カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

8年前の震度7×2

2024-04-15 10:08:16 | 熊本地震

 朝から曇っていたが、とうとう降り出した。

 一日中この調子なのだろうか。

 さて、現在時11時ちょっと過ぎだが、8年前の今頃は地震の後片付けというより余震対策中だった。

 食器類や、2段重ね以上のものは全て床の上に段ポールに入れて水平展開。

 他県からの朝のニュースの電話インタビューも元気で状況を伝える余裕も。

 もっと強烈な震度7が襲って来ることも、本震と思っていたものが前震と名前を変えることも予想を超えていた。

 14日と16日の二度にわたりと表現されるが、実際は14日の夜と15日の深夜日付が変わって直ぐのこと。

 今でも2晩続けてのイメージしか湧かない。

 二度目の本震は、布団毎宙に浮いた感じを何度か受けた。

 ガラガラという屋根瓦の落ちる音が暗闇の中で続いていた。

 

 

 

 電気も水道も通信も交通も、ライフラインはすべて止まった。

 以後1ヶ月半にわたって、風呂は毎日郷里の温泉施設に通い、帰りにコインランドリーで洗濯をした。

 自宅は玄関に赤紙が貼られ、立ち入り禁止となっていた。

 自宅崩壊の危険性というより、隣家が我が家に倒れかかっているからとの予防措置だった。

 あれから8年が経過し、キャンピングカーに倒れかかったお宅も再建された。

 

 ▲(キャンピングカーのお宅の再建後)

 

 ▲(再建された橋)

 町の南部を2本の中規模の河川が流れているが、橋は2本くらいを残して全て崩壊した。

 その橋も、現在は全て架け替えたり補修がなされている。

 倒壊家屋等で幹線道路も緊急車両の通行がままならなかったが、拡幅工事は現在も続いている。

 

 ▲(幹線の四車線化工事)

 現在計画の4分の1程度が完了している。

 

 ▲(完成した四車線道路を横断する園児達)

 急に広くなった道路に、青信号時間内に渡り終えることが出来ない園児達。

 一本の紐を掴んで列をなしているが、途中で転んだり靴が抜けて付き添いの先生も大忙し。

 どの車もノンビリとそのユーモラスな光景を見やっている。

 

 ▲(保存される震災遺構)

 活断層が明瞭に地表面に現われた箇所が数カ所あるが、その内の3箇所は震災遺構として保存されることになった。

 神社の階段、クランク状に曲がった畑の畔、そしてこのV字型に二つの断層が交わった谷川地区の断層。

 保存状態を良好に保つため、屋根を設置し地面にはシートがかけられている。

 謳い文句になっている「創造的復興」にはほど遠いが、復興はユックリだが進んでいる。

 街中から、古い昔ながらの造りの家はまったく姿を消してしまった。

 屋根を軽くするため、瓦葺きの屋根も新築ではほとんど採用されていない。

 我が家の瓦葺きも、震災後は珍しい部類になってしまった。

 地震を起こした2本の活断層のうち、布田川断層の半分と日奈久断層の大部分は未活動で残っている。

 我が町は、この二つの活断層の分岐点に近かった。

 災害は「忘れないうちに何度でもやって来る」が正しい認識だろう。

 「事件事故みな美しく油断する」・・・しろ猫

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前震から8年目の今日のこと

2024-04-14 17:16:51 | 熊本地震

 今日は朝から良い天気で、気温は27度c超えなどと脅かされる。

 J2第10節ロアッソ熊本Vcヴァンフォーレ甲府キックオフ14:00から。

 お握り弁当を持って、颯爽とスタジアムへ。

 入場待ちの列が早くから続いていた。

 

  ▲ (入場待ちの列)

 列に並びながら入場ゲートの方を見やると、何やら子馬に乗った少年が目に付いた。

 

  ▲(子馬に乗った少年)

 入場して場所だけ確保して、再度場外に出て日陰の芝生の上で弁当を食べた。

 その後、楽しそうな子供達の集まった場所へ・・

 どうやら、移動ミニ動物園らしい。

 

 

 ▲(子馬に乗って記念撮影)

 記念撮影の後は、グルリと周辺を回る。

 子供達が次々と列をなしているので、子馬も休憩無しで頑張っている。

 

  ▲(山羊)

 

 ▲(鴨?)

 置物のようにじっとしている鴨たち。

 

  ▲(犬)

 子供達からどんな扱いをされようが、まったく動じないのは全ての動物に共通している。

 

 ▲(ウサギ)

 

 ▲(ヒヨコ)

 

 ▲(亀)

 

 ▲(豚)

 

 ▲(ロバ)

 この他、ヒツジ、モルモットなどが居たが皆温和しくしつけられている。

 ・・・・・

 さて、試合の方は8年前の熊本地震と今回の能登半島地震の犠牲者に対する黙祷から始まった。

 試合は3:3の引き分けで、勝ち点1を分け合う結果となったがとても面白かった。

 駐車場も予備の方に駐めていたので、出口が別でとてもスムーズに帰宅できた。

 ・・・・・

 さて、現在時間は18時少し前だから、後3時間チョットで一回目の震度7が襲うこととなる。

 今の私と同じように、地震など予期もしないでノンビリ夕方の一時を過していた。

 21時過ぎ、一人で焼酎のお湯わり飲みながら面白そうなテレビを見るため居間のソファーに席を移した。

 ものの数分もしないうちに、縦揺れ横揺れが始まり先ほどまで酒を飲んでいた席に食器棚が倒れてきた。

 目の前のテレビはキャスターごと、目の前の床を動き回っていた。

 沢山の偶然に助けられて、私は怪我も無く前震をやり過ごすことが出来た。

 次の地震が本震とも知らず、余震に備えて棚のものは全て床に置き、そのまま寝てしまった。

 相方は隣県に出かけており、自分一人の身を守ることに専念出来た。

 あれから8年が経過したが、「まだ」なのか「もう」なのかは何とも言えない。

 ただこの日は、以外と元気だった。

 ライフラインが次の本震でズタズタになるまでは・・・。

 「くたびれた時間を抱いて床につく」・・・しろ猫

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創造的復興?

2024-02-08 15:32:44 | 熊本地震

 今日は現在までのところ、晴れ時々曇りの予報通り。

 朝晩は冷え込むが、昼は幾分過しやすい気温まで上昇しそう。

 

 (午前中の空模様)

 今日は久々に街の外側に添うコースを歩いてみた。

 主として仮設住宅などの跡を回ってみた。

 

 (昨年撤収された仮設住宅の跡地)

 地震の後に町内では4~5箇所の仮設住宅が建設された。

 この場所の仮設住宅は、その中でも規模が一番大きかった。

 私の知人も何人が住んでいたが、昨年末で町内の全ての仮設住宅は建設から8年ぶりに撤収された。

 農地に建設されたものが多く、殆どは元の農地に戻して所有者に返還された。

 道路を挟んだ南側には、仮設の役場の庁舎が建っていたものだった。

 

 (仮設役場の跡地)

 ここも農地であったが、借上げて仮設の庁舎が建設されたが、元の場所に再建された。

 撤収した跡地は、買い上げられて町の複合施設が建設される予定で、現在基礎工事中。

 工事現場の向こうの建物は、町営復興住宅で仮設住宅等から入居した人達も多い。

 復興住宅は町内に6箇所くらい建設されている。

 住宅については、町の中心部ではまだ区画整理事業が進行中で家を建てられない人が沢山居る。

 テクテクと歩くと、今まで無かった道路の建設や拡幅工事が目立った。

 家屋倒壊などで、緊急車両の通行もままならなかったのだ。

 

 

 (道路拡幅と新設の工事現場)

 拡幅も新設も、いづれも前方に既に家が建っているのが気になる。

 

 (解体中の家)

 この家は、震災の数年後に再建されたものだが、残念ながら撤収の憂き目にあっている。

 まだ新築して5年くらいしか建っていないが、よく思い切って協力しているなと思った。

 暫く歩くと・・・。

 

 (新設の道路)

 新設の道路が、一軒の家の前で途切れていた。

 車道だけなら、十分な広さのとれる既存の道路がこの家の前を通っている。

 ところが、歩道も新設すると幅が足りない様子。

 しかも、道路の設計コースはこの家に向かって微妙にカーブし正面からぶつかっている。

 元はこの辺りは家は無くて、この家も3年くらい前に建てられたもの。

 私の頭に、?印のランプが3個ほど点灯した。

 ?1:何故、道路は左右の空き地を通らずこの家に向かって計画されるのか?

 ?2:何故、道路新設計画が有ったのなら、この場所に家を建てたのか?

 ?3:何故、住民は知らなかったのか、行政は周知徹底を図らなかったのか?

 まあ、町内を歩けば歩くほど??の数が増えるので、最近は数えないことにした。

 区画整理を待っていられない人達が、民間業者が整備した分譲住宅に集まる。

 そうした分譲住宅が何カ所か有るが、その住宅地の外れに花畑があった。

 

 (花畑)

 ヒマワリやコスモスの季節の花が一面に咲き誇るが、今は芝桜がやっと咲いている程度。

 眺めていたら、向こう側の土手に何やら花で文字が書いてある。

 「石川県 ガンバレ」の文字が黄色のパンジーらしきもので表されていた。

 復興の現実にうんざりしていた気分が、少しスッキリしてきた。

 「疑問符の次に疑問符列をなす」・・・しろ猫

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震災後7年、益城町の今

2023-04-16 15:49:09 | 熊本地震

 今日は4月16日、熊本地震の本震から7年が経過した。

 当日はライフラインが全て絶たれ、連絡手段は携帯電話のみだった。

 電池の消費を抑えるため、掛かってきた電話に対応するのみで、発信は子供達への安否報告のみ。

 地震の実態は自分の足で確認した。

 10日くらい経つと、次第に情報自体が落ち着いたものになり、受け手の方も落ち着いてきた。

 

 (地表面の偏移図)

 活断層が町の南側に、東西に走っていたので地表の偏移も東西に1.5mほどずれている。

 南北は0.5m程度で比較的小さい。

 時間と揺れた方向が記録され、地震から7年後の今も情報交流センターの展示コーナーの床に貼り付けてある。

 

 (活断層)

 阿蘇方向から伸びた布田川断層は、我が町を通って宇土半島方向へ伸びている。

 我が町で分岐した日奈久断層は八代市(日奈久町)から海へ伸びている。

 今回の地震で動いたのは、益城町付近の布田川断層の一部と、分岐した日奈久断層の一部である。

 本来の活断層のほとんどは、今回の地震では動いていないことを認識すべきである。

 

 (我が町の活断層)

 町の南部を通っている筈の布田川断層の系列で今回新たに3本の活断層の支線が見つかった。

 我が家は②の断層の破線の途切れたあたりに建っている。

 家の位置の微妙な違いや、比較的新しい建築基準法による建屋であったため倒壊を免れたようだ。

 あれから7年、町の復興は進んではいるが早いとは思えない。

 

 (4車線化工事の開通区間)

 先月末に開通した部分は、隣の熊本市の境界から800mだけである。

 全線開通は、5年後くらいになる予定。

 

 (内水排水施設)

 地面の地盤沈下もあって、堤防より低い地域の雨水等排水設備の整備が急がれた。

 ほぼ完成し、今年の降雨期には稼働可能になるだろう。

 

 (完成した木山橋)

 ほとんどの橋が被災したので、架け替え工事が進められ、この木山橋が最後になる。

 ただ道路の拡幅工事が完成していないので、通行が可能になるのは当分先になる。

 

 (総合体育館)

 総合体育館は、町の施設としては一番早く再建された。

 

 (町役場)

 仮設のプレハブ庁舎で7年間頑張ってきたが、今年の3月に新築が完成した。

 まだ入居はしておらず、5月のゴールデンウイーク明けくらいに移転予定。

 公的な建物や、インフラの復興は進んでいるが住民の復興は当分先になる。

 区画整理事業や、道路拡幅工事が終わらないと家の新築も、新しい店舗も開けない。

 転出者も続出した。

 当面の生活のために、10年も先の完成を待っていられない人々が沢山居たのだ。

 基本計画の10年が、3年後にやってくるが今の状況をみると・・・さて。

 ただ、完成は見届けたいものだ。

 「どうせなら明るい未来夢にみる」・・・しろ猫

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震度計が壊れる程の震度7

2023-04-15 13:49:21 | 熊本地震

 震度7は「本震」だと思っていた、と言うよりテレビも本震の後は余震が続くと注意喚起していた。

 「前震」と言う言葉は、夜半日付が変わって直後の1時半前に発生した震度7の地震の説明用として生まれたもの。

 「震度7の本震」の後の「余震が震度7でしかも本震より強烈」だったとは説明できない話なのである。

 ただ、14夜の震度7の後は、15日は震度4程度の地震はあったものの、比較的穏やかだった。

 

 (今朝の里山)

 音を立てて降っていた雨も上がって、里山も麓と頂上付近だけをのぞかせていた。

 この山が見えるのも手前の建物が見えるのも、久し振りで周りが全壊した後の風景に似ている。

 その後再建され、遠くの山も見えなくなったが道路拡幅工事のため又もや壊されて更地になった。

 下痢も治まってきたし、閉じこもってばかりも気が滅入るので少し歩きに出た。

 

 (交流センターの献花台)

 地震の直接の犠牲者や関連して亡くなった方々を慰霊するための献花台が設けてある。

 昨日は初日だったので、沢山の報道関係者も集まって賑わいを見せていたが、今日は人気は無かった。

 

 車中泊の車で埋まったグラウンドも、高校生達のサッカーの試合で盛上がっていた。

 

 (雨水の溜め池)

 溜め池も、春先には沢山いた鴨たちもいなくなり、牛蛙のヴォーヴォーという鳴声だけが響いていた。

 当時の15日という日は、避難所に避難した人達も自宅の様子を見に帰ったり、後片付けをしたりするような日だった。

 かなり傷んだ被災家屋に帰って、片付けたりしながらそのまま家で休んだ人々から多くの犠牲者が出た。

 

 (午後の西空)

 少し明るくなったかと思えば、厚い雲が覆うということを繰り返している。

 当時の私も、内部は物が散乱していたが建屋自体は問題はなかったので2階の寝室で寝た。

 夜中に布団ごと持ち上げられ落とされるような衝撃で目が覚めた。

 携帯の緊急音が流れたのはその後である。

 強烈な縦揺れが続いた後、横揺れが長く長く続いて立ち上がれなかった。

 外では屋根の瓦の落ちる音が続いていた。

 家の倒壊が頭に浮かんだ。

 瓦は落ちてくれた方が屋根の重量が軽くなるとか、倒れる方向は多分構造的に南西の方向とか。

 2階の東端の部屋だから多分1階よりヒシャゲずに残る公算が大きいとか。

 布団中での結論は、このままじっと布団の中で倒壊物から身を守っていよう、だった。

 とんでもなく長い時間のように思えた揺れも、やがて静かになった。

 夜明けで明るくなるまで、布団の中に居た。

 明るくなって、部屋を見回すと私が緩衝材として設置した布団や座布団の上にタンスもテレビもPCも乗っかっていた。

 想定外は仏壇が飛び出して、和室の真ん中で横になっていたこと。

 庭に出ると、落下した屋根瓦は両隣の瓦ばかりで、我が家のものは一枚も落ちていなかった。

 両隣とも避難した後で、家はどちらも無人だった。

 この後、電気は4日、水道は1ヶ月半こない生活が続いた。

 ネット環境が整ったのは、どのくらい経過していたのか記憶にない。

 避難所の携帯充電コーナーが、やたら混んでいたのは覚えている。

 家は建っていたが、隣家が我が家方向に倒れるおそれがあるとかで、玄関に立ち入危険の赤紙が貼られた。

 避難所は満員を越えていて、車中泊とその後息子が持参したテント生活を続けた。

 震度6弱以下の地震は数多く、震度4程度では驚きもしない自分になっていた。

 地震の詳細やメカニズムがいろいろ出てくるのは暫く後のことである。

 因みに我が町の震度計は、前震で壊れてしまい更に強烈な本震の方は熊本市の震度からの推定値である。

 この間、新聞やテレビのインタビューは何度か受けたが、前震の後の意気揚々さは影を潜めた。

 「車中泊やさしく照らす十三夜」・・・しろ猫 

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前震という名の震度7

2023-04-14 15:58:58 | 熊本地震

 今日は、朝からやや曇り空だったが、予報通り午後には雨が降り出した。

 7年前を思う日とすれば、天も日本晴れでは拙かろうということだろう。

 

 如何なる災害でも、起る前は平和なものであって7年前の今日もそうだった。

 ただ、かなり前から震度2~3程度の地震の頻度は高くなっていた。

 しかし、大地震の予兆として捉えるものはいなかった。

 当日のブログも、地震が夜だったので、その前にアップしたノンビリしたもの。

 相方は、長女の出産の手伝いで数週間前から家を留守にしていて、家には私一人だった。

 食卓で飲んでいて、面白そうなテレビにつられて居間のソファーにグラスを片手に移動した。

 移動しても30秒もしないうちにドーンと音がして食器棚が倒れた。

 飛び出した食器やその破片が私が先ほどまで座っていた椅子やテーブル周りに飛び散った。

 ソファーにつかまりながら、落下する食器やキャスター付きのテレビがコンセントを自分で引き脱いで部屋中を転げ回るのを眺めていた。

 揺れが収った後、情報収集のためテレビのコンセントを挿してやったら正常に地震情報を伝えていた。

 電気Ok・水道Ok・固定電話Okでインフラはほぼ正常だった。

 外の様子は分らないが、暫くしてテレビ局からの電話があった。

 翌日の朝のニュースでの電話インタビューに対応を依頼する内容だった。

 隣県のテレビ局だったが、部屋中の物の散乱以外は被害は無いし気丈に対応してみせた。

 この震度7が前震で、本震はこの後予定されているとは知るよしもなく・・・。

 

 

 取り敢えず、家の中の整理をしようと思ったが、余震を考えて暫く水平展開にしておくことにした。

 落ちるおそれのあるものは、あらかじめ床の上に並べ、倒れる可能性のテレビやPCの前には布団や座布団の緩衝材を広げた。

 暫く続くであろう余震に耐えれば、何とかなる。

 相方が留守で、二次被害などの危険が軽減されているのはもっけの幸いだった。

 田舎の墓まで、確認に行ったが墓にも異常はなかった。

 始めの震度7は、かくして通り過ぎたのだ。

 「落ちるだけ落ちて安定した食器」・・・しろ猫

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熊本地震は復興の途上

2023-03-29 13:48:05 | 熊本地震

 麗らかな春の一時、ゆっくりと歩いてみた。

 少し急げば汗が出そうで、のんびりかつキョロキョロしながら歩く。

 

 (桜と里山)

 桜はほぼ満開で、里山の下の部分を覆っているように見える。

 私的には花の雲にポッカリと浮かんだ丸い里山というイメージでパチリ。

 近くのグラウンドでは元気な子供達の声が響く。

 

 (ソフトボール大会)

 この大会、もうかれこれ4日ぐらいは続いている。

 応援も相当に熱が入っているので何事かと覗くと。

 

 (大会の横断幕)

 掲げられた大会の横断幕には、都道府県対抗日本中学生男子ソフトボ大会とある。

 此処の野球場は、4面しか取れないので全国となると長期になるのだろう。

 横断幕の一番下には、「熊本地震益城町災害復興記念大会」と記されている。

 我が町を励まそうと、始まった大会のようだ。

 確かに元気な子供達の声は、何よりも励ましになる。

 道路拡幅工事の一部供用開始区間を見に歩くことにした。

 

 (惣領木神社)

 我が町内の鎮守さまで、森とは言えない程だが大きな木が何本かあって、桜も花盛りだった。

 どこでもそうだが、道路拡張工事などでは、神社の敷地は少しずつ削られたりするのが通例。

 地域住民は神様に甘えることが多いのだ。

 

 (近所の工事現場)

 4車線化の工事も進行中だが、更地になった部分での新しい建築も始まる。

 やがて我が家への出入りも工事のため制限を受けることになりそう。

 

 (道路拡幅工事完了区間)

 実は、昨日この区間(熊本市~益城町入り口0.8Km)は開通したばかりで、供用開始2日目である。

 そこかしこに、バタバタして期限に間に合わせました感が漂っている。

 4車線化し、両側に自転車道と歩道を設置する予定だが、歩道・自転車道は片側しか完成していない。

 来年の今頃に、先ほどの神社のある交差点まで(約0.8Km)が開通する予定。

 さらに1年遅れて、私の住む地域が開通する・・かも、というあやふやな予定。

 4月が来れば地震から7年が過ぎようとしている。

 道路拡幅ひとつとっても、10年の歳月をかけても完了するかはあやしい。

 個々人の復興は、それから更に遅れる。

 今更ながら、災害列島に生きていることを思い知らされる。

 「時々は家間違える震災後」・・・しろ猫

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庭の花とポツンと一軒家風店探しの話

2023-03-13 13:43:21 | 熊本地震

 4月下旬並とか言われた高い気温が続いたが、今日は急に最高気温は13度とか。

 それでも、日中の陽光の下では暖かい。

 朝、雨戸を開けると最初に庭の庭梅の花が目についた。

 

 (庭梅の花)

 つい先日、一輪ほどの暖かさ等と喜んでいたのだが、あっと言う間に花盛り。

 鬼門を守るヒイラギ南天も、盛りを迎えた。

 

 (ヒイラギ南天)

 こうなると、彼方こちらに春の花が顔を出し始める。

 

 (花梨の花の蕾)

 

 (バラの蕾)

 

 (山川ホウサイの開花)

 山川ホウサイの花は目立たないが、香りで存在を主張する。

 ・・・・・・・

 今日は、相方と買物ツアーの後で、二三日後の着付けの仲間と出かける予定の食事の店の下見に。

 初めての店を探して、狭い田んぼ道を走ったり集落の中を走ったり。

 住所で探したナビは、とある集落で「目的地は右側にあります」と言って職務放棄。

 仕方がないので、集落のウロウロしながら走っていると、玄関に入りかけのご婦人を発見。

 「ぽつんと一軒家」風に言うなら、集落を走っていると・・・住人発見で、「スミマセンお尋ねしますが・・」までは、テレビ番組と同じ。

 ただ、番組と違うところは、「〇〇という名の店を探しておりますが・・・」という単なる店探しの話。

 結局、道路工事中で本来の道路が通行できず、ナビも放棄せざるを得なかったことが判明した。

 集落の人に教えられた別の経路で、とある看板もない店を発見できた。

 やれやれと、ご帰還と思いきや帰りに菜の花を摘むのだという話に・・。

 

 (菜の花)

 先日摘んだ菜の花の辛子和えは、訪ねてきた甥っ子にも好評で、直ぐ無くなってしまった。

 で、今日はもっと沢山採りたいということに・・。

 

 (摘み菜)

 常時携行のレジ袋にいっぱい摘み菜を詰め込んでご帰還となった。

 暫くは、いろいろな調理法で菜の花ばかりを食べることになりそう。

 まあ、菜の花三昧の嬉しい悲鳴ということで手をうとう。

 「ポケットに春の切符を忍ばせる」・・・しろ猫

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マラソン大会と空飛ぶ玉葱

2023-02-19 14:37:59 | 熊本地震

 曇っているが、とても暖かい朝だった。

 日曜の朝の、遅い朝食などモグモグやっていると世の中が段々暗くなってきた。

 

 (今朝の空)

 今日は熊本のお城マラソンの当日である。

 コロナで2回ほど中止されているので、久し振りの開催。

 雨が・・・降っている。

 昨日から雨天の予報だったので、ランナーはそれなりの覚悟はしている筈だが・・。

 それにしても暗い。

 

 

 (屋外灯が点灯)

 東西両隣にあるアパートの屋外灯が自動点灯してしまった。

 夕方の遅い時間帯と似た暗さに、条件反射的に雨戸を閉めてしまいそうだとは相方の弁。

 なるほど、勘違いしそうな暗さで、道路を走る車もライトをつけている。

 マラソンの方も、大勢のランナーがスタートする様子がテレビで中継されている。

 フルマラソンコース、国際公認の30Kロードレスのコース、4km弱の町中お楽しみコースの3コース。

 私も、むか~し昔、一度だけフルマラソンを沖縄で走ったことがある。 

 距離毎の通過時間を書いたメモを、パンツに忍ばせて確認しながら走った。

 キッチリ予定通り、5時間45分で走り切った。

 それ以降マラソンは、もっぱら見る方に転向した。

 ・・・・・

 地面を走るマラソンとは対象的に、我が家に空飛ぶ玉葱がやって来た。

 

 (空飛ぶたまねぎ)

 宮崎県産の玉葱で、新鮮なまま消費地に届けるために空輸されているらしい。

 宮崎県の北部、延岡に住む相方の親戚から届いた物である。

 段ボール箱には「空とぶ!たまねぎ」と書いてあった。

 試しに1個だけ、輪切りにしてオリーブオイルで焼き、醤油をかけて食してみた。

 とても柔らかくて甘味があり、旨かった。

 玉の部分だけでなく、茎の部分もついているが、普通に食べられるらしい。

 いろいろな食べ方を試してみたいと思っている。

 てな事を書いている午後のひととき、外が明るくなってきた。

 

 (15時の空)

 雲が薄くなり、太陽さえぼんやりと見え始めた。

 何と言うことだろう、どうやら雨は当地だけで、しかもマラソンの時間帯だけということらしい。

 主催者側にも、参加のランナー達にもとても思い出に残る大会だったろう。

 天候の急変やアクシデントなど、旅先での想定外の出来事が強く印象に残っていると、何年経っても特別な思い出として、残り続けるものである。

 空飛ぶタマネギが、近くの野菜屋のタマネギと違うのも、そこら辺りが勘所なのかも知れない。

 「お祭りはやはり火遊び水遊び」・・・しろ猫

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誕生日と白鳥と

2022-12-04 15:58:11 | 熊本地震
 
昨日の大きな鳥に再会

 昨日ウオーキング(堤防コース)の途中で大きな水鳥を目撃。 ハッキリ様子が見えないまま、夕刻の寒さを迎えたので、今日は日中の暖かいうちに出発。 もちろん、昨日と同じ堤......
 

 3日前に、町の南側を流れる川で白鳥を見た思い出を書いた。

 ところがブログでUPした当日に、去年のブログ記事として白鳥のことを書いていることが分った。

 思い出が、まったく一年前の事実と一致するとは驚いた。

 今年もひょっとして、と言う思いもあってここ3日ばかり同じコースを歩いている。

 

 (去年最初に見かけた場所)

 この川筋で、たまたま大きい白い鳥を見かけたのが事の発端だった。

 橋の上から眺めてみても、まだ姿は見えない。

 

 (去年と同じ位置から川面を望む)

 まだ全く姿が見えなかった。

 待てば来る相手ではないが、しばらく根気よくこのコースを歩くことにしようと思っている。

 去年は誰かが撮した朝靄を飛ぶ白鳥が、新聞に掲載されこの川が紹介されていた。

 夢よもう一度という私の願いが叶う確率はかなり低いが・・。

 遠くのグラウンドから元気な子供達の声が聞えてくる。

 

 

 (少年野球の大会?)

 付近の駐車場は満車状態で、しかも県外のナンバーが多い。

 福岡・宮崎・佐賀などのナンバーも多く見かけるので、きっと九州ブロックの大会なのだと思う。

 「一球入魂」の横断幕が、各チームのダッグアウト付近に共通的に掲げられていたのが印象的。

 白鳥の事もあって、昼間に歩くようになるとこうした楽しい場面にも遭遇する。

 

 (午後の空)

 空は曇りがちで、雨が降ることもあると予報では言っていた。

 今日は私の〇〇歳の誕生日で、ささやかに乾杯などをする予定。

 ただ、ほぼ毎日、相方とは乾杯しているので、動機付けに多少変化を求めた感は否めない。

 歳を取って嬉しいとは思わないが、何となくお目出度い感じになるから不思議だ。

 「曲解をして人生を楽にする」・・・しろ猫

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