福島原発動物救援をテーマにした一冊。 太田康介さんも少し登場するので、太田康介三部作・・・だな!
と太田ファンの私は一人ほくそえんでいる。
森絵都さんが、福島原発20キロ圏内の動物レスキューに個人として従事する女性をじっくり取材して書きあげたもの。
ご本人もどのように書けばいいのか悩んだと、文中に再三再四出てくる、その悩みがどうも出てしまったように感じる。
よく書けているとは思うが、どうも心にもやもやが残る。
スタンスがぴしっとしていないのだ。 視点がふらふらしている・・・といえばいいのだろうか。
森絵都という作家が、その場に行き、何を感じたか。
私はそれでよかったと思う。 森さんは、ジャーナリストでもなんでもない。作家なんだ。
事実を救いあげることにたけている人ではない。
ああいう感性を持つ作家が福島でどう感じたか・・・溢れた思いを、自分の筆で書いてほしかった。
だから本に使われた写真も、いい写真ばかりなのだが、目線がばらばらで、余計に内容がばらばらの感じがした。
森絵都がみた福島 でよかったのではないか?
仕方がないのだが、この本を書くに際し森さんは文芸春秋に相談し、編集部の協力で取材をしている。
これも何度も、文章に対して何の変更もくわえられなかったと書かれているのだが、
では取材に際して、文春側が意図的に相手をピックアップしていたとしたらどうだろう。
森さんはそういう傾向の情報しか得られないということだ。
それもいいという上で決断したのかしら・・・と、読後に抱えたもやもやを払しょくすることができないでいる。
事実を書くべきだ。
文春の編集にそう強硬に主張されて・・・とあるが、2011年の5月から11月末まで行われた取材は、
偏っていなかったといえるのだろうか?
平等を帰すためにと、行政側の動物保護の実態を数字のみ記載しているが、
それが平等なのだろうか?
動物は、誰であろうと助けてもらうことが唯一で、それが個人であろうが、組織であろうが、それだけであろうと思う。
誰が、どういう方法で、というのは人間側の都合でしかない。
行政のやっていることがだめで、意識の高い個人がやっていることが正しいということには決してならないと思う。
太田康介さんは、「伝える」ことと「助ける」ことのどちらかというと、「助ける」ことが大きい人だ。
そのうえで、自分のできる「伝える」ことをして、そこから一匹でも動物が助かることを望んでいる人だと思う。
そこがはっきりしているから、彼の活動は見ていてぶれがなくて共感できる。
それでもいろいろな思惑がぶつかり、いろいろな苦労が絶えないだろうと推察している。
太田さんや、今福島で動物救援にあたっている人たちの多くが、個人で活動することをよしとして選んでいる。
それは組織が大きくなることで動きにくくなって、助けられる命が一つでも落ちこぼれることを嫌ってのことだ。
きっと彼らは言うだろう、動物を助けてくれるのならだれでもいい、と。
そして、遅ればせながらも、行政も動いている。
私は行政がどのような活動をしているのか、数字ではなく知りたかった。
森さんが選んだテーマが、
「あそこにある命を救おうとしている人たち」 ということであるのなら、
動きずらい組織の中にあってもそういう努力を続けている人たちをも取材すべきだったと、私は思う。
ボランティアが苦労している、ペットレスキューを止める警官たちの思いをも聞いてみるべきだったと思う。
そしてそれをせずに、一方的に「ひどい」と言うのは事実を取材しているとは言えないのではないだろうか?
私は、そこに、森さんの力不足も感じるが、文春編集部の意図も感じる。
大きな力と対峙する・・・それは文春の望むところではないだろうか。 森さんになじむものではない。
餅は餅屋、ここから先は専門家に任せたほうがいいと思う。
そして、だからこそ、森絵都の仕事はここからだと期待する。
10年、20年経ったとき、このことをテーマにして、森絵都本来の筆で本を書いてほしい。
あそこでなにがあったのか、十分に消化して描き出してほしいと夢みている。
そういうことができる人だと思う。