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ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

駒花(46)

2017-06-01 21:34:20 | 小説
将棋に生きると決めたはず自分が、森村先生の死によって、唯一の生存の拠りどころが色褪せてしまった。死んでも生き続ける人もいれば、死んだように生きている人もいる。まさに私が後者だった。

ひとつの転機は、森村先生の3回忌の時だったかもしれない。もう一度先生に会いたいと思った。死後の世界などには、ほとんど興味を持ったことがない。信じてもいない。どうすればと考えるうち、もう一度だけ、将棋に真っ向から取り組むことではないか、という結論に至った。考え抜いた結論というより、感情的に湧き上がってきたという方が正しいのかもしれない。以後、私はこれまでの棋士生活でもないほどに、将棋に打ち込んだ。具体的な目標は現在、女流タイトル3つを独占している菜緒からそれを奪うことだった。もし駄目なら、もう終りにしよう。私は覚悟を決めた。

もうひとつは、糸井仁六段の存在だ。同じ森村門下の3つ年下の男性棋士。彼を小学生時代から知っていて、小さい頃は「ひとし」とか「仁ちゃん」と呼んでいた。そんな彼が、いつの間にか大人になっていた。告別式の時も、先生と私の、師弟と父娘が混ざり合ったような関係をよく知っていて、肩を落とす私のそばをついて離れなかった。そして3回忌の時には「先生のためにもお互い頑張りましょう。どこかで見てくれていると思います」と励ましてくれた。そして、私がスランプから抜け出す手伝いをしたいとも言い出したのだ。

駒花(45)

2017-06-01 08:21:37 | 小説
先生が亡くなり、目標を失った私は、勝ったり負けたりの、凡庸な棋士に成り下がった。何のために指しているのか分からない。勝った嬉しさも、負けた悔しさも、以前とは比べ物にならないほど薄くなってしまった。女流3冠を達成した菜緒の背中など、全く見えなかった。菜緒はどんな世界を見ているのだろう?そもそも何故、私は将棋を指しているのだろう。これだけ情熱を失いながら。父親ばかりではない。見知らぬ人々からも「結婚でもして、辞めちゃえばばいいのに」という声なき声が耳に入る。「そうだよね」と心の中で呟いてみる。だが、それは無理なのだ。

20歳を過ぎた頃、男性と同棲した。1年ほど交際したあと、結婚を前提に生活を始めたのだ。しかし、うまくいかなかった。相手は一流企業のサラリーマン。私は勝った負けたで、日々、機嫌が大きく変わるらしい。勿論、自分では分かっていることだが、それを内側に抑え切れていないようなのだ。

それに加えて、掃除、洗濯、食事を完璧にこなそうという意識が強かった。相手に喜んで欲しいと思ってしているのだが、彼には重荷だったようだ。恋人が帰ってきそうな時間を逆算して、料理をテーブルに並べる。彼から「今日は遅くなる」とメール。私の気持ちはささくれ立つ。ましてや、将棋で負けたことと重なった時などは、相手にとっては、顔も見たくない存在にまで、避けられてしまうのだ。

彼が疲れた顔で「別れよう」と切り出し、私も「そうだね」という短い言葉しか出てこなかった。結婚は無理と悟らせた経験だった。私には、もう将棋しか残されていなかった。