将棋に生きると決めたはず自分が、森村先生の死によって、唯一の生存の拠りどころが色褪せてしまった。死んでも生き続ける人もいれば、死んだように生きている人もいる。まさに私が後者だった。
ひとつの転機は、森村先生の3回忌の時だったかもしれない。もう一度先生に会いたいと思った。死後の世界などには、ほとんど興味を持ったことがない。信じてもいない。どうすればと考えるうち、もう一度だけ、将棋に真っ向から取り組むことではないか、という結論に至った。考え抜いた結論というより、感情的に湧き上がってきたという方が正しいのかもしれない。以後、私はこれまでの棋士生活でもないほどに、将棋に打ち込んだ。具体的な目標は現在、女流タイトル3つを独占している菜緒からそれを奪うことだった。もし駄目なら、もう終りにしよう。私は覚悟を決めた。
もうひとつは、糸井仁六段の存在だ。同じ森村門下の3つ年下の男性棋士。彼を小学生時代から知っていて、小さい頃は「ひとし」とか「仁ちゃん」と呼んでいた。そんな彼が、いつの間にか大人になっていた。告別式の時も、先生と私の、師弟と父娘が混ざり合ったような関係をよく知っていて、肩を落とす私のそばをついて離れなかった。そして3回忌の時には「先生のためにもお互い頑張りましょう。どこかで見てくれていると思います」と励ましてくれた。そして、私がスランプから抜け出す手伝いをしたいとも言い出したのだ。
ひとつの転機は、森村先生の3回忌の時だったかもしれない。もう一度先生に会いたいと思った。死後の世界などには、ほとんど興味を持ったことがない。信じてもいない。どうすればと考えるうち、もう一度だけ、将棋に真っ向から取り組むことではないか、という結論に至った。考え抜いた結論というより、感情的に湧き上がってきたという方が正しいのかもしれない。以後、私はこれまでの棋士生活でもないほどに、将棋に打ち込んだ。具体的な目標は現在、女流タイトル3つを独占している菜緒からそれを奪うことだった。もし駄目なら、もう終りにしよう。私は覚悟を決めた。
もうひとつは、糸井仁六段の存在だ。同じ森村門下の3つ年下の男性棋士。彼を小学生時代から知っていて、小さい頃は「ひとし」とか「仁ちゃん」と呼んでいた。そんな彼が、いつの間にか大人になっていた。告別式の時も、先生と私の、師弟と父娘が混ざり合ったような関係をよく知っていて、肩を落とす私のそばをついて離れなかった。そして3回忌の時には「先生のためにもお互い頑張りましょう。どこかで見てくれていると思います」と励ましてくれた。そして、私がスランプから抜け出す手伝いをしたいとも言い出したのだ。