昨日、熊本より帰り、そのまま仕事へ。
書類作成、会議、そして、メールの返事などで、終日費やし、肝心な原稿を送信することはできず。
家でしようと思い、帰るが、さすがにロード後なので、動かず。
活字を見れば、動揺し緊張する。
それでも横になりながら、いくつかの他人の原稿に目を通すが、このまま続けると明日に響くと思い、自省した。
ヘロヘロとバキバキ状態である。
メタファーな言語であるが、それが今の身体だろう。
熊本の母親は、いろんな記憶が飛び交っているが、今は「嚥下」が問題だ。
右脳がほとんどがない状態なので、「飲み込む」ための大きさが知覚できず、それに伴う判断に問題があり、ステレオタイプになっている。
注意も分配できず、摂取が難しい。
しかし、左脳は動いており、言語も問題なく、多少な「赤ちゃん」ことばには感情が喚起しているようだ。
「ごっくん」など、容易にそんな言葉は使わないほうがいいと、反省した。
自分の息子に「ごっくん」などと言われたくはないよな。
母親の脳のなかの記憶の再生には、もう20数年前に亡くなった姉や弟が出ているようだ。
これは幻覚ではく、記憶の再生だろう。
現実の記憶と、過去の記憶が連合野で混在している。
人生とは、何なのかを考えさせられる。
リハビリとは、本当の意味でのリハビリなのか・・・
本当に「難しい」です。
対象者とセラピストの関係をもう一度考え直したい。
学習のリセットかな。
阿蘇ではプチフランスを堪能したが、移動移動が続き、身体の回復ははかれず。
何もない時間と空間の世界を1週間でいいから感じたい。
身体の素晴らしさを感じれるはずなのに。
さてさて、今は、AMの1年生のリハ概論を終えたところです。
元気があってよろしい、よろしい。
だが、メリハリはつけよう。
2つの専門学校に行っているが、起立―礼はいまだに続いている。
これをしろ、というわけでなく、そのような「刺激」がなくとも、自分で「判断」する、そういう大人になってもらいたいものだ。
だって、あなたたちには、立派な「大脳新皮質」が存在しているのでしょう。
楽しいのはわかるが、苦しいのも大事。
わかった、その瞬間に出会いましょう。
さてさて、この後は3年生の講義、そして21時すぎまでの大学院の講義に突入します。
授業は運動なので、バキバキは少し減った。
だから、ブログを打つことができました。