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黄真尹

2006-10-06 01:04:41 | kbsドラマ
KBS 2TV 水木ドラマ『黄真尹(ファン・ジニ)』( 2006)

初放送:2006年10月11日
放送時間:毎週水&木曜日 夜9時55分放映
演出:キム・チョルギュ
脚本:ユン・ソンジュ
出演:ハ・ジウォン、チャン・グンソク、ワン・ビッナ、リュ・テジュン、イ・イネ





■黄真尹(ファン・ジニ)(ハ・ジウォン役)
哀れな女性である。大犬座のシリウスの真っ直ぐな気性を持ち、生まれてくるなら両班の男として生まれてくればよかった。しかし愛に首を吊る妓生ヒョングムの火遊びのような恋から生まれた女性である。…妓生として生きるという避けられない命運を持って生まれた女だから、哀れなのである。
しかし嘆かない女である。人生というものが仕掛けた罠など、サッサと追いやることができる気性を持ち、詩、書、画を自由自在に操れる才能を持っている。悲しみを踊りと歌で慰める方法を知っていて、人の心を奪うきめ細かいコムンゴの旋律を奏でるのが彼女の役目である。何よりも愛し続けることができる、しっかりした度胸を持っているから彼女は嘆かない。

■ブヨン(ワン・ビッナ役)

彼女はサリエリである。無理に妓生として生きなくても、良い平民の娘として生まれたが、踊りが好きで教坊に入り、最高になるためにできる限りのあらゆる精進に務めた。たぶん黄真尹がいなかったら、彼女の才能は都城最高、いや朝鮮最高になれたかも知れない。しかし実に残念なことに黄真尹の才能は、ブヨンの才能以上だった。どうせ劣等感を感じるなら、才能を見分ける目など持たずに生まれればよかった。しかし思いとおりに行かないのがこの世の常、黄真尹の才能を一番先に見抜いたのは彼女だった。
だから彼女はさらに苦しんだ。できることならサリエりのように、黄真尹をゆっくりと死に至らしめたかったのかもしれない。そうでなければ、彼女の足を切ってそのまま世の中に背を向けてしまったかもしれない。それくらい天才は、努力する秀才の心を苦しめる。

■キム・ウノ(チャン・グンソク役)

黄真尹の初恋である。ほとんどの初恋がそうであるように、ひと時の夢のように短い恋で、そのせいで胸が焦がれる恋である。妓生との情愛は、ただ一時的な歯痛のようなものだと思うことができたらどうだったろう?両班の息子と妓生の恋は、現実ではよい結末を迎えないということが、賢く計算できたらどうだったろう?もしそうなら少なくとも、相思病で命を落とすような愚かな真似はしなかったかもしれない。
しかし彼の恋は優柔不断だった。またためらいも多かった。母親の怒りの前に二の足を踏み、父親のたくらみの前に当惑した。結局自分の優柔不断さに負けて死に至る病気にかかった。しかしその全てが愛である。亡者となって黄真尹を心行くまで見守る自由を得たのだから。

■ビョク・ゲス(リュ・ゲス役)
ひねくれた愛である。だからこの愛は腹立たしく、腹立たしいだけ痛々しいのも事実である。王室を親戚に持ち、男として生まれたが出世の夢のようなものは抱いてはならないのが現実。出世を夢見て権力への欲をかけば、それは即ち、いつ謀反という罠が彼の首根っこを捉まえるかわからなかった。だから彼は父親にそう学んだ。ひたすら風流を楽しみ、財物と勢力を操ることが、王室の親戚に与えられた人生だと…。

■ケットンイ(イ・イネ役)

官衛下婢の娘として生まれ、水汲みの召使として生きる彼女は、黄真尹と同い年の友達である。どうせ卑しい身分に生まれたのなら、もっと見劣りするように生まれつくか、それでもなければ世界を振り回す才能くらい持って生まれてくればよかった。しかしそれもこれも自分の分ではないので、卑しい身分の中でも一番下っ端の水汲み女、だから幸薄い。彼女にとってがやがやと賑やかな教坊が羨望の的である。妬ましさと嫉妬に苛まれる彼女は、いつも苦しんでいた。
しかし彼女は妓生になった。彼女の苦しみを快く分け合うと言ってくれた黄真尹を友に、彼女を娘のように大切にするヒョングムを師匠にする幸運に恵まれたからである。ただそうやって妓生として生きていくことが、彼女が享受できる最高の贅沢である。

■■ 企画意図 ■■
16世紀の初中盤を生きた名妓“黄真尹”は、資料が少なく、無数の噂と偏見が多い。これまで主に男性の視覚から見て、「性的に乱れていて淫蕩な、男性が好む、やや才能がある妓生」という意味だった。しかしドラマ『黄真尹』は、かなり女性的な視覚から見た黄真尹である。卑しい身分と極度の男性上位社会の女性という性的な束縛が、彼女の人生に悲劇的な原形を作り出したのだろう。黄真尹はそのような難関に順応せずに 自分が主役の人生を生きるために、時代に反旗を翻した人物として描かれている。そのためには彼女と関連した男性とのウワサを掘り下げ、彼女がなぜそうしなければならなかったかを推測する。黄真尹は実際、正史のどこにもその名前を発見することができない。しかし彼女が残した時調5首と漢詩7篇は存在する。漢詩を研究する学者は、黄真尹の詩1首が金時習(キム・シスブ)の詩10首に匹敵するとまで評価している。

妓生である前に詩書画に長けた総合芸術家であった黄真尹の姿を、ドラマを通じて描いていく。ドラマ『黄真尹』は、単純に数多くの男性を渡り歩いた朝鮮時代の“宿命の女”の愛情行脚の物語ではない。男性遍歴までも実際は、彼女の人間的な完成のためだったということをこのドラマは語ろうとしている。

[http://www.kbs.co.kr/drama/hwangjiny/index.html]