ツイッターをしはじめてちょうど1週間が経過しました。
当初はブログで十分と思ってたのですが、
今は違います。
その違いは、ブログを打つスピードとツイッターを打つスピードです。
ブログもおおよそ長文を5分~10分で打ってましたが、
ツイッターの、おそらく同じ量であっても、それよりも早いのです。
それを仮説だててみると、どうも、
ブログは「打つ」=「打たなければならない」という感じで
出力しなければならないという、より顕在的な意識に基づく動きで、
ときたま、面倒と思うことがあるのですが、
ツイッターはつぶやくという言葉に代表されるように、
顕在的意識が少なくなり、より自然にキーを動かします。
どんどん湯水のように。
なんか自然にことばが出てくるというか、
よりしゃべることに近いネット言語なのかもしれません。
つまり、出力しなければならないというほうに、
脳の意識がとられず、
ある脳のなかで生まれる情報に基づいて、
勝手に言語が生まれるといった。
創発される現象ともいえます。
そんな感じでツイッターを感じ始めましたので、
ブログとのすみわけが意識されはじめました。
今後も情報発信ツールにこのブログとツイッターを利用していきますので、
よろしくお願いします。
またネットを活用した新たなプロジェクトも考えています。
当初はブログで十分と思ってたのですが、
今は違います。
その違いは、ブログを打つスピードとツイッターを打つスピードです。
ブログもおおよそ長文を5分~10分で打ってましたが、
ツイッターの、おそらく同じ量であっても、それよりも早いのです。
それを仮説だててみると、どうも、
ブログは「打つ」=「打たなければならない」という感じで
出力しなければならないという、より顕在的な意識に基づく動きで、
ときたま、面倒と思うことがあるのですが、
ツイッターはつぶやくという言葉に代表されるように、
顕在的意識が少なくなり、より自然にキーを動かします。
どんどん湯水のように。
なんか自然にことばが出てくるというか、
よりしゃべることに近いネット言語なのかもしれません。
つまり、出力しなければならないというほうに、
脳の意識がとられず、
ある脳のなかで生まれる情報に基づいて、
勝手に言語が生まれるといった。
創発される現象ともいえます。
そんな感じでツイッターを感じ始めましたので、
ブログとのすみわけが意識されはじめました。
今後も情報発信ツールにこのブログとツイッターを利用していきますので、
よろしくお願いします。
またネットを活用した新たなプロジェクトも考えています。