HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

どこまでもコンサバ。

2019-10-16 06:42:37 | Weblog
 「コンサバ」というファッション用語がある。正式には「コンサバティブ」といい、「保守的な」「控えめの」を意味する。アパレルでは、デザインやスタイリングで「最先端トレンドを行く」「ファッショナブルな」との対義語として使われている。店頭では、「あの人はコンサバ志向だから」「フォーティアップの度・コンサバ」「コンサバ過ぎて今のお客には合わない」などの使い方をする。

 平たく言えば、昔から変わらない伝統技法のフォルムやディテールによるテイストを指す用語で、身体にラインにそったアワーグラスやマーメードなどのシルエット、ティアードやフレア、ラッフルなどのボトム、丸襟やフリル、レース使い、パフ、シャーリングなどの加工といった、女性っぽく上品な感じを総称する形容詞だろうか。男性ファッションでは、コンサバよりも「トラッド」と呼ぶ方が多い。

 コレクションに出品するデザイナーは自分の世界観や作風を際立たせる意味で、反コンサバ、アバンギャルド(前衛的)を志向することが多い。だが、モードの世界ではその時々の世相や景気の影響も受けるので、トレンドがコンサバが主体になるシーズンもある。それをファッション系メディアは「面白くない」と批判するが、最終的にはお客がそうしたテイストの商品を購入するか否かにかかっている。

 レディスでコンサバを好む層は、深窓の令嬢、いわゆる家からの全面支援で暮らすお嬢様、そして彼女らがそのまま結婚して行き着く良妻賢母のミセスイメージだ。博多で言うところの「よか(良い)嫁さんタイプ」だろうか。実際には働いている人も多いが、上品で女性らしく見えるので、人気は不動である。反面、デザインや技法はほとんど変わり映えせず、流行とは関係ないから高品質の服なら親から子へ引き継がれることもある。ビジネスとして外れがないが、面白みに欠けるのだ。

 かつて百貨店のキャリア系ブランドの広告で「コンサバけてる」なるキャッチコピーがあった。80年代、男社会に混じって働く骨太の女性たちはファッションでも自己主張した。しかし、バブル景気が崩壊すると、オフィシャルゆえにウエアも控えめが善しと感じたのか。コピーライターはワーキングウーマンのこうした変化を「自分は世情に通じて物わかりがいい方。上司や同僚に反発することなく仕事もこなしますよ」というニュアンスで表現したかったのかもしれない。

 一方、コレクショントレンドはコンサバになるシーズンもあるが、三大都市の中ではパリがいちばん反コンサバ、アバンギャルドで、ミラノはコンテンポラリー、ニューヨーク(NY)がコンサバというイメージがある。筆者はそうしたコレクショントレンドの底流を「パリは魅せる服」「ミラノは着れる服」「NYは売れる服」と、解釈している。

 4番目の都市、東京はと言うと、反コンサバ、アバンギャルド志向のデザイナーがパリコレを目指すことから、どうしても定番デザインの「着れる服」「売れる服」を多少アレンジしたくらいの作品づくりに終始する。魅せるだけの服を作っても谷町がつかず、売れなければ食っていけないのだから仕方ない。だが、魅せる部分と売れる部分のすり合せをどうするかは、洋の東西を問わずデザイナーが永遠に葛藤する部分だ。

 ところで、筆者がよく知るNYだが、百貨店や専門店で売られている地元ブランドは、非常にコンサバ色が強いという印象を受ける。古くはオスカー・デ・ラ・レンタやシャマスク、近年ではアン・テイラーやリズ・クレイボーンなど。メンズ向けのブルックス・ブラザースやポール・スチュワートも、アメトラ=コンサバである。

 70年代にカルバン・クライン、80年代にアナ・スイ、90年代にマーク・ジェイコブスと、新進のデザイナーが反コンサバやストリートの商品を売り出し、脚光を浴びた。3年前に日本の「マウジー」がNY進出を果たしたのも、「コンサバ一色の中では、毛色が変わったものを求める層もいる」との自信からだと思う。

 ただ、保守的で上品、かつ誰でも着こなせるコンサバ服は、NYではコンスタントな人気を誇る。バナナリパブリックも近年はコンテンポラリーを謳っていたが、服づくりの底流にあるコンサバテイストからは完全に抜けきれてはいなかった。それがグローバル戦略では逆にモード感に期待する層に支持されず、店舗閉鎖に追い込まれた理由の一つだろう。そんなNYで日本人がデザインするコンサバなレディスブランドが「エムエムラフルアー(M.M. LaFleur) https://mmlafleur.com/」だ。

 製造販売するエムエムラフルアー社は、金融ビジネス出身のラフルアー宮澤沙羅CEOと当地のブランドメーカーに勤務していたデザイナー、中村美也子チーフクリエイティブオフィサーが2013年に設立した。現在は自社ECのほか、店舗兼ショールームが全米7店(NY、シカゴ、サンフランシスコ、ワシントンD.C、ボストン、アトランタ、ヒューストンに各1店)。加えてNY1ワールドトレードセンター近くのブルックフィールド・プレイスに期間限定(12月30日まで)のポップアップショップを展開中だ。

 商品はウェアの他にアクセサリーや靴、ソックスも販売し、25歳前後から55歳前後までの幅広い層に支持されている。価格帯もトップスが145ドル〜365ドル、ボトムスが190ドル〜265ドルで、非常にこなれている。米国女性の体型に合わせイレギュラーサイズにも対応している。



 アイテムはアメリカンアームホールのブラウス、ノースリーブや5部丈袖のワンピース、前打合わせのサープリス風テーラードスーツ、ノーカラーでウエスト部分にプリーツ入れて絞り上げたジャケット等々。仕事服としても通用する落ち着いたデザインで、まさにNYのワーキングウーマンには受けそうだ。ただ、そうしたコンサバなデザインに隠された設計思想は、働く女性の既製服に対する「悩み」を解消するもの。それは着心地の良さ、仕事のしやすさ、ドライクリーニングに出さずに洗濯機使用を可能にすることという。


仕事服へのニーズも盛り込む

 しかも、ウーマンエグゼクティブが仕事服に求めるニーズも適確に盛り込まれている。例えば、「タクシーを呼ぶために腕を上げやすい袖」「椅子に座るのに快適なスカート」「プレゼンテーションのメモを入れるポケット」「会合や打ち合わせに適したネックライン」「無地である」等々だ。もちろん、米国人女性ならではの「様々なバストサイズ」にフィットさせる配慮も忘れてはいない。彼女たちとっては見た目のシルエットよりも、派手すぎず活動しやすい服が「素晴らしい服」なのである。

 本来、キャリア系の服とは購入者のステイタスを満足させながら、その中でいかにトレンドや機能性を打ち出すかが売れる理由だった。しかし、NYをはじめとする米国のウーマンエグゼクティブの間では、さらに進んでオフィシャルでの「使い勝手の良さ」や「着やすさ」が購入条件では最優先されるようになったのだ。これはある意味、極めてコンサバ=保守的な考え方と言えるだろう。

 それだけのニーズを既成服に盛り込むのだから、パターンづくりでは妥協を許さない。フィッティングを何度も繰り返し、何度も作り直す。その数は最高で20回にも及んだこともあるとか。そこに大金と時間を費やすのがMD泣かせであっても、結果的に顧客のニーズに添うのなら、エムエムラフルアー社は貫き通すという。

 さらに顧客が服を着て感じる印象を話してくれれば、注意深く耳を傾け、常に商品を微調整を欠かさない。腕がきつすぎると言われると、それらを少し緩め、裾が長すぎると言われれば、次の企画には必ず取り入れる。まさに限りなくカスタムオーダーに近い既製服を目指すのが、エムエムラフルアーの真骨頂なのだ。既製パターンを使用して手間とコストを省き、価格勝負しかできない似非オーダーが跋扈する最近の日本とは大違いである。

 そんなエムエムラフルアー社に先日、官民投資ファンドのクールジャパン機構が約20億円の出資を決めたとの報道があった。機構が支援した理由は、同社が服づくりに日本の素材・生地を多用し、機能性を重視した商品を製造・販売、成長しているからという。機構は「エムエムラフルアーの事業拡大を支援し、日本の素材・生地の技術力を生かしたファッションの魅力を米国で発信し、日本の繊維産業の発展に貢献したい」と語る。これについての賛否、今後の可能性は、ここでは差し控える。



 同社はHPで「明らかに優れた生地を使用しない限り、優れたカッティングは機能しない。しかも、本当に素晴らしい生地はしわを寄せ付けず、肌を呼吸させ、ストレスの多い会議中にも汗をかいているようには見せない」と素材観を語っている。日本製の素材、生地が生み出す新しい価値観。それがNYをはじめ米国のウーマンエグゼクティに認められた点は、新たな販路拡大を探るクールジャパン機構としても見過ごせなかったと思う。

 営業戦略では、自社ECを運営するものの、店舗兼ショールームで、顧客に対するパーソナルスタイリングを充実させているのだから、旗艦店を整備よりもそれらを拡充した方がいいかもしれない。NYにはミッドマンハッタンのブライアントパーク近くの42丁目にあるが、他にもウォール街の周辺やコロンバスサークル、2nd&3rd Aveの60丁目付近にもショールームを置いてもいいと思う。お客との接点を広げることで、さらなるニーズを拾えれば繊維メーカーにフィードバックでき、新たな素材開発にも期待が持てる。

 ある東大卒の経営者が言った言葉を思い出す。「東京で売れないものは、NYでも売れない」。逆に言うならNYで売れるものは、東京に持って来ても売れる可能性は高い。米国と違って女性の管理職や重役が少ない日本だが、いざ就いて見るとポストに即し機能性を兼ね備える仕事服が意外に少ないと思うのではないか。地方店の閉鎖が続く日本の百貨店にとっては、ビッグマーケットにはならないにしても、チャンスではあると思う。

 昨今、ネットで知名度が上昇中の識者は、過去に「50代以上のアパレル関係者は、素材に拘るのが異常ですわ」と批判していた。そりゃ、自分がユニクロやGUしか着ていなければ、素材の良さはわかりようがないし、決して気づくこともないだろう。しかし、お客が一度、良い素材の服を着てしまうと、そればかり着たくなるのはアパレル業界の常道である。だから、関係者はどうしても素材に目が向いてしまうのだ。

 エムエムラフルアーが伸びているのは、米国のウーマンエグゼティブが日本生まれの素材の良さ、それが生み出す着心地を実感している証左だ。これを日本のアパレル関係者はどう見るのか。こうしたブランドが日本に上陸すれば、エグゼクティブを目指すワーキングウーマンは同じように感じると思う。それだけは洋の東西を問わず不変なことなのである。

 キャリア系の商品を扱うマンションアパレルにいた頃、社長が企画会議で必ず言っていた言葉、「コンサバにならないように」。デザイン的にコンサバになると、既存メーカーには勝てないし、自社の独自性を打ち出せないからだ。だからと言って、素資材のコストを下げるとか、奇を衒ったテキスタイルを多用していたわけではない。生地選びではいたった保守的で、国産、インポートを問わず、打ち込みがしっかりした上質なものを採用していた。

 筆者は個人的に「コンサバ(な服)は嫌い」と公言して来たが、もし自分がウーマンエグゼクティブであるなら、エムエムラフルアーの着心地を実感してしまうと、そればかり着てしまうのではないかと思う。素材使いにはどこまでもコンサバ=保守的であれ。売れる新たなテーマなのかもしれない。

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