カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。読書・家庭菜園・旅行・川柳・謡曲など際限なく・・。

伊王島をぐるぐると

2018-09-15 11:38:20 | 旅行記
 長崎港の入口には大型のクルーズ船も通行可能な大きな橋がある。

 軍艦島へ向かう小さなクルーズ船は、次に伊王島へ渡る橋の下をくぐって航行する。

 前日、船で下をくぐった大橋を当日は車で島に渡った。

 

 ウイークデーでもあったし、車の通りも少なくしかも曇りがちだったので快適なドライブになった。

 

 橋を渡りきる辺りには、教会も見える小さな港があって、橋が架けられる前は船で島に渡っていたのだ。

 この橋から海水浴場やリゾートホテルのある地域までは比較的走りやすい道路なのだが、それ以外の島内の道路は極めて狭い。

 
 (海水浴場)

 とても綺麗で整備された海水浴場だが、オフシーズンは静かなもの。

 この海水浴場から左手に登る小さな道を走って灯台の方へ向かう。

 
 (伊王島六角灯台)

 開国後の日本で、最初に設置された灯台の一つである。

 六角形の石の台座の上に作られていたものは、今では台座だけが残っていて、現在の灯台は形はそのままに再建されたもの。

 近くには砲台の跡も残っている。

 この後、伊王島を訪れた主たる目的の「俊寛の墓」を探して島内をぐるぐる回ることになってしまった。

 標識は立っているのだが、自転車か歩行者用で車では見逃しそうになる。

 やっと見つけても進入路を誤るとまったく違う方向に走ってしまうし、道路補修などで迂回をさせられると、もう方向感覚さえ麻痺してしまう。

 通常だと左に海、右に山などと目標にするのだが、島の頂上付近で海が常に見えている状態から迷うのだ。

 それでも離合の車がいないことを祈りつつ、狭い路地に車を進ませ、やっと公園らしき場所に辿り着いた。

 
 (俊寛僧都の墓)
 
 (北原白秋の歌碑)

 趣味で習っている「謡曲」の「俊寛」の説明には、平家打倒を企てた他の2名と共に鹿児島の喜界ヶ島に流されて云々とあった。

 ネットで調べると鹿児島の離島にも墓があって祀られている。

 ただ、長崎県の伊王島にも俊寛の墓が存在し、その他にも2~3箇所あると記述されていた。

 「能」や「歌舞伎」などでは喜界ヶ島という設定にしているので、いつのまにか鹿児島に墓も出来たのかも知れない。

 後から作られた物語に合わせて、事実がはっきりしなくなってしまうことは日本の歴史にはしばしばある。

 北原白秋も俊寛の墓が伊王島にあると聞いて、わざわざ島を訪れ墓に詣でている。

 その後戦前に発表した詩集の中に、長歌一首と反歌を詠んでいる。

 歌碑は、俊寛の墓の直ぐ横に建立されている。

 「いにしえの流され人もかくありてすえいきどおり海をにらみき」

 許された2名を見送り、俊寛は失意のままに島で果てるのだが、何処も政治犯には厳しいようだ。

 かくて、俊寛には悪いが墓詣でのあと、自由に出入り可能な立派な橋をわたって帰路についた。

 勿論その翌日、謡曲の練習の休み時間に、仲間に写真付きの自慢話をしたことは言うまでもない。

 
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長崎港周辺の世界産業遺産

2018-09-14 11:39:11 | 旅行記
 明治日本の産業遺産は各所に散らばっていて、軍艦島もその一つである。

 しかも軍艦島の中でも、産業遺構として登録されているのは、明治時代に建造された施設等に限られている。

 説明を受けなければ島全体を世界遺産と勘違いする。

 この長崎港付近だけでも数カ所の世界遺産がある。

 

 大型のクルーズ船が停泊していたが、この左手にある高台には「グラバー邸」があって世界遺産になっている。

 

 帆船が停泊している向こう側には、三菱造船所のドックが並んでいるが、幾つかは現有で稼働している世界遺産がある。

 

 明治時代に山を切り崩して凹地を作った、日本で一番古いドックがあるが、まだ使われている。

 海上自衛隊の艦船が補修のためドック入りしていた。

 この手前には明治に作られた鋼製のクレーンがあるが、これも単品で世界遺産となっていて、しかも現用である。

 

 この第2ドックは世界遺産ではないが、実装7万トンの戦艦「武蔵」が建造されたドックである。

 秘密裏に建造されたが、進水の時は大波が発生し対岸では津波のような波が1.5m近く押し寄せ、床上浸水する家屋もあったという。

 

 港の出入り口にあたる、北側の岩の上にはマリア像が立っている。

 出て行く船は、航行の安全を祈り、入港する船はやさしく迎えられたということなのだろう。

 長崎港周辺だけでも相当の数の産業遺産があるが、この他にも福岡・熊本など、炭坑やその積み出し港などの沢山の施設が世界遺産に登録されている。

 港の外には「伊王島」という最近は橋を渡って行けるようになった島もあり僧都「俊寛」の墓があると聞いて急遽訪ねることにしたが、それはまた明日にする。

 
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軍艦島に上陸(長崎ミニ旅行)

2018-09-12 19:11:27 | 旅行記
 長崎に1泊のミニ旅行に行った。

 47都道府県全部を訪れるという目標を立て、関東地方の5都府県を残しほぼ達成している。

 関東地方に関しては、宿泊日数の関係でもう少し後になりそうなので、今年は九州地方で行きそびれていた島に1~2泊くらいの日数で何カ所かミニ旅行に行くことに決めて、実行中である。

 端島(軍艦島)は野母崎の方から海上遙かに望んだことがあって、いつか行ってみたいと思っていた島である。

 今回は、テレビの番組に、軍艦島を世界遺産にと取り組んで来られた人が出演されていて、「明治日本の産業革命遺産」として、世界文化遺産に登録されるまでの苦労話などをされていたが、その「軍艦島を世界遺産にする会」の会員または理事長がガイドとして詳しく説明してくれるという「軍艦島上陸ツアー」に参加した。

 

 出発は「常磐2号桟橋」という小さな桟橋で、クルーズ船も他の幾つかあるクルーズ船より小さい。

 集合予定の時間には相方と私とを含め10名前後しかいなかったのだが、出港の時間間際にどんどん集まって来てあっと言う間に満席になってしまった。

 

 ここに映っているのは半分に満たない人で、殆どはエアコンの効いた船室にいるが、どうしても風景が見たかったので上部の席に陣取った。

 薄曇りで極端な夏日でもなかったので、比較的すごしやすい一日だった。

 
 (端島:軍艦島を西側から・・)

 軍艦に見えるポイントはこの方向からが一番らしい。

 台風などの高波などを防ぐため防波堤が高く、建物もアパート等も軒を連ねているが、反対側は波が比較的穏やかで堤防も低く、波止場や貯炭場・積み出し施設など炭坑関係が主体なので東側はイマイチなのだとか。

 私的には昔の軍艦はいざ知らず、今の自衛隊の護衛艦などだったらシルエット的にはむしろ東側からの方が似ているような気もしたが・・・。

 
 (アパートや商業施設)

 最盛期には、南北480m東西160mの小さい岩だらけの島に、建物が建ち並び5300人からの人々が住んでいたということであった。

 映画館・デパート・パチンコ・小中学校・その他厚生施設なども充実し、人口密度は日本一という話。

 私も子供の頃、たまたま見た写真のアサヒグラフで、島の生活を伝える写真記事をみてその生活が近代的で日本離れしている事に驚いたことを覚えている。

 海側のアパートもガラス窓のある場所は部屋ではなくて、暴風雨・高波から少しでも被害を軽減するためすべて廊下になっていて、その内側に玄関ドアをつけてあるという。

 
 (船着き場)

 船着き場が整備されていて、少し足元が揺れる状況のなか上陸した。

 両手を使える状態にして、船内移動や上陸動作をして欲しいということで、カメラ等の操作は出来なかった。

 波が荒い時などは以前の島民は小型船に乗り移り、クレーン状のものに縄ばしごが付けられたものを必死で掴んで上陸したらしい。

 それでも、そこが自分の住まいだという意識がとても強かったという。

 上陸後の事は、また明日以降に・・・。

 
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天草ミニ旅行(その3)

2018-03-02 16:56:33 | 旅行記
 天草ミニ旅行の費用が思いの外安くあがったというので、相方はルンルンだった。

 当方としてもミニとはいえ、初期の目的を達成する事が出来たので申し分のないお出かけだった。

 帰りは自動車専用道路を使わずに一般道路をノンビリ走って「松島」へ行く経路をとった。

 
 

 松島の町外れに、菜の花一杯のところが新聞に紹介されていたことを思いだしたので向かったらナルホド・・・だった。

 少し時期的には遅かったのか、もうかなりの田んぼが耕されていて、土の中から花が見えている所もあった。

 「天草五橋」の5号橋から逆に2号橋まで渡り、上天草市にある「藍の天草むら」で海産物を買うことにした。

 

 天草四郎のでっかい銅像の建つ駐車場の広場には、テントが建てられ祭壇が設けられ読経が聞こえてきた。

 何事かと店の人に訊くと、「天草四郎の鎮魂祭」だと云う話で、参加自由だし後でぜんざいも振る舞われるのだと云う。

 カトリックの殉教者を仏教で供養するとは何と鋭い話ではないか。

 そう言えば、世界文化遺産登録予定の崎津教会の横には諏訪神社があって潜伏キリシタンの隠れ蓑として活用されているし、マリアだって「マリア観音」などと観音様に変身して親しまれているから、神仏混合のついでにキリスト教も合わせてお祭りしても驚くには当たらない。

 禁教や迫害は、時の為政者の都合であって、本来日本人は外来物に対する融和性はあると思っている。

 この融通無碍が中東まで広がったら、世界はもう少しノンビリするかも知れない等と不謹慎な私は思ったりもする。

 こうして、午後の天気予報でかなり脅かされたものの平穏なうちにミニ旅行は終わった。

 ああ・・・そうそう、一緒に天草の夕陽を眺めてくれた「にゃん君」にご登場願ってお開きにしょう。

 

 猫がわんさと居るという「湯島」行きも考えたが、嵐が来そうなので又の機会に譲ることにする。

 
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天草ミニ旅行(その2)

2018-03-01 09:46:45 | 旅行記
 天草ミニ旅行、大江の天主堂から北上して白鶴浜に立ち寄った。

 子供が小さい頃家族で一度訪れたことがあり、長女が浮き袋ごと波にひっくり返されて砂だらけになった思い出の海岸。

 

 白い砂浜の綺麗な海水浴場である。

 そう言えば、長男も3~4歳の頃、北海道の東の広尾海岸で同じく波を頭から被ったことがある。

 兄弟揃って水難の相があるようだ。

 更に北上して下田温泉に向かう。

 

 何となく昔ながらの温泉という雰囲気のある町だ。

 チェックイン後の夕食までの時間夕陽を撮りに浜辺へ行くことにした。

 

 町中に立派な足湯があったが、今回は足だけでなく全身を湯に浸す予定なので写真だけにする。

 海岸沿いの道路を撮影ポイントを探してウロウロする。

 

 夕陽が水平線に沈むまでにどのくらいの時間があるのか事前の知識を入れていなかったので、無闇とシャッターを切る。

 

 天草西海岸はどこも夕陽の撮影ポイントだと思って差し支えない。

 天気にも恵まれ、風も無く、気温も15~6度くらいで最高の撮影日よりだった。

 天草の夕陽写真コンテストが今日から募集が始まったと新聞に紹介されていたが、応募するほどの写真の腕はないので諦める。

 18:30分に夕食を約束していたので急いで宿に引き返す。

 珍しく部屋食だった。

 

 ちょっとした旅行でも帰って体重を量ると大幅増量が通常なので、申し込みの段階で一番量が少なくかつ安いスタンダードコースを予約しておいた。

 で、出てきた料理がこの有り様である。

 相方と二人で顔を見合わせてしまった。

 確かに少量ではあるが、品数が半端じゃない。

 実はネット予約した宿も、先方の宿の都合で変えられ、料理も予約の画像で確認したものより大幅にグレードアップした感じになっている。

 やっとの思いで食事が終わって、大浴場や露天風呂を満喫した。

 満天の星空に十三夜の月が木の葉から光を零していた。

 う~ん一句・・・と思ったがなかなかこれといって浮かんでこない。

 「満天の星が滴の露天風呂」・・てなことで湯から上がる。

 珍しく長湯をして体重計に乗ったら、体重は殆ど増えていなかった。

 体重計を疑うことにした。

 ちなみに、チェックアウト時の精算では食事の時の生ビール代金以外は予約通りのスタンダード料金だった。

 
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天草ミニ旅行(1)

2018-02-28 13:54:48 | 旅行記
 一泊のミニ旅行で天草に出かけた。

 「どこか温泉に行きたいね」という相方の要望で、天草の下田温泉に行くことにした。

 天草は南端の牛深まで日帰りが可能なくらい便利になったため、かえってゆっくり出かけることが少なくなっていた。

 西海岸沿いにある下田温泉も、温泉街を横目に新しく出来た海岸道路を走ってしまって立ち寄ることもなかった。

 今回は温泉を目指すものの、一泊でゆっくりになるので少し寄り道もしてみることにした。

 
 
 10時少し前に家を出たので、天草リップルランドで少し早めの昼食を・・・。

 メニューは見るまでもなく「貝汁定食」。

 

 何はともあれ、貝汁がうまい!!

 値段もたしか、900円くらいだったと記憶するが・・・。

 昼食の後はR324を西進して富岡城址へ。

 

 小島が砂州で本島に繋がってしまい半島のようになった先端に富岡城は築城されている。

 戦国の終わりから天草・島原の乱に至る間、短期間の内に次々と城の主は変わり、廃城となったものの最終的には幕府直轄の天領となって代官が納めるようになった。

 天草・島原の乱で落城したわけではなく、廃城となって建物や石垣などは壊されたものである。

 図面等の記録も残っているため現在は修復工事が進められている。

 過去に一度訪れたことはあるが、今回は資料館の学芸員の説明もゆっくり聞くことが出来た。

 城を後にしてそのまま西海岸を南下して大江の天主堂へ向かう。

 

 大江天主堂は、南シナ海を見下ろす小高い丘の中腹にある。

 下の集落近くには天草ロザリオ館もあって、キリシタン弾圧の歴史を伝えている。

 今回国内文化遺産に決定し、世界文化遺産登録を目指している崎津集落や津崎教会はここより10Kmほど南にある。

 潜伏したキリシタンが、既存の仏教や神社などを利用して密かに信仰を続けていく様子は興味深い。

 崎津の教会は先日訪れたので今回は省略し、下田温泉に向かって西海岸を北上する。

 この東シナ海に沈む西海岸の夕陽はとても美しい。

 これを撮すのが今回の旅の目的の一つでもあったので、チェックイン後宿を出て徒歩で海岸に向かって歩いた。

 私にとっては食事も風呂もその後のことなのだ。

 
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ぐるっと松江「堀川巡り」

2016-11-08 09:38:15 | 旅行記
 松江城のお堀は広くて水量も多い。

 平城だからお堀に神経を使ったのだろうと合点がいく。

 八雲だの武家屋敷だの出雲蕎麦だのとグルグル回った挙げ句に出会ったのがお堀巡りの小さな船。

 
 (松江城の掘り)
 堀川巡りの乗船場はいくつか有るようだが、せっかくなら一周してみようとカラコロ広場の乗船場に向かった。

 料金は大人1230円だが、JAFなんかに加入していませんかと聞かれたので相方が会員証を出すと1020円に割り引いてくれた。

 会費を納めるばかりで一度も緊急事態でJAFにお世話になったことはないがとんだ所で役立ってしまった。

 イザ乗船しようとするとコース的に、ここからの出発は貸切とかで定期便はないそうで他の乗り場で乗り換えになるという。

 各乗り場で降りて観光を済ませて再び乗船し次の乗り場でというように、尺取り虫のように乗り降りして観光するのがベターなのだそうだ。

 「全部ぐるっと歩いて回り終わった」というと気の毒そうに、そういうシステムだからと一応説明を受け乗船した。

 
 (堀川を行き交う観光船)
 船上から見る景色は独特のものがあって、日頃見慣れた町でも目の高さや位置を変えることで新しい風景が広がるものだ。

 
 (堀川の船上から松江城を望む)
 「お客さんここがお堀から見る松江城のベストショットですよ」と船頭さんにカメラを向けることを勧められた。

 
 (船内)
 この堀川巡りは春夏秋冬オールシーズン運行しているので、屋根も有れば寒い冬は炬燵も入る。

 そして堀には所々に橋が架かっているが、その中の幾つかは水面からの高さが屋根よりも低い。

 そのため屋根は4段階ほどの可動式になっていて、橋の高さに応じ船頭さんの号令で頭を下げて屋根を下げ橋下をくぐり抜ける。

 
 (一番低くなった時の屋根)
 横の船べりすれすれまで下げる場所もあって、乗客は驚いたりするがそれはそれで楽しい雰囲気が船上に漂う。

 福岡の柳川には柳川下りの「どんこ船」があるが、あれは天井がなくて皆で船底に頭をつけるほど下げて石橋の直ぐ下を潜った事を思いだした。

 船から上陸して観光するのが普通だが、もう見てしまったという我が夫婦のために船頭さんの説明を聞きながら一周コースを回ってくれた。

 山城でない限り普通の城下町の城には「お堀」は付きものである。

 お堀の形態によって使い方は様々だろうが、観光に有効利用することは他のお城でも考えた方がいい。
 
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松江では小泉八雲でしょう

2016-11-07 09:07:42 | 旅行記
 松江では「小泉八雲」は外せない。松山で夏目漱石というより「坊ちゃん」が外せないが如くである。

 松江城・八雲記念館・八雲旧居の三点セットの入場券を購入した。

 
 (小泉八雲旧居)
 武家屋敷であったものを借りていたので家の造りは武家屋敷そのものである。

 いろいろな資料は、隣の小泉八雲記念館に展示されていて、ここは純粋に建物の構造や部屋からの庭の佇まいを楽しむ趣向になっている。

 
 (南と西側の庭の一部を望む)
 八雲は自分が住んでいる部屋から眺める、庭について北側の庭・西側の庭・南側の庭というように庭の設えを細かく表現した随筆作品を残していて、反対にその作品を思い描きながら庭を眺めると八雲が日本の庭にどのように感じを持ったかが分かる。

 入場券はどうやら本来は四点セットらしかったのだが最後の「武家屋敷」は抹消されていたので別料金かと思ったら、内部等の整備のため長期に亘って休館となっている。

 
 (武家屋敷)
 公開されていたのはここだけであるが、一帯は武家屋敷である。

 不思議なもので、小泉八雲も夏目漱石も松江や松山には1年ちょっとしか住んでいない。

 八雲はこの後熊本の旧制五高で3年ほど英語を教えている。

 八雲の後任として五高の英語教師として松山から赴任して来たのが夏目漱石で英国留学までの4年ほどを熊本で教えている。

 漱石は引越魔で何度も住居を替えていて熊本には旧居が何軒も残っている。

 一番お馴染みなものは坪井の旧居である。

 小泉八雲の旧居も市の中心部の一角に移築されて残されているが松江ほど有名ではない。

 お城と町の関係性や、二人の英語教師の関わり合いや旧居といい松江と熊本は妙に似ている。

 少し違うのは街中の蕎麦屋の多さは松江の方が圧倒的に多い。

 
 (蕎麦屋「八雲庵」)
 ぐるぐる回っていたら腹が減ったので蕎麦を食うことにした。

 うまい!

 ただカロリー的にはうどんより高いらしいからヘルシーなんて喜んでばかりもいられない。

 さて一句「外人に日本の良さを教えられ」

 日本滞在中の外国の若い女性に、隠れた紅葉の名所を教えられて訪れたこともあったが・・・。

 たしかもう暫くすると見頃の時期がやってくる。

 
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出雲大社と宍道湖の夕日

2016-11-06 10:18:54 | 旅行記
 お城巡りが主たる目的とはいえ松江に来て出雲大社を外すわけにはいかない。

 松江からはR431、R9、山陰自動車道とおおきくは3経路があるが、時間を重視して山陰道を通ることにした。

 途中から海外寄りの道路を北上して「稲佐の浜」を経由するコースを選んだ。

 
 (稲佐の浜から弁天島を望む)
 よっぽど潮でも満ちていない限り砂浜を歩いて行ける小さな島が、浜から直ぐのところに鎮座している。

 弁天島というからきっと弁天様が祀られているのだろう。

 梯子が架けられていて小さな社まで登っている人を見かけた。

 さすが出雲国でありとあらゆるところに神様がいらっしゃる。

 
 (出雲大社)
 直ぐ脇の駐車場に停まったのだが、脇から入っては神様に失礼な気がしてずっと大鳥居まで歩いて、鳥居から入り直し「松の参道」を本殿まで歩くことにした。

 通常2礼2拍手が出雲バージョンは拍手の数からして違う。

 神様がそうせよとおっしゃったとも思えないが、言い伝えや風習には否応もなく従うのが日本人のマナー。

 お参りした後車に乗車した直後から雨になって虹が出た。

 綺麗な虹なのでカメラに収めようとコンビニの駐車場に車を止めてバッグを引っかき回してカメラを取り出し、車外に出ると雨は止んでいて、濡れずにちょうど良いやと喜んでいたら、ついでに虹まで薄くなって殆ど見えなくなってしまった。

 宍道湖の北側を通る国道431号線を松江に向かう頃には雨もすっかりあがって雲も所々切れかかってきた。

 「宍道湖の夕日」が頭にピンと浮かんだ。

 そうだ「夕日スポット」へ行ってみよう。

 
 (宍道湖の夕日(1))
 夕日は直接見えないが薄くなった雲は極端に明るいオレンジ色に輝いていた。

 傘をさしながら三脚を立ててカメラを据え付け、スタンバイしている人達が何人か居た。

 カメラを抱えて近づいてきた年配の紳士が「今日の日の入りは5時13分なのですが・・・」と教えてくれた。

 5時13分には少し間があったが何処で雲に隠れてしまうか判らないので取り敢えず良さそうなシーンはパチリ・パチリとシャッターを切っておく。

 
 (宍道湖の夕日(2))
 夕日が一瞬でも現れて、湖面に赤い陽光が一直線に反射して揺らめく・・・な~んてことをイメージして待ったが、この写真を最後に雲に覆われてしまった。

 それでも、雨模様の中での一瞬の夕日に立ち会うことが出来たのはきっと出雲の神様のお計らいだと思う。
  

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国宝!!松江城

2016-11-05 09:18:50 | 旅行記
 お城巡りで備中高松城・松山城とくれば山陰に回って昨年7月に国宝に再指定された「松江城」は外せない。

 昭和10年に一度国宝に指定されその後重要文化財に改称された後の悲願の再指定なので地元は盛り上がっている。

 心なしかパンフレットの松江城の文字より「国宝」の文字が誇らしげに躍っていた。

 
 (紅葉が始まった松江城)
 水が豊富なのでお堀の水もふんだんにある。水鳥も生活が楽だと言っていた。

 
 (国宝:松江城)
 以前訪れた時は、閉門ぎりぎりでとうとう中には入らず終いだったが・・・。

 
 (天守閣から宍道湖方向)
 お城の階段が急なのはどこも一緒で、手摺りに掴まりながら最上階に登る。

 町並みの向こうに宍道湖が見える。

 松江は宍道湖と松江城それに出雲大社、加えて小泉八雲で成り立っていると思えるほど・・・。

 
 (盛り上げたいの武将)
 突然ケバケバしい衣裳の武将が現れたので伺ったら、ボランティア団体「岐阜城盛り上げ隊」の一員とか。

 具足の後ろの方に名前札がぶら下がっていたので確認すると「明智光秀」とあった。

 メンバーは8名で斎藤道三を始め8人の武将をそれぞれがになっているらしいが、なかなか個性的な武将ばかりで構成されているようだ。

 岐阜城の盛り上がりを祈るばかりだ。

 
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