つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

3月31日

2013年03月31日 | 子育て

今年度最後の日です。

4人の子どもがまだ“学生”の我が家では明日、それぞれが“進級”します。

そーなんです! 長男が無事に大学を卒業し、“学位記”なるものを頂きました。

せっかく東京に行っていたのですが日程が合わず、晴れ姿を目視することは叶いませんでしたが、

後日(とはいえ反抗期の彼のこと、何度もの催促の上、やっと父親のメールに反応して・・・)

卒業式の様子を写した写真を送ってくれました。

彼の大学は卒業に際してストール(肩掛けのような簡便なもの)を配るので、

なかなか雰囲気があっていいもんでした。

 

そして春期講習に通っていた末っ子君。

昨日、いそいそと何か申込書を書いていました。ちらと見ると塾の継続申込書。

おいおい、べらぼうな金がかかるんだよ! ちっとは親に相談してくれと腹ん中で思いながら、

顔はにこやかに 「お金いつまで?」 いよいよこの子も受験生です。

塾に頼らなくても自力で頑張れるのなら、それでもいいよと何度もお勧めしたのだが、

周りの様子に不安を感じたようだ。安心料にしてはいささかお高い出費だが、仕方がない。

頑張って働くしか手はない!

 

娘二人が通う大学からも学費の請求書が届いている。

これに比べれば塾の費用なんか目じゃないと感じるから、人間の感覚は恐ろしいと思う。

初めて長男が塾に行ったときは、必死にはらっていたのになあ~~~

 

さあ、学校は新しい一年が始まる。

明るい前途が感じられるものであることを、心から祈っている。

 

 

コメント (2)

東京の話し  これで終わりにする!

2013年03月29日 | 徒然に、

婆がいなくなって、我が家の家族会議を開いた。

実は、旦那も私に遅れながら上京してくれた。

婆は、養子縁組していないとはいえ、義理とはいえ、私の父の後妻さんだ。

これで最後になるであろう間柄であろうが、やはりけじめはつけるべきだろうと旦那は考えた。

手はあまりかからないが面倒くさい年頃の子どもを3人もあずかってもらった。

婆にあいさつをするために上京したのだが、婆は姉にかたくなに 「仕事があるらしい」 と説明したようだ。

ここでまじめな皆さんは、末っ子の行方が気になったのではないでしょうか?

当然、このときはまだ中学校は休みに入っておらず、三日ほど一人きりになるので思い悩んだ。

ここでもミニ家族会議を開いた。どうしたもんかと・・・。

結論は、仲の良い友達の家に夜だけお世話になることになった。

学校が終わったらいったん家に戻り、宿題を片付けて、翌日の支度を終え、

パジャマとゲームを持って歩いて15分ほどのその家まで向かう・・・ということを三日繰り返してくれた。

これには、後日談があって、親が帰って気が緩んだのか熱が出た。

高い熱はでなかったが、微熱がそのまま二日ほど続いた。

仲の良い友達の家とは言え、親がいなくて、緊張したのだろうなあ・・・。

ヤクルト戦に間に合うように元気になってくれたので、よかった。

 

で、話を元に戻して

東京での家族会議・・・いやあ、紛糾しました。

結論から言うと、婆と姉の相性の悪い仲立ちに、

この四年にわたってうちの子どもたちが立たされていたということ。

婆も、姉も、うちの子どもたちにそれぞれ何も説明しないけれど、

お互いの間を、子どもたちを介してどうにかしようとしていたのだということが感じ取れた。

ただそこも百歩譲って、お世話になった義理というものがあるので、

もう大学生なんだから丸く収めてもらいたいもんだと考えています。

長女はぶんむくれて、再び“家出” 私が在京中は家に帰ってこなかった。

まったくあいつは…と思うが、そんな育ち方をした傍に親がいたことも事実だ。

何とかまっすぐ生きていってほしいと願っている。

二十歳を超えて“反抗期”をしている長男も実に面倒くさい。

女所帯になって、病気闘病中の姉がいる実家で、長男が出入りしているのは重要なことかもしれない。

隣近所も高齢化してしまい、ほとんどの家がおばあさんの一人住まいの地域だ。

淡々と話す旦那の言葉をどう受け止めたのか 「ここに残りたい」 と言った。

今まで二階のふすまを境にした二間に三人で暮らしていたが、婆が使っていた部屋が空いた。

姉が一人一階というのも、何かあったときに都合が悪い。

クーラーのついていないこの部屋を次女にということになった。

そのために婆が残していったものを大車輪で処分した。

仏壇もここにあったのだが、姉の部屋に移動した。

今まで西向きだったのが、ちょうどいい塩梅に東向きになった。

実家は菩提寺が遠く、月参りにお坊さんが来るということもないからこれでよしだ。

線香をあげながら父親に願った 「ちょいとは化けて出て、姉ちゃんに喝を入れてやって頂戴!」

荷物持ちだった婆が拒否して、婆が使っていた部屋は、一度もふすまも畳も手入れがされていなかったため

これを機会にきれいにしようとなった。 気分一新だ。

そこまで来たころ、東京は桜が満開になった。

  

桜以外も・・・

 沈丁花、この花は北海道では見かけません。

椿もこんなにしなだれかかったような姿はないですね。

雪が深いせいでしょう。枝が横に伸びるということはないです。

  

いやあ、きれいだったなあ・・・・!

 

そしていつものあの仔! 毎朝、欠かさず顔をのぞかせるそうです。

 

次女が 「父に似ている!」 と言いだし、“ちち”と呼ぶことになりました。

 

そして羽田空港でのいつものご褒美です。

「やっとここまでたどりついなたなあ~」と感じました。

大変な1週間でした! 

まだまだやり残しや、子どもたちの思いも積み残しがいっぱいです。

ですがそれぞれが大人の話し・・・できないことを無理強いしても、仕方がありません。

だから、この激動の話はこれで打ち切り!

すべてを吐き出して、清々しました!さあ、明日に向かって前進です!

 

 

コメント (2)

東京の話し   「婆のこと」

2013年03月25日 | 徒然に、

なんとまあ、最後のさいごまであの人はあの人だった。

これは天地神明にかけてもウソ偽りはないが、

今まで一度も私は彼女のことを「くそ婆」と思ったことはない。

だが、このたびに限り、腹の底から「くそ婆」と思った。

悪い人ではないのだが、こう相性が悪いとお互いに相手を傷つけるばかりなんだろう。

“お姫様”の婆は、はっきりと相手を区別する。

楽しくお付き合いする人、雑用をやらせる人、などなど・・・・・

彼女の中では、身分の上下関係があるのだ。

私や旦那はお金持ちではないから、婆から、札びらでほっぺたたたかれていると感じたこともある。

いわゆるセレブの噂話が好きで、それと同じ感覚で私たちのことを知りたがる。

だが決して自分のことには触れさせない。

 下々が自分のことを話のタネにすることが、許されないようなのだ。

 

だからなのか今回の引っ越しの件、婆からは何も知らされなかった。

私が聞いたのは昨年11月、姉からの連絡だった。

それは、婆からそういう話があったというものだった。

姉の状況を考えたら、いくら仲が悪くても 「今この時期になんで?」と いうのが正直な感想だった。

こんなに大変な時に、仮にも“母親”と名乗っている人が、娘を見捨てていけるものとは思ない。

まして、姉は、婆が大変だったときに引き受けて、今の状況に持って行った功労者だ。

そんな恩知らずなことはないだろうと考えていた。

そういうことがあるのなら、私に相談があるだろうというのが私の考えだった。

だが、一切婆からはなかった。

とんとんと自分の仕事が始まり、それに疲れ果てていたというのが大きないいわけだが、

何も連絡がないということで、冗談だったのかとも感じ出していた。

12月に1週間上京した折も、具合の悪い姉に気を取られ気がつけば帰る日。

それまでどおり札幌に戻った。 なんなんだろう?と思った。

では、婆の口から聞いたのはいつか?

2月、姉の体調の悪さが頂点に達し、うちの子どもたちに猛烈にあたりだした。

電話やメールで話を聞いても、一向におさまる様子がなかった。

その猛烈な様子に長女が持たなくなり、家を出てしまった。

喧嘩腰の姉の言っていることの根っこを想像すると、

どうやら婆とコミュニケーションがとれていないのが最大の原因のように感じた。

その状況は異常で、2月の半ばだったというのに引っ越しの予定も姉は知らされていなかった。

ここを何とかしないとわが子への攻撃はやまないと考え *子どものような人  につながった。

なんとかかんとか日付はゲットしたのだが、それっきりだったらしい。

婆が詳細を私たちに知らせないという状況は、私が到着してからも変わらず。

何時に誰が荷物を取りに来るのか、手は足りているのか、なあんにもわからなかった。

荷造りはしているのだが、家の中にはまだ彼女のものがあちらにもこちらにもおかれたまま。

あれもこれも、どおするつもりなのよ!!と怒りでむんむん。

もうはらんなか 「くそ婆」 の黒雲でいっぱいになりながら、

無視することに決めた。 「早く出ていってくれ!」

結局、何の説明をすることもなく、楽しそうに旅立っていったのだが、

圧巻は、大きな家具は処分をしていってほしいという姉の希望から、

玄関先に積み上げられたベッドやタンスはどういうこといなっているのか、わからなかった。

それがわかったのは二日後。

婆のところに通ってきていたヘルパーさんが、婆に翌週一日掃除に入るように頼まれていて、

その確認の連絡を入れてきてくれ、粗大ごみは彼女がすべて任されているということがわかった。

掃除に入ってくれるのはうれしいのだが、その日は姉も通院日。

子どもたちもいるかどうか定かでない。鍵をどうしたらよいかと聞いたら、

「鍵、お預かりしています」 びっくりした。 そんなもんだろうか・・・?

「鍵は返してもらえるんですか?」 「婆は、ほかに鍵を渡している人はいませんか?」

半分切れながら矢継ぎ早に、かわいそうなヘルパーさんを問いただした。

 

まあまあまあ、それからの私は帰る日まで、婆の日常を処分するのに費やされた。

日常に使い薄汚れたものを、そのまま何もせずに置いて行った。

要は自分が持っていきたいものだけ、寄って持っていったのだ。

物入れまるまる手つかずにしてある場所もあった。

とうてい私の残された時間では、片付けることが叶わず、

今度来た時に処分するから、でてきたものは全部納戸にほおりこんでおいてと子どもたちに託してきた。

私の立ち位置は、彼女にとってそういう始末をさせていいものだからいいんだろう。

最後に小遣いも置いて行ったし・・・「遊びに来てね」と笑顔で言っていったが、

そういう付き合いを残そうとしているのなら、

先方に到着したら「着いた」くらいは連絡してくるものだろう。

玄関先で手を振って別れてから、何も連絡がない。

すべてがこの一事に集約されていると思う。

 

お別れできて本当によかったと感じている。

人生の中であんなに面倒な人は、これから先も出てくることはないだろう。

本当にホッとしている。それは、婆も同じだろう。

 

 

 

 

 

コメント (2)

プロ野球 オープン戦

2013年03月25日 | 日記

愚痴愚痴とつらかった話や、苦労した話が、とめどなく続きそうな今の私。

明るい出来事もあったので・・・

 

昨日、末っ子と 日本ハム×ヤクルト を観戦しに札幌ドームまで出かけた。

座ったのは当然だが外野ビジター応援席。

北海道に住んでいると、とくに札幌では野球に関してはファイターズ一色だ。

たまに東京に出かけて、そうかプロ野球のチームってたくさんあるんだよなあと思う。

道民だが変わり者の末っ子のおかげで、ヤクルトの選手もいくらかはわかるが、

やっぱり地元日本ハムの選手のほうがよくわかる。

とくにこの人!

  

私の携帯ではこれが限界だった!

昨日、ライトで先発した 大谷翔平選手。 

実際はもっと近くにいるように感じる場所で、プレーしていた。

すらりとした大谷君がにこっと笑って、慣れない手つきでスタンドに手を振る様は初々しくて、

頑張れ! しか言葉がなかった。

センターの 陽 岱鋼選手がよく声をかけ、指示も出している様子が見えて、

育成ってこうやってすすん行くものなんだなあと感心した。

試合は日本ハムが前半あまり調子が出ず、なんとなくもやもやした中ヤクルトが先制。

東京音頭の大合唱になった。

が、杉谷選手、大谷選手のヒットに続き、

代打の神様 二岡選手 の一発で日ハムの流れができ追いつかれた。

それでもヤクルト踏ん張った!

同点引き分けで、オープン戦の最終を締めくくった。

 

最後にもう一つ。

野球でもサッカーでも見かける当たり前の光景だが、

私はいつも感心する。

はい、ビールの販売です。 

すごいよね!まあ、それが仕事と言ったらおしまいなのですが、3時間から4時間の試合の間中

ドームのせまい急な階段を、あの重いタンクを背負って上り下りしながら売り歩きます。

ソフトドリンク売りも平台にたくさん並べて、バランスとりながら売り歩くのですが、

外野応援席では攻撃中は販売しないなど、細かな配慮もあります。

学生アルバイトさんだろうが、若い時にしかできないこういう経験て素晴らしいと思います。

 

 
コメント (2)

東京の話し   「姉の癇癪」

2013年03月24日 | 徒然に、

日付が変わらない程度の時間に実家にたどり着いた私を待っていたのは、

体調が今一つおもわしくない姉の癇癪だった。

落ち着いて振り返って、話していたことを考えると、何より 

「私を誰も気にしてくれないのよ」 というのがいいたいことのようだ。

その時は、わあわあ言うから、何が言いたいのやらさっぱりわからなかった。

姉の負担を減らしてやりたくて東京に出かけたつもりだったのだが・・・

「あんた(私のこと)だって、私のためじゃなくて、婆のために来たんじゃないの!!」

に、かっとなった。

 

3月15日 姉は定年退職を迎えた。

昨年12月に治療を受けて以来欠勤を重ね、この日を迎えた。

残念だが、ホッとした気持ちもあると思う。

「退職のために会社に行ってくれると助かる」という話だったので、それに合わせて予定を組んだ。

が、私が仕事先に調整を頼んだり、飛行機の手配を終えてから、

「人事の人が家まで来て手続きしてくれて、私物は宅急便で送ってもらうことにしたから

あんた、来なくてもいいわ」 と言ってよこした。

そう言われたってもう、仕事の代行の手配を頼んでしまったあとだ。

軽くそう言ってもらってもなあと思いながら、予定通りの日程で上京した。

私なりに呑みこんだ思いがあった上での姉からの一言で、

「15日に来てほしいといったのはあなたじゃない?」と言い返していた。

 

それは私の心のうちで、

まあまあまあまあ、あのばあさんはやっぱり飛んでもないやつで、

それに物言えぬ姉が欲求不満の矛先に選んだのが、うちの大学生3人と私だったんだなあ~~~。

今ならよーくわかる。

まったく、私の人生の中で、扱いに一番難しいばあさんだった。

これについては、また、頁を改めて語りたい。

 

 

 

 

コメント (1)