昨日、講義を早々に終え、愛媛県四国中央市へ。
旧川之江である。
石川病院の実習巡回指導を行い、19時前より、21時前まで出張講義を行う。
毎年行っていることから、今年は少し方法を変えたが、これが相互作用せず。
反省するばかりであった。
しかしながら、ここでも「メタ認知」の問題にあたり、そして、日々の「答えをすぐに求めたい」その志向性に出会い、少しショックだった。
それは、やる気の問題でなく、認知の問題であり、教育することが大事だと思った。
免許を持っても、日々悩み続ける、その志向性が大事なのだが、いつもいいわけしている自分に出会い、それを肯定し続けているのかもしれない。
しかし、何がいいわけでもなく、自らの足で一歩前に進むことだ。
私の恩師である宮本先生は、自らがスタンダードであるといい続けているだろう。
これはエゴでなく、常に反省し続けるという視点なのである。
特急に乗り、大歩危峡を経由して「ごめん駅」まで。
アンパンマン列車のトロッコに出会う。
ごめん駅から高知大学付属病院へ(旧高知医大である)。
タクシーで裏道を通ると、そこには私の原風景があった。
この道を通ったことはないが、なにか、似ている。その安らぎが。
でこぼこ道、不規則の曲がり道、川べりのひょっとして行き止まり・・・などを感じ、土手には草が。
この自然が、私の脳に感動を与える。
今の職場や自宅周辺は大阪のベッドタウンであり、それはそれはきれいなのだが、そのきれいさは人工物にすぎない。
だから、きれいが意識にのぼらなくなる。
だが、この風景しか知らない人たちは、それが「普通」なのかもしれない。
「普通」とは何か???
ノーマリゼーションというが、それは、本質を言っているのか・・・などなど考えながら医大へ。
少し早くついたので、なつかしき、院生時代の風景をながめ、実習生のもとへ。
楽しく、明るくやっている。
さてさて、動きの指摘や注意を実習生たち、うけていると思うけど。
記憶はしているよね。
けど、からだで動けないんだよね。
それは、日々の風景、体験は側頭葉で記憶化されているけど、それに意味を付与していないから、動けないんだよ。
意味を付与するのは前頭葉。
前頭葉を働かせるためには、「意欲」が一番いい。
「意欲」はあると自分で言い聞かせても、それは本当の「意欲」ではなくかもよ。
情報を統合し、解釈する脳の前頭葉には、動物の本質である「意欲」が欠かせない。
何かについて「関心」を持とう。
それは、複数でなくてもいい。
昔は、「やる気」と精神論、そして、リハビリの世界では情意などといわれてきたが、それは、どのように行為を起こしていいのかわからない「認知」なのかもしれない。
言葉遣いという「行為」の内在する問題は、それが多い。
それに指導者たちも気づいてもらいたい、今日このごろだが、それも自然。
その自然のなかに「人間」」は行き続けている。
人間関係も「人工」でない。
自然なのだ。
Natura non facit saltum
さてさて、懇親会に行くとするか。
今年4月に高知に就職した畿央大学の卒業生も交えて。
旧川之江である。
石川病院の実習巡回指導を行い、19時前より、21時前まで出張講義を行う。
毎年行っていることから、今年は少し方法を変えたが、これが相互作用せず。
反省するばかりであった。
しかしながら、ここでも「メタ認知」の問題にあたり、そして、日々の「答えをすぐに求めたい」その志向性に出会い、少しショックだった。
それは、やる気の問題でなく、認知の問題であり、教育することが大事だと思った。
免許を持っても、日々悩み続ける、その志向性が大事なのだが、いつもいいわけしている自分に出会い、それを肯定し続けているのかもしれない。
しかし、何がいいわけでもなく、自らの足で一歩前に進むことだ。
私の恩師である宮本先生は、自らがスタンダードであるといい続けているだろう。
これはエゴでなく、常に反省し続けるという視点なのである。
特急に乗り、大歩危峡を経由して「ごめん駅」まで。
アンパンマン列車のトロッコに出会う。
ごめん駅から高知大学付属病院へ(旧高知医大である)。
タクシーで裏道を通ると、そこには私の原風景があった。
この道を通ったことはないが、なにか、似ている。その安らぎが。
でこぼこ道、不規則の曲がり道、川べりのひょっとして行き止まり・・・などを感じ、土手には草が。
この自然が、私の脳に感動を与える。
今の職場や自宅周辺は大阪のベッドタウンであり、それはそれはきれいなのだが、そのきれいさは人工物にすぎない。
だから、きれいが意識にのぼらなくなる。
だが、この風景しか知らない人たちは、それが「普通」なのかもしれない。
「普通」とは何か???
ノーマリゼーションというが、それは、本質を言っているのか・・・などなど考えながら医大へ。
少し早くついたので、なつかしき、院生時代の風景をながめ、実習生のもとへ。
楽しく、明るくやっている。
さてさて、動きの指摘や注意を実習生たち、うけていると思うけど。
記憶はしているよね。
けど、からだで動けないんだよね。
それは、日々の風景、体験は側頭葉で記憶化されているけど、それに意味を付与していないから、動けないんだよ。
意味を付与するのは前頭葉。
前頭葉を働かせるためには、「意欲」が一番いい。
「意欲」はあると自分で言い聞かせても、それは本当の「意欲」ではなくかもよ。
情報を統合し、解釈する脳の前頭葉には、動物の本質である「意欲」が欠かせない。
何かについて「関心」を持とう。
それは、複数でなくてもいい。
昔は、「やる気」と精神論、そして、リハビリの世界では情意などといわれてきたが、それは、どのように行為を起こしていいのかわからない「認知」なのかもしれない。
言葉遣いという「行為」の内在する問題は、それが多い。
それに指導者たちも気づいてもらいたい、今日このごろだが、それも自然。
その自然のなかに「人間」」は行き続けている。
人間関係も「人工」でない。
自然なのだ。
Natura non facit saltum
さてさて、懇親会に行くとするか。
今年4月に高知に就職した畿央大学の卒業生も交えて。