先日草刈り作業に行ったおり、故郷の神社を訪れてみた。
先般の熊本地震で壊れた鳥居や灯籠は、立派に修復がなされていた。
所々に欠けた部分を補修した跡が見えるものの、おおむね昔ながらの神社の姿に戻っていた。
(故郷の熊野座神社)
子供の頃は、ほぼ毎日この境内で遊んでいたし、背中に乗っかって得意がっていた石の狛犬も昔のままに健在だった。
境内にあった4本の大きな銀杏は、台風などで折れる恐れから伐採され現在は2本になっている。
その2本も私が子供の頃より低くなっている。
たぶん強風等による枝折れ防止のため上部をカットしているのだろう。
この他にも境内には椋の大木が何本もあったのだが今は1本も残っていない。
鬱蒼とした鎮守の森といった風情で、夕方から夜半にかけてはよくフクロウが鳴いていた。
毎週日曜日は、朝から小学校1年~6年までの子供達で境内の掃除をしていた。
その頃の子供会は、親が何かを手伝うといったことは全くなくて、完全に子供達だけの組織であり行事だった。
秋の落ち葉の季節は、集めた落ち葉を境内で燃やして、その火で落ちた銀杏の実を焼いて食べたりもした。
成人して他所に居を構えるようになっても、社殿改築などの際の寄進へ協力していたが、その記録銘板の中に刻まれた私の名前は今も残っている。
子や孫は、何処を故郷として懐かしむことになるのだろう。
きっと物心付いた頃に見た風景や印象に残る行事などを、ふと思い起こすことがあれば、そこがふる里なのかも知れない。
「父として何をしたかを自問する」・・・・しろ猫
にほんブログ村
先般の熊本地震で壊れた鳥居や灯籠は、立派に修復がなされていた。
所々に欠けた部分を補修した跡が見えるものの、おおむね昔ながらの神社の姿に戻っていた。
(故郷の熊野座神社)
子供の頃は、ほぼ毎日この境内で遊んでいたし、背中に乗っかって得意がっていた石の狛犬も昔のままに健在だった。
境内にあった4本の大きな銀杏は、台風などで折れる恐れから伐採され現在は2本になっている。
その2本も私が子供の頃より低くなっている。
たぶん強風等による枝折れ防止のため上部をカットしているのだろう。
この他にも境内には椋の大木が何本もあったのだが今は1本も残っていない。
鬱蒼とした鎮守の森といった風情で、夕方から夜半にかけてはよくフクロウが鳴いていた。
毎週日曜日は、朝から小学校1年~6年までの子供達で境内の掃除をしていた。
その頃の子供会は、親が何かを手伝うといったことは全くなくて、完全に子供達だけの組織であり行事だった。
秋の落ち葉の季節は、集めた落ち葉を境内で燃やして、その火で落ちた銀杏の実を焼いて食べたりもした。
成人して他所に居を構えるようになっても、社殿改築などの際の寄進へ協力していたが、その記録銘板の中に刻まれた私の名前は今も残っている。
子や孫は、何処を故郷として懐かしむことになるのだろう。
きっと物心付いた頃に見た風景や印象に残る行事などを、ふと思い起こすことがあれば、そこがふる里なのかも知れない。
「父として何をしたかを自問する」・・・・しろ猫
にほんブログ村