今年は11月のうちから寒くなって、下旬にはもう冬に近いなりをし始めました。
エリントン楽団の方々も「Aトレイン」でなく地方へ向かうのか、皆しっかりした拵えです。
下のチャプリンとダグラス・フェアバンクスは、'20年代サン・モリッツでのショット。
1920年代は雑誌でいえばヴァニティ・フェアの時代でしたが、'30年代のエスクァイアでもサン・モリッツはスノッブな人たちの集まる土地として描かれています。
D・フェアバンクスは、しばらく前に話題にしたパイル状のアルパカ素材のコートを着ています。
この手のコートには、'30年代まで裏地に下のようなタグがありました。
その後のこのようなコートには、
そしてアメリカ製は見られなくなり、現代の英国製に付いているのは
11月中旬岩手に行った時も上空に寒気が入る間際だったこともあり、用心しながらさほど重くないコートと帽子で出かけると、乗り換え駅ですれ違った女子高生が「宮澤賢治みたい」と友達に囁きました。
「そうだよ、おじさんは初めて来たんで宮澤賢治へのオマージュでこんなカッコして来たんだ」と言いたいのを堪えました。
エリントン楽団の方々も「Aトレイン」でなく地方へ向かうのか、皆しっかりした拵えです。
下のチャプリンとダグラス・フェアバンクスは、'20年代サン・モリッツでのショット。
1920年代は雑誌でいえばヴァニティ・フェアの時代でしたが、'30年代のエスクァイアでもサン・モリッツはスノッブな人たちの集まる土地として描かれています。
D・フェアバンクスは、しばらく前に話題にしたパイル状のアルパカ素材のコートを着ています。
この手のコートには、'30年代まで裏地に下のようなタグがありました。
その後のこのようなコートには、
そしてアメリカ製は見られなくなり、現代の英国製に付いているのは
11月中旬岩手に行った時も上空に寒気が入る間際だったこともあり、用心しながらさほど重くないコートと帽子で出かけると、乗り換え駅ですれ違った女子高生が「宮澤賢治みたい」と友達に囁きました。
「そうだよ、おじさんは初めて来たんで宮澤賢治へのオマージュでこんなカッコして来たんだ」と言いたいのを堪えました。