(つづき)
福岡県春日市の「春日」バス停。
「春日」は西鉄バスのバス停名であり、コミュニティバス「やよい」(春日原線)のバス停名は「春日神社前」である。
西鉄の「春日」と「やよい」の「春日神社前」の関係は、西鉄の「太宰府」と「まほろば号」の「西鉄太宰府駅」との関係にも似ている。
「やよい」のバス停名の通り、春日神社の真ん前にある。
この神社が「春日市」の名の由来となっていることから、この付近は市の中心商業地などではないものの、ある意味春日市の「中心」とも言える。
似たような例として、以前、マリンクスの「新宮」バス停を取り上げたことがあるが、その後、「新宮」バス停があった場所(先月末のルート変更で、現在は少し移動している)は、かつて役場があった場所であるということを知った。
こちらもやはり、ある意味では「中心」と言えそうだ。
「春日」を通る西鉄バスは、西鉄春日原と月の浦営業所を結ぶ春日ローカルの「6番」だが、現在の「6番」には、途中の折り返し便や寄り道系統などは一切なく、「西鉄春日原←→月の浦」の一系統のみとなっている。
かつては、西鉄春日原から先、JR南福岡駅や雑餉隈営業所行きがあったし、郊外部も南ケ丘十丁目行きなどがあった。
また、光町三丁目方面からやってきて春日→春日ローンテニスクラブ前(県道31号上。現存せず)を通って、光町三丁目に戻り、そこから井尻駅や再び西鉄春日原方面に向かう系統もあった(井尻駅は「8番」)。
以前に比べると系統のバリエーションは減ってしまったが、現存する一系統は、駅と住宅地を結ぶ使命を淡々と果たしていて、あまり寂しいという感じはしない(あくまで個人的な感想です)。
なお、「6番」のルートのうち、ここ「春日」を含む春日一丁目交差点~春日神社入口交差点間のみが、依然道幅が狭く、神社の風景も相まって、少しタイムスリップした感じが味わえる。
現在、西鉄春日原を起点とするローカル線は「1番」「2番」、そして「6番」であり、かつては「7番」「8番」もあった。
なぜかずっと「3番」~「5番」がないのだが、その理由は、
・当初、春日地区の路線に番号を付けるとき、将来路線が増えたときに混乱しなしいように、「春日原駅方面から来て、光町交差点を直進する路線と、曲がる路線に分け、前者に1~5、後者に6~10を割り振ろう」という方針がまずたてられた。
・それに従い番号を付けていったものの、結局思ったほど路線は増えず、3、4、5、9、10番が空いてしまった(ただし、「10番」は後に南福岡~老司団地で使われた)。
…ということなのか?と勝手に考えているのだが、真相はどうなのだろうか。
(つづく)
福岡県春日市の「春日」バス停。
「春日」は西鉄バスのバス停名であり、コミュニティバス「やよい」(春日原線)のバス停名は「春日神社前」である。
西鉄の「春日」と「やよい」の「春日神社前」の関係は、西鉄の「太宰府」と「まほろば号」の「西鉄太宰府駅」との関係にも似ている。
「やよい」のバス停名の通り、春日神社の真ん前にある。
この神社が「春日市」の名の由来となっていることから、この付近は市の中心商業地などではないものの、ある意味春日市の「中心」とも言える。
似たような例として、以前、マリンクスの「新宮」バス停を取り上げたことがあるが、その後、「新宮」バス停があった場所(先月末のルート変更で、現在は少し移動している)は、かつて役場があった場所であるということを知った。
こちらもやはり、ある意味では「中心」と言えそうだ。
「春日」を通る西鉄バスは、西鉄春日原と月の浦営業所を結ぶ春日ローカルの「6番」だが、現在の「6番」には、途中の折り返し便や寄り道系統などは一切なく、「西鉄春日原←→月の浦」の一系統のみとなっている。
かつては、西鉄春日原から先、JR南福岡駅や雑餉隈営業所行きがあったし、郊外部も南ケ丘十丁目行きなどがあった。
また、光町三丁目方面からやってきて春日→春日ローンテニスクラブ前(県道31号上。現存せず)を通って、光町三丁目に戻り、そこから井尻駅や再び西鉄春日原方面に向かう系統もあった(井尻駅は「8番」)。
以前に比べると系統のバリエーションは減ってしまったが、現存する一系統は、駅と住宅地を結ぶ使命を淡々と果たしていて、あまり寂しいという感じはしない(あくまで個人的な感想です)。
なお、「6番」のルートのうち、ここ「春日」を含む春日一丁目交差点~春日神社入口交差点間のみが、依然道幅が狭く、神社の風景も相まって、少しタイムスリップした感じが味わえる。
現在、西鉄春日原を起点とするローカル線は「1番」「2番」、そして「6番」であり、かつては「7番」「8番」もあった。
なぜかずっと「3番」~「5番」がないのだが、その理由は、
・当初、春日地区の路線に番号を付けるとき、将来路線が増えたときに混乱しなしいように、「春日原駅方面から来て、光町交差点を直進する路線と、曲がる路線に分け、前者に1~5、後者に6~10を割り振ろう」という方針がまずたてられた。
・それに従い番号を付けていったものの、結局思ったほど路線は増えず、3、4、5、9、10番が空いてしまった(ただし、「10番」は後に南福岡~老司団地で使われた)。
…ということなのか?と勝手に考えているのだが、真相はどうなのだろうか。
(つづく)