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ケイコ R.I.P.Ⅰ

2009-12-12 18:52:51 | レポート

今から6年前の2003年12月12日(金)夕刻、ノルウェー西部ハルサ自治区のフィヨルド。
そこにいた一匹のオルカ(シャチ)“ケイコ”が死去しました。

ケイコ(日本とは何の関わりもありません。雄です)はヨーロッパのアイスランドで生まれました。
1979年11月、ケイコは約1歳のときに猟師たちによって捕らえられ、家族がいる群れと引き離されました。

その後、ケイコはアイスランドとカナダの水族館を転々としました。
アイスランドでは“シッキー”。カナダでは“ガーゴ”と銘々付けられたケイコは、若干1歳半で群れと離れて暮すという殆ど拷問のような暮らしに耐えぬきましたが、狭い水槽に閉じ込められ、年々体力は減少していきました。
実は、ケイコは日本の水族館に行く可能性もあったのですが、恐らく日本に行っていたら水族館で一生を終えていたことでしょう。

1985年、ケイコはカナダからメキシコの水族館に移動、名前はガーゴから“ケイコ”に改名されました。これはガーゴがメキシコ語で「糞を垂れる」という意味があったためとのことです。
このメキシコでの生活はケイコにとって苦痛以外のなにものでもありませんでした。メキシコはケイコの故郷であるアイスランドよりも明らかに水温が高く、ケイコの体力はついに限界点に達して皮膚病にも罹り(カナダの水族館で罹り、メキシコで悪化)、命の危機に瀕していたといわれています。

そんなケイコに転機が訪れたのは1992年、オルカを主人公にした映画『フリー・ウィリー』の製作をしようとしていたワーナー社がケイコに目を付けて水族館に出演を打診、水族館側は金になると思い出演を了解(ストーリー内容から出演を断る水族館が多かった)したことからケイコの人生が劇的に変わりました。
1993年ワーナー社が製作した『フリー・ウィリー』は大ヒットを記録、ケイコの演じる“ウィリー”はたちまち米国人のアイドルとなりました(日本ではまったくヒットしなかった。)。

『フリー・ウィリー』公開から数ヶ月、「あのオルカを演じているのは誰?」と米メディアはケイコの情報を追いつづけ、雑誌などを通じてケイコが危うい状態にあることが伝えられました。
そうして巻き起こったのが“ケイコを海に帰す”運動です。子どもたちから始まり、ワーナー社や環境保護団体もバックアップを続け、ついには“フリー・ウィリー・ケイコ基金”という組織もつくられました。

1995年『フリー・ウィリー2』の公開によってケイコの救う活動は飛躍的になり、翌1996年、ついにケイコは自由への第1歩を掴みました。
ケイコはリハビリ設備が完備されたアメリカのオレゴン・コースト水族館に移動、そこでリハビリ励むことになります。
オレゴンでケイコは犬のぬいぐるみと戯れたりしながら徐々に体力を回復(もちろん芸はさせない)、ケイコは自由へと着実に前進して行きました。

オレゴン・コースト水族館で順調にリハビリに励むケイコは、生きた魚を捕らえるなどみるみるうちに元気になっていきました。
しかし、水族館はそんなケイコが人気があることを運営上プラスと考えてケイコを手放すのをためらい始めるなど、少し不穏な空気が漂い始めました。

そんな空気に呑み込まれぬよう、ケイコを救おうとしている人々はケイコをアイスランドへ帰還させようと著名活動を開始、1998年9月9日(水)ついにケイコは故郷へと旅立ちました
翌日の9月10日(木)ケイコは故郷アイスランドのヘイマエイ島、クレッツビク湾の浮き囲いにリリースされ、約19年ぶりに自然の空気にふれました


人を覗きこむケイコ



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