HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

フィルムモードの追憶。

2021-01-27 06:57:57 | Weblog
 1月21日、フランスの女優、ナタリー・ドロンが亡くなった。一昨年の11月に死去したマリー・ラフォレと並んで、わが映画史に残る美女がこの世を去るのは寂しい。ナタリーはアラン・ドロンと共演したサムライで魅せたアンニュイな表情が何とも言えない魅力だった。振り返ると、ハリウッド作品も数多く観ているのだが、好きなったり印象に残っているのは、不思議とフランスの女優ばかりだ。

 他には、冒険者たちのジョアンナ・シムカス、夢・夢のあとのアニセー・アルヴィナ、サブウェイのイザベル・アジャーニ。最近ではオルフェーヴル河岸36番地のカトリーヌ・マルシャル、アムール&テュルビュランスのリュディヴィーヌ・サニエと、作品名と女優名がすんなり出てくる。母親が洋画好きだった影響で、子供の頃に観て鮮烈な印象を受け、いい女優に対する感覚が研ぎ澄まされたのか。

 ただ、フランス映画は超大作や娯楽作品、SFなど莫大な資金をかけるハリウッドとは違い、勧善懲悪に反する脚本や粋な演出、詩的なストーリーなどに注力するため、それだけ女優の個性というか、所作の一つ一つが記憶に焼き付いたこともあるだろう。性描写までのイントロも、ハリウッドがあっけらかんとヌードになるに対し、フランス映画は抱擁での衣擦れ音や下着姿で官能美を表現するところなど、子供心には強烈だったと思う。

 では、衣装についてはどうか。ハリウッド映画はヒット狙いの作品ほど資金力に物を言わせ、オリジナルで作っていることが多いと感じる。だからか、日本人の感性からすると妙に気を衒って不釣り合いに見えてしまう。時代劇は当時のものを、SFはシナリオ通りに再現しているから論じるべくもないが、現代ものでは女優陣が着るスーツやドレスは事前に採寸をするものの、役柄以上にデザインが誇張されて目立ち過ぎるものが少なくない。

 例えば、グロリアでジーナ・ローランズが着たスーツは、トップの肩が強調され、タイトではないが膝丈のスカート。たった一人で組織のアジトに乗り込む気丈な女性の衣装だからしょうがないのだが、市販のスーツにしては少しエッジが効きすぎていると感じた。ワーキングガールでやり手上司のシガニー・ウィーバーが着ていたスーツもそうだ。1988年の公開当時、実際のニューヨークではキャリアスタイルがややソフト路線に移行していた時期だったが、映画の衣装はやはり気張り過ぎの印象を受けた。

 一方、フランス映画の衣装はどうか。製作費をかけていないのなら、衣装もオリジナルではないだろう。というか、世界のモードを発信する国だから、パリのブティックに飾られたものをそのまま使っても十分絵になるはずだ。しかし、そんなブランドが衣装に使われるケースの方が少ないと思う。
 むしろ、映画で見かけた女優陣が着るのはワンピースやタートルニットなど、プレーンで普通に見えるものばかりなのだが、自然に着こなすほどお洒落に見えるのは不思議だ。米国ブランドの同じアイテムをハウリッド女優が着ても、単なる普段着になってしまう。やはり、アメリカのテイストがそういうものなのだろう。


60代映画の衣装からアイテム企画

 ちょうど、1980年の初め、マンションアパレルでパッキン詰のバイトしていた時のこと。そこの社長から「お前も企画会議に参加しろ」と、お達しがあった。「よし、いいアイデアを出して、商品化してもらおう」と勇んで参加したものの、大学生ごときにマーケットも顧客ニーズもわかっているはずはない。自信を持て出したアイデアも、伊勢丹の広告で知ったカルバン・クラインを受け売りしただけで、社長に見透かされてあっけなく一蹴されてしまった。

 そして、「どんな映画、観てんのか」と聞かれた。ちょうどその頃観たのはリチャード・ギア主演の「アメリカンジゴロ」で、そう答えたと思う。自宅の衣装部屋でブロンディのコールミーをBGMにアルマーニを颯爽と着込むのが印象的だった。多分、この映画で初めてジョルジオ・アルマーニというブランドを知り、サンドベージュという独特の色合いが目に焼き付いた。むしろ、共演したニーナ・ヴァン・パラントローレン・ハットンが着ていた衣装は、「ほとんど印象に残っていない」とも。




 逆に映画を観て記憶に残っていた衣装と言えば、冒険者たちでレティシア(ジョアンナ・シムカス)が着ていたボタンが大きめの「ピーコート」や個展会場での「メタルドレス」だ。コードを力強く奏でるオーケストラと物寂しい口笛がメジャーとマイナーを交互に転調するイントロが流れる中、自動車技師ローランの工場を訪れるレティシア。彼女のピーコートは、映画制作から10数年を経過した1980年当時でも、少しも古臭さを感じなかった。

 また、レティシアが車の廃材でオブジェを作り、個展を開いた時に着ていた衣装は、前衛芸術家らしく金属のパーツを繋いだメタルドレス。多分、肌色に近いキャミソールが付いていたとは思うが、映画の衣装というよりパリコレに登場するクリエーションのようだった。金属パーツに本物のステンレスやアルミを使っているのなら、かなり重たいのではないかとずっと気になっていた。



 社長にも「〇〇が映画を観て気になった」と答えたと思う。その後もずっと引っかかっていたので後になって調べると、映画が制作された同じ1967年にパコ・ラバンヌがオートクチュールのコレクションで、ほぼ同じメタルドレスを発表している。おそらく、映画用の衣装として担当者が発注したにしても、このドレスがベースになったのではないか。ただ、流石にキャリアゾーンで商品化するには無理があった。

 逆にピーコートはこのアパレルでも、キャリア向けにアレンジして創ろうという構想はあったようだ。翌1981年にはライトメードながら打ち込みを強めたコシのあるフラノ素材を用い、ワインレッドとグレイが企画された。他のメーカーならコンサバなオーバーになるだろうが、うちのアパレルではジャケット感覚で着られるコートの方が売れるとの認識だった。取引先である専門店のバイヤーさんにも好評で、期中に追加生産されたほどだ。


ごくありふれたテイストを陳腐化させない

 「映画で女優が着たコートがこんな展開になるとは、すごいですね」と言うと、社長からは「女優が着たアイテムだからではなくて、フランスのテイストそのものが色褪せないんだよ」と、切り返された。その時はどういう意味かわからなかったが、それから20年近く経った1998年には、偶然にも気付かされることになった。



 インターネットが浸透し、何でも検索できるようになり、ずっと気になっていたジョアンナ・シムカスが出演映画を調べてみた。すると、冒険者たちと同じロベール・アンリコ監督が撮った「若草が萌えるころ」がヒットした。この映画で彼女が着ていたソフトトレンチのコートも、この頃には専門店系アパレルのヒットアイテムとなっていたのだ。



 また、雑誌のアンアンが10年スパンで掲載する「パリジェンヌ」特集を読んで、はたと思うことがあった。バックナンバーで見た70年代、そしてリアルで読んだ80年代、90年代のスナップに登場するパリジェンヌは、全く時の流れを感じさせず、彼女たちにはトレンドは関係ないのかと思わせるほど。

 1967年に製作された冒険者たちのジョアン・シムカスも、同じくサムライのナタリー・ドロンも、着ていた衣装は90年代でも十分いけるテイストだった。ごくありふれた着こなしを決して陳腐化させないシチュエーションやカット割り、街並みが影響しているのだと感じる。

 ちょうどこの年に初めてパリを訪れたが、直にみるパリジェンヌの装いは昔のスナップと見比べても、服の所々が微妙に変わっているだけで、テイストはほぼ一緒だった。70年代の格好でサンミッシェル通りを歩いていても違和感は全くないなと感じた。その時初めて、アパレルの社長が言ったことは、こんなことだったのかと気付かされた。

 マンションアパレルが勢いを持った80年代初めは、服作りはトレンドをコロコロ変えるのではなく、ずっと着続けられるように上質な生地を用い、ディテールでシーズンの違いを出していく手法だった。それを展示会に来てくれるバイヤーさん、その先にいる洋服好きなキャリア層がちゃんと認めてくれていた。

 そして、ろくに業界を知らなかった大学生がフランス女優への憧憬、シネマモードの記憶から、商品企画の一助になる提案ができたこと。これほど嬉しかった思い出はない。

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