初日の出や、高い山などに登ってのご来光を仰ぐといったことは目出度いと尊ばれる。
日出ずる国の住人としては早朝の出立など問題にならないほど重要なイベントなのだ。
ただやたらと早朝というところが引っ掛かって理想に現実が伴わない。
そこへいくと美しい夕日は以外と偶然にも出くわすことが多い。



おまけに、何故だか知らぬが沈んでいく太陽を眺めていると不思議な気分になる。
「もののあはれ」というものの説明は難しそうだが、人間の数だけ感じ方が違うものにある一定の方向性を持たせようという試みは洋の東西を問わず行われていて、西洋にも自然に対する感じ方を述べたものは多い。
しかし日本人の場合、自然から人事まで繊細で情趣、ものに感じて動く心をあらわな表現をとらないで伝える。
今もそうしたものに心を動かされるDNAが脈々と継承されている。
「もののあはれは秋こそまされり・・・」と言うが、秋を「夕」に替えても何の抵抗もない。

明るかった太陽が滅入し、華やかな夕焼けがやがて暗い静寂の中に消えていく。
滅びるものに対する特別な想いが、かつては流罪に処した者の魂を神と崇めて遇するような、それが自然に出来てしまう感性が日本人にはあるのだろう。
朝日の「あっぱれ」夕日の「あはれ」、違うのは場所と時間だけなのだが・・・。
「去年今年除夜の鐘の音初詣」

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日出ずる国の住人としては早朝の出立など問題にならないほど重要なイベントなのだ。
ただやたらと早朝というところが引っ掛かって理想に現実が伴わない。
そこへいくと美しい夕日は以外と偶然にも出くわすことが多い。



おまけに、何故だか知らぬが沈んでいく太陽を眺めていると不思議な気分になる。
「もののあはれ」というものの説明は難しそうだが、人間の数だけ感じ方が違うものにある一定の方向性を持たせようという試みは洋の東西を問わず行われていて、西洋にも自然に対する感じ方を述べたものは多い。
しかし日本人の場合、自然から人事まで繊細で情趣、ものに感じて動く心をあらわな表現をとらないで伝える。
今もそうしたものに心を動かされるDNAが脈々と継承されている。
「もののあはれは秋こそまされり・・・」と言うが、秋を「夕」に替えても何の抵抗もない。

明るかった太陽が滅入し、華やかな夕焼けがやがて暗い静寂の中に消えていく。
滅びるものに対する特別な想いが、かつては流罪に処した者の魂を神と崇めて遇するような、それが自然に出来てしまう感性が日本人にはあるのだろう。
朝日の「あっぱれ」夕日の「あはれ」、違うのは場所と時間だけなのだが・・・。
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