カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

「景清」を文化祭で

2015-09-30 11:13:09 | 日常あれこれ
 町の文化祭が近づいてきた。

 来月の17日(土)~18日(日)だから集まっての練習はリハーサルを含めて3回しかない。

 今年度文化祭で謡う曲目は「景清」である。

 
 
 源氏に敗れた平家の侍、悪七兵衛景清が九州宮崎に逃れてきて盲目となり身を潜めた生活をしているところに、娘が訪ねてくるという物語である。

 ところがこの両眼を失った理由が、人相を変えるためということになり、そのうち左目を祀る「左目神社」なるものが我が町に存在しているということに話が及んだ。

 文化祭に演目として出そうという話は、ここから持ち上がったものである。
 
 役が決まったのは先週なので結構バタバタしている。

 先生に「もうボチボチ役を決めて頂きませんと、練習の機会はあまり残されていませんが・・・」と恐る恐る意見具申をしたら、あっさりシテを命ぜられてしまった。

 全部やったら1時間くらい掛かる曲目だが、出演者の人数で持ち時間が決められているので、私達に与えられている時間は18分である。

 去年の反省会で「何を謡っているのかわからんので、字幕を出して欲しい」という意見があって、今年はプロジェクターで後方のスクリーンに映し出すことにした。

 何となく大袈裟になってきたが、リハーサルをやってみないと効果の程は分からない。

 そんなこんなで、練習日以外は一日一回、窓を閉め切って近所迷惑にならない程度に声を張り上げて謡っている。

 本番は紋付き袴のいでたちなので、またまた配偶者の指導による着付けの練習もしなければなるまい。

 発表の機会は年に3回あるが、この紋付き袴の文化祭がいちばん大袈裟なのである。

 「早く来い早く終われよ文化祭」・・・なのである。

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大人のための児童文学講座

2015-09-29 09:57:48 | 本と雑誌
 昨日は詩について右目からウロコで、今日は児童文学について左目からウロコだった。

 
 「大人のための児童文学講座」ひこ・田中(著)2005.4徳間書店(刊)

 「家族」と「子ども」という観点から大きくジャンル分けして、そのなかで家族像や子ども像がどのように変遷していったかを解説している。

 児童文学は基本的に児童を読者として想定したもので、そういうものがあった方が良いという社会的な要求から生まれたわけで、読ませたくない本と分類したかったのだろう。

 子供達にはこうあって欲しいという父母の要求や、その時代が求める家庭像・女性像・父親象などが色濃く反映され、もしもう一度読み返すならその辺りに視点をもってくれば、当時の大人社会が児童文学にどう反映されていたかが分かって、大人も興味がつのるはずだと著者は述べている。

 以前に「週刊子どもニュース」というNHKの番組があったが、子どもに分かり易いようにシンプルな構成に気が配られていて、何やら持って回った意味不明の大人のニュースよりよっぽどスカッと本質をついて面白いニュースだった。

 同じようなことが児童文学にも言えるのではないかと思う。

 「らしい・らしさ」が求められ、それに呼応する作品が多いものの、やがて価値観の多様化という現実が児童文学の分野にも影響を及ぼして、父は(或いは母は)死んで居ないという想定が多かった物語から、両親の離婚、あるいは親のどちらかの不倫、新しい親の虐待にまで進み庇護されるばかりの子ども達が、自分で判断し決定していくまでに変化している。

 弱い父や働かない父、優しくない母子どもを顧みない母が登場してくるのである。

 児童文学恐るべし・・・のようだ。
 
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詩はあなたの隣りにいる

2015-09-28 09:40:22 | 本と雑誌
 秋の夜長というが、この頃夜が短い感じがするのは年のせいだろうと思う。

 昨日は中秋の名月、そして今日は満月のなかでも特に大きく見えるスーパームーンだという。

 月はおとぎ話の世界から、アポロの着陸を経て人間の手の届くお伽噺とは無縁の物質になったと嘆く向きもあるが、本当にそうだろうか。

 童話や詩が今までのような書き方が出来なくなったことは確かだろうが・・・。 

 
 「詩はあなたの隣りにいる」井坂洋子(著)2015.1筑摩書房(刊)

 見上げた中秋の名月はやはり神秘の輝きを放っていた。

 ウサギもかぐや姫も昔は居たのだと言われれば、そうですねと思わず答えてしまいそうに輝いていた。

 
 (中秋の名月)
 詩と言えば、中学生の頃覚えた詩が3つあって確か「山のあなたの空遠く・・」とか「僕の前に道は無い・・」とかなら今でも暗唱できる。
 その貴重な3つの詩の中で、「月」に関するものがあって題は忘れたが中味は全部覚えているものがある。

 「高き空より照る月は 手に持つ金の絵扇を うかと落としぬわだつみの 青く湛えし敷物に・・(中略)・・汝大空を降り来なば 我大空に昇り得ば」という文章で、文語体の七・五調が当時の自分には新鮮で口ずさんでいるうちに覚えてしまっていたのだ。

 「詩は空を見上げて書き始めるが、詩人になるということは低い目線で世間を見るのを決意することだと、今の私は思っている。」と著者は書いている。

 そう言えば、読んでいて尻込みしてしまいそうな詩も世の中には沢山ある。

 「スマホの小さな画面に没頭するほとんどの人達の顔を見ていると、詩は人の生活に、というか、人の生涯にかすりもしないのだと思って暗い気持ちになる」とも著者は書いている。

 が、私はそうは思わない。

 別な形で自分の詩を(表現したいことを・・)始めたのだ。

 140文字に収まらず、次々ツイートしてみたり、絵文字だらけの不思議な文章であったりはするが・・・。

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中秋の名月

2015-09-27 19:52:36 | 日記
 今夜は中秋の名月が見られるらしい。

 なにしろ降水確率0%などという絶好の観月日和なのである。

 河原にススキを取りに行くと言ったら、「萩も取ってきて」とのたまう奴がいて、とうとう山の麓まで出かけた。

 
 ベランダにススキと萩をセッティングして月の出を待つ。

 
 実際は月の出は結構早くて、たしか日の入りより早かったかもしれないが、セットしたススキと上手く重なる時期までじっと待った。

 
 月齢は13.8らしいがもうすっかり満月と見まごうばかり。

 私は、中秋に訪れる満月のことをいうのかと思っていたら、旧暦では7~9月が秋で、その真ん中の8月の15日の月は月齢に関係なく中秋の名月というらしい。

 今日9月27日が旧暦8月15日となっているらしいのだが、どうも新歴が歳時記とずれるのでややこしい。

 カメラを準備して、ああでもない、こうでもないと夜景にしたりおまかせにしたり、果てはフラッシュを焚いたりと何枚も写したのだがまともな物は意外と少なくて、次々と削除した。

 最後の1枚は何となく雲と月の関係が面白いので残しておいた。

 
 何処かの銀河系の一部のような雰囲気があって、時空の旅にでもでかけたような気分・・・ってのは、言い過ぎか。

 何処からか、猫の声が聞こえてくるが、またあの屋根の上でお産をした猫ではあるまいか。

 気のせいか隣の屋根の方から聞こえてくる。

 さて、一句・・・「名月を待っているらし屋根の猫」

 
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季節の細部は微妙に違う

2015-09-26 09:25:35 | 日記
 季節の花や、栗の実の話を去年の同時期に記事としてUPしている。

 「藪蘭」が咲き始めたとか、「栗の実の掴み取り」の話である。

彼岸の中日
 どなたから頂いたものか忘れてしまったが、日陰の藪蘭の花が咲き始めた。  秋たけなわといったところで、近くの直売所に立ち寄ったら何やら福引きだのをやっていた、ちょっとした収穫祭...


 ところが今年は相当に趣が異なっている。

 
 (我が町の彼岸花街道)
 彼岸花はきっちりほぼ寸分の狂いもなく咲き始め、彼岸花祭りの計画担当も何の心配もなかったことだろう。

 「藪蘭」と「栗」については、そううまくはいかなくて、今年の「藪蘭」は8月のお盆過ぎから去年UPしたくらいの程度には咲き始めて彼岸の頃は最盛期を迎えていた。

 残暑厳しき折などと言う間もなく、台風に引き続く秋の風情に騙されて咲いてしまったのだろうか。

 その代わり、去年はあった「栗の掴み取り大会」は今年は無い。

 大会どころか、栗の実というものが直売所の棚に並んでいない。

 どうやら栗も台風の被害が甚大で、掴み取りどころの話ではなくなってしまったようだ。

 県の運動公園の大木が何本も倒れるような台風ではあったが、幸い田んぼの被害は少なかったようで、私のウオーキングする範囲内では強風で倒れた稲は見当たらない。

 南側に位置する幾つかの里山が風を遮って弱めてくれたのだろう。

 昨夕はその田んぼ道を歩いていたら、1年振りに籾摺りの工場の灯りが点っていて機械が稼働していた。

 つまりこの辺りの稲刈りはまだ早そうだから、きっと早めに田植えをした山間地の新米が到着したのだろう。

 もう暫くすると、我が家にも農家から直接新米が届くことになるだろう。

 季節は、年々微妙な変化はあるものの大筋では予定通り地球の公転運動に沿っている。

 では一句・・・「慌てるな地球は回る花も咲く」

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阿蘇の野の花(4)

2015-09-25 22:09:56 | 日記
 阿蘇に出かけたとき、手当たり次第に咲いてる花を写してみた。

 名前など帰ってから調べればいいやと思っていたのだが、これがなかなか手強い。

 
 (池山水源)
 山が生まれる里として、産山村という土地なのだが水の方が大量に地下から湧き出ていて産水村というべきか。

 
 (ツクシアザミ?)
 
 (吾亦紅?)
 
 (シロヨメナ?)
 
 (アキノキリンソウ?)
 
 (オトコエシ?)
 つまり早い話が本を見ながら写真と比べて、多分これかなというので「名前の後に?」がつく。
 調べても載っていなかったら、もう完全に「?」だけ・・・。

 でも名の無い植物はないわけで・・・。

 いずれ根性で調べてこの記事を修正してやろうと思っている。

 ということで、悔恨の一句を・・。

 「そうですね山に雑草などはない」

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庭のバッタ

2015-09-24 09:08:42 | 日記
 趣味の謡曲仲間から秋の庭の写真が送られてきた。

 写真展でも何度かお目に掛かっているが、被写体の捉え方に特徴があってさすがに巧い。

 
 (庭のバッタ(1))
 連休はどこかに撮影にでも行きたかったらしいのだが、奥さんが腰を痛めて出かけられなくなり、仕方なく庭でバッタを見かけたので写したものだとか。

 腕よりカメラが良いのだろう等と私は陰口をたたいていたのだが、最近の彼の作品展をみるとそうでもなくて腕も良いらしい。

 
 (二匹のバッタ)
 おんぶバッタともなれば、来年の大量繁殖はまたまた約束されたようで、ちょっと複雑な心境になるだろう。

 我が家の庭では、別の種類のバッタが菊の葉っぱ丸坊主作戦を展開中であるが、去年より少なめでほっとしている。

 それにしても、ススキの穂にバッタとは何気ない写真に見えるが、庭にススキとは余程の通かもしくは余程の手入れ不十分な庭なのだろう。

 近所の空き地のススキであることを願わずにはいられない。

 では、深まり行く秋に虫を偲んで一句。

 「傷口を隠して歌うキリギリス」

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今日のロアッソは頑張った!!

2015-09-23 22:11:32 | スポーツ
 9月20日の京都戦から中2日で今日はロアッソ熊本vsアビスパ福岡の九州ダービー。

 こりゃ行って応援せねばと張り切っていたら、配偶者も行きたいというので図書返納だの弁当作りだので大騒ぎ。

 弁当が出来るまで、本の返納と庭の草取りで時間を調整することにした。

 ところが草取りに熱が入ってしまって汗ビッショリ、サッカーに行く前にシャワーを浴びるはめに・・・。

 
 (白バイに乗るロアッソ君)
 スタジアムは交通安全運動の一環でしょうかパトカーや白バイが何台も来ていて、乗っけたり写真を写したりとお巡りさんも大忙し。

 ロアッソ君の白バイはあまり見たこともないのでぱちり。

 
 (スタジアムグルメも大賑わい)

 
 (アビスパ福岡のサポーター席)
 サポーター席よりメインスタンドやバックスタンド側の方がお客が多くて、連休の最後をサッカー観戦という福岡のファンが沢山やってきた。

 
 (ホーム側のメインスタンド)
 ホームで九州ダービーでしかも13:00キックオフなので遠くからの子供達も出かけてこられるし結構な入り具合。

 試合は結論的に言いたくもないが、まあなんと言おうか・・・試合に勝って勝負に負けたってことで・・・。

 後半戦の半ば、キーパーが反則を取られてPKに。これを決められ何とも微妙な雰囲気の1失点。

 試合はとても良かった。私が今まで見た中では今日のロアッソの動きは一番の出来だと思っている。

 帰って配偶者とロアッソの検討を讃えて、取り敢えず乾杯!!

 庭の草取りと興奮した応援とで、一気にメートルも上がり疲れと眠気が怒濤の如く襲ってきてそのまま仮眠。

 3時間後に奇跡の復活を果たし、このブログを書いている。

 こうして珍妙なる一日は終わった。

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秋の菜園

2015-09-22 09:03:48 | 家庭菜園
 9月15日に野菜の種を蒔いた二日後くらいに恵みの雨まで降って発芽を促してくれた。

 今朝菜園を見に行くと小さな芽がびっしり生えていた。

 
 (源助大根)
 名前も面白いが大根の形も特徴があって面白い。極端に小ぶりなので一度に食べきれないほど大きい物よりいい。

 
 (秋ナス)
 夏に収穫したあと枝葉をカットして再び芽を出したものに花が咲き実を付けた。
 現在逐次大きくなったものから収穫して食べている。

 
 (小松菜とほうれん草)
 まだ虫が健在なのでこれからは虫との戦いの予感。
 この他にも、葉大根が芽をだしているが、人参・ミックスレタス・じゃがいも等はまだのご様子。

 
 (新旧混交の菜園)
 空間が多く土の部分が目立った菜園に少し緑が増えてちょっと楽しみになってきた。

 
 (コスモスと蝶・・・ややピンぼけ写真)
 台風で倒れてしまった百日草もまだ頑張っているが、コスモスがチラホラ咲き始めた。
 
 虫も子孫を残そうと最後の追い込みに入っている様子で、庭でもおんぶバッタだの大きな虫だのを沢山見かける。

 これらを摘んで除去するための箸が、庭や菜園のあちこちに置いてあるのが今の我が家の風景である。

 「秋やさい虫と季節のおすそ分け」

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彼岸と墓参とサッカーと

2015-09-21 18:33:04 | おでかけ
 秋の彼岸の入りということで、我が町の彼岸花街道の彼岸花もきっちり咲きそろった。

 
  
 今日は秋の彼岸の入りということで、お墓にお参りに行ったのだが、なんと桜の花がチラホラ咲いていた。

 
 
 近づいてみると春ほどには勢いがないものの、ちゃんと花びらを開かせている。

 狂い咲きなのか気まぐれなのか桜には桜の考えがあってのことなのだろう。

 墓参が終わってそのあしで高速に乗って、八代に向かった。

 八代総合運動公園は台風の被害がまだ残っていて、大きな倒木が散見された。

 
 (運動公園の倒木)
 
 (県営八代陸上競技場)
 今日は益城ルネサンス熊本FCVsバーニーズ京都FCの試合が13:00からキックオフなので、ご先祖には都合をつけてもらって急遽足を伸ばしたのである。

 試合の方は0:3で負けてしまった。

 負け惜しみを言えば、いきなり極端な暑さがぶり返した一日だった。

 前半試合開始から何度かチャンスはあったものの決めきれず、後半運動量か落ちたところを集中的にゴールを決められてしまった。

 家に帰り着いて冷た~いビールで残念会をしたら直ぐ酔いが回ってしまった。

 う~ん・・・参りました。

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