つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

絶対に許さない

2012年04月30日 | 世の中で起こったこと

悲惨なバス事故が起きた。

どうして似たような事故が続くのだろうか・・・・

そして、このごろテレビカメラが、直後の関係者を映し出すことが多い・・・

昨日、何気なく聞き止めた遺族の方の一言が心に刺さった。

 

「絶対に許さない」

 

この心がほどける日が来るのだろうか・・・・・・

どんなことも認めないこの強い言葉が、つらい 

悲鳴のような言葉が、この後の長い長い時間の苦しさを思わずにはいられない。

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

物事の意味

2012年04月28日 | 徒然に、

旦那がよく言う 「意味のある奴にしか意味はない」

禅問答のようなことだけれど、物事の価値のことを言っている。
旦那は大学生に文章の書き方を教えている。
必修科目になっているので、毎年、たくさんの若い人たちと遭遇する。

バカバカしいと投げ出してしまう学生、はなから自分には無理とあきらめてしまう学生。
授業に出てこなくなる学生さんが毎年何人かいるらしいが、そういう彼らに手こずって言う言葉が前出のものだ。 

少し前に「ビックリマンシールの盗難」という事件があったのをご記憶にあるだろうか…?
「ビックリマンシール」 ロッテのチョコレートに入っているおまけのシールだ。
それがコレクターの中では1枚10万円で取引されるものがあるという。
驚かなくてどうする!! うちの子どもも手にしていた、あのおまけのシールに10万円!!!!

今週、ムンクの「叫び」がオークションにかけられるそうだ。
推定落札価格が60億円。 世界にたった4枚しかないという絵画だが、60億円!! ビックリだ!!

価値というものは人それぞれ違う、その対価を払っても手にいれたいと考える人がいれば
そのものの価値はそこにおいてその価値がある。
ビックリマンシールが10万円しようが、ムンクの叫びが60億だろうが、
そこにそういう価値があると認めた人がいるのだから、それはそれで納得できる。

知識も、そういうものなのかもしれない。
知識に意味や価値を認めている人には大切なものだが、認めていないものにはなあんにも意味も価値もない。

旦那が「本棚が欲しい」と前々から言っている。
今日も家具屋のチラシを指さし「7900円で買える」と物ほしそうに言った。
私は即座に却下した。
旦那の部屋は汚い。本が山積みにされていて整理ができないし、あまりの本の量に扉も開け閉めできないし、
掃除機も入らない・・・あの本はどこにと思っても探し出すことができない。 本棚が欲しくなる気持ちはよーく分かる。

でも、本の整理整頓は、本棚が無くても本来できるものだ。
旦那にはその気持ちがない。だから棚を用意しても部屋がきれいになることはない。
彼は本棚が無いから整理ができないと思い込んでいる。
私はそのうち棚が場所ふさぎになっていくだろうと想像している…で、大型家具の処分は、結構気持ちと手間がかかるもんなんだよと、
ため息をついている。(当然旦那がその処分を決めることはない)
これは長い付き合いの中で、何度も期待し裏切られてきたので間違いようのない想像だと踏んでいる。

「その本棚に入るだけであとは処分するというのなら、買っていいよ!」
一撃だ! 月にまわされてくる本屋の請求書の山、山、山。
あれをあきらめるはずがない。 

確かに旦那に本は意味があるし、価値もある。 だが、本棚は絶対意味がないと確信している。 

 

ちょっと、話が違う方向に進んでしまった。 本当にはなしたかったことは又別の機会に・・・。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

がっかりしたこと

2012年04月27日 | 映画

佐々木譲さんの道警シリーズが好きだ。

北海道を舞台にしているので、なじみのある地名が出てくることもあるのだが、物語の緻密さにほれぼれする。

「笑う警官」で終盤札幌の中心部をパトカーが縦横無尽に走り回る場面などは、映像にしたら見応えがあるだろうなあと思っていた。

ツタヤでDVDを見つけ、その場面が観られるとほくほくと嬉しくなった。

ところが…この映画があまり話題にならなかったのがわかった。

も~~~う、がっかりなんて話じゃない。 どうしてこんな駄作に仕上がっちゃったんだろう・・・・・・・?

原作は大分込み入った作りなのだが、もうひとひねりしてしまったその部分がいただけなかった。

うまく物語をかみ合わせられないのなら、そのまま映画化してほしかったなあ―――「新参者」みたいに・・・。

役者もうまいのをそろえてあるのだが、間の取りようといい、台詞の言い回しといい、面白くないし、いいところがない。

セットもあまりに洋風で、ロマンチックで、札幌の魅力が伝わらない!! カット割りと言いなんといい、

どうしちゃったのか…途中、イライラして早送りする始末。これは監督がいけないのかと、ネットでスタッフを調べたら、

がーーーーん 角川春樹 製作・脚本・監督 だった。

やめてくれ!!  小説を私物化しないでくれええええ~~~。

餅は餅屋というだろう…角川さん、貴方は、本を出版するのにはたけているかもしれないが、映画製作の現場に向いていない。

この「笑う警官」で観客動員150万人を超えなければ映画をやめると言っていたそうだが、お願いだから、

どこかの政治家のようにならずにその約束を守ってほしい。

貴方には素晴らしい能力がある―――才能に満ち溢れた意欲あふれる人たちにチャンスを与えるという、これは誰でもが出来ることではない。 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドキドキの体験

2012年04月27日 | 日記

近所のスーパーのパートに応募した。

ドキドキ ドキドキ 

ドキドキ ドキドキ ドキドキ

心臓が口から飛び出るかと思った…。

ドキドキ ドキドキ

「簡単な引き算の問題です。お客さまから1000円を出されて、おつりはいくらになるかというものです。

制限時間は10分。出来るところまでやってください」

ドキドキ ドキドキ

「性格判断です。あまり考え込まずに○をつけて行って下さい」

ドキドキ ドキドキ ドキドキ

面接―――

「結果は後日お電話で、」

ふううううううう・・・・・・・・心臓の高鳴りがまだ止まらない。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

授業公開日

2012年04月24日 | 子育て

昨日は、末っ子の「授業公開日」兼「学級PTA]兼「PTA総会」だった。

それに先立つことの先週初め、担任の先生から電話があった。
末っ子なんかしたかと思いドキッとしたが、この時期先生方を悩ます「クラス委員の依頼」だった。
「名簿の後ろから電話を入れています」と、おっしゃっていた。 
そういえば、去年は当時JKだった次女の担任の先生から、同じように電話が入ったのを思い出した。

PTA会員となって16年、かなりの割合で擁護派に与していると考えている。
しかしPTAは、メンバーが気持ちをそろえることができてはじめて活発に動くことが出来ることもわかっている。
私は結果として、周りの方の賛同を得ることができにくくなり、次第に孤立し、集団からはみ出した―――と思っている。
一旦はみ出すと外側でどれだけ叫ぼうと、 意見をとりあげないという「組織の理論」も経験した。
そういう栄枯盛衰を体験して末っ子には悪いが、「学校」にも「PTA」にもあまり多くを期待しなくなった。 

自論として、PTAは子どもの育ちのためにあるべきと考えている。
それが昨今のPTAは、前年通りの活動するという組織維持が目的になっているように見える。
真剣に活動されている方も多くいることも分かっている。 組織を動かすことがとても難しいことも分かっている。
だが4人の子どもの育ちの中には、そういえばあの時PTAはなにしてくれただろうという辛い出来事もあり、
そういう経験を重ね情けないことに、心がもうPTAのために動かない。 

そのためせっかく頂いた電話だったが、 丁重にお断りした。

昨日学級PTAには知っている顔ばかり、この人たちならはっきり断るという4人だけが残った。
とうに決まっていると高をくくっていた委員はまだ決まっていなかったようで、どこでそういう情報を手に入れるのかそのため、
そういう悶着をさける他の親御さんたちは、授業参観も来なかったようだ。
これって、正しいPTAのありようだろうか?
PTAの活動が、親が子どもの学校での姿を垣間見る機会を奪っている。
屁理屈をこねれば、それだけでもうアウトと言えるのではないだろうか・・・?
子どものための活動をしていれば、自然と親はPTAに参加しようとするはずで、
それが避けられるというのは、やっていることが子どものためではないと感じられているのでしょう。
だとすれば、真摯に自戒し、活動を見直すべきと思います。

末っ子の担任の先生は学年主任も務める海千山千のやり手ですが、
気心知れた言いたい放題の無責任グループに突破口は見いだせず、
その場でやりそうなお母さんに電話までして見せる“強い母親”に負けた形で、
本来の“懇談会”になりました。
こうなればしめたもので、少人数だということもあって、じっくりと子どもの様子を話しあえるいい時間を持つことができました。

その中で、先生が言われていたのが、
「子どもの気質が変わってきたように、親御さんの気質も変わって、クラス単位の懇談会では何も出てこない。
これが個人面談だといろいろ出てくるので、自然消滅的に学級での懇談会が無くなっていった」
上の子どもたちの時には学年で開かれる学年PTAのほかに、学級単位で懇親会のようなものがあり、
担任の先生に我が子のクラスの様子を聞く機会があった。
だが今は、年度当初の1回を除いては全部学年単位のものしかなく、広い会場でまとめて行われるので全体に大味になり、
クラス単位のものはやらないのかと尋ねたら、こういう答えだった。

子育てが密室で行われいると感じ、ぞくぞくとした。 失敗が許されないと感じる親御さんが増えているのだろう。 
世の中のありようが全部そうなんだもの、そういう風に流れる……だとしたら、余計にPTAという共同作業は成り立たないだろう。
携わる人の苦労が目に見える。 ああ、大変な時代だ……と思う。

親の一義は “心を育てる ” ことだろう。 
その親の心が窮屈になっている・・・・・のびのびと子育てに向かえる、そんな日本になるといい。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする