つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

没後10年 古田足日のぼうけん  を観に行った

2024年09月17日 | 日記
これも図書館にあったチラシで見つけた
 
横浜にある神奈川近代文学館で開催されている
旦那様にチラシを見せたがあまり芳しい反応がなかったので、一人で、

地下鉄を乗り継いでみなとみらい線の終着駅 元町中華街駅
なんだかわからないが
港の見える丘公園の中を歩いて…たぶん、歩きやすい道があるんだろうが、
わからず進んだ先が結構な階段
えいやっと上ったが、上りきって休憩が必要だった
 
でも、開けた場所に出たら、見えた風景が素晴らしかった








この先、ローズガーデン、大佛次郎記念館の横を通って
 
 
 
素敵なたたずまいだった
 

とても面白かったのですが、私の知識量では説明が難しいので、

「好書好日」の記事を添付させていただきます

「没後10年 古田足日のぼうけん」開催 代表作から未完の作品まで、子どもたちの生きる力を追い求めた足跡をたどる|好書好日

「没後10年 古田足日のぼうけん」開催 代表作から未完の作品まで、子どもたちの生きる力を追い求めた足跡をたどる|好書好日

『おしいれのぼうけん』(童心社)や『ロボット・カミイ』(福音館書店)で知られる児童文学作家・古田足日(たるひ)さん(1927~2014)の活動の足跡をたどる企画展「没後...

好書好日

 

私は、古田足日の本をあまり読んでいません

 

どの本も、編集者と画家と時間をかけて作ったものという説明がありました

根っこにある信念のようなものががっちりしていて、三者が磨き上げた本なんだと感じました

私はもう少し緩みのある、抜けたところのあるものが好みなので、

これまで手に取ることが少なかったんだろうと思いますが、少し真剣に読もうと思います

 

また原画が素晴らしかった

丁寧な仕事で、殴り書きされたような線も実際には落ち着いて描かれた線でした

印刷されたものって、その絵の良さをだいぶ引いてしまう…仕方がないが残念

いい時間をすごしました

 

せっかく横浜くんだりまで出かけたが、暑いし、階段上りでいささかぐったり

ぶらぶらすることもなく家路についた

旦那様が一緒なら中華街でご飯でもとするのだが…ちょっとこれは惜しいことした

もう少し涼しくなったら、大佛次郎記念館でも誘ってみようと思う

 

 
 
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15歳 少年兵の記憶……という展覧会名にひかれて

2024年09月16日 | 日記

“15歳少年兵の記憶 僕は、駆逐艦「雪風」から散っていく命をみた”

 

という展覧会案内のチラシを図書館でみかけ、行ってみたいと思った

先日シベリア抑留者名簿を個人で和訳に取り組んだ方の話を聞いたという旦那様にも声をかけた

場所は、新宿住友三角ビル33階 帰還者たちの記憶ミュージアム

 
こういう施設があると知らずにいた








 
展示してあるものに興味惹かれるものが多かったが、
この施設のなんとも贅沢なありさまに少し違和感を感じた
 
入場料は無料
こういう内容だから入館者は、年配者か、どうも関係者という感じがする
棚や、設備は新しく、きれい…でもなぜここに???
 
行くまでは気が付かなかったのだが「総務省委託」と明記してあった
もやもや感はここにあるような気がした
 
私の母方の祖父は戦前樺太で事業をしていた
尻に帆掛けて逃げてきたようだが、ロシア人のことを差別用語で呼んでいた
父方の祖父はそのころ砂防の権威で、中国に渡る話があったそうだ
亡くなった叔父が「あの時行っていたら、俺は残留孤児だったな」といっていた
祖母の具合が悪くなりその話は流れたと聞いている
 
シベリア抑留 
戦後の復員
 
引き揚げ事業は困難を極めたと父母から聞いている
 
だが総務省が事業委託までして、こういう形で運営することになんかもやもやする
予算が潤沢な様子にもひっかかった
 
誰に見せるためのものなのか
図書館や博物館の中でないというのも、そういうものなのかともの知らずは首をかしげる
 
ご苦労されたのだろうとことはわかるが、反発心も起きる
この年になっても上の世代への反抗期なんだろうなあ
 
先日観たNHKドラマ「昔は俺と同い年だった田中さんとの友情」で、
田中さんは「周りに流されて万歳万歳と出征する兄を送り出してしまった 
自分の頭で考えなければいけなかった」と最後に言う
 
あの当時は上からの命令に逆らうことはできなかったのだろう
でも、だからといってそれで済む話ではないと「田中さん」はいっていた
 
やるならば、もう一足踏み込んだ考える場にしなければいけないのではないか
と、この施設に関しては思った
 
 
 
帰りは久しぶりに新宿の高層ビル街の中を歩いて駅に向かった
 
 
 
空にこんな雲が、秋が近いといいなあ





 
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くら寿司チャレンジ!

2024年09月12日 | 日記
歌舞伎に行った日
 
歌舞伎は幕間を含めると時間がかかる
そう“幕の内弁当”というか、食事をする時間がとられているから
午前中に始まる1部に行っても帰りは夕方になる
 
旦那様は午前中で仕事が終わるので「私は夕方だから」とだけ伝えてあった
歌舞伎が終わり「終わったよ」とラインを入れたら「くら寿司いかない?」と返事が来た
 
こちらに来てから時折「くら寿司に行ってみたい」といっていた
どう考えても旦那の口に合うはずがないと考えて、
何度も「あれは鮨じゃないからね、くら寿司だからね!」と話していた
 
それでもはやりのリーズナブルな回転鮨に行ってみたかったのだろう
「了解」と返事をした
 
時間を見計らって…
 


 
たまたま運がよかったのかするするっと入れた
というか入店から着席、注文…諸々のことがすべてセルフ作業だ
私は以前次女にスシローに連れて行ってもらったことがあるだけ
じじとばばはあれやこれやすったもんだしながら、
「くら寿司」にありついた


 
ネタの鮮度……ふむ、大きく望みようもなく
しかしすごい技術だよなあ…このネタの薄さ
マグロは握りより巻物のほうが味が感じられた




会計も勝手にレジだが…クレジットカードがうまく通らず
レジが「店員を呼んでください」と…で呼び出しボタンを押したら、
出てきたのは日本人ではなく、レジのトラブルだけ解決していなくなった
何が悪かったのか説明がなかったので、大丈夫かとカードをさしたらまた止まってしまう
どうやらカードの磁気に汚れがあったようだった
こういう機械操作で躓く年寄りはいやがられるんだろうなあ、と思いながらなんとか支払いが完了
 
ままごとのようだった
遊んでいるようにくら寿司を食べた
 
旦那様は意味ありげな笑いを浮かべながら、それでもこういった
「スシローにも行ってみたい」
 
え?
 
「スシローの鮨は鮨じゃないからね!くら寿司とスシローの違いは、
トリトンとなごやか亭の違いみたいなもんだからね」と叫んでいた
 
私はもういいなあ…どうせならおいしい鮨を食べたいけどなあ
行きたいなら仕方がない つきあうんだろうなあ
ちなみにスシローは今回行ったくら寿司のちょうど向かい側にある
 
 
 
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九月大歌舞伎

2024年09月12日 | 日記
半年に一度の歌舞伎座行
 




わかりやすい勧進帳のほうがいいなと思ったが、
旦那様のことが面倒だったので、午前の部に行ってきた
 
二幕目の演目は、空海が中国に渡った折の物語で、
普通の演劇に似たものがあった
大陸風の衣装を身に着けた女形が、もう女性にしか見えなかった
歌舞伎の演目では「女形」として見ているのだと、自分の感性に驚いた
 
鬼というか、魔物が出てきて、うわあはっはっはっはと高らかに笑う場面があったのだが、
これは歌舞伎役者に勝るものはないのだなと感じた
様式美の先にある貫禄のようなものが圧倒的だった
 
 
今回、いつも以上に席が埋まっているように感じた
年配客が多いのは平日ということもあるのだが、
外国人の姿を多く見かけた
テレフォンガイドの受付で扱い方の説明を受ける姿があった
 
また半年後、今度はどんな演目に出合えるのだろう
 
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九十歳。何がめでたい から

2024年09月11日 | 日記
映画を観ました
 
 
痛快で、楽しくて、原作を読みたいと思いました
たまたま入ったブックオフで見つけ、ほくほくと頁をめくりました
 
佐藤愛子さん痛快に憤慨して、痛快に語っている
気持ちがよい
 
中で、こんなことあったっけ…?と思う記述があった
 




佐藤愛子さんは嘆いている
放課後、子どもが校庭でのびのびと蹴ったボールが誤って外に出た
「運が悪かった」と、昔ならそう言った事例ではないかと…
私もそう思い、この事故どういうものだったかとネットで検索した
 
誰が誰を訴えたかというと、亡くなった方の遺族がボールを蹴った少年の保護者に、
未成年者保護監督義務違反で賠償金を求めたものだという
 
子育てをしてきたものとして、どうしてこういうことになったのか気になった
なんでこの遺族は親を訴えたのか???不思議だった
あれこれ書かれたものをつまみ食いしながらなるほどと思った
 
当初、骨折して入院したこの85歳の老人のもとに見舞いに訪れた少年と保護者に
この方は「気にするんじゃない」といっていたそうだ
だがその入院が老人性痴呆を誘発して、食事中に誤嚥を起こし、肺炎に進み亡くなっている
 
確かにもとは飛び出してきたボールが原因だが、
裁判に進むほどこじれたのはどうしてだろうと思った
佐藤愛子さんの言われる通り、運が悪かったと気持ちを治めることのできる事故ではないのか??
 
悪いが、被害者側も85歳の老人である
今なら免許返納を考える年齢だ それを家族はどのように受け止めていたのか
相手が若い人なら軽々よけていたものかもしれない
少年側にしてもこのことは不運だった
 
また、少年は放課後の学校の校庭で、
校庭に起これたサッカーゴールでフリーキックの練習をしていた
親に責任があるのなら、学校はどうなんだろう?
サッカーゴールは門に向かっておかれていて、
門や塀の高さは1.3メートルだったという
 
食事中の誤嚥まで少年の責任がいえるのだろうか?
 
この少年、保険に入っていたようだ
対物、対人、そういえばそういう保険がある
子どもがたまたま壊してしまった、けがをさせてしまったときの保障だ
その保険会社との話し合いがこじれて、裁判になったという
 
考えてしまった
この保険がなかったら、どうだったのだろう
 
子どもを守るためにと用意されたものが、
結果として大人が寄ってたかって多感な少年期に苦しみを与えてしまった
彼は今どうしているのだろう
 
佐藤愛子さんの怒りが胸にしみた
 
 
 
この裁判、一審二審は遺族側の勝訴 保護者に賠償金が求められた
普通ならここで裁判の負担を考えると控訴を取りやめにするらしいが、
この保護者についた弁護士さんはあきらめきれず上告した
私の説明に齟齬があるといけないので記事を添付します
<最高裁・逆転判決>小学生が蹴ったボールで転倒し死亡――親の「賠償責任」認めず - 弁護士ドットコムニュース

<最高裁・逆転判決>小学生が蹴ったボールで転倒し死亡――親の「賠償責任」認めず - 弁護士ドットコムニュース

いまから11年前、学校の校庭でサッカーをしていた小学6年生の男児(当時11歳)が蹴ったボールが道路に飛び出し、それをよけようとした男性(80代)が転倒して、約1年半後に...

弁護士ドットコム

 

 

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