ふとした瞬間鏡に映って、普段見ない角度から着ているものが見えることが稀にあります。
その日珍しくそんなことがあって、単に補正がうまくいった上にプラスαで微妙な形が出たかななんて思いましたが、ひいき目の思い込みかも知れませんし、他人に伝わりにくいこういう話は聴かされた方もリアクションに困りますから話題にならないですが...
その日の午後、久しぶりに白井さんとお話していたら、
「そこのところ綺麗だね、その服どこの?」
「自分のとこのですよ」
「いい色だね」
この齢になっても未だに褒めて頂けるとは、なんて嬉しいことでしょう。
おそらく今後も誰も気づかない部分をご覧になっていることに、あらためて「好き」に終わりはないなと思いました。
毎週のようにそんな話をしていた頃のことを思い出します。
また、そういう眼に耐えうるレベルを実現したくて始めたことを思い出しました。
たぶん白井さんの影響でしょう、小さな定例会などしていると褒め言葉がスムーズに出てくるような気がします。
若い頃服に多少興味があっても、年齢とともに右肩上がりで服の趣味や着こなしが洗練されてくることがないのは残念ながら現実で、放っておいてそうなったとすればかなりの激レアさんです。
そういう観点から、皆さん興味を維持され着こなしが理に適ってますからケチをつける隙などなくて自然に出てくるのですが、なぜかその時だけM気をおびたように何か他に言うことがあるだろうと詰め寄られ、もうSだかMだか。
たしかに正月の蒲鉾も三ヶ日くらいしか食べないので、褒め言葉が板につくにはまだ年季が必要かもしれません。
そうこうする内に、年末が近づいてました。
その日珍しくそんなことがあって、単に補正がうまくいった上にプラスαで微妙な形が出たかななんて思いましたが、ひいき目の思い込みかも知れませんし、他人に伝わりにくいこういう話は聴かされた方もリアクションに困りますから話題にならないですが...
その日の午後、久しぶりに白井さんとお話していたら、
「そこのところ綺麗だね、その服どこの?」
「自分のとこのですよ」
「いい色だね」
この齢になっても未だに褒めて頂けるとは、なんて嬉しいことでしょう。
おそらく今後も誰も気づかない部分をご覧になっていることに、あらためて「好き」に終わりはないなと思いました。
毎週のようにそんな話をしていた頃のことを思い出します。
また、そういう眼に耐えうるレベルを実現したくて始めたことを思い出しました。
たぶん白井さんの影響でしょう、小さな定例会などしていると褒め言葉がスムーズに出てくるような気がします。
若い頃服に多少興味があっても、年齢とともに右肩上がりで服の趣味や着こなしが洗練されてくることがないのは残念ながら現実で、放っておいてそうなったとすればかなりの激レアさんです。
そういう観点から、皆さん興味を維持され着こなしが理に適ってますからケチをつける隙などなくて自然に出てくるのですが、なぜかその時だけM気をおびたように何か他に言うことがあるだろうと詰め寄られ、もうSだかMだか。
たしかに正月の蒲鉾も三ヶ日くらいしか食べないので、褒め言葉が板につくにはまだ年季が必要かもしれません。
そうこうする内に、年末が近づいてました。