(つづき)
昭和58年11月1日当時の「60番」「61番」「66番」の時刻表の一部である。
「屋形原」バス停から都心方面の、当時と現在の行先と平日の運行本数を比較してみると…
--------------------------------------
(当時)
「60番」
・野間四角、日赤通、天神、六本松経由桧原営業所行き 25本(うち快速1本)
・野間四角、日赤通、天神、六本松経由片江営業所行き 25本
…「60番」合計 50本
「61番」
・野間四角、日赤通経由天神行き 7本(うち快速1本)
・野間四角、日赤通、天神経由那の津四丁目行き 45本(うち快速3本)
・野間四角、日赤通、天神経由西公園下行き 39本
・野間四角、日赤通、天神経由九大前行き 59本
・野間四角、南区役所経由西鉄大橋駅行き 8本
…「61番」合計 158本
「66番」
・野間四角、百年橋、博多駅経由駅前一丁目行き 37本
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(現在)
「61番」
・野間四角、日赤通、天神経由那の津四丁目行き 19本
・野間四角、日赤通、天神経由福浜行き 26本
・野間四角、日赤通、天神経由九大前行き 34本
・野間四角、日赤通、天神経由呉服町方面行き 19本
…「61番」合計 98本
「急行161番」
・野間四角、日赤通、天神経由那の津四丁目行き 4本
・野間四角、日赤通、天神経由九大前行き 19本
・野間四角、日赤通、天神経由博多ふ頭行き 14本
…「161番」合計 37本
「6番」
・野間四角、南区役所経由西鉄大橋駅行き 13本
「66番」
・野間四角、百年橋経由博多駅行き 42本
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となっている(なお、「呉服町方面行き」とは、天神で「610番」となり都市高速千代ランプ経由で戻ってくるものである)。
「60番 桧原循環線」は廃止され、「61番」と「12番」に引き継がれている。
当時は快速が通勤時間帯に数本しかなかったが、現在は「急行161番」が新設され、終日運行している。
また、那の津通りの西への延伸(西公園下交差点~当仁小前交差点間)により、西公園下折り返しが廃止され、福浜まで延びている。
当時「61番」の一部であった大橋駅系統は、その後「区役所61番」「区3番」「6番」と番号を変え、郊外は福大病院まで延びている。
「66番」の終点は博多駅ではなく、そのひとつ先の駅前一丁目であった(「17番」などの城南線系統も同様)。
25年前、天神方面へは208本、博多駅方面へは37本、大橋駅方面へは8本が運行されていた。
現在はそれぞれ、135本、42本、13本となっており、天神方面への足の減少が著しい。
当時が多すぎたのか、現在が足りないのか、普段この路線を利用している訳ではないのでわからないのだが、実態はどうなのだろうか。
まあ、屋形原のひとつ東の「やよい坂」からは都市高速経由の「610番」も利用できるので、マイナスばかりではないのだけど。
ちなみに、当時の路線図では「61番」「66番」那珂川営業所行きの「現人橋経由」「今立経由」ともに「丸の口」を通っている。
かつてはやよい坂から那珂川町に向かう道路は、現人橋に向かうほうがメイン道路であった(現在も「県道後野福岡線」はこのルート)。
このあたりの道路も当時は整備途上で、現在の下原交差点~井河交差点間が未開通であったためである。
開通後も、丸の口を経由する「今立経由」が免許維持的にしばらく残っていたと思う。
(つづく)
昭和58年11月1日当時の「60番」「61番」「66番」の時刻表の一部である。
「屋形原」バス停から都心方面の、当時と現在の行先と平日の運行本数を比較してみると…
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(当時)
「60番」
・野間四角、日赤通、天神、六本松経由桧原営業所行き 25本(うち快速1本)
・野間四角、日赤通、天神、六本松経由片江営業所行き 25本
…「60番」合計 50本
「61番」
・野間四角、日赤通経由天神行き 7本(うち快速1本)
・野間四角、日赤通、天神経由那の津四丁目行き 45本(うち快速3本)
・野間四角、日赤通、天神経由西公園下行き 39本
・野間四角、日赤通、天神経由九大前行き 59本
・野間四角、南区役所経由西鉄大橋駅行き 8本
…「61番」合計 158本
「66番」
・野間四角、百年橋、博多駅経由駅前一丁目行き 37本
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(現在)
「61番」
・野間四角、日赤通、天神経由那の津四丁目行き 19本
・野間四角、日赤通、天神経由福浜行き 26本
・野間四角、日赤通、天神経由九大前行き 34本
・野間四角、日赤通、天神経由呉服町方面行き 19本
…「61番」合計 98本
「急行161番」
・野間四角、日赤通、天神経由那の津四丁目行き 4本
・野間四角、日赤通、天神経由九大前行き 19本
・野間四角、日赤通、天神経由博多ふ頭行き 14本
…「161番」合計 37本
「6番」
・野間四角、南区役所経由西鉄大橋駅行き 13本
「66番」
・野間四角、百年橋経由博多駅行き 42本
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となっている(なお、「呉服町方面行き」とは、天神で「610番」となり都市高速千代ランプ経由で戻ってくるものである)。
「60番 桧原循環線」は廃止され、「61番」と「12番」に引き継がれている。
当時は快速が通勤時間帯に数本しかなかったが、現在は「急行161番」が新設され、終日運行している。
また、那の津通りの西への延伸(西公園下交差点~当仁小前交差点間)により、西公園下折り返しが廃止され、福浜まで延びている。
当時「61番」の一部であった大橋駅系統は、その後「区役所61番」「区3番」「6番」と番号を変え、郊外は福大病院まで延びている。
「66番」の終点は博多駅ではなく、そのひとつ先の駅前一丁目であった(「17番」などの城南線系統も同様)。
25年前、天神方面へは208本、博多駅方面へは37本、大橋駅方面へは8本が運行されていた。
現在はそれぞれ、135本、42本、13本となっており、天神方面への足の減少が著しい。
当時が多すぎたのか、現在が足りないのか、普段この路線を利用している訳ではないのでわからないのだが、実態はどうなのだろうか。
まあ、屋形原のひとつ東の「やよい坂」からは都市高速経由の「610番」も利用できるので、マイナスばかりではないのだけど。
ちなみに、当時の路線図では「61番」「66番」那珂川営業所行きの「現人橋経由」「今立経由」ともに「丸の口」を通っている。
かつてはやよい坂から那珂川町に向かう道路は、現人橋に向かうほうがメイン道路であった(現在も「県道後野福岡線」はこのルート)。
このあたりの道路も当時は整備途上で、現在の下原交差点~井河交差点間が未開通であったためである。
開通後も、丸の口を経由する「今立経由」が免許維持的にしばらく残っていたと思う。
(つづく)