ときどき、ドキドキ。ときどき、ふとどき。

曽田修司の備忘録&日々の発見報告集

原聡一郎さんを偲ぶ会

2009-02-21 23:05:07 | 横浜トリエンナーレ
今日明日と、ZAIMで原聡一郎さんを偲ぶ会が開催されている。

→ 原さんを偲ぶメモリアルサイト http://www.harasouichiro.com

今日の13時からは、セレモニーが行われ、集まった人たちからの偲ぶ言葉が語られた(15時まで)。

実行委員長を務めた和田昌樹さんの冒頭の挨拶は、市民活動や市民メディア、アート・ボランティアなどの分野で原さんの果たしてきた役割、原さんの人柄、つなぎ手としての原さん、活動範囲のひろがりを語り、原さんが目指したものは何だったのかを問いかけ、原さんがいなくなった後に私たちに残された課題は何かについて語る素晴らしい挨拶だった。

盟友の死を見送るにあたって、何を語るべきか、よく考えられた挨拶だったと思う。

原さんが最近になってのめり込んでいったアートの分野での活動が、それまで原さんがずっと関わってきた市民活動にどのようにつながっているのか、いぶかる向きもあるかも知れないが、市民の自発的な意欲や可能性を引き出すことの重要さということで、原さんの活動はずっと一貫していたのだ、という指摘は、まさにそのとおりだと思って私は聞いた。

原さんという人がいたからこそ、そつなく自然体で出来ていたように見えたボランティアの現場のつなぎということについて、関わる人や立場の多様さを引き受けて、それをつないでいこうとすることの難しさや大変さがあること、そして、そのことに正面から取り組んでいたのが他ならぬ原さんであったことについてもかなり踏み込んだ言及があった。

原さんが横浜トリエンナーレのサポーターとして果たしてきた役割について、横浜市のトリエンナーレ担当の松村岳利課長から感謝の言葉が述べられたのをはじめ、関東ICT推進NPO連絡協議会、横浜市市民活動支援センターの方々からの挨拶の後、この会を共同で主催した原さんにゆかりのある9つの団体から、それぞれに原さんの業績と人柄について真情のこもった挨拶が続いた。
中でも、横浜コミュニティデザイン・ラボの杉浦裕樹さんがときに声を詰まらせつつ原さんとの関わりを語ったのをはじめ、横浜トリエンナーレ、はまことりをはじめとして多くの活動をともにしてきた高橋晃さんなど、何人かの方々の挨拶は、原さんの死が与えた衝撃の大きさとそれを自分のこととしてとらえる切実さが感じられるもので、聞いていて胸打たれるものがあった。

この会には、原さんのご父君がお見えになった。
ご父君は、和田さんの挨拶を懇篤な言葉と評して、感謝の意を表しておられた。
セレモニーのあとの懇談の場で判明して皆が驚いたことは、ご父君は、この偲ぶ会の会場となったZAIMという建物が、以前、神奈川県労働基準監督署として使われていたときに、その署長としてこの建物に勤務されていたのだという。(この情報は、私は又聞きだったので正確ではないかもしれない。)
ご父君はかつての勤務地がZAIMと名前を変えて今のような活動に使われていることをこれまでご存じなかったとのことで、息子の聡一郎さんとそのことを話したこともなかったとおっしゃっていた。聡一郎さんはそのことを知らないままに旅立ってしまったらしい。

偶然のこととは言え、親子の足跡の興味深い符合であった。


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