上げるのは、高知に帰ってからだ。
その前に、やりたい草案があるが・・・

さて、金曜日に帰り、土曜日に共同研究者と研究の打ち合わせ・データ解析をしたのち、
ライブである。

先日、急遽曲を変えた。

しかし、年々、歌詞が覚えられなくなっている。
感情の作動の不十分さと、意味性に問題があるのだろう。
記銘力低下とは、自らの志向性による。

ベーシストに戻りたいものだ。




ちなみに、我らThe cortexの演目は、

HUSH (Kula Shaker version)

20th CENTURY BOY

JUMPIN' JACK FLASH

COME ON EVERYBODY

STAND BY ME


「孔子」の明神と兵頭のStereoCasterを聴くことができると思うと、

鳥肌がたつ。

ちなみに、布袋がテレキャスター、charがストラトキャスターである。


そして、久しぶりの医療学院のリッチーブラックモアの穴吹のギターが炸裂すると思うと、
これまた鳥肌ものだ。

医療学院のジミーページの明神、そしてリッチーブラックモアの穴吹。

キースリチャーズな、そして時にジミーページな、
そして、時にエリッククラプトンな山本の3名に、
兵頭が入り、4人でギターバトルをいつかしてもらいたいものだ。

しかし、歌詞がぐちゃぐちゃ、年には負けない。

今日は、昨日録画していた、プロフェッショナルを観て(実にこの番組を見るのはしばらくぶり、バレエダンサーの岩田守弘さんだったから観た。

人生おごるべからず、その精神に敬服し、
つねに自分を追い込み、見えないものを極めよとするその眼に、
男ながらノックアウトされた。

上手くいっていない時期にこそ、
人生には意味がある。

そのときに、どれだけ一生懸命に努力するかだ。

自分もうつつをぬかしていられない。

極めている(正確には ようとしている)人にいつも教えられる。

淡々と、かつ、事務的で、適当な人が多いなか、

身体と脳の整合をとろうと、きわめようとしている人は美しい。


その後、マザーテレサの生涯をみて、
自分を犠牲にして他人を敬う人間の根幹なる精神に慈愛を抱き、

Mr. ChildrenのGIFTHANABIの歌詞の意味を、
自分の身体性に照らし合わせながら考えた。

桜井さんの脳のなかで描かれている世界を。


そういいながら、PCでZepのライブを見ている自分の脳は、
まさに注意の欠陥状態、カオスだ。