SOCCER NISUTA

なせば成る!!!!
レアル・マドリードについて書いていきます。

ケイコ R.I.P.Ⅲ

2009-12-12 19:11:17 | レポート


ケイコ関連作品紹介

フリー・ウィリー
母親に捨てられた少年ジェシーが人間に捕らえられて群れから離れたウィリーと水族館で出会い、友情を持ち、やがてウィリーを群れに帰すストーリー。
ケイコ演じるウィリーがとてもキュート、ジェシーが里親を受け入れようとする様子なども丁寧に描かれています。
音楽も印象に残り、CD(廃盤中)を購入したくなること間違いなし!マイケル・ジャクソン提供のエンディング曲も最高です。

フリー・ウィリー2
群れに帰ったウィリーと成長したジェシーの物語。
今回は前回よりもアニマトロニクスの使用頻度が高く、オルカの群れ以外はロボットらしいです。
久々に再会したウィリーがハーモニカを届けるシーンやラストシーンは感慨深いものがあります。

フリー・ウィリー3
昔一度見た記憶がありますが、ジェシーが船に乗り込むシーンしか覚えてません…(汗)
ちゃんと見ると本当にウィリーとお別れのような気がして再視聴してません…。

ケイコという名のオルカ ~水族館から故郷の海へ~
さっきの記事は殆どここの情報を見て書きました。
ケイコ好きにはお勧め、ケイコが浮き囲いを離れる直前まで書かれています。
ケイコのことだけではなく、オルカやイルカが水族館にいるとどういう状況に置かれるのか、オルカとイルカ漁の悲しさについても言及しています。

ケイコ 海へ帰ったオルカ
『ケイコという名のオルカ』のエッセイ版。
ケイコの気持ちになって語られている場面もあります。

ケイコを海へ帰したい ~世界でいちばん長い旅をしたオルカ~
ケイコの死の直前に出版されたため、ケイコの死については書いてません。
内容は『ケイコという名のオルカ』+ケイコ旅立ち~戻って来たケイコまでです。
筆者はケイコの死がショックだったのか(?)、ケイコの死後の文書は出していません。

 
ケイコの墓


ケイコ R.I.P.Ⅱ

2009-12-12 19:00:42 | レポート


ケイコは浮き囲いの生活を続け、徐々に自然に順応していき、2000年3月3日(金)には浮き囲いの外に出るまでになりました。
同年5月25日(木)、ケイコは浮き囲いを完全に出て大海原を自由に泳ぎ回り、ついに自由へのカウントダウンが始まりました。

2001年5月、急成長しているケイコはヘイマエイ島付近のオルカの群れに合流するまでになりましたが、その群れと一緒に島を去るまでには到りませんでした
1年後の2002年7月、ケイコは再びオカルの群れと合流し一度は浮き囲いに戻ってきたものの、7月15日(土)についにケイコは群れと一緒に人間の元を離れ、自由なオルカとなりました。

ケイコが旅立ってから約2ヶ月後の2002年9月1日(日)。
ノルウェーのスカールビック・フィヨルドに一匹のオルカが姿を現し、そこにいた家族連れのボートに併走。そのオルカは背中を撫でられると反応し、その家族の女の子と一緒に泳いだり、背中に乗せたりしました。
そのオルカこそ、群れと一緒に旅立ったケイコでした。

1人でノルウェーまでやって来たケイコは、その後、そこにいる住民と戯れるなどして海へ戻ろうとはしませんでした。
ケイコを野生に戻す活動は再び白紙に戻りましたが、“フリー・ウィリー・ケイコ基金”や世界中のケイコを思う人々は何とか野生に帰したいと再度行動を開始、ノルウェー政府はそれを聞き入れてケイコの半径50メートルに近づくことを禁止、なるべく野生の状態にすることに協力しました(当時はケイコを殺すという意見も出るなど、ケイコの周囲は不穏だった)。
2002年12月、ケイコを冬でも氷が張らないノルウェーのハルサ自治区内のタクネス湾に移動させ、そこで再びリリースに向けた訓練が行われました。

2003年12月12日金曜日の夕刻、ケイコは息を引き取りました
死因は急性肺炎、ケイコは死の2日前から昏睡状態になり始めて食事を取らなくなっていたとのことです。
ケイコは最後の地でリリース訓練に励む傍ら、地元の人達や観光客に芸を披露するなど、元気な様子を見せていましたが病魔は突如としてケイコの命を奪いました…。
死去から3日後の15日(月)、ケイコは最後の地の近くの幅10メートル、深さ5メートルの穴に埋葬されました。

結局、ケイコが自由になったのは約2ヶ月と短期的で最後まで人間に翻弄されて27年間の生涯(1977年誕生と推定)を終えました。
しかし、ケイコは最後まで人間の友でした。人間に翻弄されたのにも関わらず、最後まで人間の友であったオルカ、ケイコから何を受け取り、感じるかはその人次第でしょう。

最後になりますが、“人間の友”であったケイコを象徴する場面が『フリー・ウィリー2』にあります。それはラストシーンで主人公ジェシーを助けた後になかなか仲間の元に帰らないウィリーの姿です。
あれはアニマトロニクスでしたが、そこには確かに“人間の友”ケイコの姿を見ました…今後ケイコのような境遇のオルカや動物(イルカなど)を出さないようにしなければなりません。


元気に泳ぐケイコ


ケイコ R.I.P.Ⅰ

2009-12-12 18:52:51 | レポート

今から6年前の2003年12月12日(金)夕刻、ノルウェー西部ハルサ自治区のフィヨルド。
そこにいた一匹のオルカ(シャチ)“ケイコ”が死去しました。

ケイコ(日本とは何の関わりもありません。雄です)はヨーロッパのアイスランドで生まれました。
1979年11月、ケイコは約1歳のときに猟師たちによって捕らえられ、家族がいる群れと引き離されました。

その後、ケイコはアイスランドとカナダの水族館を転々としました。
アイスランドでは“シッキー”。カナダでは“ガーゴ”と銘々付けられたケイコは、若干1歳半で群れと離れて暮すという殆ど拷問のような暮らしに耐えぬきましたが、狭い水槽に閉じ込められ、年々体力は減少していきました。
実は、ケイコは日本の水族館に行く可能性もあったのですが、恐らく日本に行っていたら水族館で一生を終えていたことでしょう。

1985年、ケイコはカナダからメキシコの水族館に移動、名前はガーゴから“ケイコ”に改名されました。これはガーゴがメキシコ語で「糞を垂れる」という意味があったためとのことです。
このメキシコでの生活はケイコにとって苦痛以外のなにものでもありませんでした。メキシコはケイコの故郷であるアイスランドよりも明らかに水温が高く、ケイコの体力はついに限界点に達して皮膚病にも罹り(カナダの水族館で罹り、メキシコで悪化)、命の危機に瀕していたといわれています。

そんなケイコに転機が訪れたのは1992年、オルカを主人公にした映画『フリー・ウィリー』の製作をしようとしていたワーナー社がケイコに目を付けて水族館に出演を打診、水族館側は金になると思い出演を了解(ストーリー内容から出演を断る水族館が多かった)したことからケイコの人生が劇的に変わりました。
1993年ワーナー社が製作した『フリー・ウィリー』は大ヒットを記録、ケイコの演じる“ウィリー”はたちまち米国人のアイドルとなりました(日本ではまったくヒットしなかった。)。

『フリー・ウィリー』公開から数ヶ月、「あのオルカを演じているのは誰?」と米メディアはケイコの情報を追いつづけ、雑誌などを通じてケイコが危うい状態にあることが伝えられました。
そうして巻き起こったのが“ケイコを海に帰す”運動です。子どもたちから始まり、ワーナー社や環境保護団体もバックアップを続け、ついには“フリー・ウィリー・ケイコ基金”という組織もつくられました。

1995年『フリー・ウィリー2』の公開によってケイコの救う活動は飛躍的になり、翌1996年、ついにケイコは自由への第1歩を掴みました。
ケイコはリハビリ設備が完備されたアメリカのオレゴン・コースト水族館に移動、そこでリハビリ励むことになります。
オレゴンでケイコは犬のぬいぐるみと戯れたりしながら徐々に体力を回復(もちろん芸はさせない)、ケイコは自由へと着実に前進して行きました。

オレゴン・コースト水族館で順調にリハビリに励むケイコは、生きた魚を捕らえるなどみるみるうちに元気になっていきました。
しかし、水族館はそんなケイコが人気があることを運営上プラスと考えてケイコを手放すのをためらい始めるなど、少し不穏な空気が漂い始めました。

そんな空気に呑み込まれぬよう、ケイコを救おうとしている人々はケイコをアイスランドへ帰還させようと著名活動を開始、1998年9月9日(水)ついにケイコは故郷へと旅立ちました
翌日の9月10日(木)ケイコは故郷アイスランドのヘイマエイ島、クレッツビク湾の浮き囲いにリリースされ、約19年ぶりに自然の空気にふれました


人を覗きこむケイコ


勝手に予想② グループB

2009-12-12 16:35:15 | 2010FIFAワールドカップ

グループB予想順位
1位 アルゼンチン
2位 ギリシャ
3位 ナイジェリア
4位 韓国

アルゼンチンアルゼンチン
イグアイン、メッシ、アグエロ、テヴィス、アイマールなど圧倒的な攻撃力を誇り、招集されいない面々にはサヴィオラやリケルメといったワールドクラスの選手がいるなど、攻撃の層の厚さは申し分ないアルゼンチン代表。

そんな彼らがギリギリで予選を突破したのは何故か?・・・それはディエゴ・マラドーナが原因だと考えてまず間違いないでしょう。
過去には5人抜きや“神の手ゴール”、W杯優勝など数々の功績でアルゼンチンの神様となったマラドーナ。
しかし、今は戦略面、指導面、一部選手との確執によってチームの足を引っ張る存在となっています・・・。

しかし、優秀な人材がいるのは確かなので決勝Tに進むのは確実、運がよければ首位突破もできると予想します。

ギリシャギリシャ
ユーロ2004でひたすら守備に徹し、隙を見計らってカウンター攻撃を仕掛ける戦略で、ジダン率いるフランスやフィーゴ、C・ロナウドが競演したポルトガルを奈落の底に蹴落として欧州王者に輝いたギリシャ。

当時の彼らのモットーは、“失うものはなにもない”。この精神で欧州制覇を果たしました。
しかし、王者となって失うものが出来た途端に彼らは低迷。06W杯出場を逃し、ユーロ2008ではなんとか本大会出場を果たしたものの王者としては悲しすぎる3連敗で大会を去りました。

そして今回、ギリシャは1994年以来のW杯出場を果たしました。
欧州王者をスペインに奪われ、再び“失うものはなにもない”状況になったギリシャ。
ユーロ04制覇を果たした指揮官レーハーゲルの下、再び旋風を巻き起こすべくギリシャは南アフリカへ向かいます!

ナイジェリアナイジェリア
1998FIFAワールドカップで無敵艦隊スペインを敗った“スーパーイーグルス”。
しかし翌2002FIFAワールドカップではイングランド、アルゼンチン、スウェーデンのいる死のグループに入ってしまい、手も足も出せずに最下位に終わりました。

そして前回大会はドイツの地に行くことは叶わず、今大会はギリギリで出場を掴みました。
元インテルのマルティンスら爆発的な攻撃力を持っているため、ギリシャ、アルゼンチンと1、2位争いをするものと思われますが、ギリシャの守備力とアルゼンチンの底力には敵わずに3位敗退すると予想しました。

韓国韓国
東アジア最強の国といっても過言ではありませんが、このグループは少し厳しいでしょう。
ただ、アジア地区を勝ち上がったものとしてとしてアフリカ勢を倒す義務がある(今回のW杯でアフリカの成績がアジアを上回った場合、次回以降アフリカが増枠され、アジアが減枠する可能性がある)ので必ずナイジェリアを倒さねばなりません。


未来への投資、リヴァプール

2009-12-12 10:51:27 | 海外and国内NEWS

今現在、欧州CLで敗退するなど苦しい時期を過ごしているリヴァプール。

そのリヴァプールが12月10日(木)に16歳のアイスランド人MFクリスティアン・ガウティ・エミルソンを獲得したことが分かりました。
エミルソンはU-17~19までの各年代のアイスランド代表に選出されたことのある将来有望な若手で、マンチェスター・ユナイテッドなどが興味を示していました。

クリスティアン・ガウティ・エミルソン
「リヴァプールから僕にオファーがあったんだ。断ることなんてできなかったよ。夢が一つ実現したね」