何故かは知らないのですが、イタリア語で「ドイツのモナコ」とか「バヴィエラ(バイエルン)のモナコ」と言うとミュンヘンのことだそうです。
そんな出だしになったのは、ミュンヘンで新婚生活をスタートさせた知り合いからメールが届いたので、開通記念にこじつけで書いてみました。
でも私にとってミュンヘンと言えば、バイエルン・ミュンヘン。
フランツ・ベッケンバウアー、ゲルト・ミュラー、ヨゼフ・マイヤー、パウル・ブライトナー、シュバルツェンベック、ヘーネス........
そして当時の他の西ドイツ代表、ゼーラー、フォクツ、ネッツァー、オヴェラーツ...
小学生だったので興味を持つ分野もせまく、比較的早いうちに覚えた忘れられない外国人の名前です。まだ映画や音楽、ファッションなどなど知る前の話ですね。
モナコと言えば「泥棒成金」のグレース・ケリーです。ヒッチコックは自分のイメージを具現化するためにG・ケリーに執心で、出来ればあと何本かは撮りたかったそうです。
「泥棒成金」で花火の夜にケーリー・グラントを誘惑して正体を暴こうとする場面で、カットを重ねて緊張を煽っていく手法に何度見ても乗せられてしまいます。
映画を観るほうは乗せられるだけですが、共演者の幾人かは、実際にG・ケリーの魅力にまいってしまった話がグレース・ケリーの生前の伝記に出てきます。
いつもより更に取り留めのない話になってしまいました。
画像の盤は、「ニューヨークっ子の実験的で民族的なグループ」と長い名前の「Concepts in unity」1975年のアルバム。このブログの初回で取り上げたモン・リヴェーラのバックにもいたミルトン・カルドーナなんかが加わっています。50年代シカゴ・ブルースの隆盛期、大小のクラブやラウンジとは別に路上でも場所を選ばず生の音が聴こえたのに似て、ラテン音楽の奥行き生命力を感じさせます。
今はCDもあるそうです。
クリーム色のシャツは綿85%カシミヤ15%、ヒドゥンB.Dのボタン留めてなかったのですごく長い襟に見えてます。タイはカシミヤ、ポケット・スクェアはウールです。
そんな出だしになったのは、ミュンヘンで新婚生活をスタートさせた知り合いからメールが届いたので、開通記念にこじつけで書いてみました。
でも私にとってミュンヘンと言えば、バイエルン・ミュンヘン。
フランツ・ベッケンバウアー、ゲルト・ミュラー、ヨゼフ・マイヤー、パウル・ブライトナー、シュバルツェンベック、ヘーネス........
そして当時の他の西ドイツ代表、ゼーラー、フォクツ、ネッツァー、オヴェラーツ...
小学生だったので興味を持つ分野もせまく、比較的早いうちに覚えた忘れられない外国人の名前です。まだ映画や音楽、ファッションなどなど知る前の話ですね。
モナコと言えば「泥棒成金」のグレース・ケリーです。ヒッチコックは自分のイメージを具現化するためにG・ケリーに執心で、出来ればあと何本かは撮りたかったそうです。
「泥棒成金」で花火の夜にケーリー・グラントを誘惑して正体を暴こうとする場面で、カットを重ねて緊張を煽っていく手法に何度見ても乗せられてしまいます。
映画を観るほうは乗せられるだけですが、共演者の幾人かは、実際にG・ケリーの魅力にまいってしまった話がグレース・ケリーの生前の伝記に出てきます。
いつもより更に取り留めのない話になってしまいました。
画像の盤は、「ニューヨークっ子の実験的で民族的なグループ」と長い名前の「Concepts in unity」1975年のアルバム。このブログの初回で取り上げたモン・リヴェーラのバックにもいたミルトン・カルドーナなんかが加わっています。50年代シカゴ・ブルースの隆盛期、大小のクラブやラウンジとは別に路上でも場所を選ばず生の音が聴こえたのに似て、ラテン音楽の奥行き生命力を感じさせます。
今はCDもあるそうです。
クリーム色のシャツは綿85%カシミヤ15%、ヒドゥンB.Dのボタン留めてなかったのですごく長い襟に見えてます。タイはカシミヤ、ポケット・スクェアはウールです。