つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

旅立ちの朝

2012年03月30日 | 日記

「2時にゼミに行かないといけないから、早い飛行機で帰るわ」

という長男、学生の気軽さでまだチケットはとっていないらしい。

そして次女、昼過ぎの飛行機でいよいよ東京に向かう。

部屋の按排をしてやりたいので、私も同行する・・・親バカなので、ついでに彼女が世話になる大学を見て、

さらについでに親バカちゃんりんで入学式に行ってこようと考えている。 

 

“子どもを社会にお返しする” そういう表現を、子離れに対してすることがある。

今朝、次女と末っ子が二段ベッドの上と下で寝ている様や長男の寝ぞうを見て、

その言い回しが頭に浮かんだ。

いやそれよりも“ピーターパン”のウエンディのように 「子ども部屋を卒業する」 そんな “時” がきたんだ。 

親の手を借りずに歩きだす時  すごいなあ……よく、ここまで無事に育ってくれたなあ……

働き出すわけでもなく、何大げさなことを言うもんだが・・・。 

 

「部屋一人で使えるんだよね?」と不思議そうな表情の末っ子が、早速本棚をいじっている。

「東京に行った時、俺一人でさ、使いたい放題で…でも、今思うと、あのころ気持ち荒れていたと思うよ」

とぽつりと長男が言った。 

妹が次々と彼の元に集まることになり、気分が大分違ってきたようだ・・・そうか、きょうだいがいるってそういうもんなんだ。

長女も、次女も、兄がいるから、姉がいるから、と何の躊躇もなくその道を選べたのだろう。

部屋は狭くなるし、きっと喧嘩もするだろうけれど、長男も長女も、次女の決断の時に当然のように 「一緒に住む」 と反応した。

彼らにとっては当たり前のことだったようだ。

そんな話を聞くと、末っ子が笑って暮らせるようにと身ぶるいしてしまう。 

 

さあ、旅立ちの朝だ。

約束してほしい   幸せになると、   それが、   私があなたたちに望む “願い” です。

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

邂逅

2012年03月28日 | 日記

昨年12月だったか、雪がひどいころに我が家の目の前にラーメン屋さんがオープンした。
小さな小さなラーメン屋さんだ。店を開くのにこれという決まりは無いだろうが、
「なんでこんな場所に?」というのが始めの感想だった。だって、なあんにもない所ですよ…この一角は!

どういう店なんだろうと様子を見ていると、昼時など車がいっぱいになる。土曜日曜はひっきりなしだ。
噂を聞いたら、どうやら札幌・美園にある人気店の“のれん分け”らしい。
これは話のタネに一度食べにいかねばと思っていたが、なかなか機会を作ることが出来なかった。

ふと思いついて子どもたちを誘った。 春休みで末っ子が「一度食べたい」と言いだしたのが大きい。
車があふれている昼時は外したのだが、それでも10席余りの店内は満席だった。
しばらく店の入り口付近にあった場所に座って待とうとしたら、長男がいきなり興奮した。
その場所に一枚、店の前で撮ったらしい写真と一緒に色紙が飾ってあった。 日付は3月25日。

息子は25日朝一番の飛行機で帰って来た。 家でひと眠りして、夕方前に「なんたら言うグループ」のライブに出かけたのだが、 
その色紙は、そのなんたらいうグループのものだった。

「ええっ?ええっ?俺、寝てただろう…その時…俺、目と鼻の先で寝てだろう…!!」

「彼らラーメン屋めぐりしているんだよね!! でも、でも、ここに来たなんて!!  
リハーサルの合間にきたんだよなあ…母、早く教えてくれたらよかったのに!!」

そんなこと言われたって、このラーメン屋との因果関係が私に分かるわけがない! 
ラーメンをすするお客さん達の視線を浴びながら、息子は写メを撮り、ツイッターにつぶやきだした。 

なんと、息子の大興奮にラーメンを写メってくるのを忘れてしまった(笑)
飛びぬけて1番うまい!というところまでは来ていないが、しっかりと仕事のされたラーメンだった。
精進を続けて、なにか一つ図抜けた魅力を手にすることができれば・・・と思わされるものだった。
若くてなかなかイケメンの店長さんの横顔を見ながら、心の中で「頑張れ!」とおばさんは声援を送った。

息子が帰りがけ、その店長さんに色紙の方を見ながら「来たんですね」と声をかけた。
店長さんは笑って息子の相手をして下さった。
夢に見ましょう・・・長男がここで、そのなんたらいうグループとこの店長さんと並んで写真を撮ってもらう日のことを・・・。 


 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

語る

2012年03月28日 | 子育て

何だかいうグループのライブコンサートのため、長男が日曜日から“里帰り”している。

彼が入ると、次女や末っ子の語りの様子が変わる。
きょうだいとか、同世代とか、親じゃないとか、興味の方向が一緒だとか、
感想が似ているとか、……
いくつもの“とか”が重なり、滑らかに話が盛り上がっていく。
黙って傍にいて話を聞いているだけで面白い。
有り難いことに、彼らはそういう時に私を邪魔にしない。

夜、末っ子が「おやすみなさい」と布団に向かうと、兄と妹の語らいが始まる。
中学生の弟とは盛り上がりようがない話しが、次から次と繋がっていく。
いつもなら私もとっとと布団に向かうのだが、面白くて眠い目をこすりながら起きている。

そして、親と子の関係ってこういうありようもあるのだとわが子から教わっている。
私と父、私の姉と父にはありえなかった“何か”だ。
ああ、こういう風にあの人と付き合えばよかったんだと思うこともしばしばだ。
なぜできなかったんだろうか・・・私がいつまでも幼かったということが第一番だろうが、
もうひとつ大きな理由は、私の父親は、娘に追いぬかれようとしなかった。
最後まで娘の上にいる“父親”であろうとした。
私も子どもたちに「あんたには負けない!」という気持ちを持ち続けようと思っている。
それはいつでもそうあるべきだと考えるが、でも、成熟し出した子どもに負けることも必要だと感じている。
子どもに上手に追い抜かれること――ここまで育ったわが子に、その上に親が考えるべきことは、これなのかなあ…と、
毎晩の一時にじんわり思っている。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夜の運転

2012年03月26日 | 子育て

末っ子が春期講習に通いたいと言いだした。
学年末のテストがあまりに“素晴らしい”状況だったからだろう。
彼の通う中学校はこういう言い方は申し訳ないが、きっとお尻から数えた方が早いくらいの学校だ。
卒業生が集まると、悪さ自慢が始まるという。そんな感じなので、学年の成績の状況は言わずと知れた完全に二極化だ。
出来るものとまるっきりできないものに分かれ、 そこそこできるという子が少ない。
しかも聞くと成績上位者のほとんどが塾に行っているという。

なんとなく私にも旦那にも「中学校の勉強くらい塾に行かなくても分からなければこの後どうする?」
みたいな気分がありまして、 習い事の一環として塾ということに二の足を踏んでしまう。
これは「それでも学校に期待している」善意の保護者の塊みたいな思いがあることが、前提になっているのですが…。
流石に4人目ともなると、「期待は裏切られるものだ」ということを学んできている。
まあ、勉強でいうと学校だけでなくそれは塾にも言えることなのですが・・・。

今、もの入りのこの時に末っ子の春期講習代は痛いのですが、
幸いにサービス月間で、公開テスト代3100円のみでぱらぱらと、とびとびで7日間ほどある春期講習に通えるという案内がきた。
始めは歩いて通える教室が開講する予定だったが、生徒が集まらず地下鉄で2駅の教室に変更になった。
旦那は「自分で行け」と言ったが、このあと1週間ほど留守番を頼む私はサービスしたくて車をだした。

夕方から始まる教室に間に合うように出かけるので、当然ライトをつける。
夜に運転することなどここのところとんとなかったので、その動作で、今まで送り迎えをしてきたもろもろが走馬灯のように浮かび
「あれ、いつからしていないんだっけ?」という思いがじゅんとわいた。

プール、サッカ―、トランポリン、ヒップホップ・・・そして塾。

送ってまた迎えに行くこともあれば、その場で終わるまで待っているものもあった。
きょうだいのそういう習い事のある日の夕飯のメニューは、大抵、「カレー」か「焼きそば」
あらかじめ用意して出かけられるものと決まっていた。
風呂の支度や、終わる時間によっては布団の準備もして出かけた。 
まだ小さかった末っ子はよく付き合わされたっけ…。 

忙しかったなあ・・・

でも、子どもがやりたいと言ったことを助けてやれた…そんな懐かしい思い出だ。
早く着いた昨日のお迎え、ハザードランプを点滅させ塾の前の国道で待つこと10分。
「面白かったよ!」と末っ子が助手席に飛び込んできた。

これでいい。 「面白かった」と思ったなら、それでいいというものだ。
 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちょっと内職

2012年03月25日 | 日記

「スピーチオ」という道具をご存知の方はあまりいないだろう。
私も旦那が仕事で関わらなければ、想像は出来ても実際に見ることはなかったと思う。

スピーチオは、視覚障害がある方や高齢になり目が不自由になった方のための道具です。
紙に印刷された“SPコード”と呼ばれるものを読み取り、音声に変えてくれる道具なのです。

旦那に、原稿にSPコードが正しく入っているか一通り聞いてくれと頼まれた。
一枚、一枚“ゲラ”と呼ばれる校正紙をはさみ、読み取らせ、流れてくる音声を聞いた。
130枚ほどを聞いたのだが、その作業を繰り返しながら疑問が膨らむのを抑えられなくなった。

SPコードをスピーチオにはさんで読み取らせるのに、少々コツがいる。
それに目次があるわけでないから、どこに何が書いてあるかは聞いてみないとわからない。
もし何か知りたいことがあっても、この作業を繰り返し目的のページがくるまで、全部を聞かなければならないだろう。
だったら、こんな面倒なものではなくCDで十分ではないか・・・?

使うのは視力に問題を抱えている人達なのだ。その疑問を旦那にぶつけた。

「そうなんだよな…でもな、
まず、この書類は介助者と見る類のものだというのが一つな!
それから、これの目的は、目の不自由な人でも情報を手に入れることができる状況を整えているということだな…」

お分かりの通り、これは、お役所関係のパンフレットです。
SPコードをつけるのは、情報を伝えることが一番の目的ではなく、伝える体制があるということを見せるのが目的  ということだ。

ピュアな中学生だったら「そんなのおかしい」と声を上げるところだが、
私がしてきた経験が、そういうことも必要なことだと感じさせる。
SPコードが無ければ、目に不自由を抱えている人は自分の力で読んでくれる人を頼み、読んでもらうしかないということで、
それは「誰も助けてくれない」という気持ちを育ててしまう。
非力ながら、こういう努力をしている…いつでも声をかけて下さいという姿勢を示しているのだろう。 

人間のやることって、砂上の城で、こんなことばかりなんだろうなあ…。
切なくなる。
 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする