ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

ライバル 清原と松井(4) 過去の日記から

2006-05-06 21:49:40 | Weblog
開幕からわずか10数試合、清原の肉体が早くも悲鳴を上げる。左脇腹痛。皮肉にも自らが作り上げたあまりにも強烈なスイングに体が耐え切れなかった。清原の登録は抹消された。その後、持病の左太もも痛にも悩まされ、ついに夏の暑い盛り、清原は長期戦線離脱を余儀なくされた。

ホワイトボードには清原から全選手に対してメッセージが残されていた。元木には「あとは頼んだぞ」。二岡には「もうケガはするな」など。そして松井に残した言葉は「三冠王の手助けが出来ずにすまん」。

清原はもう二度と帰ってこられないのでは・・・。そんな空気が充満していた。しかし、野球の神はまだドラマを用意していた。


    11月16日 新風舎 クリエイターズワールドより
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ライバル 清原と松井(3)  過去の日記から

2006-05-06 20:24:51 | Weblog
2002年、この年が同じユニフォームで並び立つ両雄の見納めとなる。

肉体改造から2年。清原はついに最強のスイングを手に入れた。ヘッドスピードは170キロ台となり、ボンズ、ソーサといった世界的な強打者と肩を並べるほどになった。あくまで私観だが、このときの清原のスイングがおそらく日本のプロ野球史上、最も速かったのではないだろうか。今にして思えば、この年が清原が爆発的な成績を残す最後のチャンスだった気がしてならない。

清原はオープン戦も好調だった。松井と違い、開幕に向けて徐々にテンションを高めていく清原は、この時期ほとんどホームランを打たない。しかし、この年は何本もホームランを打った。本人にしてみれば、それほど気合は入れていなくてもあまりに調子が良くて、自然にホームランが出てしまう。本来は右方向へ飛ぶはずの外角球でも、あまりのヘッドスピードの速さで左方向へ飛んでいく。そんな状態に見えた。

開幕後も清原の勢いは止まらない。スロースターターのはずが、凄まじいバットスイングで次々とボールをスタンドへ運んでいく。まさにピンポン球である。これにはさすがの松井も青ざめたのではないだろうか。しかしこの後、清原に悲劇が起こる。

    
    11月15日 新風舎 クリエイターズワールドより
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