つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

朝、飛び起きたら

2012年06月29日 | 日記

ぽんと目が覚めてカーテンの向こう側が明るかったので、慌てて携帯をみたら 『6・29』

「しまった!! 寝坊した! 」と飛び起きたら、旦那が隣で同じように慌てて布団を抜け出した。

「あ、ドイツ×イタリア戦だ!」と私も一緒にテレビの前に並んで座ったら・・・・・・あれれ?試合が始まったばかり?(3時半キックオフ)

まあいいかと、ゆっくりサッカー観戦をながら、朝の支度をした。

 

あれだけ鍛えているサッカーの選手でも、心のありようで、どうにもならないもんなんだなあ。

きっとドイツの選手は『勝つ』ことだけが見えていて、相手のイタリアが見えていなかったのではないのかしら?

前評判はドイツだったはず・・・しゃにむにやりだしたときには、もう時間が無かったという感じだった。

 

イタリア勝ったなあ・・・凄かった!! 決勝はスペインとだ。 いい試合になりそうだ!!

 

ちなみにお気づきと思いますが、私が勘違いした『6・29』は今日の日付でした(苦笑)

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三日やったらやめられない・・・篠田 節子

2012年06月29日 | 本・・・

この作家の名前をみて、どう言う作家だかわからなかった。

読み始めたら面白くて、裏表紙の経歴を探してはじめて「女たちのジハード」の作家だときがついた。

流行ると手が出ない私の性分で通り過ぎ、そのままになってしまったのだろう。

ホラー作家とご本人は言っているようだから、書棚で見てもきがつかないのかもしれない。

いやあ、痛快だ!書いてあることがはっきりしていて好きだ。

いろいろそうだそうだと喝さいを挙げたエッセイがあるのだが、15年近く前にこれだけはっきりと、

今の状況に警鐘を鳴らしていることに拍手を送りたい。

 

 (前略) 本来ありえない人工環境をビル内につくり上げ、一歩出ればそのビルから吐き出された熱気とアスファルトの照り返しによる灼熱地獄が待っている。化石燃料を燃やし尽くすまで、こんなことを続ける気なのか、それともいくつもの過疎地を核燃料基地に変え、国中に原子炉を林立させるつもりなのか。(後略)―――四十女のルーズソックスから抜粋

 

役人を経験したという作家は、全部が全部庶民の視点ではない。だが、これは役所はこう言う視点でものを言い、行動に移していると解説してくれる。

そうかあ、そういうことかと思ったエピソードもあった。食わず嫌いはよして、直木賞受賞作から読んでみようと思う。

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論理の階段が見えない

2012年06月28日 | 日記

楽しい話題をとりあげようと考えていたのに、またまた、ここに引っかかってしまった。

 

小樽商科大学が春に起こった“事件”について、「明確な強要はなかった」と記者会見した。

第三者の私には親御さんの 「それでは、うちの息子が悪かったということなんですか?」 という言葉の答えが見つからない。

それが多くの大人が持つ考え方ではないだろうか? 小樽商科大学が積み上げた論理の階段が見えない。

 

えらい大学の先生に「明確な強要をしなかった」とお墨付きをもらった上級生の皆さんが、

普通のおばさんが言うことに耳を貸してもらえるとは思わないが、

1年でも2年でも山にこもって修行をした方が、このまま未来に向かって進むより

ずっとずっと短い時間で立ち直れると思うよ!それは間違いない。

俺は何でもないよというのであれば、そういう自分がどういうものか考えた方がいい。

「勝ち組」にはなれるかもしれないが、品格は手に入らない。

何か不思議なものの上に積み上がってしまった階段は、二度とがっちりとすることはないだろう。

ずっとずっと難しい場所に立たされてしまっているんだ。 甘えることなく進んでほしいと心から願うよ。

だって、君たちは生きているんだから・・・。

 

北に一星あり、小なれどその輝光強し 

 

それに憧れて努力している君たちの次に続く若い者たちがいる。

彼らは張りぼての山の頂を目指しているのではなく、本物の山を目指しているのだ。

 

 

 

 

 

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学校の先生が入墨?

2012年06月27日 | 子育て

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120626-00000533-san-soci

 

これは耳を疑った。 私は感覚がもう古いのだろうか。

反社会的組織のお兄さんたちが入れる刺青、 それからいわゆるファッションタトゥーと言われるもの、

また、宗教的な意味を持つ入墨 を同じ俎板に載せて論議しても話は通らないだろう。

それにその筋のお兄さんにもいろいろ事情はあるだろうから、更生しようとしている人間を行政が指導監督してしていると観れば、

大阪市の清掃業務の職員に●●モンモンの兄ちゃんがいても、それはある意味正しい状況だろう。

 

だが子どもを指導する立場の教員が、何を思って入れた『入墨』なんだ?

まさか、その手の方ではないだろうし、反省しているというから宗教的なモノでもなさそうだ。

ということは流行のタトゥーと言われるやつか…あきれてしまう。

 

入墨をしていた事実よりも反省しているという点に、この人は教員としての資質があったのかな、

もし足りなくても、それを補う努力はしていたのかなと感じた。

まあ想像するに、それがどういうことなのか自覚しないでやってしまったということなんだろう。

そして私が思うのは、その考えの浅さをそのまま教育現場に持ち込んだという点が、一番問題ではないかということ。

何だろうが、それによって起こるすべてを受け入れる覚悟を持っているのなら教師であっても、入墨でも鼻ピアスでもする権利はあると思う。

画一的な生き方をしている教師ばかりがいるよりも、それくらいはちゃめちゃな生き方をするものがいる方が、

教育の現場には良いとさえ思う。 要するに、周りの人間や子どもたちを感動させられる生き方をしているかどうかなのだ。

それが出来ないのであれば、絶対入れてはいけない。

入墨は、髪を染めるのとは違い、やっぱりやめたということが難しいからだ。

 

歌手や芸能人、スポーツ選手などが入れているのを目にすることが増えて来た。

初めはギョッとしたがこのごろは慣れたのか、彼ら、彼女らのものとして受け入れられるようになった。

それは入墨を認めたのではなく、輝いている彼らの生きざまを受け入れているからだと思うのです。

彼らは、そういう人生を受け入れる覚悟や努力をきっちりとしている。

それを教員と言う仕事をしている人間が、見落としてはいけない。

 

人を育てるというのはとても大変なことだ。ましてや、自分よりも吸収力のある若い世代に向き合う職業で、

彼らの尊敬を得るのは生半可なことではないだろう。

だが機をてらったやり方で子どもの人気を得ても、それは一過性のものでしかない。

教員はもっと本質のところで子どもの注意を引くように研鑽を重ねるべきだと、私は考えている。

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少し哀しい

2012年06月26日 | 子育て

これは数日前、朝日新聞声欄にとりあげられた意見。

 

その少し前に若いお母さんが 「PTAなどの子育て組織の活動を、専業主婦が支えている」 ということを大きな柱に

“配偶者控除廃止反対” の意見を述べていた。 それに対する反論。

私も専業主婦を長くしているから、専業主婦のお母さんの言いたいことがわからないではないが 

“配偶者控除廃止反対” と結びつけるには、余りに希薄なもののように感じた。

それよりもそれによって “外で働くお母さん” と “専業主婦” との対立が浮き上がってしまったのが、残念でならない。

外で働いているお母さんと、はらいていないお母さんの事情の違いは、PTAの活動で乗り越えなければならない大きな問題だと思う。

個々の学校やPTA、クラスのメンバー、お母さん個人の関わり方で、それぞれの状況が変わるので、

声欄に出て来たお二人にどうのこうのとは言えない。 でも、一つ気になったのが、

看護婦さんらしいこの働くお母さんの 「・・・女性が働くのが当たり前の時代・・・」 という表現だ。

これでは働いていない女性は立つ瀬がない。

この方も 「・・・専業主婦を選択するかしないかは、それぞれの家庭の考え方でしょう・・・」 とおっしゃっているのだが、

攻撃の手を緩めない。 これはこの人たちだけではなく、どこのPTA組織の中にもある小さないさかいだと思う。 

哀しくなる。

働いていようが、働いていまいが、PTAという子どものための組織の中では、親と言う立場で同じ仲間のはず。

その仲間が争っているのだ。 こういう面では、女ってどうしようもないと思う。

子育ては親だけではどうにもならない。 周囲の大人が力を合わせて、ようやくなんとかなるものと実感している。 これは間違いない。

そこを忘れて自分の都合ばかりを言い募るから、PTAの活動に信頼がおけなくなる。 そういう負の連鎖があるように思う。

「専業主婦が支えている」 と言いきってしまったお母さんにも、言葉が足りないと感じる。

子どものためにできることはやるのは仕事を持っていようが持っていまいが当たり前で、自分が専業主婦でよりたくさん負担していると感じようと、

それが、今、ここで、我が子を含めた子どもたちを育てるために最善の策であれば、無理のないということを前提に引き受けるべきなんです。

仕事をしていても私はこんなにやってるわ! というのも、その反対に無駄な摩擦を増やすばかりでいただけない。

やらないこと、やってくれないことを非難しても始まらないのだ。

 

“配偶者控除廃止の是非”は、十分に話合わなければならない問題だと思う。

それは子育てをしている人ばかりが関わっていることではなく、すべての配偶者(この場合、女性も男性も関係なく)が引き受けることだ。

それを自分のことだけに結び付けてしまったことが、どうにも論争が的を外れたように感じてならない。

きっと 『論理の階段』 が足りないのだろう。 もう少し段数を増やして論破し、子育て世代の事情を主張すべきだったと残念に思う。

 

最後にもう一つ、PTAのこの手の話題で、働いているお父さんのことは出てこないのが女性の奥ゆかしさなんだろうなあ。

加納朋子の『七人の敵がいる』にも、それが書かれていたっけ・・・。

担任の先生が男の、しかも同じ子育て世代だったりすると「先生はお子さんのPTAどうしてらっしゃるのですか?」と尋ねてみたくなる。

 

ああああ、今日はこんな争いごとではなく、最終回を迎え始めたドラマの話を書きたかったのになあ・・・

それはいずれまた、・・・・・・か。

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