森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

シンプル・イズ・ベストという言葉の裏側

2008年09月17日 07時10分26秒 | 過去ログ
すっかりブログが滞ってしまった。
木曜日は大学院生の指導、会議を普通に行い、
夜は、実習終了後の4回生の懇親会。
70名近くいるが、60名ぐらい参加しており、
実習終了後の一体感が伝わる。
今までは半分強ぐらいの参加だったようだ。
そのうち20名ほどとAM2時近くまでカラオケでお付き合いする。



大学にPM9時に戻って仕事をするという誓いは
あっというまに崩れた。
講演と同じように、どうも断れない。
そんなことを、占い本に書いてあった。
2時前に逃げるようにタクシーに乗り込もうとしたが、
みんなに結局は送ってもらった。
みんな素直な「こころ」を持っている。


金曜日は松江に向かう。
そのまま新幹線の乗り、
岡山より出雲市行きの「やくも」に乗った。
実に6~7年ぶりの「やくも」だ。
新大阪駅や岡山駅は3連休での旅行客が多い。
いつも思うが3連休の移動は肉体的にも、このように精神的にも結構つらい。

そして、「やくも」内で仕事をしようと心に誓っていたが、
予測を超える「揺れ」・・・
みごとに、期待が外れた。
体性感覚のイメージがはずれ、そのうけるフィードバック情報から、
フリーズを行い、「無」になった。
このように揺れたのかとも記憶もよみがえらない。
いつも「南風」と「やくも」をセットで乗っていたために、
「南風」で免疫ができていたのか、
それとも、「南風」の揺れのほうが大きく、
それを小さく見積もったために、
揺れは少ないと思っていたのか、
おそらく後者のような気がする。

高梁川の流れの清らかさには癒され、
昔見た風景が、脳内をトップダウンの意識として、流れた。

松江につき、講師の皆さんの懇親会。
翌日を考え、11時過ぎにはお開きとなる。

土曜日よりコース開始。
皆さんの講義を聞き、
スライドを使わず、
基本的なことを話した。
よく理解していただいたようだ。
表情からそれを読み取った。

今回は講義がテンション高いですね。
と、スタッフに言われた。
いつも学生の授業とは違い、講演ではローテンションかつ押さえ込み講義なのである。


実は、システムとして機能することを意識している。
講師陣の顔ぶれを見ながら。
自分はどのようなスタイル(認知)でどのようなテンション(感情)で行えば良いかを
皆さんの講義を聞きながら考えている。
たとえば、Aという講師とのペアであれば、理攻め講義。
Bという講師とのペアであれば、わかりやすさの講義などなど。

急遽、スライドを使わないや、
ホワイトボードを2枚にしてくれ、とか
まさにわがまま三昧だったが、
どうかお許しを。

「視覚」「聴覚」「体性感覚」・・・「注意」「意図」「記憶」などなどを、
時系列で出来る限り意識しながら、
講義を行うが、
「情報」という視点で、
やはり、何回か「難破」しそうなときがあった。
その「修正」のタイミングがずれると、大変なことになる。
今回は寸前での「修正」が可能だったかと思う。

夜は、スタッフ-講師との懇親。
新しい「書きたいもの」のヴィジョンについて語り、修正してもらう。
4~5つぐらいのプロジェクトを3年間で形にしていきたい。

翌日は、実技などを行い、
セラピストとしての「思考」のトレーニングを行った。
前日の復習を行い講義した。

夜は、受講生-スタッフ-講師との懇親会。
宍道湖の夕日に「地球」を感じた。



同時に「山陰」「山陽という言葉の表現の仕方について考えた。

学生とのをいれると4夜連続。
内臓感覚が脳に多くの入力を与えてくれる。

レセプション後、急遽依頼されたバンドを行った。
東京のときは引き受けなかったが、
今回は引き受けた。
「違い(情)」があったからである。
人間は生物であり、最終的にはその「情」で動く。

ただ、喉の調子や、それまでの「イメージ作り」や「声つくり」「歌詞覚え」など、
1ヶ月ぐらいは必要なので、
前もって言って下さい・・よろしく・・・
アンプを通したギターやベース、そしてドラムに打ち勝つ身体をつくらないといけません。
カラオケとは意図的な運動単位の動員が大きく異なるので。

講演は10分前に頼まれても、なんとか1時間ぐらいは話せるが、
バンドは1ヶ月ぐらいは必要なのかもしれない。
前者はプロ、後者はアマであるからである。
「経験」からの「イメージ」形成までの時間が違う。

最終日は症例検討を行い、
帰路に。
これまた急遽に飛行機チケットをとり、伊丹空港まで。
「やくも」を避けた行動であった。
多様性の賜物である。

「山が高ければ高いほど、自己がわかる」

低い山では自分を知ることができない。

それを受講生にメッセージとして送った。

自分を知ろうとしている人は迷える人であり、
迷える人は他者に対して「思いやり」を持つ(持とう)としている人だと思う。
迷わず、自分がすべてだという人(表でなく、内面に)には、他者を思う気持ちはないはずである。



昨日は、大学院生(今回は17名の発表があった)の中間発表会。
13時より19時まで行う。

教授陣も多く集まり、
盛況な感じが出てよかった。

表現するためにも、まだまだ勉強してもらいたい。
8割ぐらいの出来に、みな安堵な感であった(教授陣は)。
あとは、「ひとのふりみてわがふりなおせ」
他の発表の良いところをまねながら、
細部までの注意を極限まではかることだ。

わかりにくいプレゼンは質問がでない。

複雑な内面(情報処理)は持つが、
単純な外面(出力)で応対する。
これが脳と身体の秘訣である。

単純な内面で、単純な外面であれば、
これは伸張反応や原始的スキーマなどの
多様性のない脳と身体。
一方、複雑な内面で、複雑な外面であれば、
フリーズを行ったり、他者と協調できない行動。

ヒントは「複雑な情報処理」を行うが、
シンプルに無駄なく力を出すこと(プレゼンすること)。

わかりやすさをもたらすためには、多くの情報(外と内)から、
その統合が適切に行われ、
その統合に基づき、
脳がシミュレーションしていることが前提である。

プレゼンがまだまだな者は「失行」状態であり、
その部分がつながれば、上手になっていくはずである。




2月の最終発表会には期待している。
まだ時間はある。

しかし、教授陣の元気さには目をみはるものがある。
もういいお年(60代~70代)の人たちが多かったが、
その能動的な接触には、
教育研究者としてのあるべき姿を、
私に体で教えてくれた。

まだまだ、忙しいだのいってられない。

しかし、あまりの疲労(私のゼミの院生11名の発表に対する親心としての)で
22時には寝てしまった。


夢の中では「ダイハード」や「インディージョーンズ」の場面が出てきた。
戦い、冒険していた・・ 筋肉が硬直状態であったのだろう。
いわゆる「金縛り」の手前まで久しぶりにいった。
疲労のときは、必ず夢の中で追われていたり、戦っている。

面白いことに、「インディ」のほうでは、
スピルバーグが、「最後の聖戦」の際の最後の場面のとき、
どのようにとっていたのかという「視点」が勝手に出てきた。

脳は「イメージ」を豊かに作り変える。
「演出」への意欲が潜在的にあるのかもしれない。
小学生のときの夢でもあったのかもしれない。




畿央大学健康科学研究所・大学院健康科学研究科共催シンポジウム

2008年09月12日 12時05分46秒 | 過去ログ
畿央大学健康科学研究所・大学院健康科学研究科共催シンポジウム

テーマ:健康を支え育む脳研究と科学的手法の進歩

昨年度のシンポジウム「健やかに生きるために ~脳と心の科学からの新たな挑戦~」からのシリーズ企画として、健康科学研究所と大学院健康科学研究科共催で「健康を支え育む脳研究と科学的手法の進歩」と銘打ちシンポジウムを開催いたします。


日時 平成20年10月18日(土)13:00~17:00(12:30より受付開始)
会場 畿央大学 冬木記念ホール
近鉄大阪線「五位堂」駅下車 

プログラム

特別講演 「様々な神経イメージング手法を用いた人間の脳機能の研究」
自然科学研究機構 生理学研究所教授   柿木隆介氏

話題提供
「秋茄子の脳科学-おいしさを越える高次脳情報処理」
農業・食品産業技術総合研究機構 食品総合研究所 
食認知科学ユニット主任研究員   檀 一平太氏

「両手運動の脳内表現」
情報通信研究機構 未来ICT研究センター研究員   荒牧 勇氏

「脳イメージング手法を用いた神経リハビリテーション効果の検証」
畿央大学大学院健康科学研究科教授   森岡 周氏

入場料 無料

詳しくは下記まで。

お問合せ


出力を意識すると逆にフリーズ(思考停止)する

2008年09月10日 08時11分14秒 | 過去ログ
昨日は4回生の研究の対応を行い、
数名の手続きのチェックをした。
4回生の10名は11月末の発表に向け、
最終コーナーにかかりつつある。
400m走では、ここからがきついし、差がでる。

午後には原稿を20枚ほど書き、
そのまま、3回生の初めてのゼミへ。
いろんな用語が出たが、
まずは自らの脳で、その用語を氾濫させることだ。
他にもやらないことがあるが、
ふとした、ぼーとした時間、瞬間に考えることだ。
なんかを生み出そうと必死こいてもなにも生まれない。
出力を意識すると入力が滑落する特徴を脳はもっている。
情報は入力から得られる。
やろう、やろう、つくろう、つくろうと気持ちばかりあせって何も進まないのは、
その大脳皮質のモジュール機能のせいだ。

16時過ぎには、奈良リハの佐藤先生、千葉先生の研究を確認した。
初心にかえり、リハビリテーションとは、運動療法とは、を考え、
対象者を幸福にさせるかもしれない・・研究にこれからギアを入れなおす。
そうでないと、自らのこころに乖離が生じ、
いつのしか、継続していない自分に出会うかもしれないからだ。

その後、新しい院生となろうとする者たちの研究計画を確認した。

18時過ぎからは、M2のすべての者が大学にきた。
M2の12名、中間発表に向けて、スパートである。
ここでは、3回生の脳機能と違って、
もうスタートして、シナプスをつなぎはじめている、
あるいはつないでいる状態なので、
そうはフリーズを起こさないはずである。
壁にぶつかっても、なんらかの抜け道を自己組織化できるはずである。


この状態では、頻度の高い入力は頻度のまれな入力よりも、
出力層のより広い面積でニューロンの発火を高める傾向にある。

だから、勝ちニューロンとなるか、ならないかだ。
すでに、べき関数的にはあがり始めているので、
あとは、やればやるほど目に見える形で伸びるはずだ。
とにかく経験し、勉強することだと思う。


(しかしながら、まだフリーズしている傾向にあるものも見えた)
(はやくおわらそう、おわらそうと思わないことだ)


院生と23時すぎまで過ごし、遅い夕食をとり、
寝て、おきて、また院生の抄録を修正し、
今に至った。
今から、兵庫リハに2回生の見学実習に引率にまいる。




感覚は時に鈍感であるが、時に敏感だ

2008年09月08日 21時26分59秒 | 過去ログ


昨日は、兵庫県の宍粟まで向かう。
姫路駅で降り、そこから車で1時間ほど。
車窓から見える田園風景は日本人の心をくすぐる。
田舎で生まれ育った人間には、その故郷のにおいをも感じ取れる。
少し湿った土のにおいや、山や海が近づくにおいなど。
宍粟には山のにおいを視覚から感じた。

山崎文化会館に降り立ち、運営の皆さんの色んな話をする。
講演は手の運動にしぼったものであり。
逆に新鮮であった。
このような新鮮さは昨年度言語聴覚士向けに運動と言語の接点を話した依頼だ。
新鮮さから、少し勉強もして、一石二鳥だった。
このような感覚でありたい。
最近、マンネリが続いていたのかもしれない。
貪欲さが失われ、少々守りに入りかけているのかもしれない。

この山崎での講演のおかげで、やるべき仕事がいくつか沸いてきた。
ご丁寧な質問も頂、大変感謝している。

姫路駅まで送って頂き、
そして、新幹線に乗り、
何もなかったように眠る。
いつも空間と時間だ。

朝もめっきり秋風が吹き、
大学と自宅の間の公園の葉も色づきはじめた。
芝生を見ると、緑に黄色の調和がはかられる時期になった。
そうした外界と同じように、
私の身体の皮膚も変化しはじめた。
乾燥を感じ始め、皮膚が剥がれ落ち、毛は抜け、痒みを感じる。

今日は院生の中野君が来て、学部ゼミ生が数名来て、
研究の遂行具合をチェックし、研究所シンポジウムの原稿を推敲し、平穏な1日であった。
本来なら、今日1日で1本論文を仕上げようと思ったが、痒みのせいで、注意の持続が足りなかった。

敏感になるのは、外界である四季のみでいいのに・・・


家でやろうと近い、帰ってきたが、結局は今日も音楽三昧になりそうだ。


学生を注意する前に自己を注意しなければならない。


人間とは自己にやさしいものである。


けれでもせめて5枚ぐらいは書こうか。



難破船

2008年09月07日 10時49分39秒 | 過去ログ
昨日は14時半より22時半まで、
大学院M2の研究室における中間発表会。
M212名中、10名が参加。
一人頭、40分~1時間の指摘・忠告。

自らが用いることばは慎重に、
そして、そのことばは科学的に用いられているものを使用する。
そして、そのことばについては、すべて理解している脳をつくってほしい。
また、研究の骨格である方法は、
相手を思い、平易にわかりやすく。
プレゼンテーションにはやさしさが必要である。
特に、原著論文を公表する際には。

原著論文には原著論文を引用すべし。
総説は、時にゆがんだ情報かもしれない。

しかし、8時間聞きっぱなし、しゃべりっぱなしは疲れる。
隣に、自らをサポートしてくれる「研究者」が欲しいものだ。
小講座制が懐かしい。
協同する助手~助教授、あるいは大学に常駐する院生がいれば、
もっともっと、研究は社会に出ると思うが、
そんなネガティブ思考でも駄目だ・・・

なんとか、自らで立ち回り、いや院生とダンスをして、
迂回はするが、難破させないように。
難破するのであれば、
それは悟りの境地に入る。

マイムマイムを1対10で踊っているようだ。

さて、fatigueな中、今から、兵庫の「山崎」という土地に講演に向かう。

20世紀少年

2008年09月05日 23時57分45秒 | 過去ログ
本日は、南江堂の修正原稿をとりあえずはフィニッシュさせる。
編集作業と違い、ただ規則にしたがい書き進めるだけだが、
それが逆に難しくなっている。
自由度を再現されると、冒険できないが、
逆に自分の文章が見直される。
いかに、いらない言い回しで述べているかを。
文学と医学の折衷で書く文章は、
時に混乱を招き、瞑想させてしまう。

昼から大学院の案内を行った。
修士課程の試験は近づいている。
来週も数名見える予定だ。
なお、博士課程も何卒よろしくお願い致します。
他大学の修士課程からももちろん受験可能です。

今日は院生が2名来て、
今度の中間発表会に備えて準備を行った。
日本語が難しい。
とにかく、穴が開くほど自分の文章を眺め、
そして、データを見続けることです。

日曜の講演準備も何とかメドがたった。
ジャンヌローの研究室から少し表紙をいただいた。



大学研究所と大学院の共催シンポジウムのポスターも完成した。
これにも是非とも来学してください。





20世紀少年、公開記念!



恥ずかしながら、自分をのせてみた
このときは、モニターアンプにつまずき、こけるハプニング(人生初めて)があったが、
その分、記憶に残っている。
また、歌詞を間違ったこともよ~く覚えている。




教育・研究パラダイム・シフトのために

2008年09月04日 22時37分02秒 | 過去ログ
昨日は午前中から日本福祉大の先生方が大学の研究室まで来られる。
チーム・マツバラだ。
今までの理学療法・作業療法研究は、
グローバリゼーションでなかったが、
今後は、弱いところを補うといった相補的関係、
そして、単に補完しあうという視点のみならず、
エマージェンスする関係となるよう、
日本全体で、ある事象のメカニズム研究、
そして効果研究と展開していくべきと考えた。
狭い空間・人材のみならず、
それが、日本、そして世界へと波及していくよう、
色んなところで、ネットワークができ、
シナプスを形成していってもらいたいものだ。
逆に同じ研究機関のメンバーだけで構成すると、
研究だけの話にならず、
システムの問題や、
業務の問題に話が流れるために、
専念できる利点もあるのかもしれない。

朝から夜まで本学におられ、
研究がある程度メドがたったようだ。

19時過ぎに院生の谷口君、河野君が来て、論文をチェックした。
この繰り返しから、穴が開くほど自分の論文と格闘し、
自分の身体の一部としてもらいたいものだ。

いかにわかりやすく述べるか、
それが大きな一歩になる。

本日は、朝から夕方までワークショップとしての教員研修会。
本学の問題を2つの視点からブレインストーミングすることで、
共通認識とし、目的を明確化し、そのストラテジーを考え、
効果をどのように検証するかといった、
まさに研究を計画するという手続きを、
本学の8割程度の教員と行った。
最初は抽象的な問題と思い、
気持ちが半ば中途半端であったが、
やはり、頭でっかちにならず、
このように、ブレークすることが大事だと思った。
筋肉を自らの指令で収縮させることの意味を考えた。
学生も教員も時間に追われている。
時間に追われることは、創造性を生み出す上で、
もっとも弊害かもしれない。
1~2年、ブラブラと遊学できる環境(志向)が、
学生も教員も常識化されると、
スポーツ、文化、研究開発すべてにおいてエフェクトするのではないかと思う。
欧米人が持っている空白の機関だ。


しかし、皆さん、しゃべりのプロだけあって、
プレゼンが上手い(な、、、ながい・・・)。
これだけのしゃべり能力を持っていれば、
畿央大学の授業力も良いと思った。
うちの班のリーダーにも頭が下がった。

学生はうらやましい限りだ。
それを感じるのは社会人になってからかもしれないが、
それはそれでよしとしよう。
母校とは故郷のようなものだ。

教員研修会の後は、院生の川崎君が粘り強くデータを観察した。


大城先生の論文がPhysical Therapyに掲載されたようだ。
これまた頭が下がる思いである。
「行為の解体」の講義を今度聴講させていただきたい。


そのような先輩を見て、感じることで、
自らを省みて、モチベーションがあがることは、
実に楽しく、幸福を感じる。

今日はyoutubeで なつかしの映像
そして、鳴瀬と櫻井のバトルを見ると、これまた幸福を感じた。


自分の立っている位置

2008年09月02日 08時30分31秒 | 過去ログ
昨日は大阪市立東高校での模擬授業。
高校1年生を対象に話した。

行く途中、大雨に見舞われ、不運でびしょびしょで不快になりかけたが、
これもご縁(記憶に残る瞬間にであえて)と思い、
高校まで京橋駅から歩いた。

老舗な店を見ることができ、
傘も意味のない洪水のような雨なので、
何年ぶりかの雨宿りをして、待った。
それも記憶を呼び戻すための大切な新たな経験。

高校では「運動と脳」の関係性について
高校1年生に話した。

アジア学会の感想を二人の院生から頂いた。
無許可で一部掲載する。

森岡先生
ACPTの僕の発表は終わりました。日本人ばかりで国際学会には思えない雰囲気でしたが、台湾の大学院生が質問に来てくれました。聞くと今、台湾ではMirror-neuronがVERYフェイマスTOPICだそうです。でもRizzolattiもGallezeも知りませんでした。Erteltの論文を教えておきました。最後に「面白い」と日本語で言ってもらい嬉しく思いました。

森岡先生
おはようございます。昨日発表しましたACPTの報告をさせていただきます。
質問には2名の外国の方が来られました。一名はEMGの研究をしているヨルダン人、もう一名は台湾人で小児の研究をしているPTでした。お二人ともCTE自体を知らなかったようですが、方法論や訓練、慢性期での運動機能回復などに興味をもっていただいたようでした。僕の英語が拙いせいで討議時間を過ぎても、ディスカッションすることになりましたが。
今回の学会は自分の英語力のなさを痛感する学会になりましたが、同時にまだまだCTEはアジアでは知られていないことを知り、少し視野が広がったような気がしています。院にいなければ発表することがなかったと思うと、このような貴重な経験をさせていただき感謝しています。ありがとうございました。


自分の立っている位置をこのように意識することが大切である。

視野を広げることは、自らをメタ認知する意味でも重要な過程である。

どの世界でも生きられる身体性を築いてください。

感情を大切に。