つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

病床 6

2010年12月31日 | 日記
寅年最後の日。
あっという間の一年だった。12月に入ってからの時間は、とにかく気持ちばかりが上ずってなあんにもできなかった。

昨日「明日は来ないから」と年内最後の見舞いに行った。
昨日よりも今日がよくなっているという感じではないが、たとえば三日前と比べると明らかに上向きだなと感じる。昨日は、おしっこの管が外れた。気分的にほっとした。トイレには自分で行く。もし万が一足腰の関係で間に合いそうもないと感じたときに失敗しないように、ベッドサイドにポータブルトイレが用意されていた。長く管を入れていたせいか尿意が感じられないようで「一度行ってみるといい」という看護師の言葉に促されて、ゆっくりとトイレに向かった。
「トイレトレーニングだね。“しいー、しい”って声かけると脳に刺激が行くんだよ」
トイレをでてきた顔には自分で始末した満足感があった。人は当たり前のことができなくなることが一番つらい。だから、ひとつよくなると、明日はもっとと望んでしまう。

きょうだいの向かいのベッドには病歴25年という方が入っている。子どものころからずっと病院から離れることができないそうだ。生きる、生き続けることを努力しないと得られない人間がいる。それは、子どもでも大人でも、老人でもかわりなくそういう人間がいて、努力を積み上げている。わがきょうだいもその中に入った。だから努力を続けられる手伝いを楽にできるようにしたい。

笑って過ごせる時間。少しでも多いように祈る。
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姫・・・・

2010年12月30日 | 徒然に、
東京の実家には、継母が健在でいる。
この人は私が大学生になってから我が家に入った人で、その頃からうまくいっていない。
私が子育てを初めて、子どもが介在するようになっていくらか関係が穏やかになった。このたびのきょうだいの病気治療の手伝いで、改めて一緒に仮暮らしているのだが、どうもうまくやれない。入院中のきょうだいともその話で毎日のように花が咲く。

なんと表現したらよいのだろうか。きょうだいと一致しているのは「お姫様なんだよね」
「お姫様」これが実にしっくりくる。

必ず、場の真ん中で注目を受けていなければ気が済まない。人から世話を受けていたい。見栄張りで、買い物好きだから、買うとなると単位が違う。そのために家の中はモノであふれることになる。悪気はないのだが、とにかくすべてに見栄張りだ。上から目線ですべてに決めつけて対応する。宵っ張りの朝寝坊で、80歳になる今でも夜中の2時3時は平気で起きている。寄宿させてもらっている上の子どもたちは、帰りを待たれて辟易としているようだ。ありがたいことなのだが、限度を超えている。独占欲が強いので、自分の好きな人がほかの人と仲良くする事が気に食わない。困ったことに、自分の可愛い孫たちと私が仲良く話すことに嫉妬する。悪いけれど私と彼女の孫は実の親子なのだ。まいる…。悪い人では決してない。ひどい意地悪をするわけでもないし、なにか金銭的に酷いことをするわけでもない。だが、難しい人だ。
子どもが大好きで、私に子どもができたときは一日中でも抱いていた。だが、結局、可愛がるだけで育てようとか守ってやろうという気はさらさらないようだ。ペットと同じなんだと感じることがある。あまり稼ぎのよくない私のパートナーは彼女の基準に達していないので、とかく粗雑に扱われがちだ。
「姫」は下々のやることに興味はないようで、町内会のことを一生懸命にやる向かいの家の奥さんを見下している。くそみそに言う。向かいの奥さんは料理が得意で、我が家の窮状を見るに見かねてよくおかずを届けてくださる。それに対しても難くせをつけるが、一番目の色を変えて食べるのはこの年よりである。
もう、お迎えも近いのだから、笑って見てやるべきなのだろうが、「私の方が具合が悪いのに」と、きょうだいは現実に病院から出られない状況なのに、こういう場合でも話の中心に座ろうとするのでこまる。

年だからとは思うが、この継母について言うと、私の知る限りにおいてずっとこういう人だった。私にもなじめない理由があったし、彼女にも理由はある。でも、これはどんなに状況が変わろうが、年が上がろうが、平行線で仲良くなることはないのだなとこの半年で確信している。
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相葉君

2010年12月30日 | 日記
少し前の記述に、相葉君の誕生日を12月25日としてしまった。
娘から指摘を受けた。
彼の誕生日は12月24日、クリスマスイブだそうだ。ごめんなさい。
そして、改めて「お誕生日を無事迎えられておめでとう」

末っ子が上京して、今、札幌の家にいるのは、パートナーとこの「相葉君だいすき娘」だけだ。
こんな状況があるなんて思いもよらなかったが、結構、父娘は楽しく過ごしているようだ。
後から振り返れば「そんなこともあったよね」と話になる時間を、今、過ごしているのだ。
笑って振り返ることができるように、生きていきたいと思う。
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病床  5

2010年12月28日 | 日記
わがきょうだいは、いくらか改善への道を上向きに方向修正し始めたようだ。
しかし、日々よくなるという状況ではなく少しよくなっては足踏みをし、時に後ずさりし、また、少しよくなるということの繰り返しで、根気との戦いだ。ある器具を使うようになったのだが、それの説明書に「身体障害者手帳がもらえます」とあった。医者からその手の説明はなかったので、気持ちが少し落ちてしまったようだ。でも、体力が落ち、歩くことも不自由な今、退院後病院に通うにしてもタクシーは欠かせないだろう。その援助をしてくれるのだからとてもありがたい制度だ。それは助けてもらおうよと話すと、いくらかふんぎれたようだ。

きょうだいの向かいのベッドの人と話をした。25年病気と闘っているそうだ。病院を出たり入ったり、病気と付き合うために東京に住むようになったという。気の遠くなるような時間をここで過ごしている。健康な私たちは時に何かを忘れてしまう。いつでもどこでも、生きるということに必死な人がいる。
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末っ子

2010年12月27日 | 日記
札幌に帰れない私に代わって、末っ子が上京してくれた。

羽田ほで迎えに出たのだが、田舎者の悲しさ、千歳空港と同じように到着口が一つしかないと思い込み、一番最初にたどりついた場所で延々待っていた。到着も遅れたのだが、15分20分30分過ぎても現れない。公衆電話からの着信を取り損ね、あえていないということに初めて気がつくありさま。うろうろと走り回り、やっと出口が5か所もあることに気がついた。顔を見た私は、久しぶりに会えたうれしさとほっとした思いで涙が出そうになったが、息子は至って落ち着いたもの。「もう行こうかと思ったよ」

子どもはすごい。このひと月足らず、いろいろと心配やらいらだちやらにさいなまれていたのが、彼のいくらか太ったまあるい笑顔を見たら、なんか心の何かがするするとほどけていくように感じた。
頑張れる!何とかなる!子どもって、大人にそういう力を与えるものなのかもしれない。

末っ子を迎えに行く前に、モノレールを国際線ターミナルで降り、話題のターミナルビルを見物に行った。
そういう人が大勢いたようで、それでなくても狭いビルの中はどこも行列で歩いているありさま。ちょっと用足しをしたい本当の旅行客はなあんにも出来ないだろうなあと思いました。たいして見るものも、買おうかなと思えるものも見いだせず、でっかいキティちゃんだけをゲットしてきました。
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