HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

石より固い性分。

2023-05-31 07:45:49 | Weblog
 福岡市に本拠を置く天然石の製造小売業「ストーンマーケット(以下、ストーンM)」が新規事業に乗り出した。駄菓子や玩具を販売する「夢や」と協業し、新業態を展開するものだ。大型店舗の一角に夢やのコーナーを設け、子供から大人まで幅広い世代を集客する狙いで、東京・お台場のアクアシティお台場に1号店を出店した。アクセサリーと駄菓子のジョイントがどこまで同社の収益回復に貢献するか。1号店はその試金石になる。

 振り返れば、ストーンMは良きにつけ悪しきにつけ、話題には事欠かない。創業者で現経営者の中村泰二郎氏は、ファッション専門店チェーン「絵里奈」の出身。ここにはちょうどバブル期に在籍していたこともあり、流行発信や卸小売のノウハウを身につけたことで、社員でありながらも、別にブティック3店を経営する強者だった。

 ところが、バブル崩壊とともに売れるアイテムは、ボディコン&スーツからカジュアルへと変わり、客単価も数万円から数千円に落ち込んだ。中村氏はトレンドの変化についていけず、ブティックを閉店。数千万円もの借金を抱える羽目になった。ほどなく米国放浪の旅に出かけるが、そこで出会ったインディアンが身につける「石」の神聖さに惹かれた。

 「借金まみれの自分も何か身につけるお守りが欲しい」「心の支えとなるこの石を日本で広めてみよう」。それがストーンM創業の原点となった。1994年、熊本市の上通り商店街に6坪の店舗を借り、天然石のアクセサリー専門店「STONE MARKET」をオープン。中村氏自ら米国ルートで仕入れた石を加工して販売した。



 当時、宝飾業界はバブル崩壊の影響で、極度の売上不振に陥っていた。売れている商品もあるにはあったが、それも宝石を散りばめたジュエリーで、購入者も金持ちの中年女性に限られた。一方、若者向けは安っぽいアクセサリーばかりで、彼らの感覚にマッチするものはなかった。そんな状況で登場したストーンMのアクセサリーは、水晶やターコイズ、ブルートパーズなど、それまでにないカジュアルな感覚と天然石が醸すスピリチュアルな魅力があった。

 そんなアクセサリーに流行に敏感な熊本の若者が飛びついた。石単体で1個数百円、アクセサリーでも数千円とチープな商材。それが順調に売れ、中村氏は抱えていた借金を2年で返済した。米国で知った商売観に自身の商才がシンクロし、宝飾業界の中で新しい市場を切り拓いたのである。ストーンMの噂を聞きつけた各地のデベロッパーから出店依頼を受けたが、中村氏はまずは催事で対応することで、常設に耐えられるかの様子をみた。

 1997年7月、中村氏は機が熟したとしてキャナルシティ博多に2号店を出店。翌98年4月、(有)ストーンマーケットを設立した。この年から首都圏にも進出し、2001年にはほぼ全国に店舗を拡大した。知名度、売上げとも急上昇し02年9月、福岡市中央区港に本社ビルを建設し、移転。同年10月には株式会社に改組した。

 ストーンMが成長する一方、中村氏には「もう一つの顔」があった。イタリア製の高級車フェラーリや年代物のエレキギターを次々と購入し、芸能人と華やかなパーティを開く。バブリーな経営者としてテレビ番組にも出演した。背景にあったのは、自らが広告塔となってストーンMのブランド価値を高めること。メディアがつけたキャッチコピーは「石で成長した100億円企業」だったが、成金趣味の派手なセレブ生活を好む別の顔も曝け出した。



 しかし、良いことは長くは続かない。高い収益が見込める市場には、必ずライバル企業が現れる。天然石アクセサリーのビジネスモデルもワールドワイドに確立されたため、かつては現金で1億円を支払えば3億円相当が手に入るという原石も、次第に相場が形成されて先行企業としてのメリットは失われていった。

 同社は、ライバル出現による競合激化とアベノミクスによるコスト高の影響を受け始める。売上高は2012年3月期の約80億6300万円を境に下降線を辿り、15年3月期は約69億99万円まで減少。営業利益も13年3月期には約2億2500万円だったものが、翌14年3月期には約7400万円まで激減した。逆に有利子負債の合計は同年の約33億3100万円から翌15年3月期には約35億4500万円に増加した。


事業家であり続ける強さ

 中村氏は類似商品を扱う企業が増えていく中、事業の多角化を図り飲食業に乗り出した。福岡大名の無国籍ダイニング「mu-tata」をはじめ、同赤坂にはレストラン・バー「GOLD」、2016年8月にはミュージシャンのGACKTがアドバイザーを務める焼肉店「厳選 神の赤肉 親富孝通り店」をFC展開。飲食店だけで7業態にものぼったが、どれも採算ベースに乗せることはできず、17年3月をもって全てを閉店した。

 結果的に飲食事業は本業の業績低迷をカバーすることができず、「中村社長の道楽」とのレッテルを貼られただけに過ぎなかった。ストーンMは2018年2月には仕入れ部門でもある関連会社の(有)ナカムラインターナショナルを吸収合併。本業の業績不振を受けて、17年3月期には10億円(決算期変更のため9カ月決算)を割り込む売上げ水準にまで低下したため、単独で維持することが難しくなったと見られる。
 
 ストーンMは2016年3月期以降、決算内容を非公開としたが、この合併に際して17年3月期の決算概要を公開した。貸借対照表によると、資産の圧縮が図られているものの、不良資産の処理や退店による損失で16億円を超える赤字を計上。そこで東京・南青山のショールーム兼東京オフィスを新宿の雑居ビルに移転。2009年から開催されているFACo(福岡アジアコレクション)のスポンサーも、2016年限りで降りている。

 また、負債をみると、返済期限が1年を超える固定負債は15年3月期が約22億5700万円で、17年同期には約14億7900万円まで減少。一方、返済期限が1年以内の流動負債は15年3月期が約17億8900万円で、17年同期には約24億6900万円まで増加している。これは返済できる負債はできるだけ短期間のうちに返済していこうということだろうか。多額の借入がある中で、銀行がリスケを主導したとも思われる。



 そんな状況下、ストーンMは2018年1月1日から全国の店舗で「スゴ金運ブレスレット」を発売した。開運コンサルタントのプロデュースでストーン社が独占販売するものだ。加えて「パワーストーンハーバリウム」を開発。瓶の中にドライフラワーを浸して、植物を自然な状態で長期間飾ることができるもので、天然石も詰め込んだ運気アップのインテリア雑貨になる。ストーンビジネスの原点はチープな商材からなのだ。



 さらに全国でジュエリーショップを展開するフェスタリアグループの「Wish upon a star」や山梨のクロスフォーが手がける「ダンシングストーン」と提携。星座やレジン(樹脂)を用いたもの、アルファベットをあしらったものなど、オリジナルアクセサリーの開発を矢継ぎ早に手がけた。ストーンMはこれらを本業回帰と位置付ける。ただ、大規模なリストラで不採算事業を整理した分、整理損が増えて企業体力を弱めたのも事実だ。



 天然石や鉱物については、埼玉に本拠を置く(株)ミネラルマルシェが2013年からPRと販促のイベントを全国で開催している。天然石に見て・触って・買える、希少な鉱物を買い取る「ミネラルマルシェ」がそれだ。福岡では8月4日〜6日に北九州市で、来年5月3日〜5日には博多でも開催される。ストーンMは出展も協賛もしていないが、似たような商品を取り扱う事業は他に大勢いることがわかる。天然石の販売だけではやはり売上げの伸長は厳しいだろう。



 それでも、中村氏は2019年8月2日には創業25周年のパーティを開催し、ゲストに石田純一、すみれの親子を招待。20年1月には石田氏の誕生パーティで、特製パワーストーンのブレスレットをプレゼントしている。石田氏本人は、同年4月に沖縄でのゴルフ中に新型コロナウィルスに感染し、回復後も福岡での合コンで美女を持ち帰りと週刊誌に報道される始末。運気が上がるどころか下がるという笑えないオチがついたが、中村氏自身は芸能人との付き合いを自粛することはなかった。

 新商品の販売を積極化する一方で、店舗スタッフからは「ノルマが厳しい」との呟きも聞こえてくる。業績回復には売上げアップが必須だから仕方ない面もあるが、経営者自らコストカットできないようでは社員のモチベーションは上がらない。まして、今回の駄菓子併設店舗がどこまで幅広い客層を集客できるかの不透明だ。

 中村氏は周囲の心配をよそに顔が変わった様子は微塵もない。絵里奈時代にブティックの経営に失敗して数千万円の借金を抱えた時も、決して折れなかった気持ちの強さ。経営者としての才覚云々の前に持って生まれた性分が中村氏を支えているのか。自らを変えることは経営者として、事業家としての終焉を意味するだろう。それは事実なら、本業の変革にはほど遠い気もするが。


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