すっかりブログが滞ってしまった。
木曜日は大学院生の指導、会議を普通に行い、
夜は、実習終了後の4回生の懇親会。
70名近くいるが、60名ぐらい参加しており、
実習終了後の一体感が伝わる。
今までは半分強ぐらいの参加だったようだ。
そのうち20名ほどとAM2時近くまでカラオケでお付き合いする。
大学にPM9時に戻って仕事をするという誓いは
あっというまに崩れた。
講演と同じように、どうも断れない。
そんなことを、占い本に書いてあった。
2時前に逃げるようにタクシーに乗り込もうとしたが、
みんなに結局は送ってもらった。
みんな素直な「こころ」を持っている。
金曜日は松江に向かう。
そのまま新幹線の乗り、
岡山より出雲市行きの「やくも」に乗った。
実に6~7年ぶりの「やくも」だ。
新大阪駅や岡山駅は3連休での旅行客が多い。
いつも思うが3連休の移動は肉体的にも、このように精神的にも結構つらい。
そして、「やくも」内で仕事をしようと心に誓っていたが、
予測を超える「揺れ」・・・
みごとに、期待が外れた。
体性感覚のイメージがはずれ、そのうけるフィードバック情報から、
フリーズを行い、「無」になった。
このように揺れたのかとも記憶もよみがえらない。
いつも「南風」と「やくも」をセットで乗っていたために、
「南風」で免疫ができていたのか、
それとも、「南風」の揺れのほうが大きく、
それを小さく見積もったために、
揺れは少ないと思っていたのか、
おそらく後者のような気がする。
高梁川の流れの清らかさには癒され、
昔見た風景が、脳内をトップダウンの意識として、流れた。
松江につき、講師の皆さんの懇親会。
翌日を考え、11時過ぎにはお開きとなる。
土曜日よりコース開始。
皆さんの講義を聞き、
スライドを使わず、
基本的なことを話した。
よく理解していただいたようだ。
表情からそれを読み取った。
今回は講義がテンション高いですね。
と、スタッフに言われた。
いつも学生の授業とは違い、講演ではローテンションかつ押さえ込み講義なのである。
実は、システムとして機能することを意識している。
講師陣の顔ぶれを見ながら。
自分はどのようなスタイル(認知)でどのようなテンション(感情)で行えば良いかを
皆さんの講義を聞きながら考えている。
たとえば、Aという講師とのペアであれば、理攻め講義。
Bという講師とのペアであれば、わかりやすさの講義などなど。
急遽、スライドを使わないや、
ホワイトボードを2枚にしてくれ、とか
まさにわがまま三昧だったが、
どうかお許しを。
「視覚」「聴覚」「体性感覚」・・・「注意」「意図」「記憶」などなどを、
時系列で出来る限り意識しながら、
講義を行うが、
「情報」という視点で、
やはり、何回か「難破」しそうなときがあった。
その「修正」のタイミングがずれると、大変なことになる。
今回は寸前での「修正」が可能だったかと思う。
夜は、スタッフ-講師との懇親。
新しい「書きたいもの」のヴィジョンについて語り、修正してもらう。
4~5つぐらいのプロジェクトを3年間で形にしていきたい。
翌日は、実技などを行い、
セラピストとしての「思考」のトレーニングを行った。
前日の復習を行い講義した。
夜は、受講生-スタッフ-講師との懇親会。
宍道湖の夕日に「地球」を感じた。
同時に「山陰」「山陽という言葉の表現の仕方について考えた。
学生とのをいれると4夜連続。
内臓感覚が脳に多くの入力を与えてくれる。
レセプション後、急遽依頼されたバンドを行った。
東京のときは引き受けなかったが、
今回は引き受けた。
「違い(情)」があったからである。
人間は生物であり、最終的にはその「情」で動く。
ただ、喉の調子や、それまでの「イメージ作り」や「声つくり」「歌詞覚え」など、
1ヶ月ぐらいは必要なので、
前もって言って下さい・・よろしく・・・
アンプを通したギターやベース、そしてドラムに打ち勝つ身体をつくらないといけません。
カラオケとは意図的な運動単位の動員が大きく異なるので。
講演は10分前に頼まれても、なんとか1時間ぐらいは話せるが、
バンドは1ヶ月ぐらいは必要なのかもしれない。
前者はプロ、後者はアマであるからである。
「経験」からの「イメージ」形成までの時間が違う。
最終日は症例検討を行い、
帰路に。
これまた急遽に飛行機チケットをとり、伊丹空港まで。
「やくも」を避けた行動であった。
多様性の賜物である。
「山が高ければ高いほど、自己がわかる」
低い山では自分を知ることができない。
それを受講生にメッセージとして送った。
自分を知ろうとしている人は迷える人であり、
迷える人は他者に対して「思いやり」を持つ(持とう)としている人だと思う。
迷わず、自分がすべてだという人(表でなく、内面に)には、他者を思う気持ちはないはずである。
昨日は、大学院生(今回は17名の発表があった)の中間発表会。
13時より19時まで行う。
教授陣も多く集まり、
盛況な感じが出てよかった。
表現するためにも、まだまだ勉強してもらいたい。
8割ぐらいの出来に、みな安堵な感であった(教授陣は)。
あとは、「ひとのふりみてわがふりなおせ」
他の発表の良いところをまねながら、
細部までの注意を極限まではかることだ。
わかりにくいプレゼンは質問がでない。
複雑な内面(情報処理)は持つが、
単純な外面(出力)で応対する。
これが脳と身体の秘訣である。
単純な内面で、単純な外面であれば、
これは伸張反応や原始的スキーマなどの
多様性のない脳と身体。
一方、複雑な内面で、複雑な外面であれば、
フリーズを行ったり、他者と協調できない行動。
ヒントは「複雑な情報処理」を行うが、
シンプルに無駄なく力を出すこと(プレゼンすること)。
わかりやすさをもたらすためには、多くの情報(外と内)から、
その統合が適切に行われ、
その統合に基づき、
脳がシミュレーションしていることが前提である。
プレゼンがまだまだな者は「失行」状態であり、
その部分がつながれば、上手になっていくはずである。
2月の最終発表会には期待している。
まだ時間はある。
しかし、教授陣の元気さには目をみはるものがある。
もういいお年(60代~70代)の人たちが多かったが、
その能動的な接触には、
教育研究者としてのあるべき姿を、
私に体で教えてくれた。
まだまだ、忙しいだのいってられない。
しかし、あまりの疲労(私のゼミの院生11名の発表に対する親心としての)で
22時には寝てしまった。
夢の中では「ダイハード」や「インディージョーンズ」の場面が出てきた。
戦い、冒険していた・・ 筋肉が硬直状態であったのだろう。
いわゆる「金縛り」の手前まで久しぶりにいった。
疲労のときは、必ず夢の中で追われていたり、戦っている。
面白いことに、「インディ」のほうでは、
スピルバーグが、「最後の聖戦」の際の最後の場面のとき、
どのようにとっていたのかという「視点」が勝手に出てきた。
脳は「イメージ」を豊かに作り変える。
「演出」への意欲が潜在的にあるのかもしれない。
小学生のときの夢でもあったのかもしれない。
木曜日は大学院生の指導、会議を普通に行い、
夜は、実習終了後の4回生の懇親会。
70名近くいるが、60名ぐらい参加しており、
実習終了後の一体感が伝わる。
今までは半分強ぐらいの参加だったようだ。
そのうち20名ほどとAM2時近くまでカラオケでお付き合いする。
大学にPM9時に戻って仕事をするという誓いは
あっというまに崩れた。
講演と同じように、どうも断れない。
そんなことを、占い本に書いてあった。
2時前に逃げるようにタクシーに乗り込もうとしたが、
みんなに結局は送ってもらった。
みんな素直な「こころ」を持っている。
金曜日は松江に向かう。
そのまま新幹線の乗り、
岡山より出雲市行きの「やくも」に乗った。
実に6~7年ぶりの「やくも」だ。
新大阪駅や岡山駅は3連休での旅行客が多い。
いつも思うが3連休の移動は肉体的にも、このように精神的にも結構つらい。
そして、「やくも」内で仕事をしようと心に誓っていたが、
予測を超える「揺れ」・・・
みごとに、期待が外れた。
体性感覚のイメージがはずれ、そのうけるフィードバック情報から、
フリーズを行い、「無」になった。
このように揺れたのかとも記憶もよみがえらない。
いつも「南風」と「やくも」をセットで乗っていたために、
「南風」で免疫ができていたのか、
それとも、「南風」の揺れのほうが大きく、
それを小さく見積もったために、
揺れは少ないと思っていたのか、
おそらく後者のような気がする。
高梁川の流れの清らかさには癒され、
昔見た風景が、脳内をトップダウンの意識として、流れた。
松江につき、講師の皆さんの懇親会。
翌日を考え、11時過ぎにはお開きとなる。
土曜日よりコース開始。
皆さんの講義を聞き、
スライドを使わず、
基本的なことを話した。
よく理解していただいたようだ。
表情からそれを読み取った。
今回は講義がテンション高いですね。
と、スタッフに言われた。
いつも学生の授業とは違い、講演ではローテンションかつ押さえ込み講義なのである。
実は、システムとして機能することを意識している。
講師陣の顔ぶれを見ながら。
自分はどのようなスタイル(認知)でどのようなテンション(感情)で行えば良いかを
皆さんの講義を聞きながら考えている。
たとえば、Aという講師とのペアであれば、理攻め講義。
Bという講師とのペアであれば、わかりやすさの講義などなど。
急遽、スライドを使わないや、
ホワイトボードを2枚にしてくれ、とか
まさにわがまま三昧だったが、
どうかお許しを。
「視覚」「聴覚」「体性感覚」・・・「注意」「意図」「記憶」などなどを、
時系列で出来る限り意識しながら、
講義を行うが、
「情報」という視点で、
やはり、何回か「難破」しそうなときがあった。
その「修正」のタイミングがずれると、大変なことになる。
今回は寸前での「修正」が可能だったかと思う。
夜は、スタッフ-講師との懇親。
新しい「書きたいもの」のヴィジョンについて語り、修正してもらう。
4~5つぐらいのプロジェクトを3年間で形にしていきたい。
翌日は、実技などを行い、
セラピストとしての「思考」のトレーニングを行った。
前日の復習を行い講義した。
夜は、受講生-スタッフ-講師との懇親会。
宍道湖の夕日に「地球」を感じた。
同時に「山陰」「山陽という言葉の表現の仕方について考えた。
学生とのをいれると4夜連続。
内臓感覚が脳に多くの入力を与えてくれる。
レセプション後、急遽依頼されたバンドを行った。
東京のときは引き受けなかったが、
今回は引き受けた。
「違い(情)」があったからである。
人間は生物であり、最終的にはその「情」で動く。
ただ、喉の調子や、それまでの「イメージ作り」や「声つくり」「歌詞覚え」など、
1ヶ月ぐらいは必要なので、
前もって言って下さい・・よろしく・・・
アンプを通したギターやベース、そしてドラムに打ち勝つ身体をつくらないといけません。
カラオケとは意図的な運動単位の動員が大きく異なるので。
講演は10分前に頼まれても、なんとか1時間ぐらいは話せるが、
バンドは1ヶ月ぐらいは必要なのかもしれない。
前者はプロ、後者はアマであるからである。
「経験」からの「イメージ」形成までの時間が違う。
最終日は症例検討を行い、
帰路に。
これまた急遽に飛行機チケットをとり、伊丹空港まで。
「やくも」を避けた行動であった。
多様性の賜物である。
「山が高ければ高いほど、自己がわかる」
低い山では自分を知ることができない。
それを受講生にメッセージとして送った。
自分を知ろうとしている人は迷える人であり、
迷える人は他者に対して「思いやり」を持つ(持とう)としている人だと思う。
迷わず、自分がすべてだという人(表でなく、内面に)には、他者を思う気持ちはないはずである。
昨日は、大学院生(今回は17名の発表があった)の中間発表会。
13時より19時まで行う。
教授陣も多く集まり、
盛況な感じが出てよかった。
表現するためにも、まだまだ勉強してもらいたい。
8割ぐらいの出来に、みな安堵な感であった(教授陣は)。
あとは、「ひとのふりみてわがふりなおせ」
他の発表の良いところをまねながら、
細部までの注意を極限まではかることだ。
わかりにくいプレゼンは質問がでない。
複雑な内面(情報処理)は持つが、
単純な外面(出力)で応対する。
これが脳と身体の秘訣である。
単純な内面で、単純な外面であれば、
これは伸張反応や原始的スキーマなどの
多様性のない脳と身体。
一方、複雑な内面で、複雑な外面であれば、
フリーズを行ったり、他者と協調できない行動。
ヒントは「複雑な情報処理」を行うが、
シンプルに無駄なく力を出すこと(プレゼンすること)。
わかりやすさをもたらすためには、多くの情報(外と内)から、
その統合が適切に行われ、
その統合に基づき、
脳がシミュレーションしていることが前提である。
プレゼンがまだまだな者は「失行」状態であり、
その部分がつながれば、上手になっていくはずである。
2月の最終発表会には期待している。
まだ時間はある。
しかし、教授陣の元気さには目をみはるものがある。
もういいお年(60代~70代)の人たちが多かったが、
その能動的な接触には、
教育研究者としてのあるべき姿を、
私に体で教えてくれた。
まだまだ、忙しいだのいってられない。
しかし、あまりの疲労(私のゼミの院生11名の発表に対する親心としての)で
22時には寝てしまった。
夢の中では「ダイハード」や「インディージョーンズ」の場面が出てきた。
戦い、冒険していた・・ 筋肉が硬直状態であったのだろう。
いわゆる「金縛り」の手前まで久しぶりにいった。
疲労のときは、必ず夢の中で追われていたり、戦っている。
面白いことに、「インディ」のほうでは、
スピルバーグが、「最後の聖戦」の際の最後の場面のとき、
どのようにとっていたのかという「視点」が勝手に出てきた。
脳は「イメージ」を豊かに作り変える。
「演出」への意欲が潜在的にあるのかもしれない。
小学生のときの夢でもあったのかもしれない。