カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

公園の句碑

2014-02-28 11:37:56 | 日常あれこれ

 町の外れに小さな城跡があって、今は公園として整備されている。

 桜とツツジがメインだが一応季節毎に花が咲くように工夫され植え込まれている。

 その季節毎の草木の付近には、句を焼き込んだ陶板の句碑が設置されていてなかなか面白い。

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(馬酔木とそれを詠んだ句)

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(梅の根元に芭蕉の句が)

 え?山路かな・・・などと思いつつ目を上げるとそこには先日登った里山が見えた。

 まさしくこの山から朝日が昇ってくる位置関係である。

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 少し出来過ぎの感もしないではないが、その草木の開花のシーズンに訪れて句碑と花を同時に眺めてみるのも悪くないなと思う。

 植えられた場所も句と連動しているので周りも見回す必要がある。

 誰が仕掛けたことかは知らないが、なかなか味なことを考えたものだ。

 「喜びも悲しみも知り咲く馬酔木」・・・馬だけに駄作でしたかな。

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Oh!ニッポン、キモノ!

2014-02-26 11:54:36 | ナナちゃんに着付け

 配偶者の友達に英会話塾を開いている人がいる。 

 その友達は、親友と呼べる数少ない人らしいのだが、英語繋がりで外人さんの話題がときどき登場する。

 沖縄では我が家で外人さん相手に和菓子つくりを披露して好評を博したことがある。

 確か「イチゴ大福」やら「桜餅」とかで、とても簡単なのに喜んでくれたと本人は悦に入っていたものだ。

 ところが今回の外人さんは、とにかく日本文化というものに触れてみたいといろいろな日本的なものが残る場所や、暮らしを体験しているらしい。

 その母子が着物を着たいということで、我が配偶者にお声が掛かって来た。

 さあ大変、外人が好むカラフルな着物は無いし、詫びだの寂だのばかりも言っていられない。

 英語塾の彼女と相談して、どうやら娘さんは振り袖で、お母さんの方は帯の結び方を少し華やかなものにしてみようということになったらしい。

 そこで、我が家のナナちゃんは大活躍をすることになった。

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 あれが良いか、これが良いか、結んでは解かれを繰り返されても文句も言わず耐えるところはナナちゃん流石である。

 本番の着付けは首尾良くいって母子とも大喜びであったらしく、一応成功裏に終わった。

 近々プリントアウトされた写真が送られてくるらしいが、さて如何なものか。

 「おもてなし」・・・・それは以外とささやかな日常の延長線上にあるのかも知れないと思わせたイベントだった。

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鳥たちの春

2014-02-24 10:43:07 | 日常あれこれ

 小川の水面をすいすい泳いでいた水鳥がめっきり少なくなった。

 ついでに、庭の鳥たちもあまり見かけなくなった。

 北の国に飛び去り南からの渡り鳥が来るまでの間は空白の一時なのだろうか。固有種が一時の自由を満喫する。

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(赤い実を食べに来る腹がオレンジ色の鳥。)

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(腹が黄色と白のセキレイ)

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(たたずむばかりでなく時々は片足を動かして魚を追い立てる鷺)

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(美しき清流のハンター、カワセミ)

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(農道沿いの電線がたわむほど集まった群れガラス)

 川面から庭lまで、種類は少ないが鳥たちが忙しそうに飛び回る。

 そうした中で、かつてヒッチコックの「鳥」を彷彿とさせるように、数百羽単位の群れガラスが電線や田んぼに集まっていた。

 厳しい冬の最中ではなく、暖かくなって生物の動きが活発になる頃、何故群れて対処しなければならないのだろう。

 多分食料事情か繁殖など、カラスにも事情があるのだろう。

 もう暫くしてトラクターが田んぼの土を耕す頃になると、列をなして機械の後をついていく鳥たちの姿も見られるはずだ。

 それでは一句いってみよう。

 「三寒四温何を来て行く旅の空」

 急に変わる気温の変化に、旅行バッグは膨らむばかり・・・。

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猫の貫禄

2014-02-22 10:10:46 | 日常あれこれ

 猫にもいろいろあって、可愛いとか、仕草が面白いとか、らしくない猫とか、さまざまであるが本日は貫禄を漂わせた猫をUPしてみる。

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(駐車場担当)

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(コンビニ担当)

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(門の出入り口担当)

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(はずれの一軒家を担当)

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(ボート乗り場を担当)

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(公園を担当)

 こうしてみると共通しているのは、でっかい体や健康な毛並みであるが、何にも増して、その面構えがいい。

 リーダーとしての風格がある。

 人知れぬ苦労はあったろうが・・・・。

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植木市までテクテク

2014-02-20 09:49:13 | 日常あれこれ

 少し距離はあるがウオーキングを兼ねて春の植木市の会場まで歩くことにした。

 綺麗な花でもあれば写そうと思ってデジカメを持参した。

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(途中の団地の入り口付近にあったお地蔵さん)

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(小さな白い花の中で一際目立った黄色の菜の花)

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(薄いピンクの梅の花)

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(桜のような咲き方をしている梅の花)

 本当は植木市の会場で写す予定だったが、温室で咲かせた季節先取りの綺麗な花を写すことに興味を失ってしまい、往復の道すがら眺めた事物を写すにとどめた。

 植木市ではもっぱら眺めることに専念。

 果樹や庭木なども流行があるようで、垣根などに利用される樹木も数年で様変わりしてのがわかる。

 庭造りのサンプルも、昔ながらの和式の庭造りから、洋風や和洋折衷のような明るいものも目立ってきた。

 骨董品も数軒店開きをしていて、こんなガラクタどうするのと思えるような物まで陳列している。使い古しのカンナやハンマー・釘脱ぎ、色あせた夫婦ダルマの人形など・・・。

 ところがこの思いきったガラクタ展示が妙に楽しい気分にさせてくれた。

 宝探しのように珍しいものや懐かしいものを見つけ出すのだ。

 結構な混み具合で人々の反応がこれまた面白かった。

 距離的には往復10キロ程度、19000歩くらいだったが結構疲れた。

 会場をノンビリでも1時間以上ぐるぐる回ったのがこたえた。

 デパートでもそうだが、人混みの中は何故か疲れ方が普通ではなくなる。

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バーチャル日本一周に出発!

2014-02-18 11:05:42 | ウオーキング

 東海道・中山道をはじめ5街道などを歩くバーチャルのウオーキングサイトがあって、楽しく参加していた時期があったが、サイトが閉鎖されて久しい。

 仕方なく、体脂肪や内臓脂肪まで計測できる体重計を購入したとき付いてきた記録表に歩数を書き込めるようにして使用しはじめて、もう5年以上は経った。

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 体重や体脂肪の増減などを、年や季節など長期のスパンでながめると、歩数などの運動量や食事の季節変化などが影響していることが結果として表れており生活習慣の参考にはなっている。

 ただし楽しさという観点から、以前のようなサイトはないかと探してみたら、器具を買って登録するものが多かった中で、ログイン後に出発地点を登録すれば後は歩数計の数値を入れるだけで47都道府県を全部回って日本を一周し出発地点に帰る約9000キロのウオーキングコースなるものを発見し、直ぐに登録した。

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 実は、我が家の居間の一角には日本地図が掲げてあって、観光目的や転勤など夫婦で実際訪れたり生活したりした場所の代表的な位置に赤いシールを貼ることにしている。

 通過しただけとか、私一人での旅では貼らないことになっているので、現在関東地方の5県に空白がある。

 どうやら今度のバーチャル日本一周ウオーキングは、各県の見所紹介もしてくれるようなので、実際の旅行にも役立ちそうである。

 取り敢えず一日目を入力しようとしたら、悪天候のせいで僅かに4000歩弱、2Kmのウオーキングになってしまった。

 毎日1万歩あるいて3年3ヶ月とは・・・こりゃ日本も相当に広いと実感。

 それが終わったら世界一周のコースもあるというからオドロキ。

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猫の毛繕い

2014-02-16 11:37:06 | 日常あれこれ

 沢山の猫たちに逢えるスポットに行くと、既に思い思いの位置どりで寛いでいる姿が目に入ってきた。

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 近づいてカメラを向けても一向に頓着せず毛繕いに余念が無い。

 猫の舌はカメラ的には可愛いが、実際にはザラザラとして確かに毛繕い向きだといえる。

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 猫の仕草の面白さの一つにこの毛繕いの動作があって、変わった事が起きたときなど先ず警戒のため姿勢を変えるのでは無く、そのままの態勢で動作を止めて確認することが多い。

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 勿論本当に危険なら逃げ出すが、様子見による判断待ちの場合はその姿勢はずっと続けられることになる。

 私などが考えると、その上げた足くらい降ろしたらどうかと思うのだが・・・。

 動作一つにも省エネの精神がしみ込んでいて無駄な動きはしたくないらしい。

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猫とネコヤナギ

2014-02-14 11:05:58 | 日常あれこれ

 今日はバレンタインデーだという話である。

 ちなみに、文字変換では「性バレンタイン」が第一候補で「生バレンタイン」が第二候補だった。

 なるほど面白い。端的に日本を表現して秀逸である。

 みんな努力しているのだ。

 ちなみに新聞やテレビにもけっこう努力の跡はある。

 先日ネコヤナギを求めてうろついた江図湖に再度アタックした。

 新聞に掲載されている以上、それは有るはずだ。

 そしてついに発見、撮影に成功した。

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 上が私のアングルで、下が新聞のアングルに合わせたものである。

 ただし、数あるネコヤナギの芽はまだ硬く、この一本だけが開いていた。

 努力しないと見つからない、そんな場所だった。

 ちゃんと歳時記を先取りして、読者に提供すべき事物の所在データをもっている人がいるということだろう。

 腑に落ちなかったネコヤナギ騒動に終止符を打って、今度は本物の猫を探しに公園をうろついた。

 でも、うろつく必要はまったくなかった。

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 橋の袂にたたずんでいた猫が向こうの方からカメラに向かって来てくれた。

 ここには猫好きのおじさんがいて、すべての猫をちゃんと管理していることを去年の夏に来たときから知っていた。

 猫にとっては楽園だし、人間も優しい気持になれる。

 猫写真の撮影スポットとして私の所在データにインプットしておこう。

 

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町鳥たちの春

2014-02-12 10:20:30 | 日常あれこれ

 野良猫と一線を画した「町猫」がいるように、どうやら「町鳥」もいるらしい。

 渡り鳥もいるが、そのまま居残ってしまうものもいて同じ河川の川筋や淵に一年を通じて棲息し人間の生活に波長を合わせている。

 

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(人間が近づくとむしろ寄ってくる。川岸でえさ箱を見かけたので完全に町鳥状態)

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(人間の直ぐ傍で餌を採ったり日光浴をしたり)

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(川岸の草むらにはカワセミが野生の誇りをもって獲物を狙う・・・)

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 時には撮影のために仕掛けられた木の枝にちゃんと留まってくれて、カメラマン達の期待に応えてくれるカワセミもいたりしてちょっとした人気者になっている。

 ただ今年は我が家の周辺にやってくる鳥たちは極端に少ない気がする。

 赤いヒラカンサスの実は沢山残ったままだし、金柑を啄みにくるヒヨドリも今年は見かけない。

 里山に餌はたっぷりあるので、あんたの所にまで行く必要はないということなのかなとも思うが。

 では、寂しく一句・・・。

 「盗む子もカラスもいない里の柿」

 

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山野に雑草はない

2014-02-10 11:29:43 | 人声人語

 目からウロコという話はよく聞くが、そういうことは確かにある。

 自分でも気軽に「雑草のように逞しく」とか「雑草取りに苦労する」とか言っているが、そもそも雑草とは何ぞやと考えることは少なかった。

 考えたとしても、取っても除いても生えてくる、逞しくも厄介なものという以上の考え方には至らなかった。

 特に家庭菜園や庭の芝生の手入れは、それを除去するところから始まる。

 体も痛くなるような苦労の多い作業になっていたからだ。

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 (種々さまざまな雑草?たちは元気に冬を越す)

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(冬枯れの芝生に雑草?が一足早く春を告げる)

 ところが、さるTVの園芸番組で指導する何処かの先生が「草は人の生活の中で生きるとき雑草となる。同じ草でも山野では雑草とは言わない」とおっしゃった。

 「雑草にも名前がある、一括りで呼ぶな」等という話はよく聞くが、それを超えた次元の話であるようにうけたまわった。

 どんなに有名な名であろうと可憐な花が咲こうと、畑や庭など人間が土を耕し創り上げている空間に入り込めば雑草と呼ばれ排除される。

 非情にも生存のために他の生物の命を奪う、それを否定することは生きることを否定することに繋がるというのが人間界の常識。

 食物連鎖の頂点に君臨しながら、哲学や宗教は人が生きるための合理性を模索する過程で生まれ、豊かさを求める過程で都合良く解釈され続けてきた。

 しかし寛容であった自然もクレームをつけ始め、秩序の再構築を考え始めたようだ。

 だが、そもそも畑の雑草の意味すら知らなかった私達ユートピアの住人は、「湯から上がれば風邪引くぞ」という声の方に耳を傾ける。

 自然界において、私を含め人間とはさても厄介な生き物だと自覚する。

 せめてここで一句「言い訳がオウンゴールになる予感」

 いやはや逃げ場はありませんな。

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