深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

『オカルト生理学』を読む 2

2016-04-30 23:27:48 | 一治療家の視点

ブログに「『オカルト生理学』を読む 1」を書いたのが2013年3月。しかし、書かれている内容があまりに不可解で理解しがたいため、その後、本は長いこと放りっぱなしだった。が、この本をネタにセミナーをすることにして、3年ぶりくらいに取り出して読み直している。

ちなみに、『オカルト生理学』というタイトルは一見すると「これってネタですか?」とツッコミを入れたくなってしまうところもあるが、もちろん原題『Eine Okkulte Physiologie』の忠実な日本語訳で、その内容は1911年にプラハで行った8回に渡る連続講義の講義録である。そして、そこに書かれているのは一般の解剖学書、生理学書などとは全く違う、人智学(霊学)的な視点から考察した人体生理学だ。

この本に限らずシュタイナーの述べていることは、すべからく彼が高次の超感覚的な力によって得た(と主張している)ものであり、霊的に未開発な通常の感覚器官ではなく、そうした霊的修行によって得た超感覚的な力によって知覚したものこそ真実である、というのがシュタイナーの主張だ。だから例えば、シュタイナーはこの本の中で我々が一般的に知る人体解剖を「外的な解剖学の教える空想的な解剖図」とまでこけ下ろしている。

だがそれはまた、そうした超感覚的な力を持ち得ない私などにとっては、シュタイナーの述べていることの真偽の検証すらできないものであり、私が『オカルト生理学』の内容が理解できない、というのもそういう理由によるところが大きい。ただシュタイナーはこうも書いている。

私なら見霊者の眼が捉えたものを、しばしば人がするように、こじつけだとはとらずに、それを信じるでも信じないでもなく、ひとつの考え方として受け取るだろう。そして、その立場に立てば何が認識できるようになるのかを調べるだろう。そして神秘家が述べていることを従来の生理学の方法によって、外からの観察によって追認できるかどうかを調べるだろう。


さて、今回は『オカルト生理学』から、血液と血液循環についての話を紹介しよう。

シュタイナーは人体を構成するもののが、物質体、エーテル体、アストラル体、そして自我という階層からなっていると述べている。そして身体器官の中でアストラル体に対応する部分が神経系、自我に対応する部分が血液であると。

通常の西洋医学的な解剖・生理では、血液循環を体循環と肺循環に分類する。
体循環とは酸素を豊富に含んだ血液が心臓を出て体中を巡り、全身の細胞に酸素を供給すると同時に二酸化炭素を受け取り、心臓に戻るまでのルート。肺循環はその二酸化炭素を多く含む血液が心臓を出て肺に行き、そこで二酸化炭素と酸素のガス交換を行ない、再び酸素を豊富に含んだ血液となって心臓に戻るまでのルートである。

それに対してオカルト的な血液循環は、小血液循環と大血液循環に分類される。小血液循環とは心臓と頭部を結ぶ血液の循環ルート、大血液循環は心臓と頭部(脳)以外の内臓諸器官を結ぶ血液の循環ルートである。実はオカルト生理学でも、血液が酸素や二酸化炭素、栄養素や老廃物を運ぶ、という点では西洋医学と変わらないが、霊学的には血液にはもっと重要な働きがある。それは「血液は、内的外的な印象を神経が書き込むための黒板のようになっている」ということだ。そして上に述べたように血液は自我に対応しているから、そうした印象(表象内容)を神経が血液に書き込むことで、それらは自我にまで持ち込まれるのだという。

頭部にある感覚器官が得た、我々の体の外の世界──外的宇宙──からの知覚情報(印象)は神経系を介して小血液循環に流れる血液へと転写される。同じように内臓諸器官による内的生活からの情報(印象)は大血液循環に流れる血液へと転写されるが、「1」に述べたようにオカルト的には、その臓器にはそれぞれ惑星が対応付けられているから、内臓諸器官は全体として1つの宇宙──内的宇宙──を構成している。

つまり小血液循環と大血液循環は、それぞれ1人の人間の外的宇宙の印象と内的宇宙の印象を血液という黒板に書き込むことで自我へと持ち込むためのルートである、ということだ。もう少しザックリ言うと、血液は酸素や栄養だけでなく自我という人間の核心を担う部分への情報をも運んでいる、ということになるだろう。

さて、バイオダイナミックなクラニオセイクラル・ワークでは、ボディマインドを構成する要素を組織、体液、ポーテンシー(生気)とし、その中の体液については「知性を持った液体」と見る。

クラニオにおける体液とは主に脳脊髄液を指すのだが、「知性を持った液体」である体液と「自我の道具である、内的外的印象が書き込まれる黒板」である血液とは、どこか重なる部分がある。だから、上に述べたようなオカルト生理学的なイメージでクラニオを行うことで、西洋医学的な解剖・生理のイメージでは捉えることのできないところまで捉えることができるかもしれない。

というわけで、そんな話をしたセミナーのダイジェスト動画もオマケでつけておこう。



ところで、ちくま学芸文庫からはシュタイナーの本が4大主著のみならず講義録に至るまで数多く出されているが、現在なぜか『シュタイナーの死者の書』と、この『オカルト生理学』だけが絶版となっている。『死者の書』についてはよく知らないが、『オカルト生理学』は復刊.comに復刊の要望がかなり寄せられていて、それなりに需要のある本だと思うのに絶版とは解せない話だが、何か事情があるのだろうか?


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