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首都高のトイレに日本の原点を見る

最近 よく 「勝ち組」「負け組」ということばを聞くが、この言葉を聞くたびに冷たさを感じ、暗い気分になる。

事実 雇用や所得で ”格差社会” とかいわれるような構造が生じてしまい、だれが最初に言ったか知らないが こんなことばが おもしろおかしく使われて楽しんでいるんだか悲しんでいるんだかしらないけれど 今だけの時点 ヒトの価値を決めつけるようなことばが 流行語のように使われるのは 人間の温かみを感じられずいやだと思う。

マスコミはそんな言葉で厭世的な記事ばかり書いてないで、そんなヘンな社会を生み出したのはいったいだれの責任なんだとか、大卒者の就職率が6割に落ち込んだなんて、いったい大企業の経営者は何をしてるんだ? というアピールをすべきではないだろうか? そしてもっと雇用の多様化や柔軟性を配慮したしくみ作りに眼を向けさせるべきだろう。

いまは勝ち組でも 明日は負け組になるかもしれないし その反対もたくさんあるはずで、今は勝っているのは立派だけれど明日は負けてしまわないようにさらに頑張ればいいし、今は負けていても挽回するように頑張ればいいじゃないか、という前向きな表現がなぜできないのだろうか?

いうまでもなく、これからしばらくは 中国と韓国と日本を中心としたアジア経済が世界の経済をリードする重要な位置づけとなって行く時代になりそうだが、その中でも日本は心配である。政治家は選挙対策だけの小手先のマニフェストでお茶を濁し、経営者は下を向いて、目先の収益のためのコストダウンに終始している。

それに比して中国や韓国は企業も就労者も前向きで、政府もイイ関係で側面からバックアップしているようだ。そういう意味で日本はすこし危機意識を持った方がいいと思う。

さて、下の写真、先日 首都高速道のパーキングにあるトイレで撮った写真。

ただの造花で一見 なんてことない風に見えるこの一輪挿し

トイレに立ち寄って用を足すヒトもほとんど眼もくれない。

でもよく見ると、たぶん下の花瓶代わりの筒は多分、ペットボトルを丁寧に切ったものに、星がちりばめられたキレイな銀紙がキレイに巻かれている。そしてその下にはキチンと切り取って作ったフェルトのマットが置かれているようだ。

誰が飾ったか知らないが、誰も見向きもしないお金のかかっていない どうということのない一輪刺しなのだが そこに作った人の誠意が溢れているのである。よく見るとキチンときめ細かく作り上げてある。

日本がまだ家電や自動車の輸出で潤う前、1950年代後半にアメリカのマテル社がバービー人形を作ろうとしたときに、アメリカ国内では当初なかなか思ったような人形ができなかった。不器用なアメリカ人に精密な人形を手作業で作る力がなかったのである。結局アメリカから指導に来て、下町、葛飾界隈の女工さんたちが手抜きせず工夫して一生懸命に作り上げたのであった。日本人の知恵と器用さがなければバービー人形は生まれなかった。


以後、高度成長で家電・自動車で世界市場を席捲した原点もまさにこれと同じ精神だと思う。

時は流れ製造現場は中国などに移管されても、良い製品を生み出す開発力や生産管理システムでこれからも世界をリード出来ると思う。

サービス業だって世界でこんなに顧客指向できめの細かいサービスを提供できる国はない。

いま自信を持って前向きに新興諸国に負けないように一層、頑張るべき時なのに日本国内は否定的で下向きすぎると思う。

この国は少なくともここ50年、政治が経済の活況に役に立ったことはない。

政治などこの程度の質でも 日本経済は 民間の力でいくらでも逆境に立ち向かい勝ち抜いてきたのである。

日本が成長してきた最大の要因である、他国にマネのできない きめの細かい高度なものづくりやサービスの精神を忘れないことがいま一番取り戻すべき事ではないだろうか。

時代が変わるにつれ 変わるべきことと 変わるべきでない原点を 見極めたいと思う。

 

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