HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

値下げ=競争力か。

2016-11-16 07:26:09 | Weblog
 今やライフスタイルブランドとしての地位を確立した無印良品。それが現在、米国ウォルマート傘下のスーパー、西友の「PB(プライベートブランド)だったと知る人」は、少ないと思う。

 1970年代、ダサ池袋のラーメンデパートと言われた西武百貨店がその知名度とブランド力を上げるために多角化を推進。生活文化産業に深く入り込んでいく中で、関連会社の西友に下された「PBにも力を入れろ」のもとで生まれたのが無印良品だ。

 しかも、77年の開発元年、メーンで企画を託されたのは西友のバイヤーでもなければ、商社の調達担当者でもない。西武セゾングループの広告戦略を一手に担っていたグラフィックデザイナーの故・田中一光、そして、商品デビューのコピー「わけあって安い」を書いた小池一子である。

 当時、スーパー、量販店は関東圏にイトーヨーカドー、全国区ではダイエーが勢力を拡大しており、各社ともPBに力を入れていた。西武セゾングループとしても、それを承知の上で開発に乗り出したわけだ。そのため、従来にない発想の商品を作ろうと、田中一光や小池一子といった気鋭のクリエーターに白羽の矢を立てたのである。

 と言っても、彼らは所詮、「針を棒に見せる」広告屋に過ぎない。携わるのはロゴマークを作り、商品タイトルのタイプフェイスを整え、「ほんとうに、おしゃれだ」「愛は飾らない」などといったキャッチコピーにイラスト、写真を付けた新聞広告の制作くらいだ。当時、商品を取り巻く条件について改めて振り返ると、原材料や製法、製造委託先、コストや利益、パッケージ、物流、そして価格やクオリティといったPBの必要条件は、後回しにされていたような気がする。発売された「味噌」や「醤油」を料理に使い、「インスタントラーメン」を食べてみたが、NBを超えるほどのレベルではなかったからだ。

 ただ、広告の力とは恐ろしいもので、無印良品は西武セゾングループのクリエイティブ戦略に乗って、ブランド力という絶対条件を先につけ、マーケットに浸透していったのも事実である。商品のレベルアップはファッションや文具への進出を契機に、後から注力されていったように思う。

 ちょうど85年頃、時はDCブランドの全盛期。無印良品の衣料品はDCのデイリーカジュアルを補完するような企画で、ファッションマーケットの中で少しずつポジションを確立していた。そう思うのは、店舗で会った知り合いの女性がみなファッション業界の人間だったからだ。彼女たちの多くがシンプルなデザインで、自然素材の風合いをもつ無印良品をDCブランドの廉価版のように感じて購入していたのだと思う。

 ブランド力をつけ商品開発力を高めた無印良品は、89年に西友の100%子会社ながら(株)良品計画として独立。これ以降、バブル崩壊で西武セゾングループが凋落する一方、良品計画は独自の路線を突き進む。決してデフレの影響から求められたのではなく、ブランドが放つナチュラルでラフな生活提案、ボリュームゾーンをキープした価格帯が、肩肘張らない生き方を模索し始めたファミリーやOLに受け入れられたのだ。

 さらに郊外ショッピングセンターの開発も追い風になり、日用雑貨や化粧品、食材や食品、旅行グッズ、家具やインテリア小物までに広がるMDは、デベロッパーにとっても集客のカギになると判断され、キーテナントの定番になっていった。店舗は国内に留まらず、欧州、米国、アジアにも進出。現在、「MUJI」ブランドはグローバルSPAとしての地位を築いたと言っても良いだろう。

 先日、その良品計画が「来年1月から順次、商品の約300点を価格改定する」ことを発表した。対象となるのは衣服や雑貨、食品などで、レディスのTシャツが1,500円から990円、チノパンが3,980円から2,990円、羽毛掛け布団シングルが2万4,000円から1万9,900円に値下げされる。値引率は商品によっても違うが、だいたい3割程度は下げられるようだ。

 同社ではこれまで手頃な価格の日用品を「ずっと良い値。」、高価格帯で素材やディテールを重視する「こだわりたいね」の2面戦略で商品を企画してきた。来年の春夏からはこの区分をなくして、各商品にあった適正な価格設定にシフトするという。

 無印良品が誕生して40年近く、筆者は誕生からその盛衰を見て来た。同時にファッションからステーショナリー、食材や食品、雑貨まで数々の商品を購入した。特に衣料品では虚飾を排したシンプルなパターン、ロゴマークが一切入らないデザイン、自然素材をふんだんに取り入れた質感が気に入って、まとめ買いすることが多かった。

 ところが、2000年以降、衣料品についてはパタッと買わなくなった。個々のアイテムがそれまでに比べてデザインは大味になり、パターンはよりフラットで、質感も低下したように見受けられ、商品に魅力を感じなくなったからだ。一時、デザイン監修にはヨウジヤマモトの事務所やデザイナーの深澤直人も参画したと言われるが、昨今の商品企画にはそうした手練たちの感性やエッセンスが十分に発揮されているとは思えない。多店舗化で都心、郊外と購入の利便性は増す一方、クオリティはボリュームラインより下がってしまったように感じる。

 今回の値下げについて良品計画としては、キラーコンテンツとの競争から、価格勝負は避けられないとの判断があったのかもしれない。しかし、確固としたブランド力をもつ無印良品がこれ以上、価格を下げる必要があるのだろうか。むしろ、筆者は衣料品については価格は据え置きのままで、1段階いや2段階ほどクオリティを上げる方が良いのではないかと思う。それは実質的に値下げと一緒のことである。

 無印良品の顧客は30代から60代と幅広い。中心は40代から50代のミドルエイジだろうか。確かにこの層は可処分所得が下がり、生活は決して楽ではないが、ファッションを見つめる目はとても肥えている。今の価格のままでクオリティを上げた方が彼らの感性にはよりフィットするのではないかと思う。

 もっとも、価格を下げるには条件が伴う。一番は原価率の圧縮だろう。原材料や製造においてコストを下げてしまうと、今以上に素材の品質低下や縫製レベルの劣化を招くのかもしれない。だから、コストダウンは顧客の離反を招くリスクを伴う。

 もちろん、世界的な景気の低迷で、中国などの資材メーカーでは原材料がダブつき、在庫を捌くため、材料を値下げするので買ってほしいと良品計画に打診があったことも想像される。ただ、無印良品は広告では盛んに原料訴求をしているものの、そもそもそれほどクオリティの高い素材ではない。現状の原材料で商品化しているだけでは、売場に並んぶものが最高限度だろうし、これ以上クオリティが上がるとは思えない。

 いま、アパレル業界は原価率が30%を切り、生地代はだいたい5%程度まで下がっていると言われる。そこまで下がると、「おもちゃのような品質の商品になってしまう」との指摘もある。無印良品の生地代がそこまで低いとは思わないが、あの価格帯は百貨店アパレルのように返品や派遣販売員の経費がかからず、色柄や型の絞り込みなどで中間コストがカットされるから実現できている面もあるだろう。ならばこそ、現状の価格帯でクオリティを上げた方が競争力をもつとの考え方もあるはずだ。

 第一、価格を下げてしまうと、昨対同等の売上げを維持するには、購入客数や購買点数を増やさないといけない。良品計画としてはブランド力があるのだから、値下げをすれば購入客は増やせるとの読みなのだろうが、今のクオリティならいくら安いとは言え、購買点数が増えるとは思えない。今のお客は必要でないものは、安くても買わないからだ。つまり、購入客数が伸びなければ、売上げは下がってしまう。

 それでなくても、良品計画が発表したレディスのTシャツ990円、チノパン2,990円、羽毛掛け布団シングルが1万9,900円といった価格帯には、強豪がひしめき合っている。ユニクロやニトリはこのクラスのプライスリーダーだし、品揃えの奥行きも無印良品をはるかに超えている。

 一方、価格を下げれば、無印良品がこれまで狙え切れていなかった20代前半の若者を捕捉できるとの狙いもあるだろう。しかし、こちらをターゲットにする業態にもジーユーを始め、国内外のファストファッションがずらりと並んでいる。20代前半の若者は高いコーディネートセンスをもっており、バジェットラインのチープなファッションでも上手に着こなす。

 彼らはデザインさえ気に入れば、クオリティはそれほど気にしない。小池一子がいくら広告のディレクションに注力したところで、現状の無印良品が放つ素材、色柄、デザインがどれほど若者の感性にフィットするかは懐疑的だ。多分、Tシャツが1000円だろうと、チノパンが2000円だろうと、そもそもの無印良品に若者がそれほど心が惹かれることはないと思う。

 値下げのニュースとほぼ並行して、衣料品カテゴリーのMUJI Laboでは、2017年春夏シーズンから新しいディレクターの起用も発表された。MUJI Laboはマーガレットハウエルを運営するアングローバル社との共同開発で12年に生まれた新ラインである。だが、価格帯はデザイナーブランド級なのに対し、感度面は今イチでそれほど惹き付けられるものがなかった。マーガレットハウエルのようなテイストは、デザイナー名がついてこそ、お客は買う気になるのではないかと思う。

 良品計画としてもそれは感じていたのではないか。だから、「N.HOOLYWOOD」の尾花大輔と「タロウ ホリウチ」の堀内太郎をディレクター起用することで、カテゴリーのデザイン、感度において多少の特徴を出す狙いと思われる。無印良品というブランドの世界観から大きく外れることなく、どこまで新しさを醸し出すことができるのか、期待を込めて見ていきたい。

 アパレル不振が表すように今の市場には50代が満足できるような商品がほとんどない。この年代は無印良品のデビューから現在までを知る客層ともリンクする。筆者の周辺でも無印良品に期待する声は少なくない。その多くがクオリティのアップに望んでいるだけに価格訴求のみの戦略では納得できないはずだ。もし、今よりクオリティが下がるようなことがあれば、裏切られた思いになるのではないだろうか。

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