カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

夢のような話

2015-02-28 09:13:27 | 日記
 今日も朝から雲一つない青空だ。

 だが、予報では段々下り坂になって夜には雨も降るというから不思議な季節だ。

 

 このところ2日続けて傑作な夢を見た。

 夢という奴は、目が覚めると現実世界が目に飛び込んで来て、途端に忘れるというか、さしずめ現実に上書きされて実質消去されるのが普通だ。

 なかには現実世界の景色などものともせずに、ハッキリ覚えている傑作も時々ある。

 それが二晩も続いたのだから特筆に値するというわけだ。

 昨日の朝は、宇宙ステーションの次の日本人パイロットに私が指名されたという夢で、余りに名誉だったので配偶者にも得意げに話したら大笑いで賛同してくれた。

 今朝の夢は、ジョージ・オーウエルの「1984年」に出てくるビッグ・ブラザーの看板並みに大きな女性の「アゴだけの看板」が出てくる夢だった。

 化粧品の宣伝なのだが、アゴだけの特徴で誰だか判るのである。

 そこまでは良かったのだが、近所のオバサン連中が化粧して現れ次々にモデルとして撮影に臨むという。

 目を疑っていたら、その連中の中に配偶者を見つけて絶句、「・・・おまえもか?」という場面で目が覚めた。

 夢の話は漱石が創作活動の超多忙期に合間を縫って書いた「夢十夜」がつとに有名。

 

 第一夜  こんな夢を見た。

 で始まる奇想天外な物語なのだが、話の矛盾など問題にはならない。

 なにしろ夢なのだから。

 しかし単なる奇想天外に終わらせない不思議な怖さの漂う構成になっているのは流石である。

 夢は奇想天外であってもどこかで現実世界に繋がっている。

 よくよく考えてみると一昨日夜に、被災地のかなり高齢のお婆さん達に、もの凄い若い衣装・化粧を施して高度な撮影テクニックを駆使して写した写真をプレゼントするという女性の活動がテレビで流れたのを見たことを思い出した。

 やっと歩ける状態の高齢者が嬉々として集まる姿に、焼酎を飲みながら配偶者と喧々がくがくの討論会を展開したのである。

 いわく「女性は何歳になっても美しくありたい」、いわく「希望者だし取り組みは悪くはない。しかし、何歳になっても女性とはこういうものだという、報道の仕方に異議あり・・・」等々で、気がついたら焼酎をいつもの倍くらい飲んでいた。

 その時の出来事が、今朝の夢に反映されていたらしい。

 いずれにしても、天気の話と漱石の本の話しで二日間も持たせるのはかなりしんどい。

 では夢は夢でも希望にからむ句を2句いってみよう。

 「夢語る それが夢だと気づくまで」

 「夢語る それが夢だと気づいても」

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喜怒哀楽の最中で句を詠むということ

2015-02-27 10:46:15 | 日記
 燦々と降り注ぐ陽光という形容詞がぴったりの今日の空である。

 気分がすっきり外向きになるから不思議だ。

 

 寒かったり曇り空だったり、ついでにみぞれ混じり等という風景だと気分まで内向きになってしまう。

 こうしてみると人間と云う奴は、けっこう気象や景色の見え方などで気分が左右される生き物だとわかる。

 熊本の地方紙で「草枕」が連載されていて毎日読んでいるが、毎日細切れに読む新聞は文庫本などと違って、読む量が限定される分、細部に亘って目が届き改めて気づくことも多い。

 

 文庫本は読んでいて、漱石が主人公の画工に言わせる考え方の講釈が小難しくて、ぶっ飛ばしながら読んだものだが、なにしろ僅かな分量の新聞連載なので細部を読んでしまう。

 今朝の掲載文の中で主人公が、非人情の世界を求めて旅に出たのに直ぐ俗世間の自分に戻ってしまうことを嘆いている場面があった。

 そう言えば山登りの山中や、寺社の境内で或いは葬儀の最中に着信音を響かせ、何かを台無しにしてしまう場面に何度も遭遇したことが思い出される。

 それはさて置いて、こうした喜・怒・哀・楽の場面に自分が居るときにそれを詩人は詩で、画家は絵でという手段で表現しようとする。

 ならば主人公は句という、十七字使ってその場の自分を詠んでみようと思いつく。

 例えば苦しみの涙も、その苦しみを詠むことで自分を客観視して喜びに替える事が出来るかもしれない。

 子規と交遊があり熊本で多くの句を詠んでいる漱石らしく主人公に漱石の思いを語らせている。

 私は、新聞紙上の歳時記だの、山花草木もろもろの句などを切り抜いてスクラップにしていたが、ついに先日大部分は断捨離の一環で処分した。

 しかしながら、漱石が熊本に赴任していた頃詠んだという句だけは処分せずに残している。

 今朝の新聞連載部分では「正一位 女に化けて朧月」という句を作って、狂句みたいだと主人公に言わせている。

 漱石の句は人を前面に出したぶんだけユーモアがあって川柳に近く、私は好きなのである。

 
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無視できない虫騒動

2015-02-26 09:03:23 | 日記
 ここ数日暖かい日が続いたし、2月も残り2日だし、春一番も吹いたらしいし、と春づくめだった。

 

 しかしながら、何だか昨日あたから寒の戻りのような状況になってきた。

 そんな中で我が家で無視できない虫騒動が巻き起こった。

 2階への階段の概ね2段目あたりに「黒いナメクジ状の小さな虫」が2度見つかった。

 洗濯機・風呂場の排水口その他水回りを点検・掃除して現在様子見の状態である。

 そこで問題になったのが、室内の玄関脇で2階への階段昇り口付近に鎮座している花である。

 

 今まさに満開状態の「キリタンサス」の植木鉢とその受け皿の湿気が目についた。

 その都度外に持ち出して水やりをすればいいのだが、寒さにかまけて室内でちょこちょこと誤魔化していた。

 受け皿から持ち上げてみると、ナメクジ状の虫は居なかったが、土が少し溢れ湿気がある。

 取り敢えず、玄関の外に出して様子を見ることにした。

 本格的な春の到来を思わせる暖かさから、急に寒くなった時期に突然外に出された「キリタンサス」には申し訳ないが、極端な冷え込みの時はフード状のものでも作って被せようということになった。

 落ちてくる場所も無く、階段の2段目まで這い上がった跡もなく、突然そこに居て、しかも動かない不思議な虫のような物体を無視することもできず、対策に久々頭を使っている今日この頃である。

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新・資本論

2015-02-25 10:32:35 | 本と雑誌
 図書館で「ドクター・ハック」を借りるとき、たまたま新刊書紹介で隣りにあった「新・資本論」という本を一緒に借りてしまった。

 借りてしまってシマッタと思ったが、一応の礼儀で読んでしまった。

 

 「新・資本論」トマ・ピケティ(著)村井章子(訳)2015.1日経BP社(刊)

 係の親切なのかミスなのか知らないが、本には帯まで付いていた。

 この本は、日刊リベラシオン紙に数年に亘って連載されていた時評をまとめたものである。

 2004年9月から2014年半ばまでのものの中から、古くなったものやテーマが重複するもの等を割愛して整理し、83本が4部構成の中に収録されている。

 貧富の格差が顕著な国・地域から社会的緊張が引き起こされていて、それらの地域は冨の配分が極めて不平等だという共通性がある。

 ヨーロッパの経済危機の責任はEU全体にあるのであって、ギリシャはその矛盾が顕著に表れているに過ぎない。

 富の偏在、放置される税制改革等々、確かに社会保障制度や税制は日本とは異なるというものの傾聴に値する。

 というか、十分に聴いてみる必要がある。

 日本の政治家が何か説明するときによく用いる「ヨーロッパでは・・」とか「各国の数値から言えることは・・」等と、さも参考にしているような言動を耳にするが、日本の現状を見ればまったく参考にされていないことが分かる。

 著者はフランスの経済学者で2013年出版の「21世紀の資本」(みすず書房)が世界的なベストセラーとなって注目されたというが、私はこの本が初めてなので当然読んでいない。

 フランス社会党系の理論家なので、立つ位置は明確であるものの期待に反する政策をとり続ける現政権に、失望を顕わにしたり苦言を呈したりと、なかなか率直な人柄がうかがえる。

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形状記憶バンパー

2015-02-24 14:59:20 | 日記
 先日、配偶者が植木市に友達を車に乗せて颯爽と出掛けた後、駐車場の後ろの立木に当てて車の後ろを凹ませた。

 ひどい凹みでなかったのは、自然の傾斜が緩やかだったのと、桜の木が小さくたわみが出て衝撃が小さかったからで、桜の木にも実害はなかった。

 しかし車は確かに凹み、そして本人の気持ちもかなり凹んでいた。

 近々定期点検もあるし、ついでに修理見積もりをしてもらおうかと思っていた。

 今日は用事のため二人で車に乗って出掛けたのだが、途中で後ろのバンパーを見て「あれ~、凹みが少し元に戻っている」と言うのである。

 

 なるほど、言われてみれば注意して見つめないと気づかない程の凹みになっている。

 なんで凹みが戻るのかな、と二人で首をひねる。

 まさか、形状記憶バンパーでもあるまいに・・・・。

 前回は前部バンパーの修復でン万円だったので、この程度なら「見なかったことにしてン万円を得してみようか」等と辛抱の神様が囁く。

 「なあに、要は君がこの状態を許容できるか出来ないかだけの問題じゃないか?二人でよ~く考えるんだな」

 と、神様がおっしゃっている声が確かに聞こえた・・・・・気がする。

 ・・・てなわけで、3月中旬に予定している定期点検まで結論先送りと相成った。

 それにしても、形状記憶バンパーのアイディアはかなりいけると思うのだが・・・。

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サイタ・サイタ河津桜がサイタ。

2015-02-23 14:06:49 | おでかけ
 昨夜からの配偶者とのお約束で桜の花を観に行った。

 熊本県の不知火海に面する港とデコポンのふる里、田浦町の御立岬の公園敷地内に河津桜が植えられている。

 数年前に新聞で紹介された記事を見て、一度訪れたことのある場所で時期的には少し早いかと思ったが出掛けることにした。

 

 公園までの道すがら、梅は満開であったものの桜の蕾はまだ少し早い様子だったので当てが外れたかと思った。

 が、しかし、な・な・な~んと!ちゃんと期待に応えてくれていて咲いていた。

 

 殆どは3分咲くらいだったが、この写真のようにかなり咲いているものもあって一足早い桜を楽しんだ。

 妙に張り切って和服を着てきた配偶者に若干の違和感を感じたが、桜の下で写真を撮りながら「ナルホド日本人だなあ桜と和服は親和性があるのだ」と感じ入ってしまった。

 腹は減るし、ここまで来れば「タチウオ丼」でしょうということで、道の駅「田浦」で「太刀魚重定食」を食べることにした。
 

 やれやれ、「ちょっと食い過ぎたなあ」なんて喰った後で反省をしているところに、「あれ?ベニシアさん?」と配偶者のすっとんきょうな声で顔を上げると、NHKのEテレ「猫のしっぽ・カエルの手」に出演していたベネシアさんが目の前に立っていた。

 なにしろ、あの番組が大好きな配偶者は、再放送まで録画して何度でも観ているし、私も付き合いで観る機会が多かったので目の前に立たれてもまったく違和感がない。

 テーブルをすすめたが、「大勢で来ているもので・・・」と奥の畳の席に数名で移動して行った。

 「確かこの前は東北の特産品の紹介だったから、いつかこっちの方の何かが紹介されるかもね・・・」などと、帰りの車の中で、暫し「猫のしっぽ・カエルの手」だの「東北の曲げわっぱ」だの此方の話の花は、ほぼ満開だった。

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キンカンをめぐる諸問題

2015-02-22 09:41:24 | 日記
 キンカンの実をめぐる争奪戦はヒヨの圧倒的食欲の前にメジロが撤退しヒヨがその覇権を握った。

 握ったまでは取り立てて問題はなかったのだが、物干しに休憩しての大量の糞に憤慨することとなった。

 

 適度に色もついてきたし、ヒヨが食べるということは食べ頃サインだろうと収穫してしまうことにした。

 

 取り敢えずヒヨも諦めそうな熟れていない青い実や、小さな実を残してすべてもぎ取ってしまった。

 ところが今年は当たり年のようで、その量が半端じゃない。

 去年の倍以上採れてしまった。

 個人的に一番美味しい食べ方は、千枚漬けの中に皮ごとスライスして混ぜたもので、独特の甘さと香りが最高だ。

 確か去年だったか、この作り方を開発した配偶者に「千枚漬けマイスター」の称号を付与した覚えがある。

 例年、甘く煮て瓶詰め保存という方法をとっていたが、結果がイマイチだったので今年は生のまま冷凍してみて、逐次美味しい食べ方を試してみようということになった。

 早い話が、日本の政治と同じで問題の先送りという安易な方法で逃げたというわけだ。

 ただちょっと国会と違うのは、そのまま放置すれば他の冷凍食品の収納を脅かすことになるので、放置したままにはできないという事だ。

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ああ・・植木市

2015-02-21 13:56:08 | 日記
植木市までテクテク
 少し距離はあるがウオーキングを兼ねて春の植木市の会場まで歩くことにした。 綺麗な花でもあれば写そうと思ってデジカメを持参した。 (途中の団地の入り口付近にあったお地...


 どうやら生活のサイクルが出来上がっているらしく、毎年同じ時期に同じような事をしているなと思う。

 去年も丁度今頃植木市に行っている、しかも運動を兼ねて家から歩いて相当にくたびれた等とブログに書いている。

 配偶者は友達と例年通り焼き芋を食べるため、二人で植木市に出掛けたが暫くして電話が掛かって来た。

 車の後ろをぶっつけたという電話で、車も不具合だと言う。

 人身事故ではないし、他車との物損事故でもない、駐車場の後ろの桜の木にぶつけたという。

 「バックでぶつかった。前進しようとアクセルを踏んでも車が前に動かないで、後ろにさがった」などと、かなり超難問を投げかけて来た。

 「取り敢えず、タクシーででも直ぐ駆けつけて来てよ」というのが電話の趣旨である。

 言われるままにタクシーを拾って現場に急行しつつ、車中で事故の想定問題とその解決を考察した。

 現場では間抜けな女性二人組が待っていた。

 確かに小さな桜の木にバンパーの部分が接触している、臨時の駐車場はある部分から後ろが低くなっていて、自然にユックリ後退してしまう程度の勾配がついていた。

 メインスイッチをいれ、ドライブにして静かにアクセルと入れると静かに前進した。

 誠にもって正常そのものの動作をしてくれた。

 「あれ?さっきはアクセルを踏んでも前進せずにさがってしまったのに・・・。」と配偶者の呟きが・・・。

 聞けばバックで駐車したのだが、降りてみてスペースの取り方が不十分だというので、再度乗り込んでスイッチを入れて直ぐ前進しようとしたらアクセルが正常に機能しなかったという話である。

 ハイブリッドなのでメインスイッチを入れた後は、全ての機能がOKになるまで警告ランプが点灯して、ドライブモードでも前進しないのだ。

 本人は前進するつもりで、効かないアクセルを踏み続けブレーキを解除された車が下がりつつあるのに気づいてブレーキを踏み更に前進しようとブレーキからアクセルに足を移したらまた勾配を下がりはじめたのだ。

 本人のブレーキ操作の遅れを桜の木が支えてくれたということだ。

 「あっ、そういうことかあ、いや失敗したな、ところでどうやって帰る?送っていこうか?」

 「歩いて帰る。ゆっくり焼き芋でも食べて楽しんでくれ」とかなり格好をつけて歩き始めた。

 「ご主人大丈夫?」と友人の声、「大丈夫よ、去年は往復歩いたし今年は片道だけだから」と配偶者の声。

 この前は車の前の方をこすってくれたし、今度は後ろを凹ませてくれた。僅かだが気には・・・なる。

 残るのは横だけだが、横は危ないので御免蒙りたいものだと思いながら、うららかな春の野道を歩いて帰った。

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ドクター・ハックの数奇な人生

2015-02-20 10:06:09 | 本と雑誌
 蔵書の整理などのために暫く閉館していた町の図書館が開いてどっと人が押し寄せていた。

 一月初旬から借りていた本を返却に来た人や、再開を待ちわびた人達である。

 我が家では通常返却した日に次の本を借りることにしている。

 返却した後、書棚に向かう途中に新刊書のコーナーがあって、時々は覗いて見るのだが、その中に今朝の朝刊で紹介されていたものがあって、ついつい借りてしまって、書棚まで進めなかった。

 

 「ドクター・ハック」(日本の運命を二度握った男)中田整一著 2015年1月21日平凡社刊

 まさに、できたてのほやほや湯気が立っていた。

 著者は現代史を中心としたドキュメンタリー制作に携わってきた経歴の持ち主なので、まさにドキュメンタリー映像をみているような錯覚に陥るノンフィクションである。

 明治20年ドイツに生まれたハックが、フライブルク大学で博士号を取得し経済学講師をつとめた後、南満州鉄道株式会社(東京)の一員となるところから日本との数奇な関係が幕をあける。

 文官の予備役中尉として青島要塞勤務、第一次大戦の敗戦、日本での捕虜生活、日独協会を立ち上げて理事に就任、日独合作映画の制作、日独防共協定締結、ゲシュタポによる逮捕、スイス亡命、終戦工作で日米和平交渉に携わる。

 などなど、ソビエトのスパイのゾルゲは登場するわ、大戦後米国CIA長官になるダレスは登場するわで、まあまあ20世紀二つの大戦の戦前・戦中・戦後が眼前で展開する。

 三国同盟へと繋がる「日独防共協定」、ナチスとの決別後の「日米和平工作」という成功と失敗のターニングポイントに関わった日本大好き人間(ドイツ国籍剥奪の無国籍人)の限りなき日本への愛の物語である。

 ただ全編を通じて、「情報」の持つ意味と「対案」の重要性がひしひしと身にしみてくる。

 情報化だと言われる昨今、「本当の情報とは何か」、「その情報をどの様に分析するか」については、敗戦を経てもなお教訓は生かされていないと感じてしまう、そんな読後感である。

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バーチャル日本一周歩こうかいの現在地

2015-02-19 08:53:03 | ウオーキング
バーチャル日本一周に出発!
 東海道・中山道をはじめ5街道などを歩くバーチャルのウオーキングサイトがあって、楽しく参加していた時期があったが、サイトが閉鎖されて久しい。 仕方なく、体脂肪や内臓脂肪まで計測...


 一年前の昨日「バーチャル日本一周歩こうかい」の旅に出発している。

 現在通過している所は、新潟県の中条町で村上市を目指し歩き始めたばかりという位置にある。

 自宅を出て1815Km全行程の20%くらい歩いたことになっている。

 単純に365日で割ってみたら5Km/日程度のペースで前進していることになり、これをたいしたことはないと言うのか良くやっていると思うのかは判断に迷う。

 というのは、以前は冬の寒さ等ものともせず歩いていたのだが、去年の暮れあたりから「寒い」「風が強い」「・・の調子が・・・」などとあらゆる理由をつけて夕食後のウオーキングをサボっているのだ。

 それでも平均5Kmだとすると、歩いた日は相当に頑張っていたということにもなる。

 つまり歩いた日の頑張りがサボりをカバーしていることになる。

 考えて見ると若い頃、運動などで鍛えた筋肉などの健康貯金を食いつぶしながら生きている今の自分と見事に一致していることが分かる。

 現在のバーチャル北陸路は、この春実際の旅行を計画している地域でもある。

 ちょっと心を入れ替えて頑張らねばと思っている。

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