Feelin' Kinda Lucky

ちょっと書いとこう・・・・

ボブ・フェラーの想い出

2010年12月18日 | Sports & Entertainment

今ほどインターネットが盛んでなかった90年代。全米でもっとも大きなアンティークショーが春と秋の年2回、ニュージャージー州アトランティックシティで盛大に開催されていたのでよく買い付けに出向いていた。特に春は、子供たちも春休みなので一緒に連れて行き、まだ小中学生だったので、私達が買い付けをしている間に会場の片隅やホテルの部屋で宿題をしたりして時間をつぶしていた。

アトランティックシティは日本人にはあまり馴染みがないが、アメリカでは西のラスベガス、東のアトランティックシティと言われるほどカジノで栄えた街である。

日本からは、成田からでシカゴ経由でフィラデルフィアまで行って、その後一時間半のドライブでやっとたどり着くので待ち時間も合わせて17時間前後を要す遠いところだった。

年に2回、会える現地のディーラーの家族たちとの再会もたのしみで、いまでもその時に出会って依頼、ずっとつきあいの続いているアメリカの友人も多い。

その後、インターネットの普及にともない、eBayに代表される大規模なネットオークションにより売り手と買い手が直結することになり、次第にこのような大規模なアンティークショーは衰退していった。かつての国際電話や郵便などの通信手段からインターネットの発達によりなにかといろいろ便利になったが、反面こうした人同士が会うことによるコミュニケーションや人間的なつきあいが減っていってしまったのは残念なことだ。

(↓アトランティックシティのショーで、サウスカロライナからいつも参加していたディーラー夫妻と)


時々、ショーの彩りを添えるためにかつての名選手や名俳優などのサイン会を会場で行うことがあり、中でも2000年の春にかつてのMLBの大投手、ボブ・フェラーに会えたのは忘れられない想い出の一つになった。

ボブ・フェラーは“火の玉投手”と言われ、1930年代から50年代まで インディアンズ一筋で最多勝6回、最多奪三振7回など通算266勝を上げ、当時米軍が協力した球速測定などで軽く100マイルを越えるスピードを記録したという。全盛時の40年代に戦争で4年間の途中ブランクがあるので、それがなければ軽く通算300勝を越えていたといわれている。更にスゴイのは無安打試合3回達成とあわせて、1安打試合をなんと12回も達成したことである。これはもちろんメジャー最多記録である。

(↓ボブ・フェラーにサインをもらう)

日本から来たというと、彼は70年代に臨時コーチとして巨人軍の宮崎キャンプに行って指導した想い出について語り出した。楽しかったことがいっぱいあったそうで、王貞治は今でも友達だよ!といっていた。すでに引退して監督になっていた長島茂雄の印象はないようで、やはりアメリカでの知名度は圧倒的に実績から王貞治であることを認識。このとき、すでに80才を越えているのに、さすが元メジャーリーガー!肉体滴にも精神的にもとてもエネルギッシュな印象を受けた。

昨日、残念ながらそのボブ・フェラーが亡くなったとの報道。 92才だったそうだ。

 いまでもちゃんとその時のサインボールを大切にとってある。私の名前も書いてくれた。

すばらしい想い出をありがとう・・・・・

写真では見にくいがボールの下に "H.O.F 62" と書いてある。

この意味は,もちろん “1962年 殿堂入り”ということである。

R.I.P  Bullet Bob .........

 


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