HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

指導者の頭が古いのはアパレルも一緒か?

2013-02-07 13:58:27 | Weblog
 大阪・桜宮高校バスケットボール部の体罰問題に始まり、今度は柔道日本女子代表のパワハラ指導が発覚した。双方ともトカゲの尻尾切りで幕引きどころか、訴訟にまで発展する様相だ。
 これらは日本独特のたて社会、組織を維持するスタンダードで、長らくそれが全体の秩序を守っていきたことに起因する。勝利のために一致団結することにもつながり、運動部には好都合だったのである。
 その点、アパレル業界はそんな事は無く、上下関係もフラットで和気あいあいで仕事をする…。そんなイメージがあるが、どっこい指導者の頭の古くささ、進化の遅れ、不勉強さなどの点では、体育会系なんぞ比ではない。

 おそらく、ビジネスや技術変化のスピードはIT業界に次ぐくらいなのに、未だに洋裁学校の価値観で物を語ったり、システム面の進化から目を逸らすように旧態依然とした技術ばかりを押し付ける輩が少なく無い。
 “昔取った杵柄”という諺がある。それはいくら時代が進歩しても、自分の腕に自信があれば食いっぱくれはない、という意味で解釈されることが多い。確かにアナログ的な、職人技的な面ではそうかもしれない。
 例えば、染色では微妙な色合いやあえてムラを出すような技法には手作業が向く。また、ジャケットの袖付けを美しくするいせこみ、肩のラインを自然にするパット作りも職人技が光る。シャツのボタン付けなどは手縫いの方がほつれない。

 オートクチュールではまだまだアナログ的な人間技が生かせる部分は多い。しかし、既成服、いわゆる量産製品になると、そうはいかない。アナログ的な部分で機械化、デジタル化される部分はどんどん増えている。
 さらにデザイナーの感性をコンピュータが表現する「デジタルデザインクリエーション」が誕生しており、欧米のファッション業界ほどそれを取り入れている。
 欧米メーカーでは一般的になっているデジタルクリエーションは、自分で描いた柄、織り地、編み地などをパソコン上で加工してデザインを仕上げるもの。フラットな生地やニットはもちろん、組織が複雑な織や緻密なイラストまで、見事に再現される。
 まさに服作りはデジタル時代の感性を取り入れたクリエーションに昇華したということである。

 アパレルメーカーの服作り、ファッションデザインは、だいたい10工程ほど。企画のテーマ設定から、素材選定、デザイン画制作、パターン作成、立体ドレーピング、仮縫い、パターン修正、青焼きコピー、型入れ、裁断、縫製までという流れだ。
 これにデジタルデザインが加わると、素材選定とデザイン画作成の間にデジタルプリントの作業が入り、そしてプリント出力で何度も確認ができる。
 また、デジタルプリントの良さは、布帛はもちろんのこと、メリヤスなどのジャージ系素材に直接プリントができるようになっていることだ。

 以前ならデジタルでの服作りは単にパソコン操作に長けるだけでは難しいと言われていた。デザイン画、パターンを経験して、デザイン画のどの辺に配置するとか、パターンの切り替えにどのように当て込んでいくかを理解していなければならなかったからである。
 ところが、Adobe社のデザインソフト「Illustrator」や「Photoshop」が発売されてからは、平面だけでなく立体的な加工もできるようになり、より詳細なデザインを表現できるようになった。
 Illustratorにはペンツールがあるので、アイテムのアウトラインを描くのに使える。 Tシャツやセーターなどシンメトリーのものは、片方のみを描いて、リフレクトすればいいから作業効率は格段に良い。シャツやパンツでは応用できるパスをコピーし、アールや曲線はマウスまたはタッチペンで手描きできる。
 
 これにスキャナーで読んだ素材の画像をPhotoshopで加工し、Illustrator上に配置してクリッピングマスクでトリミングすれば、 容易に「Schematic Illustration」が作成できる。
 欧米メーカーはすでにこれからCADパターンにトレースして型紙をおこしたり、そのデータをそのまま裁断機にリードするところがある。デジタルデザインはもはや量産化には欠くことのできないシステムになってしまったのである。

 もっとも、デザイナーや企画職を育成する立場の人間の多くが、こうしたデジタル化に付いていっていない。ひたすらフリーハンドでスタイル画を描かせようとする。
 絵心のある人間なら、時間さえかければ上手くなるだろうが、無試験で入学した学生が1~2年くら勉強したところで習熟するはずはない。また、そんな人間を雇って1人前のデザイナー、企画職に育てようというほど余裕のあるメーカーはない。
 前にも書いたが、染色や縫製の世界では未だに職人技が残る。しかし、それがすべてのように思い込み、訴えるチュートリアルは少なく無い。大きな勘違いだし、逆にそんな職人の世界に率先して脚を踏み入れる若者が多いとはとても思えない。
 デジタルとアナログの分業は時代の趨勢で、デジタル化はどんどん幅を広げている。教える側が明らかに浮き世離れ、認識不足なのである。

 フリーハンドでデザインを描くのは人によって差がある。しかし、デジタルはその技術差、能力差を縮めてくれる。絵が下手でもデザインはできるって学ぶ側を良い方向に導くこともできる。
 なのにチュートリアルにあたる人間がメカニカルの進化やそれへの投資、学習を怠って、旧態依然としたスキルと能力だけで物を語るのは、時代錯誤でしかない。自分の食いぶちを守るためだけに、若者の夢を煽って焚き付けているように思えることさえある。
 ファッションデザインには欠かせなくなったデジタルを学び、投資し、技術を進化させるには、相当の時間とコストがかかる。それより自分が持てる技術や能力だけで手っ取り早く稼いだ方が良いとでも思っているのだろうか。
 自分に対して進化も投資も学習もしていない人間が蒼くさい教育論を語ったところで、業界の変化に付いていける若者が育つはずがない。ましてアパレルで企画やデザインに携われることなど、まずあり得ないのである。
 
コメント
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