HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

マイデザインの服。

2008-04-28 11:07:48 | Weblog
 自分で服をデザインするようになってもう10年近くになる。気に入ったアイテムが見つからないこともある。しかし、最大の理由はすでにできあがった服では、満足できなくなってしまったからだ。言い換えれば、ブランド服を買って着る行為より、自分服を作る方に興味を引かれるのだ。
 服だけではない。インテリアもステーショナリーも、自分でデザインするようになった。事務所のブックシェルフやカップボード、そしてダイアリーのカバーや名刺入れは自分オリジナルだ。イラストパッドにマーカーでスケッチを描き、サイズを決め方眼紙に手書きか、パソコンで図面を描く。あとはデザインイメージに合う木材や革などの素材を探し、自分でできるものは組み立て、できないものは外注する。
 服の場合は仮縫いで隅々まで調整し、インテリアは製造過程まで細かくチェックする。生地屋さんや工場からは「デザイナーよりうるさい」「こだわりすぎるよ」と陰口をたたかれているかもしれない。でも、デザインに対する考えを伝えていくと、少しずつわかってもらえる。「自分のような人間がこれからはぜったい増えていくと思うから、ある程度の市場ができます」とも言っている。ビジネスチャンスだって。
 自分のデザインは、自分のセンスやライフスタイルに合わせ、使い勝手を大切にする。だから、着やすくて使いやすく、愛着がわいて飽きが来ない。7~8年前につくった別珍のジャケットなんて、肘のところかが光ってきたけど、秋になると未だに着ている。それより新しいのに使わなくなった既製品はいくらもあるくらいだ。
 
 モノが溢れている時代だから、「そうなんだよ」といわれる。でも、自分ではそうは思わない。好きでもないモノが溢れているだけだ。90年以前は直感で「これだ」と言えるモノ、「ゾクッ」とくるモノがあった。でも、バブルが崩壊した途端、そういうモノがほとんどなくなってしまった。
 長いデフレの時代に入り、高いものが売れないので、結果的に「これだと言わせるモノ」「ゾクッとさせるモノ」は作られなくなったようにも思えるが。別に高価な、高級な、レアなブランドが欲しいわけではない。メイド・イン・ジャパンのしっかりしたモノ、あるいはクリティブなデザインがほしいだけだ。
 そんなものより、安くて万人受けするベーシックなモノ、それを作るコストだの、利益だの、そんな経営論理ばかりが声高に叫ばれるようになり、結果的にそうなったのだと思う。時代が変わり、希少なデザインがビジネスを越えるのは難しくなってしまった。
 一方、デザイナー側はどうだろう。たとえ時代が変わっても、お客に「これだ」と言わせ、「ゾクッ」とさせたいはずだ。「自分が作りたいモノ」を作っていきたいだろう。その考えを否定するつもりは微塵もない。むしろ賛成だ。でも、そこまで考えてモノづくりをしている日本人デザイナーがどれほどいるのか。
 対お客さんとの関係で言うなら、お金を出して買ってくれてなんぼもんだ。それがプロの世界である。お客さんのことも考えてモノを作らないと、取引は成立しないのである。私のように自分でデザインするお客がいると、デザイナーの存在意義も薄れてしまう。…続く。
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