つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

窓の外は真っ白だった

2010年11月29日 | 日記
昨日降るはずがさっぱりで「天気予報がはずれたね」などとのんきに言っていた。
気持ちが雪に向いていなかったせいか、今朝カーテンを開けて雪が積もっているのを見て、結構ショックだった。冬が来た。
しんしんと雪が降り積もる…。言葉がない。
それで、昨夜冷え込んだのかァ…。
起きてきた娘に声をかける「雪だわ」
これで自転車が使えなくなったので、彼女は歩いて学校に通う。最後の最後が結構な上り坂なので、その下まで来ると嫌になると、初めての去年はよくぼやいていた。出がけにくじけて、仕事先が同じ方向の父親に「車で送ってくれないか」と声をかける様子を目にしたものだ。今年は頑張ると言っているが、本当に雪との生活はため息しか出ない。
始まったなあ…。
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11月26日

2010年11月28日 | 日記
いい風呂の日・ペンの日
だったこの日は、“嵐”のおーちゃんの誕生日でもあった。

高校生の娘は、この日定期テストの最終日、午前中で家に帰ってきた。
たまたま家で仕事だったパートナーと三人、近所のイタリア料理店にランチをしに行った。シェフが一人で切り盛りするこの店は、素材にもこだわり、一皿一皿を丁寧に作ってテーブルに出してくれる。小さな店で10人も入らない。一度、ランチに入り、そのこだわりと情熱に感心し、時折ランチに来ている店だ。
我が家の末っ子、恥ずかしい話だが好き嫌いが尋常なく多い。学校給食のおかげで大分口に入れるものが増えたような状況だ。そのため、彼のいる時間にこの店に来ることができない。もっぱらランチ専門だ。

ファンクラブの会報でおーちゃんが同じTシャツを着ていたという、いわくつきのシャツを「今日はおーちゃんの誕生日だから」と着てきた娘と話をしながら、前菜とパスタのランチ、それに食後にコーヒーを頼んだ。
値段はしめて1200円。毎日は困るが、たまに贅沢するには手ごろの値段だ。

彼女は、理系教科が不得意だ。
不得意だが、頑張って向き合う姿勢がある。わが子ながら偉いと思う。泣きながら食いつくのだ。彼女のすぐ上の娘もやはり理系教科ができなかった。この娘は、わからないのはこの科目が悪いと考え、勉強することを放棄した。同じ親と暮らしていても、同じ女の子でも、いろいろ違うことだらけだ。

「おーちゃんね。東京ドームでサプライズがあったんだって」
幸せそうに“嵐”の話をする娘の様子に幸せを感じる。
昨日、札幌ドームで買ってきた相葉君のポスターが部屋に貼られた。

なんでもいい、日々、笑って過ごしてくれるのなら。

おーちゃんに「おめでとう」を言いそびれたが、
いい三十代を笑って過ごしてほしいと“嵐”ファンの娘と共に願っている。

今日、11月28日は税関記念日だそうだ。
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いじめ・・・2

2010年11月28日 | 徒然に、
札幌の中学生が自殺してしまった。痛ましいニュースだ。
いじめを苦にした遺書を残しているという。

文部科学省が児童・生徒の問題に関する調査で用いるいじめの定義は「子どもが一定の人間関係のある者から、心理的・物理的攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」で、「いじめか否かの判断は、いじめられた子どもの立場に立って行うよう徹底させる」としている。(ウイキぺディアより)

どういう状況があったのかは定かではないが、この場合、本人が「いじめられていやな思いをした」と書き残しているのだから「いじめはあった」のだ。
わからなかったとか把握できなかったということは、いつでもあることで、だからこそ、今回のような悲しい結末が出てくる。

この事件に関わりを持った人たちの心がいやされる日が来るのを祈るばかりだが、
どうもひっかかるのだ。
連休直後、学校は全校集会を開いた。これは当然のことだが、校長が命の尊さを訴え死んでしまった少女の父親のメッセージを読み上げたという。
その後、カメラの前に現れた校長の表情にも、ざらつくものを感じた。
ネットを観ていると、この少女の保護者と学校に信頼関係が築けているからだということが出ていた。
信頼関係…?

わが子が死んでいるのだ。
しかも病気や事故ではなく、自殺だ。
目の前に学校を苦にして死んでしまったわが子が横たわっているのだ。
どうして、学校との信頼関係を保っていられるのだろうか。
男親は違うのだろうか…。
私なら、状況を受け入れることがまずできないだろう。泣くことがあるのだろうか。
泣きだしたら止まらないだろうと思う。
いつくしんで、悩み苦しみながらやっとここまで育てたわが子だ。
自分を悔やんで悔やんで仕方がないだろうと思う。

事件から二日もたたないときに、この親御さんは
死んだ娘の同級生たちにメッセージを届けている。

私がざわつくのはここだ。
あなたは、なぜ、娘のためだけにそこにいないのか。
そのお子さんにしてあげられる最後のことではないか。
親がなりふり構わず自分の死を嘆き悲しんでくれる。
それで、彼女は救われるのではないか。

この少女には、もしかしたら学校にも家にも居場所がなかったのかもしれないと感じた。

新聞・テレビ・ネット、情報は偏ったものだと思う。わからないこと、知らないことばかりだと思う。そのうえで非難をしてはいけないのかもしれない。
でも、同じ年ごろの子どもを持つ親として、この保護者の方にききたい。
あなたが今やるべきことは、お子さんの死を悲しむことだけではないのか。

金曜日、札幌市内の中学校・小学校の学校長が教育委員会に集められた。
たまたまテレビを観ていたら、末っ子の通う小学校の校長の姿があった。
この校長先生、事務能力のようなものは素晴らしいのですが、どうも子どもと向き合う部分がいただけないと感じている。笑っていることが少ないのです。
外でであっても挨拶が返ってくることがないのです。
教室で傷ついた子どもは、どこでその傷をいやすのでしょうか。
それは、他の先生方の暖かい笑顔や、いつでも話を聞くよというムードではないでしょうか。あいまいな言い方で申し訳ないのですが、そういう「空気」のような部分が、わが子の学校長には足りない感じがするのです。だから、テレビに映った校長の顔を観ながら
「あなたはそんな集まりに出るよりも、子どもの中に入って遊んで話を聞いて、学校周りの掃除をして見せたほうが、はるかに子どもの救いになるんじゃないのかしら」と思っていました。

大人の形式通りには子どもは動きません。
自分をみて!!と彼らは叫んでいるのです。

言葉が足りない部分が多いと思います。誰かを傷つけていなければいいと思いますが、言いたかった。悲しんであげている人はいるのか!と…。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/261308.html

http://www.nhk.or.jp/news/img/logo_nhknews.png

http://www.news24.jp/nnn/images/news24_logo.gif
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いじめ

2010年11月25日 | 日記
札幌の中学生が自殺をしてしまった。
原因は「いじめ」であったようだ。残念です。
ニュースで中学校名は報じられていないが、札幌市内でも偏差値の高い学校という話だ。
気に入らないのは、テレビにあらわれた学校長に真剣さを感じられなかったことだ。

先週だったか末っ子が学校から持たされた「いじめに関するアンケート調査」の用紙を出し、「これ記入するから隣に座っていて」と言った。
この用紙は長男、長女のころはなかった。末っ子が小学校に入るか入らないか位から導入されている。「いじめ」は状況があったかどうかではなく、「いじめられた」と思ったかどうかで判断されるようになった。相手のことを考えずに投げつけられる行為や言葉に傷つく子どもが増えたための、苦肉の対応である。

では「いじめられている」に○をつけると学校はどういう対応をするか。
まず保護者に連絡をとり、どういう状況なのかが話し合われる。相手がわかれば、相手の保護者が呼ばれ話し合いがもたれる。
末っ子のことで言えば親の目から見て、「いやだ」ときっぱりと言えない彼は幼稚園のころから「いじめられている」とみている。学校から保護者と一緒に書くようにと渡されるこのアンケートに、低学年のころは「いじめられている」に○をつけていた。先生から懇談を持ちたいと連絡をいただき、その都度話し合いを持っている。
その当時、息子には「●●君、意地悪されているよ」と、PTAの仕事で学校にいることの多かった私に声をかけてくれるクラスメイトがいた。だから、いじめられているとは思っていたが、そういうお子さんがいてくれる限り、子どもの力に任せようと考えていると答えてきた。そうやっているうち学年が上がるにつれ、彼は「いじめられているし、いじめたこともある」に○をつけるようになった。息子の言い分によれば「僕くらいは誰でもやられているから、僕も我慢できるし、きっと僕も誰かに意地悪していると思う」だった。最終学年になって「いじめられていないし、いじめてもいない」に○をつけた。彼をとりまく状況がよくなったとは決して思わないが、そう言える気持ちのゆとりが出てきたのだと思っている。
私から見て、彼に直接的な「いじめ」があるとは感じないが、遠回りな陰湿なものは感じている。だが、彼は「いじめられていない」という。だから、今、彼に対するいじめは存在しない。本当にそうだといい。ある日、彼の心が折れてしまうことはないのだろうか。親の心配はつきないものだ。そして、突然折れた途端に、いじめがあったことになるのだろうか。

今、テレビで「死んではいけない」とまことしやかに話す前出の学校長。
死んでしまいたいと思うような状況を見逃したことをもっと真摯に受け止めてほしい。
わかっている。学校には何にもできない。先生方に気がつくだけのゆとりも力量も不足している。それでも、テレビに出てくるときにもっと他にあるだろう!

若いあなたたち、死んではいけない。

今の苦しみを乗り越えたときに、また、同じ苦しみが来ることもある。
でも、人生苦しいことばかりじゃない。生きててよかったなや、生まれてよかったなと思える出来事も結構あるものだ。あきらめてはいけない。
時間はかかっても、笑って過ごす日が必ずやってくるものだ。必ず…。

死んではいけない。お願いです。死なないで…。
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“嵐”のような“イチロー”

2010年11月24日 | 徒然に、
奈良美智さんのブログを再度読み返していて、思い出したことがある。
2年ほど前だったか、野球のワールドカップ(?)が札幌で開催された。
まだこの地にいた息子が“イチロー”を観ることできるチャンスと勇んで出かけていったことがある。
彼が帰ってきて興奮した面持ちで言った。
「イチローは観るべきだよ。彼は本当にスターだ!」
バッターボックスにたっただけで球場中がくぎ付けになる空気があったそうだ。

土地柄、日本ハムファイターズやコンサドーレ札幌の試合には時折末っ子と観覧に出かける。
テレビでしか見ることのないスポーツ選手たちの華麗な動きも素晴らしいが、
通り一遍のルールしか知らない私でも、楽しかったなと思うのは球場に集まった人たちの様子だ。

「すごいなあ」とそこに集まった人全員が感じる「何か」を持った一握りの人たちがいる。
その人の持つ特異な才能を観に行く部分と、感動を感じに行く部分と、
音楽にしろ美術にしろスポーツにしろ、人は「感動する」ことに喜びを感じるのだろうと思う。

現役の“イチロー”が真剣にプレーする姿を観るチャンスはあまり多くないだろう。
それでも、機会があったら、プレーを観て感動したいものだと思っている。
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