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『ダークナイト』が到達したところ

2008-09-05 00:29:33 | 趣味人的レビュー
クリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト』が人気だ。都内のチケット・ショップでは、前売りがことごとく売り切れになっている。「そんな映画、知らないよ」という人は、まずは『ダークナイト』の公式HPへGO!

『ダークナイト』は、ノーランの『バットマン・ビギンズ』に続くバットマン・シリーズの第2作に当たる。私は前作を観ていないが、映画の日に『ダークナイト』を観に行ってきた。

バットマンとジョーカーとの戦いを描く『ダークナイト』は、アメリカン・コミックス(アメコミ)を原作とするこれまでのハリウッド映画とは、かなり肌合いの異なる作品になっている。かつてジャック・ニコルソンがジョーカーを演じたティム・バートン監督の『バットマン』と比べてみると、その差はクッキリと鮮明である。

ティム・バートンの『バットマン』では、バットマン=ブルース・ウェインを「少年時代に目の前で両親を殺害され、成人した後、有り余る資産にものを言わせて開発させた武器を手に、夜な夜なコウモリ男の扮装で現れて悪を罰する男」として描いた。この時点で既に、バットマンは明るい正義の味方ではなく、トラウマを抱えた男の歪んだもう1つの人格、という視点を持っている。またジョーカーについても、そういう行動原理を取ることになった理由を描くことで、物語が単純な「正義と悪の戦い」という構図にならないように作られてはいた。しかし、それでも最終的には「バットマン=正義がジョーカー=悪を倒して、街の治安は守られた」という形で大団円を迎えた。

だが、『ダークナイト』は違う。まず、自ら武器を手に悪を倒して回るバットマンも街では無法者の1人と見なされている。それだけでなく、彼が正義を成そうとして悪と戦うことが、新たな悪を生み出しているのだ(『ダークナイト』のジョーカーは、バットマンの正義が生み出した存在である)。正義を体現しているはずのバットマンが、同時に悪の根源でもある、という皮肉。それはまるで陰と陽の表裏一体を説く陰陽論そのもののようである。

更に言えば、『ダークナイト』では市警やバットマンが正義のために戦えば戦うほど、その内部に生じた悪によって、一体誰が敵で誰が見方なのかが、わからなくなっていく。もうそこでは「正義」「悪」といった色分けが全く無意味なものになってしまっている。そして、敵と味方、正義と悪…そんな二元論では語ることのできない、混沌として曖昧な状況の中で、バットマン自身も自らの行動の意味を失っていくのだ。

もちろん、これまでも戦争映画などで、正義と悪というものの曖昧さや揺らぎは描かれてきた。しかしハリウッド映画が、これほどあからさまに、これほど容赦なく、正義と悪とは不可分であり、その境界はどこまでも曖昧で、一方からもう一方へと容易に変わり得ることを描いたのは、『ダークナイト』が初めてではないだろうか。まさにニヒリズムの極致──それは9・11、そしてアフガン戦争、イラク戦争を経たからこそ、到達できた地点かもしれない。

しかし実を言えば、そうしたテーマは例えば手塚アニメが、もう40年も前から描いていたことでもある。『ダークナイト』は、「ハリウッドがテーマ性において、やっと40年前の日本に追いついた」ことを示す作品でもあるのだ。

そして今──9・11はタリバンとアルカイダによるテロとの公式見解にもかかわらず、アメリカの自作自演だったのではないか、という憶測は消えていない。一度は完全勝利し、アメリカの威信を世界に見せつけたかに思われたアフガンでは、タリバンが復活し徐々にその攻勢を強めている。イラクは完全に泥沼化し、出口戦略が全く描けない状況にある。更にサブプライム問題が引き金となったアメリカの金融危機は、ドルを基軸通貨から転落させかねない危うさを孕んでいる。もしそうなると、世界最大の債務国としてのアメリカの姿がさらけ出されることになり、アメリカを唯一の超大国とした現在のパワー・バランスは必然的に大きな変容を遂げることになるだろう。

アメリカとアメリカ人は、これから益々壊れていく可能性がある。それがどのように壊れ、そして壊れた彼らは、フィクションの世界で日本を越えていくことになるのか? 考えただけでワクワクする。実に楽しみだ。あぁ早く壊れないかなぁ~…とそんなことを半ば本気で考えている私もまた、ジョーカーになる素質はあるかも。

以上、もう何回目か忘れてしまったけれど、何回目かの9・11記念日を前に記す──

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3 コメント

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Unknown (論駄な日々)
2008-10-17 12:55:17
相互TBとコメントに感謝です。
『ダークナイト』をひとつの「到達点」としてみる視点は、きわめて示唆的ですね。アメリカ人の世界観と自己認識が揺らぎ始めたことを示す作品かもしれません。
それにしても、この映画、いろんなことを考えさせてくれる怪作ですね。
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善悪の彼岸 (sokyudo)
2008-09-05 22:48:21
receptorさん、コメントありがとうございます。

キリスト教では唯一絶対神を戴くため、揺るぎなき絶対善というものが存在し、その絶対善に対置される形で悪というものが存在するという、言わば絶対二元論のような考え方に傾きがちです。そしてその思想を病的なまでに押し進めたのがアメリカという国である、というのが私の理解です。

だから、アメリカイズムの宣伝装置であるハリウッドで『ダークナイト』のような映画が作られるようになった、ということは、アメリカイズム自体が大きく変容しつつあることを示しているのかもしれません。

そしてそれは、キリスト教に代表されるような一神教的な思想の終わりを意味しているのでしょうか?
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僕もダークナイト見ました。 (receptor)
2008-09-05 20:28:25
なかなか凄い映画でしたね。月に4~5本映画見るんですけど、かなり評判が高かったんですが期待以上でした。
正義も悪もその人の立ち位置次第だな!って改めて思った。哲学要素のある良い映画でした。
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