つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

テレビドラマではなく  2 ・・・・・・なぜ書くのか

2011年06月29日 | 徒然に、

「テレビドラマではなく」というサブタイトルで、私の23年前の少し重い話しを書きはじめた。きっかけはその数日前の“ガールズトーク”での会話にあった。

私には長男が生まれたときに知り合った赤ちゃんサークルの仲間がいる。初めは20人近くの大所帯だったが転勤や引っ越し、いろいろな事情でぽつらぽつらと抜け、今は8人。それでも20年以上経った今も“活動”が続いている(ひとえに中心になって動いてくれた3人におかげ、感謝)
その仲間の一人が、一昨年旦那さんの両親との同居を決め、たまたま我が家の近くにあったご主人の実家に移ってきた。それで、ご両親は安心したのかパタパタと具合が悪くなり、いきなり嫁として介護生活に突入してしまった。そのこと以外にも、この10年ほど彼女はいろいろな“不幸”に立て続けに見舞われている。私にできることは愚痴を聞いてあげるだけと思い、時々“ガールズトーク”している。その時は「なんで自分だけこんなに次から次に」「周りがうらやましい」と嘆く彼女を励ますつもりで、私もこうだったよと、23年前に私に与えられた“不幸の連鎖”のことを話した。そうやって彼女を慰めてるつもりで話していたのですが、思い出したのです。あの時の、終わりがないと感じていた切ないつらい気持ちを……それから、それからと話しているうちによく頑張ったなあ、よく続けたなあ、……自分自身をほめてやりくなった。そして、そうやって「よしよし、よくやった」と考えていたら(こういう時に自分の不備は一切出てこないからいい気なもんです)、なんだか癒されている己に気がついたのです。

そう、ほめてもらって、癒されたくて、ブログに書き残しておこうと考えたのです。

姑は地下鉄の駅で転んでから17年後 「危篤です」といわれてからも3日頑張って息を引きとった。姑には本当に悪いが、その時に私が感じたのは 「ゴーーール!!」 というものだった。どんなにつらい出来事でも“終わり”は来るんだと思った。 楽しい時間は苦もなくあっという間に過ぎていくが、つらい苦しい時間は時計が止まっているかのようにいつまでもいつまでも居座る。それでも必ず区切りはくるもんだ。私のこの時は17年かかった。子どものときはつらいことや苦しいことの解決が早かったが、大人になるということはこういうことなのかもしれない。そうか私も大分大人になったのだ。それではようやく気がついた“大人力”でやりぬくしかない……と、心している。

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素敵な時間

2011年06月28日 | 日記

私の一番新しい友人と昨日初めて会った。彼女とはネットで知り合い、メールのやり取りが続いていた。そして一泊二日という弾丸ツアーで札幌にお姉さんとやってきたそのひとと、大通で待ち合わせをした。

私は大柄だし、年齢的にも物事に動じない風になってきているが、見た目とは裏腹に結構人見知りで小心者。いまだに外出前になるとトイレが近くなる。きりきりと何度も間際までトイレに通うようなところがある。昨日も実はもうハラハラドキドキだった。もしかしたら、ネットを介して抱いている私の印象と、まるで違う人かもしれないと一抹の不安があった。ところが明るく気さくな彼女は、そんな心配をした自分がバカバカしくなるほどまっすぐ私に向き合ってくれていた。話しだしたら、もう洗いざらいどの話題を振っても手ごたえを感じた。私の方が10歳近く年上だが、こういうつきあいに年齢は関係ないのだと本当に思った。本当にいくら時間があっても足りない感じだった。(彼女の方が大人なんだな・・・きっと!)私の話を疑わずに聞いてくれ、自分はこういう経験があると聞かせてくれた。

一番の彼女の目的は、大都会の中をかっぽかっぽと歩く観光幌馬車に乗ることだった。こんな機会でもないと、観光客目当てのこの乗り物に乗ることはないだろうと、お願いしてご一緒させてもらった。二階席は大型バスを悠々と見降ろし、ぐいっとひっぱる銀太君の足取りに心が躍った。おとなしくて力強い銀太君は、隣を走り抜けていく車にびくともせずに堂々と進んでいく。赤信号で止まると、隣の車を覗きこむような仕草もする。うちの車はステップワゴンで背が高いから、あそこまで覗きこまれたことはないが、お薦めは普通の背の低い乗用車だ。いやあ、銀太君の引く馬車。あれは札幌もんも一度乗るべきだ!

最後に、方向音痴の私は札幌の街に不案内なので、あれこれご案内できなかったのが残念だった。また、来道すると言っていた!少しずつでも歩けるようになって、この次の時には褒められるようになろう!! 乗って楽しかった銀太君の歩みのように、ゆっくりと確実に、そういう年月を重ねられる友人になりたいと思った。

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“挑戦”から学び、そしてまた次へ

2011年06月26日 | 子育て

教育実習を終えた長男が電話をよこした。今回の実習は“お試し”で、8月に今度はじっくりと3週間行くようだ。

教育実習を終えると二つのタイプに分かれると、以前、子どもの担任の先生から聞いたことがある。1つはより一層「先生になりたい!」という気持ちが大きくなっていく人。もう1つは「先生、やーめた」と進路変更する人だそうだ。わが子はどちらだったのか……まだまだ序の口だがきいてみた。

「やーめた!とは思わなかったけれど、僕が小学校の教員になるとしたら、いろいろやって20年くらい先だったらありかな……くらい」

それでも、付属小学校という恵まれた条件での教育実習はかなり息子にとってカルチャーショックだったようだ。いわく、

「だってね、先生が話をそんなにしないのに、子どもがどんどん進めていくんだよ?不思議だよ」「先生がね、はいってきて“昨日はどこまでやったけ?”て聞くと、そこから生徒が授業を進め出すんだよ。それで、最後に先生が“今日は何のこと勉強した?”って聞くとそれで終わり。すごいよ」「○○(出身小学校)じゃ、考えられない」「それはこのクラスだからなのか、入学してしつけたのか……担当教官に聞いたんだよね。とっても不思議でさ」「いろいろ理由はあるだろうけれど、一番大きいのは家庭だってさ!」

これにはぐっと来てしまった。ついつい、ここ数日頭を悩ませている末っ子の状況を話した。どうも“向上心”というか“なりふり構わずがんばる”というような気持ちや心構えを末っ子から感じられないのだ。クラスメイトに遠慮しているというか、測っているような、これぐらいの程度でいいか・・・みたいな空気を、反対に彼から感じるのだ。要するに“井の中の蛙”なのだが、その“井戸”も“水たまり”程度のもので、その中で力を加減している末っ子に“大海”を教えるにはどうしたらよいか。あちこちから届く「夏期講習」の案内を真剣に検討しているというようなことを話した。

「それなんだよ! 付属小の子どもたちは学ぶことに躊躇がないんだよね恥ずかしがらない。それは本当に感じる」「平気なんだよね。結構立ち歩きもあるんだけれど、見ていると辞書をとりに席を立ったり、絵を描いて説明しようと紙をとりにいったり、理由があってそうやってきちんと考えている」「頭はいいけれど、勉強ができるかというとそうでもない。でも、いつでも考えて発言してる」

うらやましい……同じ年ごろの子どもの親としての本音。確かに試験を受けて選抜された子どもたちと、地域で区切られて集められた子どもたちを比較してはいけないというのは分かっているが、学ぶ環境ということを考えたときに他のことに労力を使う必要のある後者で、なかなかのびやかな強い心が育ってこないわが子は本当に歯がゆい。
いやいや、分かっています! 延びる力のある子どもは「どんな環境にいてもきちんと延びる」ということも身にしみて分かっている。それぞれの器があるのも頭ではしっかり理解しています。でもでもでも、やっぱりわが子には曲がらずのびやかに笑って光っていてほしいと望んでしまう。

はてさて長男の話し……長男は理科専攻だが、同じクラスについた他の実習生は国語専攻と体育専攻だったようだ。同じテーマの指導案でも彼らの発想は、長男にしてみると目から鱗のものだったようだ。学びの中で“驚き”は一番必要なことだと思う。長男はこの1週間でたくさん驚いたようだ。教員になってもならなくても、彼の人生の大事な大事な経験……みなさん、本当にどうもありがとうございます。心からお礼を申し上げます。そしてこれからも何卒よろしくお願いいたします。

 

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テレビドラマではなく 1

2011年06月25日 | 徒然に、

23年も前の話しで恐縮だが、私の結婚にまつわる出来事はなかなか凄い!テレビドラマもかくありなんというものだ。旦那と私は東京の飲み屋で知り合った。その経緯はまたの機会に譲るとして、あれやこれやで話がまとまりあと4日ほどで札幌に向かうという日に旦那から電話があった。

「お袋が、地下鉄の駅で転んで腰骨を折った」

言葉が出なかった。こういう時にどうするもんなのだろう……なあんにも考えられなかった。そこまでに至るまでもいろいろな面倒なことを決めて、やっとたどり着いた東京での最後の時間だった。どうしたらよいだろうと親、仲人さんと話し合い、式は予定通り行うことにし札幌に向かい、まずお姑さんになる人の元に見舞いに行った。医者は、このままベッドで安静にしていても骨はくっつくけれど年齢が高いので手術をして早くベッドから離れた方がいいだろうという診断で、式の翌々日にやりましょうという話になった。そのため予定していた新婚旅行はとりやめた。

なんとボケないために受けたこの時の手術で、姑はぼけてしまった。手術室から出て来た時の様子が違った。普通は疲れた様子はみせてもはっきりとしているものだが、この時の姑は朦朧として反応が無かった。とんでもない状況になっていた。意識のない姑に「何でもいいので声をかけて下さい」と言われた。好きだという踊りのテープを流し声をかけ続けたが、私はその日までに姑とは何回かしか会っていなく、何を話していいのかもわからず、ただただ自分の毎日の出来事を話していた。やがてゆっくりと戻ってきた意識は、すっかり頓珍漢だった。モノをとられたという妄想がひどく、一度いいだすと手に負えなかった。パートで働いていたのだが、その給料を盗まれたと病室中探しまわらされた。旦那は息子ということがわからず姑の弟の愛称「もっちゃん」と呼ばれた。骨がくっつきリハビリが始まると、今度は徘徊した。柵をつけられたり、拘束したり、ナースセンターの近くにベッドを置いたり病院側もいろいろやってくれたが、ある日行くとベッドが取り払われ床にマットレスを置かれていた。勝手にベッドから抜け出そうとして落ちて、今度は手首の骨を折っていた。そうして、とうとう病院から追い出された。あとは通院でいいでしょうという一言だった。若いころからの持病があり長年その病院に世話になっている舅は、理不尽に思えるその病院の対応を受け入れた。

つづきはまた・・・

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子どもたちの語る夢

2011年06月23日 | 子育て

「おれ、ケンブリッジ大学に行くわ!」
どう答えようかとぐっと詰まっていたらその隣の子が 「じゃあ、おれはオックスフォード・・・っていうんだっけ、そこにしとくわ」

耐えきれなくて、ぶふわぁ~~~と吹き出してしまった。
末っ子たちの学校、昨日と一昨日と定期試験だった。初めての試練が終わり、解放された友人たちが遊びに来た。入学してすぐ“お迎えテスト”なる学力テストを受けた。まあ、それはお試し・・・今回の、お初の定期テストが彼らの第一歩というところなんだろうなあ……。昼間、ママトモさんとあれやこれやとちょっと気の重い電話をしたところだったので、子どもたちのこの屈託のなさにほっとした。テストで押しつぶされそうなのはきっと子どもたちだ。先生や親や周りの大人たちからやいのやいの言われて、私もその一人。大人って本当に仕方がない……。

いいんだよなあ、上を向いて、手を伸ばそうという姿勢さえあれば、多少評価が悪くても、それはそれ。人生をどう生きるかなんて、やってみなくちゃわかりゃしない。ケセラ・セラ~~だ!

“期待”という名の大義名分を振りかざして、子どもを押しつぶさないようにしよう。“親バカちゃんりん”は必死に自分に言い聞かせている。でもでもでも、きっと答案が返ってきたら沸騰するんだろうなあ……。ふうう、気をつけよう!

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