つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

新学期が始まった

2012年08月28日 | 日記

「これじゃあ東京と変わりない」と、いささか憤慨しながら次女が東京に戻っていった。

旦那のことがあったので、長男と次女が戻ってきてくれて本当に助かった。

また、親子三人といういささかこじんまりしすぎるきらいのある生活が始まり、

そして、昨日が末っ子の学校の始業式だった。

札幌にしては異常に蒸し暑いのと、耐震工事に入った校舎に覆いがかけられていること、

計画停電が行われるかもしれないということで、今日から「ジャージ登校」だそうだ。

末っ子の通う中学校の制服は、ポロシャツにブレザー。 衣替えなどという気のきいたものはなく、

一定の時期になると個々の判断で、長袖のポロシャツを半袖に、冬用のズボンやスカートを夏用に、

ブレザーを着用しなくてもいいことになっている。

ところが、思春期の難しさ。 汗だくになりながらも、学校に行く限り、ブレザーを脱がない子が大勢いる。

それが COOL なんだろうか…。

まあ、どんなに北国でも30度を超えるっていうのに、あいた口がふさがらないっちゃあこのことだ。

私にぐちぐち言われる末っ子はさすがにブレザーは脱いでいくが、

部活に出かけるときには長袖ジャージの上を着ていくので 「授業のときは上はやめなさいよ」 とくぎを刺した。

思春期って、本当に面倒くさいもんだ。

長男と次女がいなくなり、一人っ子にもどった末っ子のかたくなさがまた再燃している。

あんまりいじくったらだめなんだと、ついつい構いたくなるおのれを戒めている。

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親とは、

2012年08月21日 | 子育て

昨日、長男が東京に戻った。

前の晩遅く中学校時代の友人に呼び出され、断れない性格が災いし、朝の状態が悲惨だった。

いつもなら 「○○の駅まで」 「●●まで」 サービスして 「JRまででいいな」 程度だが、

なんだかとっても大変そうな様子をみて旦那が、

「お母さんに千歳まで送ってもらえ!」

 

ということで、雨の中二日酔いの息子を乗せて久しぶりに新千歳空港まで往復した。

1時間ほどの猶予がよかったのか、空港についた頃は顔色も良くなり安心した。

 

チェックインし、土産を買い、お決まりのこれを食べ

 

さああ、いよいよゲートに向かうとなった時に、息子がちょっとモジモジした。

「なんか言いたいことがあるな・・・むむむむ、好きな子がいるんだとか、そういう相手がいてね~なんて言われたら

どう返事をしたらいいのかなあ・・・・・・・」と、わくわくどきどきしながら彼の言葉を待った。

ところが・・・

 

 

嗚咽というのかなあ・・・やっと出てきた言葉は、 

「父にもしものことがあったら・・・・」涙をこらえて目が真っ赤になっていた。

半分は、すんごくがっかり・・・残りは親思いのいい子だという嬉しさと、

旦那がこの息子にとっていい父親なんだという事実にじんわりときた。

親冥利に尽きるよ!

 

「大丈夫だよ!今回だって倒れてどうのこうじゃなくて、日々の検査の中で見つかったんだから・・・

あと10年頑張らないと○○(末っ子)どうしようもないでしょう? 心配しないで、よーく注意するから、

勉強頑張って頂戴!」

うんうんと何度もうなづいて長男はゲートをくぐっていった。

 

結婚適齢期が上がっている。

それに伴って初産の年齢があがり、一人の女性の出産回数が減っている。

医学の進歩がもたらした素晴らしい出来事だと思うが、

高年齢出産、続く子育てには、若い頃では考えもつかない問題が多い。

卵子の老化だけではない、苦労や苦悩がある。

 

今、私たち夫婦が思い悩んでいるのは、子どもたちが自活していないのに私たちが老いてきたことだ。

己の体のことに不安を抱かずに前進できる時期は、とうに過ぎてしまった。

子どもたちにいらぬ心配をかけないように、よくよく心して行かねばならない。

 

私は、やはり、結婚は早いに越したことがないと感じているし、

子育ても若いうち、無我夢中で過ぎるのがいいと思う。

これは全てに「御縁」が一番だから、こうせよということではないが、

出産・子育てに関して、後回しにしていいことはあまり多くない。

 

私たち夫婦もあと10年、なんとしてでも元気で過ごさなければならない。

これは生半可でなく大変だ。

でも、きっと、どう転がるにせよ、一生懸命そのときを生きていればうまくいくに違いない。

 

 

 

 

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うまいぜよ~~

2012年08月20日 | 日記

次女が戻ってきて、開口一番

「魚が食べたいの」

どうも、東京の魚が口に合わないらしい・・・。

「婆ちゃんね、鮨とってくれるんだけれど、あれはもうおかしいよ!食べたら腹壊したもん・・・」

うーむ、婆ちゃんだって孫にいくらかでもと奮発してくれただろうに・・・一刀両断に切って落とされてしまった。

申し訳ない・・・・・・・(>_<)

でもまあ、北海道の若者がなかなか道外に出ていかないのは、

一番の理由が「食べ物が美味しい」ということらしいから致し方ないのだろう・・・。

 

長男が今日、東京に戻ってしまうから(あいにく、朝から雨がひどい)回転寿司に出かけた。

「暴飲暴食、脂っこいものは避けるように」といわれた旦那様も参加した。

快気祝いだぜ~~!!と騒ぐ私を、家族全員しらっと見ていた(苦笑)

 

ほかのところに行こうよと言って、ネットで検索したのだが、やっぱりいつもの店。

ついて、席に案内された途端に、次女 「とにかくウニ!」

 

いやあ、これもうまかったけれど、こちらでも珍しい「ウニの握り」

磯臭さが、鼻につかない・・・やっぱり新鮮なんだなあ。

次に仰天したのは、

蟹の豪快握り――ー豪快だぜえ!!

当然、こぼれいくら も溢れるほどにやってきた!!

向こう側でスマホを使っているのは長男。ツイッターにつぶやくんだとか・・・・。

 

ウニもカニもマグロも・・・とにかくなんでもうまかったが、

アジ、サンマの青身魚が一番というのが、家族全員の一致だった。

それに、昨日は仰天する出来事が・・・主人公は末っ子。 

好き嫌いの多い末っ子は回転寿司に来ると、いつも“そば”“唐揚げ”“フライドポテト”のオンパレードだった。

それが・・・・・・

赤身と手前がアジのサビ抜き、このセットを三回くらい平らげたかなあ~~。

「うまい」と言いながらだったから、本当に大人になったと感激した。

 

久しぶりの“鮨三昧”に、家族みんな(おっとこれに長女がいたら、完璧だった)笑顔だった。

先日の渡部陽一さんの話に出てきた「世界中が望む平和」だ。

 

ああ、本当に幸せだ。

 

 

 

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さっぽろ夏まつり

2012年08月15日 | 日記

東京もんが、案外東京タワーに登っていないという話と同じことだろうと思うのだが、

 ちょっと周りの人間に「ビアガーデンに行きたい」と言うと、びっくりされる。

私はシーズンに一度は行きたいなあ・・・大通りで開かれる“ビアガーデン”

昔は、寒くて寒くて、我慢大会のようなモノだったが、この頃は爽やかな気候で、十二分に楽しめる。

旦那様の思いもよらぬピットインでどうなるかと思ったが、優しい息子たちが付き合ってくれた。

息子ふたりと待ち合わせ、お目当てのサッポロビールまで足を運んだのだが、途中、こんなものを見つけた。

真ん中に立って写真を撮るものだろうが、うちの男の子チームは聞くまでもなく・・・振り返ると姿がなく(´;ω;`)

ということで先を急ぎ、

 

まだ、青空が残ります。いいですねえ(^O^)

チケット売り場の前の席をゲット!

とりあえず、クラシック!

お目当ての“富良野シトラス”は6時からの限定販売。

待ちます!

そして、

長男が並んで買ってきてくれました!

柑橘系の香りの強い、うまいビールです。

今年は見かけなかった“富良野ビンテージ”より、もっと個性が際立っているように感じた。

最高!!

しかし、ゾーンの中を走り回る店員さんたちが妙に若い。

大学生や専門学校生でもなさそうな感じ・・・思わず、ビールを運んできてくれた女の子に聞いてしまった。

そしたら、なななんと・・・

「高校1年生です」

おっと・・・びっくり仰天だった!高校生かなとは思ったが、ちょっとこの春まで中学生だった子たちが、

のんべの相手をしてくれている。ちょっとつまった。

 

ただ、このバイト、親のあいだではそんなに評判は悪くない。

何しろ時間は決まっているし、衆人環視の中でいるから、危ない思いはあまりしないようだ。

札幌ドームの飲み物の売り子さんの過酷さに比べれば、楽勝だろう。

長男は一言「サッポロビール、人件費節約しているなあ」

うーむ、確かに・・・、大人の意見だ。

 

ビアガーデンは、今日15日で終了。

明日からは盆踊り会場になる。札幌の短い夏も、そろそろ終わりを迎えているのだろう。

 

 

 

 

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楽しかったこと

2012年08月15日 | 日記

旦那様の見舞いを午前中の早い時間に済ませ、午後からは、前々から楽しみにしていた“これ”に出かけた。

平和都市宣言20周年「記念式典・講演会」 講演会がテレビで見かけるあの人。

なかなか生で話を聴けることもないだろうと、申し込んだ。

 

面白かった。

講演会だというのに、舞台には演壇がなかった。

奥の壁に幕が用意され何枚もの写真が映し出されたのだが、

なにより登場から退場まで舞台を歩き回りながらの“語り”だった。

大きな身振り手振りを交えて、あの独特の言い回しで思いを語った。

講演会 というよりは、一人芝居 を観ているような・・・話を聴きに行ってよかったと思った。

 

「日本の平和」と「紛争地域の平和」の違いはあるかという問いに

「家族が一緒に暮らせる。一日一回でも家族が一緒に食事を取る。

日本でも、紛争地帯でも、それは変わりません」

としっかりとはなされた。

 

渡部さんは

 

「戦争をしている国、相手の国。この二つの国だけでは、戦争を終わらせることができません。

そこに第三の国があって、戦争を終わらせることができます。

では第三の国はどうしたら戦争を終わらせることができるかというと、

相手の国のことを知ることなんです」

 

「長崎でも、広島でも、チェルノブイリでも、そして劣化ウラン弾を秘密裏に落とされていたイラクでも

人々が口を揃えていうのが、情報を早く正確に伝えれば被害が大きくならないで済むということ」

 

「紛争地帯でも、子どもたちが笑う時があります。

学校に行けたとき、食事をしたとき、短い時間ですが日本のアニメを観ることができたとき。

“スラムダンク”やドラゴンボール”“ちびまるこちゃん”がアラビア語に翻訳されて

観られる時があるんです。その時、子どもたちは笑います」

 

「僕は紛争地帯で井戸水を飲むことが多いのですが、井戸水はとても美味しいです。

冷たいし・・・でも、あんまりたくさん飲むと、お腹がいたくなります。

お腹が痛くなると、写真を撮ることができなくなるので、気をつけなければいけません。

日本の水は、冷たいし美味しいし安全です」

 

「これから映す写真はちょっと衝撃的なものですので、小さなお子さんの目を10秒ほど隠してください」

と言って映し出されたのは、劣化ウラン弾によって体内被曝をし、右目を悪性腫瘍に覆われた少年の写真でした。

私は小さい子どもではありませんが、思わず目をつぶってしまいました。

それがあの国の子どもたちの実情です。

 

「戦場カメラマン症候群というものがあり、一度そういう悲惨な情景を目の当たりにしたものは

また戻ってしまいます。僕が心の平安を保てているのは、ずっとつけている日記を読み返すことと、

風呂掃除です」

 

最後に設けられた質疑応答の時に、ちょっとしたトラブルがあった。

混乱を避けるためであろう、あらかじめ主催者は質問を募集していたのだが、

渡部さんに伝わっていなかったようで、

「会場からの質問に、誠心誠意答えます」と言っていた。

だが、登場した司会者は予定通り、準備された質問に答えるやり方で進めていこうとした。

これが最後の質問という時に、年配の男の方が手を挙げられて異議を唱えた。

「渡部さんは、会場からの質問に答えるとおっしゃっているのに、司会者が一方的にすすめるのはいかがなものか」

おおおお、会場の空気が硬くなったが、これはこのご老人のほうが正しい。

どうなるかとおもってハラハラしたら、渡部陽一さんがきちんと引き受けた。

「僕が暴走してしまいました。勝手にそういうふうに言ってしまい、申し分けございません」

会場からは拍手が起きた。

「もし、今聞かれたいことがお有りになるのならば・・・」と声をかけられたその年配の人は質問をした。

渡部さんはきちんと答えられ、再度、その方と司会者に誤った。

この人はどんな相手でも、相手の話をきちんと聞いている人なんだと思った。

 

最後にこういう話をされた。

「今、世界の戦場ではロボットが人間の前、最前線で戦っています。

兵士がゲームのコントローラーのようなものでロボットを操り、仕掛けられた爆弾を探し、敵地を偵察している。

戦場で見るものが変わってきています」

 

私は、その話を聞き、写真を目にしたとき、

無心にゲームを楽しむ子どもたちが、実は兵士としての訓練を受けているような、

親としていたたまれない嫌悪感を抱いて、ゾクッとした。そんな目的でないといい。

 

そして最後に、特に子どもたちへのメッセージとして

「もう少し大きくなったら、是非世界に出かけてください。

目的は、勉強でも、スポーツのためでも、買い物でも、旅行でもなんでも構いません。

安全を一番に国を選んで、出かけてください。そこで見聞きしたことは、必ず糧になります。

そして、どこかで僕を見かけたら声をかけてください。世界情勢について話し合いましょう。

世界のどこかでの再会を楽しみにしています」

と締めくくられ、何度も、何度も、足を止め、振り返り、会場中にお辞儀を深々とされて引き上げて行かれた。

 

 

内容も心に残るものだったが、渡部陽一という戦場カメラマンを感じることができた満足の時間だった。

渡部陽一さんが、このあとも、無事に仕事をされ続けることを心より祈ります。

 

 

 

 

このあと、息子たちと待ち合わせをして大通りビアガーデンに出かけた。

長くなったので、それは次のページで報告したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

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