森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

経済効率化のツケ

2007年05月28日 13時16分21秒 | 過去ログ

水曜から新潟で、やっと奈良に帰る。

新潟へ 学会行けども 酒浸り

甘口の日本酒は、全く、私の脳には届かず。超辛口が恋しいが食材はいうことなし。

三日三晩、仕事は口頭発表、セミナーの司会、座長だったが、夜はいろんな会合が続く続く。以前のようなエネルギーはなく、違うグループへの梯子はさすがにできなかった。

いろんな意識が湧いたが、この巨大化したスタイル(京都学会からだと思う)は、これはこれで受け止めないといけないのかなと思った。

以前の僕なら、もっと議論を!とか、教育セミナーばかりで、学会は教育する所じゃなく、議論する所で、それに基づきあらたな研究が共同で起こるところだと、攻撃的だったが、これだけPTが突然に生産されるようになり、また、そうしたセミナーがないと、おそらく参加しないであろう顔がちらほら・・・ そう考えるとしかたないのか。

学会が全国研修会化した今日、学会そのものを、小規模へシフトさせる、それを早急に進めないといけないのか(このお祭りは残して)。

専門領域の体力がそこまで耐えれるかだが、なんとかしたいものだ。専門領域の分け方の問題もあるが、年に1回のこのお祭り的PT学会で、基礎~臨床まで臨床のPTが意識できればと考えている。

巨大化すれば経済効率を考えねばならず、それはそれは難しい。

準備委員長の大西先生にお疲れ様でしたと心からいいたい。

経済効率のツケは週末のANAの問題もその一つだ。機械に支配されると、人間は無力だ。アイロボットの時代もそう遠くはないのか・・・人間はもろくなった。そして、その機械の不具合に真剣な感情を生起しはじめた。機械に起こることができないので、介入している人間におこりちらすしかない。

そもそも、機械は壊れるもの。

機械は完璧だといつからそういう意識が生まれたのか。それも経済効率化のツケだ。

 

一方、人間のシステムも破たんしている。社会保険庁の問題は、歴史が根深い。

機械と人間・・・

 

 

その逆の世界がある。

河瀬さんの映画だ。奈良出身であり、以前から気になっていたが、彼女の言葉は重い。

以前、実の母親(認知症)の介護のドキュメンタリーがあったのだが、「死」は終わりでないという言葉が響いた。

その魂は誰かに根付いている。脳に記憶があるように、その記憶は残り続ける。人間関係の円環だ。記憶の結晶がある以上、「死」は終わりでない。誰かの心に宿り続ける。たとえ意識にのぼらなくとも(顕在化しなくとも)

 

スピーチで目に見えないものに真実があるようなことを言っていた。「博士が愛した数式」で博士もそのようなことをいった。脳とはそういうものだ。僕も「星の王子さま」からいただき、「リハビリテーションのための認知神経科学入門」のあとがきでそうかいた。私もまだまだ青二才。どこまで哲学的思考を持ち続けるか、次の目標に向けて頑張ろうと思う。

概して語らず、日本人として、どのような生き様の美学を養うか、人生の折り返しを過ぎ、考えている。

 

殯(もがり)の森

 

アメリカナイズされていない、この自然がフランス人には受ける。

日本の文化は自然との共存だ。

それが欧米とは違う。

それを大事にしたいものだが・・・ 効率ばかりの教育じゃそれもできない。