「そうだね。まず、いま住んでるマンションは独りでは広すぎるから、ワンルームに引っ越すつもり」
有紗の前向きな声が耳に届く。確かに入院が長引けば、大きな出費は免れない。僕も全くの無力だ。自分の家族すら養っていく自信もない。有紗のことを思うと、藤沢は馬鹿な事をしたと責めたくもなる。しかし、彼も辛かったのだろう。誰が悪い訳でもない。僕の思考は激しく揺れ動いた。
「お金は大丈夫なの?」
「うん。孝志さんの両親は離婚していて、お父さんに引き取られたのは知ってると思うけど、彼が司法試験を諦めた頃から関係が悪くなってしまって。私の方は、父がいまだに孝志さんとの結婚を認めてくれない状態だから、話にならない。まさか子供のいる兄夫婦に頼る訳にもいかない。だから私が頑張るしかない」
有紗の言葉を聞いて僕の脳裏に浮かんだ事がある。離婚すればいい。別に逃げではないのではないか?周囲の協力があって初めて、新たな結婚生活が成り立つ可能性が生まれる。しかし残念なことに、少なくとも金銭的な手助けは望めない状況だ。窮地に立たされたからといって、有紗の給料が倍になる訳ではない。離婚すれば、彼女は自由になるし、藤沢は有紗を含め、皆の力を少しずつ合わせて、出来る限り、支えていくのが最善ではないのか?
しかし有紗に、この考えを伝える事はとても出来ない。間違いなく拒絶するはずだ。何を言っても綺麗事になるような気がした。
有紗は椅子から立ち上がり、変わり果てた藤沢を見て、肩を落とす僕に声をかけた。小さな声だった。
「坂木君にお願いがあるんだけど」
「何?俺に出来ることなら」
「ハグしてくれないかなあ?」
さらに声は小さくなった。
「えっ?」
全く予期していない言葉だった。
「こんな30過ぎたおばさんじゃ駄目かなあ?」
「何言ってるんだよ」
ためらいはなかった。僕は立ち上がるなり、有紗をきつく抱きしめた。
「もっと強く」
有紗が涙声で懇願する。僕は壊れてしまうのではないかと思うほどに、彼女の体に渾身の力を加えた。意識が戻らない、管につながれた親友の目の前で。有紗は何も言わない。僕は不安になり、少しずつ、力を緩めていった。彼女の呼吸は揺れていた。
「もう少しこのまま」
僕は有紗の願いどおりにした。しばらくして彼女が「もういいよ、ありがとう」とささやいたので、僕たちはゆっくりと体を解いていった。有紗の涙を初めて見た。もしかしたら、藤沢が自殺を試みた後も、彼女は泣かなかったのかもしれない。少なくとも人前では。
「ありがとう、坂木君。これで頑張れそうな気がする」
涙が頬を伝い、潤んだままの目で、有紗は笑みを浮かべて言った。
有紗の前向きな声が耳に届く。確かに入院が長引けば、大きな出費は免れない。僕も全くの無力だ。自分の家族すら養っていく自信もない。有紗のことを思うと、藤沢は馬鹿な事をしたと責めたくもなる。しかし、彼も辛かったのだろう。誰が悪い訳でもない。僕の思考は激しく揺れ動いた。
「お金は大丈夫なの?」
「うん。孝志さんの両親は離婚していて、お父さんに引き取られたのは知ってると思うけど、彼が司法試験を諦めた頃から関係が悪くなってしまって。私の方は、父がいまだに孝志さんとの結婚を認めてくれない状態だから、話にならない。まさか子供のいる兄夫婦に頼る訳にもいかない。だから私が頑張るしかない」
有紗の言葉を聞いて僕の脳裏に浮かんだ事がある。離婚すればいい。別に逃げではないのではないか?周囲の協力があって初めて、新たな結婚生活が成り立つ可能性が生まれる。しかし残念なことに、少なくとも金銭的な手助けは望めない状況だ。窮地に立たされたからといって、有紗の給料が倍になる訳ではない。離婚すれば、彼女は自由になるし、藤沢は有紗を含め、皆の力を少しずつ合わせて、出来る限り、支えていくのが最善ではないのか?
しかし有紗に、この考えを伝える事はとても出来ない。間違いなく拒絶するはずだ。何を言っても綺麗事になるような気がした。
有紗は椅子から立ち上がり、変わり果てた藤沢を見て、肩を落とす僕に声をかけた。小さな声だった。
「坂木君にお願いがあるんだけど」
「何?俺に出来ることなら」
「ハグしてくれないかなあ?」
さらに声は小さくなった。
「えっ?」
全く予期していない言葉だった。
「こんな30過ぎたおばさんじゃ駄目かなあ?」
「何言ってるんだよ」
ためらいはなかった。僕は立ち上がるなり、有紗をきつく抱きしめた。
「もっと強く」
有紗が涙声で懇願する。僕は壊れてしまうのではないかと思うほどに、彼女の体に渾身の力を加えた。意識が戻らない、管につながれた親友の目の前で。有紗は何も言わない。僕は不安になり、少しずつ、力を緩めていった。彼女の呼吸は揺れていた。
「もう少しこのまま」
僕は有紗の願いどおりにした。しばらくして彼女が「もういいよ、ありがとう」とささやいたので、僕たちはゆっくりと体を解いていった。有紗の涙を初めて見た。もしかしたら、藤沢が自殺を試みた後も、彼女は泣かなかったのかもしれない。少なくとも人前では。
「ありがとう、坂木君。これで頑張れそうな気がする」
涙が頬を伝い、潤んだままの目で、有紗は笑みを浮かべて言った。