カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

故郷の山に向いて・・・。

2017-10-31 10:00:14 | おでかけ
 昨日は所用で生まれた土地に向かった。

 人生の最初の僅かの期間しか住んでいなかったのに、やっぱり故郷なのだ。

 子供の頃と大人になってからの時間の密度が違うことを痛切に感じる一瞬である。

 
 (鞍岳)
 今は廃校になってしまった、中学校の校歌の歌詞にも入っている「鞍岳」が圧倒的に故郷を強調する。

 静岡県や山梨県の人々が、富士山に対する思いと似たような感情を熊本県人は「阿蘇山」にもっている。

 そして本当に故郷を意識するのは、もっと狭い地域の自然から受ける感じで、それがたまたま「鞍岳」なのだ。

 
 (菊池川)
 菊池川は清流として昔から有名で、私の故郷の矢護川も支流として流れ込んでいる。

 阿蘇外輪山を源流とする菊池川の豊富な水によって古来から米作りが盛んな地域である。

 平成29年4月28日文化庁は「菊池川流域」を米作りの歴史物語として「日本文化遺産」に認定した。

 上流部の棚田、中流域の灌漑施設や水田、下流域の水運や河口港の発達など、米作り二千年の歴史ドラマの展開地域なのである。

 
 (飼料米の収穫)
 古来から流域で穫れる「菊池米」はブランドになっていて、日本の米相場を左右していたほどである。

 圃場整備などで、一時期土壌が変化し米の質が落ちた時期もあったが、近年は土壌の改良が進み「七城米」は菊池米の代名詞として再び脚光を浴びてきた。

 ただし減反や転作のあおりは何処も同じで、飼料米を栽培する農家もある。

 この飼料米によって育てられた牛をブランドの牛にしようとする動きもあるので、なかなか転んでもただでは起きない。

 
 
 畦道には白いタンポポや昔ながらの水仙の花が咲いていた。

 寒さを感じることもある今の時期に花を咲かせる事情については分からないが、花には花の都合ってものがあるのだろう。

 大きな景色よりむしろ小さなものに目が向くのは、やはり故郷だからだろうか。

 そう言えば「鞍岳」の名は、頂上の形状が馬の鞍に似ていることに由来するが、私が今住んでいる辺りからは一つのコブの独立峰にしか見えない。

 故郷に近づいて、隣町を過ぎるあたりから段々と馬の鞍が見えてくる。

 私が自信を持って言えるのは、鞍岳は古里からしか本当の姿を現さないということ。

 「故郷はエンドロールの無い世界」

 
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被災地の秋

2017-10-30 16:19:48 | 日常あれこれ
 秋を感じられる所を出来るだけ歩くことにした。

 特別に野山に行かなくとも、そこかしこに植物は茂っている。

 とくに震災の後更地になってかなりの期間放置されたままの場所には雑草が生い茂る。

 下手に足を踏み入れたりすると、ズボンの裾には雑草の種がビッシリくっついたりして取り除くのに苦労する。

 
 セイタカアワダチソウと野菊が共存して居た。

 セイタカアワダチソウも、かつての勢いはなくて在来種に駆逐されそうだが、絶滅危惧種にはなれない宿命だ。

 
 誰も手入れをしない庭先のお茶の枝には、白い花が咲いていた。

 やがて実が成って、ツバキに似た種が出来る。

 油分を含んだ種を剥いて障子や襖の滑りを良くするため、蝋のように擦りつけたりしたものだが・・・。

 今時そんなことをする人もいないし、聞いたことも無いという人が大部分だろう。

 
 我が町は柿の産地でブランドものもあるが、これはただの渋柿でもう少し熟さないとカラスも見向きもしない。

 しばらく歩いて被害の大きかった地域を通ると、解体と建設が相半ばしていた。

 町の再開発の計画は、当面と将来の狭間で揺れている。

 計画そのものは出来上がっているのだが、個々の意見調整に手間取っている。

 全体主義国家ではないから、話し合いで進めるのでそれなりに時間がかかる。

 
 更地になったばかりの住宅の後に、たわわに実を付けた蜜柑の木が一本うなだれて立っていた。

 さて来年もこの場所でたわわに実をつけることが出来るのだろうか。

 蜜柑の木にとっては、知るよしもない出来事だが、土地の持ち主にとっても計画の執行具合でどうにでも変わってしまう。

 辺りの家が次々と解体され、残された庭木や雑草の茂みは思い思いの秋を迎えているのである。


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文化祭出番で~す

2017-10-29 13:16:47 | 日常あれこれ
 今日は文化祭2日目、私たちの出番もある。

 しかも1番目なので結構家を出るのは早いし、台風の影響で風も強く雨も降っている。

 
 (晴れた日の文化会館)

 こんな日の文化祭で朝イチなんて、よっぽど好きな人でない限り見に来ないだろうと思っていたらかなりの入場者があった。

 私たち益城観世会の出し物は、謡曲「紅葉狩」である。

 舞台後方に字幕を出すようにして、内容を分かり易くする工夫をして好評を博した。

 残念というか当然というべきか出演場面はUPすべき写真が無い。

 ただし出演者の奥さんが写真が趣味で沢山写して貰ったので写真は皆さんに配布できる筈である。

 例年だと出演が終わったら、近所の寿司屋で懇親会をしていたのだが、地震で寿司屋も被災し付近一帯は更地になってしまった。

 仕方がないので、お酒抜きの弁当で会食するにとどめて、今年は我慢することにした。

 その後よその出し物や、展示部門の作品を見ることにした。

 
 (琴、三味線、尺八の合奏)
 
 (展示部門の生け花)
 
 (陶芸、盆栽、絵などの作品)

 どれも力作揃いである。

 昨日に続いて、今日もお茶の席が準備してあったが、今日は流派が違うようで動作が微妙に違っている。

 

 美味しくお茶を頂いたのだが、頂いた後でお茶席のお菓子は文化協会の事務局長の手作りだと紹介されて驚いた。

 彼は尺八の名手で外国まで演奏に行くほどなのだが、蕎麦打ちも好きでとうとう畑で蕎麦を栽培する段階から始めるというこりようである。
 
 これで和菓子までつくるというのだから、もう開いた口が塞がらない。

 天は彼に幾つの才能を与えたのだろうか。

 表に出ると、降っていた雨も強かった風も無くなって、西には雲間から青い空が見えるところもある。

 土日の行事の立て込む時期を狙って台風や雨風が襲ってきている感じがする。

 「確実に一日老いるための今日」

 
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悲喜交々の一日

2017-10-28 21:13:03 | おでかけ
 なにやら悲喜交々の一日だった。

 今日から明日にかけて町の文化祭が催される。

 私たちも謡曲で、ステージ部門の2日目つまり明日のトップに出ることになっている。

 今日は開会式もあるし、オープニングで全国中学校吹奏楽のコンクールで3連覇を果たしている益城中学校吹奏楽部の演奏があるので会場の文化会館に出かけた。

 
 始まるまで少し時間があったので、お茶を頂いた。

 作法などまるで知らないが、ようするに美味しく頂ければいいというわけで気軽に楽しむことにした。

 やがて町長や文化協会長の挨拶の後、中学生の演奏が始まった。

 もっとも得意とするのはジャズだが彼等は何でもこなす、年寄り向けにちゃんと歌謡曲だの演歌だのとレパートリーは広い。

 
 
 とても素晴らしい演奏で何となく聞いていて浮き浮きしてくるし、元気が出てきた。

 ただ私には次なる予定があって、プログラムを2つばかり見た後雨の中をスタジアムに移動した。

 今日はロアッソ熊本Vsファーレン長崎のバトルオブ九州。

 
 長崎からは雨の中を沢山のサポーターが駆けつけ、ゴール裏のサポーターの数は長崎が多かった。

 3位の長崎は自動昇格へ向かって気合いが入っているのだ。

 過去の戦績は確かロアッソの方が良かったと思うのだが、なにしろチームの立ち位置が違って勢いがまるで違う。

 
 雨も降っていたが、むしろ台風の影響で風の方が気になった。

 案の定風下からスタートしたロアッソは前半に2点を決められ、後半にかけたものの風を利用するどころか翻弄されて逆に押し込まれる始末。

 何年か前にサガン鳥栖がJ1昇格を決めた試合の相手はロアッソで、サポーターと共にサガン鳥栖を祝福してやったことを思いだした。

 今度もビッグな勝ち点3を長崎にプレゼントしJ1昇格を後押ししてくれたと感謝されるのかも知れない。

 降格圏と昇格圏・・・九州ダービーでお隣の「県」だがとんだ「圏」違いである。

 こういうのを「圏とう違い」とても言うのだろうか。

 明日はいよいよ、出演の本番の日である。

 楽しい一日にすべく、明日は文化祭一本に絞ってみよう。

 「急ぐまい次の電車はいつか来る」

 
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子供の頃馴染んだ秋の実り

2017-10-27 09:36:52 | 日常あれこれ
 一昨日からウオーキングコースを出来るだけ街の周辺部にして、自然の植物に触れてみることにした。

 自然界の秋の実りは人があまりタッチしない場所にヒッソリと営まれている。

 
 (たわわに実って口をあけた、アケビ)
 直ぐ傍には、新興の住宅団地が出来ているのだが、開発を免れた場所には以前の植物がそのまま残っている。

 植物はそのままの場所で生きるしか術がないが、動物はいなくなってしまう。

 鳥たちも少なくなったのだろうか、普通ならアケビが口を開ければあっという間に鳥の餌になるところなのだ。

 アケビは子供の頃はご馳走で、種が多すぎるのが難点だが私はとても好きだった。

 今時アケビを食べる子供などいないだろうし、だいいちアケビそのものを知らないだろう。

 
 (カラスウリ)
 黄色に熟れた実は、確か冬場に近所のオバサンがアカギレなどの場所に塗ったら良いと言っていた記憶がある。

 食べたら多分もの凄い苦さだと思っていたし、今でもそう思っている。

 匂いという「臭覚」で、苦いという「味覚」を感じるときが時々ある。

 苦い匂い・・・この妙な感覚。私だけではないと思うのだが・・・。

 
 (むかご)
 山芋は、根っこは山芋として食し、つるの先に実が成る「むかご」はそのまま、焼いたり茹でたりして食べたことがる。

 花なのかどうか、よく知らないが三辺に均等に分かれたものが沢山ぶら下がっているが、子供の頃はその三角を千切って唾を付け自分の鼻にくっつけて、天狗だなどと喜んでいた。

 他にも沢山の秋の木々には実が成っているのだろうが、何かしら子供の頃から見慣れたり馴染んだものに目が向いてしまう。

 住宅の直ぐ傍の、ありふれた雑木林沿いの午後の道なのだが、誰一人とも会うことがなかった。

 「街は人田舎夕日に染められる」

 
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秋の庭の草木・花(2)

2017-10-26 11:01:45 | 日常あれこれ
 鳥が庭に運んできた木の実が、芽を出して大きくなってしまたものの一つにヒラカンサスがある。

 車庫の屋根の下に芽を出したばかりに真っ直ぐ伸びることが出来ず、一旦右へ曲がることを宿命付けられている。

 毎年赤い実をつけるので、中程度の大きさの「ヒヨ」や「ウソ」という特定の鳥が、山にエサが少ない冬の時期には啄みに飛んでくる。

 
 赤く色づいてはいるが、鳥には熟していないのが判っているらしい。

 里山には豊富にエサがある時期だし、訪れるのはもっと遅い冬の寒いころになる。

 枝を伸ばしその成長力が早いので、車庫の屋根や壁に当たらないようしばしば剪定する。

 鳥が運んできたものではないが、自然に庭に生えてきたものに、キンモクセイがある。

 大きくなりすぎないように鉢植えにしている。

 ただし窮屈そうになると、成長に合わせて鉢を大きくしていたら、とうとう3mを超える程になってしまった。

 
 近所ではキンモクセイの花が咲き始めたので、我が家はどうなのだと見に行ったら、木の上部の葉っぱが殆ど無くなっていた。

 回りには大きな虫の糞が沢山落ちていた。

 虫を探しても見つからなかったのでそのまま放置していたら、更に葉っぱが少なくなっている。

 葉っぱが丸くまるまっているのが沢山見えるので、きっと病気だろう等と考えながらよくよく見ると丸まった葉っぱではなくて葉っぱと同じ大きさの大きな青虫だった。

 毛虫ではなくて毛の無い青虫で、だいたい揚羽蝶などの大型の蝶の幼虫だろう。

 柑橘系の「金柑」や「花柚子」には、今も青虫がいるのは知っているが黙認している。

 多少は葉っぱを食べるが坊主にする程は食べないし、綺麗な揚羽になって飛んで来てくれるので、むしろ見守っていた。

 しかし、このキンモクセイの青虫は木そのものを枯らしかねない勢いなので駆除することにした。

 かろうじて半分ほどの葉っぱが残ったキンモクセイは、命からがら今年も花を咲かせ良い香りを漂わせはじめた。

 
 多分柑橘系の木の葉や、キンモクセイなどは大型の青虫の好みにあった何かをもっているのだろう。

 直ぐ横には沈丁花の花が数輪開きかけている。

 例年よりかなり時期が早いし、沈丁花も暫くすれば良い香りを漂わせるはずだが、過去に沈丁花の葉っぱを食べている虫を見たことが無い。

 虫の好かない何かを持ち合わせているのだろうか。

 植物の世界も虫や鳥の世界も、棲み分けなどの生活防衛や子孫繁栄に知恵をしぼる。

 人間と青虫との共生などは、なかなかの難問ではある。

 
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秋の庭の草木・花(1)

2017-10-25 09:59:27 | 日常あれこれ
 夏場の花一杯の時期を過ぎて庭の花が目立たなくなった。

 隣との境界にあった二十年来の草木は根こそぎ掘り起こして処分したため、いきなり視界が開けて隣の駐車場からも道路からも丸見えの状態になった。

 何を植えようかと思案中だが、当面は一年草を植えて後で邪魔になって後悔しないようにしようと思っている。

 庭には夏場からずっと咲き続けているベゴニヤがまだ頑張って咲いている。
 
 
 寒くなって霜が降りてグニャッとなるまで咲き続け、軒の下辺りに移動した鉢植え以外は枯れたようになってなくなってしまうが、次の年に暖かくなるとちゃんと地面の下で生きていた部分から芽が出て花が咲く。

 恐るべしベゴニアなのである。

 徒長し過ぎると駄目になるので、上部をカットして庭の隅の日陰の場所に挿し芽をしておくと90%以上の確率でものになる。

 日当たりの良すぎる場所より日陰の方が良さそうなので、とても好都合の花である。

 今年は挿し木の小菊も沢山花を付けている。

 
 芽が出て枝分かれを始めた頃に、次々と枝の先の頭の部分をカットしていったら、ドンドン増えて花が沢山咲いた。

 これらの菊もすべて挿し芽で、買ってきた花を飾るときカットした部分を庭に突きさしておいたものばかり。

 菊の挿し芽は鉢などで上手く管理すればかなり成功率は高いが、適当に庭の角に突きさした場合は成功率は低い。

 でも、お構いなしに挿して置いて、枯れたら抜いて処分する。

 上手くいけばめっけものというわけで、花を買ってくる度に繰り返す。

 品種の違うものも意味なく無制限に挿して置くので、咲く時期も場所もバラバラで意表を突かれる。

 管理も適当なので、花の方もいい加減な場所で適当に咲いて見せてくれる。

 「有るが良い老人のシワ薔薇のトゲ」

 
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益城町の白い立体地図

2017-10-24 09:40:34 | 熊本地震
 先日熊本大学ましきラボの事をブログにUPしたとき、町の立体地図が白一色で判りづらかったと書いた。

 白一色には作成の目的がどこにあるのかは知らないが、妙に引っ掛かってまた見に行ってみた。

 
 山間部を除いた部分を作ってあるが、全部を写すと唯の白い平面のように見えるので我が町内に接近してみた。

 航空写真がモデルなのだろうが近づくと、建物などは樹脂を建物の形状に合わせて細かく切ったものを貼ってあるようだ。

 自分の家を探してみたら、著名な施設が見つかったのでそれを基準に道路などを辿っていくと直ぐに判った。

 
 自分の家が有ったあったと喜んでも仕方がないが、なかったらなかったでそれは寂しいし、地図の信憑性を疑ってしまう。

 オール白なので、オート撮影にすると焦点が定まらない。

 多少光の陰影もあるので、何とか出来るだろうとタカを括っていたが、まったく焦点が合わなかった。

 写しながら、この白ともつかず灰色ともつかない世界は、ある本の表紙に酷似していると思ってしまった。

 本の表紙に記憶が及ぶのは灰色を基調とした表紙のせいというより、その本の内容にある。

 「終わりの街のおわり」という題名で、この世で亡くなった人は、直ぐに浄土や天国に行くのではなく亡くなった人のことを思い出として覚えていてくれる人がいる限り、この終わりの街で特に苦しむこともなく存在していく。

 ただし、この街の住人はある日突然姿を消すことがある。

 つまり思い出として覚えていた人も亡くなってしまったのだ。

 そして、突然大勢の人が街から居なくなる。

 現世の地球で一挙に思い出が消える事象とは・・・・。

 ちょっと恐くてちょっと空しくなる内容が鮮烈に印象に残っている。

 その本を読んでもう何年にもなるのに、内容が表紙の写真を想起させてしまう。

 災害の後の、街の白い立体俯瞰地図は見る人の感じ方で何とでも色づけ出来る意味が込められているのかも知れない。

 「街は人田舎夕日に染められる」

 
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サギと雀と

2017-10-23 19:13:12 | 日常あれこれ
 田んぼは刈りいれがほぼ終わりつつあって、可動堰からの取水が必要なくなって堰が低くなり深かった水深が浅くなった。

 そうなるとサギなどは脚が川底に着くようになって、川の真ん中でも魚を狙えることになる。

 
 じっと動かないまま魚と、傍の堤防や橋をとおる人間に五分五分の注意を払いながらずっと川で佇むサギたちが目立つ。

 人間と違ってグループで詐欺を働くようなことはしなくて、ほぼ1羽で営業している。

 すこし上流には桜並木があって、賑やかな鳥のさえずりが聞こえ始めた。

 
 葉っぱの落ちた桜の枝先に、まるで落葉しそこなった葉っぱのようにたむろして無闇に鳴き騒ぐ。

 姦しいどころではなくて、何がそんなに取り留めもなく鳴き続けさせるのかさっぱり理由が分からない。

 直ぐ下を通っても鳴き止まないし、逃げもしない。

 だから人間が来たぞ注意せよと仲間同士で伝えているのでもないらしい。

 雰囲気的には大勢が集まってただ、無統制にガヤガヤいっている幼稚園か小学生低学年の子供達の休憩時間のようなものに違いない。

 かたや孤独に日永一日水の中に突っ立っているサギと、エサも捕らずに寄り集まって囀り合っている雀の集団。

 実は以前「吾が来て囀り止める群雀」という句を作ったことがある。

 ところがお喋りを止めるどころか頓着せずに喋り続けているのが実態だった。

 「五・七・五埋まらぬ枡の指を折る」

 
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熊日川柳大会に参加した

2017-10-22 21:40:27 | 日常あれこれ
 今日は早起きした。

 熊本日々新聞主催の「第63回熊日川柳大会」が新聞社の本館で開催され、会場設営だの投句管理だのを役割を与えられていたからだ。

 午前9時に集合となっていて、駐車場確保の問題と台風の接近という特殊条件を考慮して早めに家を出ることにした。

 一番乗りかと思っていたら、何名か先着がいて上には上がいるもんだと素直に恐れ入った。

 
 大会参加者が到着して受付をする前にはほぼ会場の設営を終えることが出来た。

 既に事前投句も終わり審査も終わっているジュニアの部の表彰が最初に行われ、小学生から中学生まで保護者を含めて沢山の参加があった。

 
 なにしろ県下の学校から9000句を超える投句があったそうで、選者もそうとうに苦労したらしい。

 気軽に川柳に親しんでくれる若い人達が増えてくれるのは結構な話である。

 その後、一般の参加者と事前投句者とを含めた、かく課題毎の審査が行われた。

 その提出句の管理を任されたのだが、これが結構ややこしかった。

 投句箱への句箋紙の投入要領がややこしいので少々改善の必要性を感じた。

 昼食後、各選者による披講がおこなわれ、大会代表句や優秀句も決定した。

 
 大会代表句は「課題:ずばり」で山本あかねさんの「復元にずばりとはまる城の石」だった。

 文化財に指定されている熊本城の石垣は、石を元の場所にはめ込むため番号が付され保管されている。

 写真等によって想定され、付けられた番号によって、元の場所にズバリとはまったらそりゃ凄いだろうと思ってしまう。

 最後に入賞した句の数を競っての表彰で、7句が入って確か12位くらいになる事が出来た。

 まあ、私としては上出来の方である。

 台風はどうやら被害を及ぼしそうにないし、村田は7回TKOで勝つし、ソフトバンクもファイナルステージに行くことになったらしいし、私が川柳大会に参加している間に本当は応援に行きたかったロアッソ熊本は徳島とドローで勝ち点を1を取ってくれるし、まあ今日は課題「叶う」を詠み込んでも良いような日だった。

 「叶ったと思えば今日も満たされる」

 なんて・・・。

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