つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

テレビドラマではなく  3

2011年07月15日 | 徒然に、

姑のその後を書くにあたって、舅のことを書かなければいけない。

舅という人は若いころ胸を病み、それなりの生き方しか許されなかった人だった。病室で過ごした時間も多く、すべてを受け入れていた。洗礼は受けていなかったが、愛読書の一冊は「聖書」だった。
姑が引き受けなければならなかったことは「稼ぐ」ことはもちろんだが、8人兄弟の次男坊である舅の兄弟たちが、親族の中で何かあるとすべて舅のところへ持ってきた。じじばば、ひいばば、産後の肥立ちが悪く家に戻された叔母、維持が大変だった墓、突然行方不明になった叔母……一族でまだ経済的にゆとりが無かったころに、お金のかかる面倒はすべて舅のところに持ち込まれたようだ。舅はそのすべてを受け入れた。旦那は当時を振り返り「○○おばちゃんは調子が悪いと目が違って、機嫌損ねると包丁を持ち出すようなところがあったんだ」「じいさんは酒飲みで一升瓶抱えて飲んで、無くなると買いに行かされたんだけれど、荒れるからそれが嫌で嫌でたまらなかった」「親父、お袋は遅くまで店(当時は小さな駄菓子屋を生業にしていた)やってただろう。じいさん、ばあさん、おばちゃんがいる家に帰りたくなくて…裏の●●倉庫でたき火をやっていて…暗くなったら、そこに行って親父たちの帰りを待ってたなあ…」と話す。そういうつらい気持ちを持っていたのを親に話すことができたのは、結婚して子どもに恵まれてからだという。時間はかかったが、話せてよかったのだろうと思う。

そういう人の嫁として姑はたくさんの苦労をしたようだ。難題を押しつけられて、周りの兄弟たちが自分たちの生活を豊かに築いていく様を見ていたのだろう。姑の持ったジレンマはものすごかっただろうと思う。

そして一人しかいない息子の結婚が決まって、式の4日前に骨折。 こういうせつない人生がある。        

コメント
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