カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

今年はトマトの当たり年

2019-07-22 09:49:52 | 家庭菜園
 この梅雨の最中にトマトが熟れるのが不思議だ。

 ただ、油断すると割れたりするし、その割れた部分を狙ってナメクジが這いずり回ったりするので、完熟少し前でも千切ることにしている。

 

 このくらい熟れると、ジャムを作るには問題は無い。

 「ジャム造りとは水分飛ばしと覚えたり」である。

 ただひたすらグツグツ、種を取り除いた方が滑らからしいが、そんなことは面倒臭くてただグツグツ。

 出来上がるのは夜中の12時前後。

 すんなり行けば、明朝のパンの上に乗っかることになる。

 口にすると、ジャムの中にプチプチっという種の食感も・・・。

 好き嫌いは個人差の問題で、我が家的には自家製トマトによる自作のジャムとして楽しんでいる。

 生のトマトとジャムとで今のところ食卓はトマトづくし。

 ところで、トマトの手前に植えたジャガイモは、一体全体どうなっているのだろう。

 花が咲いたところも見ていないが、ただ幹だけは茂っている。

 梅雨明けには、試し堀でも・・・。

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竹の思い出と現実

2019-07-21 10:17:47 | 日常あれこれ
 門の横に鉢植えにしている黒竹が、元気を盛り返してきた。

 かなり大きな鉢に植えているのだが、根が完全に回ってしまって去年は根を切るのに悪戦苦闘した。

 半分くらいの大きさまで根を処分して、植え替えたら今年の春には2本のタケノコが出て、立派に育った。

 無惨な姿だった元からの竹も元気に新葉を出している。

 
 (黒竹)

 幹の部分が成長すると黒くなるので、多分それに由来して黒竹というのだろう。

 七夕の季節には枝先に短冊などぶら下げたりしたものだが、今年は雨がひどくて止めにした。

 室内に置いている小さな笹竹も元気だが、一度除去したはずの大振りの笹竹がまた1本顔を出して伸び始めた。

 
 (笹竹)

 混じり込んでいたものを除去したとき残っていた部分から芽だ出たのか、もしくは笹竹が改良種で、原種の性質が出てしまったのか不明であるが、どうしようかと迷っている。

 異質な物をアクセントとして捉えて、残すという手もある。

 田舎の空き家の菜園には、隣の竹山から竹が進出し、除去するのに悪戦苦闘しているが、性格的には私は竹が好きである。

 子供の頃から、自宅の裏山の竹で祖父はちょっとした実用的なものは、自分で細工して使っているのを見ながら育ってきた。

 そう言えば、子供の頃には集落の外れに竹細工を作って売っている人がいた。

 各種の実用的なザルなどを作っていたが、生業として成り立っていたのが不思議な気がする。

 御飯などを入れるザルを「ショウケ」と呼んでいて、集落の皆は「ショウケ屋」と呼んでいたが、どういう字を当てていいのか判らない。

 そのショウケ屋の裏手には、珍しい笹竹が沢山あって、その竹で編んだ物も見たような気がする。

 先日歩いていた河川公園の隅で、その笹竹を見かけた。

 
 (公園の笹竹)

 調べれば名のある笹竹なのだろうが、懐かしかったのでちょっと茂りすぎた群落をカメラにおさめた。

 「ショウケ屋」が生業として成り立っていたかどうかの判断だが、当時の集落は100戸超で、他の地域の集落と比較するとやや大きい方だったと思う。

 小学生頃の記憶だと、集落には雑貨店が10軒ほど、散髪屋が2軒、豆腐屋が3軒、タバコ屋が3軒、製材所、製粉所、デンプン工場、瓦工場、トタン修理屋にと畜場まで有ったから、ショウケ屋が有ってもおかしくない気もする。

 子供も沢山いて、登下校時は賑やかだったし、休みの日のお宮の境内は子供達の声が一日中こだましていた。

 あれから時は流れた。

 数年前に、相方の母親が元気な頃、「何年ぶりかで集落に子供が産まれた」、と話してくれたことがある。

 集落は建物の数は昔とそれほど変わってはいないが、住んでいる人間が圧倒的に少なくなり空き家ばかりが目立つ。

 笹竹を愛でる気持ちは、子供の頃の思い出に直結するが、竹山のある田舎の現実はあまりにも寂しく厳しい。

 ただ、自分達が出来る範囲内で空き家と菜園の保全に努めたいし、お墓の整備等を通じて集落の人達と協力したい。

 成長の早い竹を、資源として活用する日が早く来ないかな等とも思う。

 「火のように見えてカンナの肌寒し」・・・・しろ猫

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生者必滅・・・

2019-07-20 09:39:31 | 日常あれこれ
 白い丸いソフトボール大のキノコが姿を消した直ぐ横に、2個の白いキノコを見つけたのでその後の様子を昨日見に行った。

 この2個も又すっかり姿を消していた。

 その代わりに、近くで新たに3個が三角形の形で顔を出していた。

 
 (三つのキノコ)

 大きさも形も、昨日のキノコにそっくり。

 カメラに収めようと近づいてみると、丁度ピンポン球より少し大きいくらい。

 

 一日で顔を出し、状況によっては一日で消えて無くなる不思議なキノコである。

 帰りに、川向こうの堤防沿いの道路に向かうと、南の法面は一面の葛のつるに覆われていた。

 
 (葛の蔓)

 手前のアスファルトの部分の先には歩道があって、以前はその歩道部分を歩いたものだ。

 震災で堤防上の道路や幾つかの橋梁が壊れたため、3年以上も経っているがまだ道路も橋も工事中で通れない部分が多い。

 ここは直ぐ先の橋まで通れる数少ない区間なのだが、その先が駄目なので車も人も通ることが少ない。

 どこかで「日本列島はある植物に制圧される」といった内容の記事を読んだことがあるが、そのとき紹介されていたのがこの「葛」だった。

 あらゆる所に進出し、巻き付いて依存していたその木が光合成が出来なくなって枯れて倒れるまで覆い被さってくる。

 田舎の空き家の庭や菜園を、月に1~2度除草や剪定などの作業で出かけているが、その度に悪戦苦闘するのがこの「葛」の蔦の除去である。

 「柿」「蜜柑」「柚子」など果樹のほとんどは、絶滅の一歩手前で取り敢えず蔓を除去したが、根っこの完全除去は難しく、油断すると直ぐ芽を出して伸び始める。

 共生というより、圧倒的に巻き付いて生存しながら制圧してしまうという特徴は、どこか動物界の人間に似ている。

 しかし、頂点に君臨するものから絶滅していくのも自然の法則のような気がするので、最終的には菌類などが残るのかも。

 この小さなキノコの親戚一同が、消えては顔を出しを繰り返しながら、生物の最後を見届けることになるのかも知れない。

 人生の終わり方を、嫌でも考えされられている昨日今日だが、儚いものであるが故に大切さもまた感じる。

 生者必滅・会者定離、見届けなければならない現実が、すぐ目の前に迫って来ている。

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大きなキノコの物語

2019-07-19 16:24:33 | 日常あれこれ
 大きなソフトボール大のキノコを見つけて、2日後に再度訪れてみたら無くなっていた。

 
 (大きなキノコがあった場所)

 後にはちょっとした残骸のようなものがあったが、さてどうして消えてしまったのだろう。

 生えていた場所の直ぐ近くに、ゴルフボールくらいのツルツルで真っ白なキノコが2個芽を出していた。

 これがまた、あのソフトボールになるのだろうか。

 
 (一昨日見つけたオニフクベ)

 オニフクベというキノコらしいくて、説明では一夜にして突然庭に現れたりして驚いて問い合わせをする人が多いそうだが、日本ではそれほど珍しい種類のキノコではないらしい。

 食べてみました、という書き込みもあって、とても土臭くて拙かったとあった。

 美味しいという記事もあって、調理法なのか食べる時期の問題なのかよく判らない。

 よくもまあ、初めて見るキノコを食べてみようと等と思う人がいることが驚きだった。

 昨日は大雨で、しかも雷もピカピカゴロゴロで様子を見に行けなかったが、自然に破れて胞子を飛ばして無くなったのか、誰かが珍しいと持ち帰ったのか、いずれにしても少し残骸が残っていただけなので何とも言えない。

 別の説明では胞子を飛ばすと跡形も無くなる、と書いてあるものもあったが・・・。

 とにかく、キノコの成長というか変化はとても早いようだから、白い小さな2個のキノコがその後どうなったのかも見てみたい。

 隣の猫といい、キノコといい世の中には変わったことが結構おおくて、ブログのネタを次々提供してくれる。

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不思議な形のキノコを公園で見つけた

2019-07-18 10:08:23 | 日常あれこれ
 ウオーキングで河川公園を歩いていたら、ソフトボールが芝生に転がっているのを見つけた。

 何処から飛んで来たのか、或いは誰かがキャッチボールをして忘れて行ったもだろうか。

 近づいて拾い上げようとしてよく見ると、ソフトボールの縫い目が無くてゴルフボールのような丸い凹凸が表面にある。

 
 (白い丸いボール状の物体)

 拾い上げようと手を伸ばしかけて止めた。

 何となくキノコを思わせる雰囲気が漂っていたからだ。

 キノコだとしても見たことも無いし、最近は外来種の動植物がいろいろ存在する世の中なので下手に触ると拙いと思ったのだ。

 帰ってネットで調べたら、「オニフスベ」というキノコだと分かった。

 ホコリタケ科ノウタケ属:別名(和名)ヤブタケ、ヤブタマゴ、テングヘダマ、ジャイアントパフボールなどいろんな呼び名が。

 草地・畑地・竹藪・庭先に生えてきて、幼菌時のみ食用になり、大物はバレーボールくらいになるものもある、とある。

 生育条件はピッタリだったし、ソフトボール大で驚いていたらボレーボールくらいになるというから驚いた。

 河川公園を通りかかったとき、1組の家族連れが吾妻屋の近くの木陰でバーベキュウの準備をしているのに出会って、お互いにちょっと言葉を交わしたのが、公園内に足を踏み入れる切っ掛けだった。

 
 (吾妻屋)

 地震で壊れた小川の橋も、やっと修復されて公園の芝生の中に入ることが出来るようになった。

 芝生広場の隅には藤棚があって、花の季節には長い藤の花がぶら下がっているのが見えていたものだ。

 
 (藤の実)

 その藤も、今は実をつけて収穫したら食べられそうな感じに見えた。

 藤の実を食べた話は聞いたことがないな、などと見上げていた首を藤棚の下に向けると、その視線の先にソフトボールが見えたのである。

 バーベキューに合わなければ、この藤棚の横は通らなかったし、隅っこの芝生を見ることもなかっただろう。

 何かを発見するということは、幾つかの偶然が重なることが多いようだ。

 川の流れに沿って、東西に長いこの公園も東側から逐次剪定・草刈りなどが進んでいて、この辺りの芝刈りが始まるのはいつ頃だろう。

 キノコの成長スピードがどのくらいのものが知らないが、処分されてしまうまでの間、大きくなる様を見届けてみたい気になってきた。

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寝室の怪談

2019-07-17 10:03:06 | 日常あれこれ
 当地は梅雨明けの予想が段々と後ろへ伸ばされそうな状況で、ジメジメした天気は続いている。

 ところが、我が家ではこの梅雨空にもかかわらず、真夏の怪談ともいうべき事象が発生した。

 その顛末はこうだ。

 私は、昨日の朝方に夢を見た(漱石「夢十夜」風)。

 A4の用紙を、縦長の方向に3等分に切った紙を脇に挟んで歩いていて、その内の「2枚がハラハラと足元に落ちた」夢だ。

 紙を脇に挟んで歩く必要性がどこにあるのだろう、などと考えるのはこの際ここに置いとこう。

 夢というやつは、唐突で非合理的で覚めれば馬鹿馬鹿しい内容が多いもの。

 そう思いかけたのだが、実はここから不思議な物語が展開するのである。

 隣で寝ていた相方が目を覚まして、「私の頭を紙のようなもので軽く叩かれた夢を見た」と言い出したのだ。

 「え~紙で~?」と言いかけて、まったく同時期に紙を落とした夢を見たこととの符合が頭をよぎった。

 「あれ?誰がエアコンつけたの?」と相方が動いているエアコンに気づいて、そう言った。

 

 寝室のエアコンは、タイマーをセットして、30分か1時間後には電源が切れるようにしているのが常である。

 先に寝た私がセットし、相方が寝る頃には電源は切れていたと彼女は言う。

 「じゃあどうしてエアコンの電源は入ったのか??」と二人とも首を捻ったが、まだ起き出すには早過ぎたし、そんな事を考えていては引き続き眠れないし、合理的な理由を早急に導き出す必要性にせまられた。

 そこで私が出した結論は、「枕元に置いていたエアコンのリモートスイッチを、私が寝返りをしたときにたまたま押してしまった」というものだった。

 「そうかもね」で二人とも納得し、また寝てしまった。

 そして、いつもよりむしろ遅く起きてしまったその日の朝の枕元に、大きな用済み後のカレンダーが落ちているのを発見した。

 数ヶ月前のカレンダーで、タンスの上にある私の着物入れの箱の上に乗せていたものだと気づいた。

 

 相方の着物はそれなりのタンスに仕舞われているが、私の謡曲の発表会に使っていた紋付き袴などは、デパートで購入したときのままの箱に入れられて、かなり無造作にそのタンスの上に乗せられている。

 その箱の上に乗っていた用済みカレンダーの用紙一枚が、エアコンの風で吹き飛ばされて枕元に落ちてきたと推測された。

 が、しかし、これまでエアコンの風で吹き飛んで落ちたことなど一度も無かったのに、どういうわけだろう。

 きっと、いつものスイッチの位置とは違う場所を押してしまっていて、風力が強かったのかも知れない。

 その時は、眠かったので取り敢えず直ぐエアコンのスイッチをOFFにしてしまい、エアコンがどのような動作状態であったかまでは確認しないまま眠ってしまったのだった。

 謎のエアコンの動作は、私の寝返り時の指のなせる悪戯、カレンダーが落ちてきたのはエアコンの風、ということで謎解きゲームに終止符を打つことにした。

 ただ、一つ謎というより人間の「感覚器官」というか「無意識下の脳の働き」といったことで、考え込んでしまうことになった。 

 奇しくも夫婦して内容は違っていても同じ時刻に、同じ紙に由来する夢をみたのは、多分落ちてきたカレンダーのせいだということにするとして、起床後に初めてカレンダーの一枚が落ちていたことに気がついた程度の事象を、どうして紙と認識して夢の中に登場させることが出来たのかということに思いを致すことと相成ったのだ。

 脳の認識への働きかけの過程で、人に共通の特別の感覚回路があるのではと思いだしたのだ。

 紙と認識してはじめて、二人で同じ紙の夢を見るということでなければ説明がつかないではないか。

 ただ、相方は何で頭を紙で軽く叩かれ、私は脇に挟んだ2枚の紙切れを落すまでのに、必然的にあったはずの物語は、綺麗サッパリ忘れて仕舞っていた。
 
 物語は瞬時に生まれ、紙の断片だけを残してボンヤリとフェードアウトしてしまったのだ。

 こうして、梅雨の最中の「寝室の怪談」はうやむやのうちにエンドロールを流さざるを得なかったのだ。

 「非リアルがリアル世界を消しに来る」・・・・しろ猫

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朝の作業は短篇で・・・

2019-07-16 10:30:13 | 日常あれこれ
 それは洗濯物を干す用具の、壊れた部分を直すところから始まった。

 ぶら下げる部分が壊れたという相方の修理要請に、窓の外の洗濯物を覗くとプラ製の鎖の部分が切れている。

 結束バンドで直ぐ治ったのだが、相方が来週の草刈りのため鎌を研いでおこうなどと言い始めて、蚊取り線香を準備し始めた。

 外ではちょっとした作業でも蚊取り線香を焚く。

 火を使う渦巻きを3~4個と、腰には電池式をぶら下げる。

 腰にぶら下げさせられたので、洗濯干し道具の修理が終わっても折角だからと庭をウロウロしてみる。

 小説家は、起承転結の構想をきっちり立ててから執筆を始めるタイプと、おおよそ書き出しを考えたら後は成り行き任せで執筆するタイプとがあるらしいが、今日の我が家はその後者の方だった。

 相方は水道の横で、シコシコと鎌を研ぐ。

 私は、折角花が咲いて最高潮のギボウシに、花の終わったモントブレチアの葉っぱが覆い被さっているのを切って捨てる。

 今日になって、ツクシマツモトが咲いているのに気がついた。

 
 (ツクシマツモト)

 一輪だけ貴重品のように咲いているが、植えた覚えもないものが寄せ植え風に混在している。

 ネジバナとか、イセハナビ、それに赤花夕化粧などなど。

 すべて勝手に寄せ植えになってしまったもので、ついでに雑草まで寄せ植えに混じっている。

 雑草を取り除くと、庭の隅のアジサイの根元のシダ類が気になる。

 取り除くとピラカンサスの枝が邪魔になるほど延びているので、剪定するとついでにそこいら辺の木々の枯れ枝が気になる。

 とうとう車庫の中に吹き込んだ枯れ葉などの掃除をするところまで、物語は進展する。

 短編小説のつもりだったのに、とんでもない中編以上になりそうなので、門柱付近の掃き掃除で急遽物語を終わらせてしまった。

 一日の中にも、長い人生においても、短時間の作業の中にも、ちょっとした脇道は無数にある。

 小説でも実際の暮らしでも、どうやら脇道の方が新鮮で楽しいことが多いのかも・・・。

 楽しみ過ぎると汗が出る。

 「フィクションの中に思いが込められる」・・・・しろ猫

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ヒーローインタビューいろいろ

2019-07-15 10:40:23 | スポーツ
 午前中にお盆前の墓参りを済ませて、夕方からはロアッソ熊本VSカターレ富山のJ3第16節のホームゲームへ。

 雨が降っているが、強くはないし回復に向かう予報なので、期待して傘の波がスタジアムへゾロゾロと。

 この雨の中よくぞ集まったという感じだった。

 
 (クマもんも大サービス)

 クマもんの他にも、対戦チームの富山や九州の各クラブのマスコットが集合して子供達に取り囲まれていた。

 空からは小雨が降ってくるので、いきおい屋根の有る部分に観衆がかたまってそれなりの混雑ぶりだった。

 
 (ドンヨリとした空)

 試合はイライラしたりする場面もあったが、結果的には2:1で逆転勝利。

 ぐ~っと長時間にわたって溜まった鬱積が、一気に解放される瞬間がサッカーの醍醐味のだが、今日はまさしくそんな試合。

 
 (伊東 俊選手)

 今日大活躍の伊東選手のインタビューが、私的にはとても良かった。

 インタビュアーが、大いに盛り上がるコメントを期待しての大袈裟な振りに、ことごとく極めて短いコメントを返していたのが印象に残った。

 「ただ、蹴っただけです」とか「結果を出せて良かったです」など、これ以上の長いコメントはなかったのだ。

 昨今のスポーツ選手の勝利インタビューを聞いていると、個人のコメントというより観客席の何処かで見ていたスポーツ評論家の台詞を聞いているような、起承転結から次のステップへの努力すべき事項まで立て板に水の如く述べるものが多い。

 昔の相撲のインタビューのように「ハアハア、ゼイゼイ、ごっつあんです」ばっかりも如何かと思うが・・・。

 最近はお相撲さんも、だんだん受け答えが如才なくなってきたのが、かえって気に掛かる。

 
 (カモン!ロッソ)

 雨の中だったし、イライラする場面も多かったし、相手の監督もエキサイトしたりして、とにかく逆転勝利なので、カモンロッソもいつもより盛り上がっていた。

 今日最高の殊勲は、酷くならなかった天候と、極めて短いコメントに思いを込めてみた伊東選手と、雨にもめげず集まったサポーター・観客だろう。

 乾杯は梅酒の白岳割りで、スポンサー高橋酒造に敬意を表してみた。

 「この頃は言葉が氾濫しているよ知らないコトバテレビのコトバ」・・・・しろ猫

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お盆の墓参り

2019-07-14 09:43:43 | おでかけ
 お盆は新暦の地域と月遅れの地域とがある。

 私の生まれた集落では新暦で、今月の15日つまり明日である。

 隣の集落からは先は、月遅れの8月15日だったから、お互いにお盆の時は親戚同士が訪問し合ったりしていた。

 昨夕からの雨は少し小振りになったものの、小糠雨が降ったり止んだりしている。

 
 
 駐車場の水たまりも、昨夜はそれなりに雨が降ったことを知らせている。

 今日はお墓参りを予定しているが、雨だとお墓に向かう道路の状態が悪くなる。

 そのための道路の整備も4月の花祭り前に皆でやったのだが、長雨が続くと土が流れ込んでくる。

 花、水、線香などと共に蚊取り線香、雨傘携行で相方は大袈裟に雨靴着用でのお墓参りである。

 

 案の定、道路に畑から土が流れ出ていて、どろんこ道になっていた。

 数年前から区間を決めて、皆で協力して道路は舗装を続けているが、その舗装部分にも土が流れ込んでいる。

 天気の悪いときの墓参りは、ついでに洗車も余儀なくされるのはいつものことで、慣れてはいるが面白くはない。

 お墓には、既に誰かが訪れていて、我が家の墓にも花が供えられていた。

 予定したより花が少なくて済んだので、余った花はこちらも隣り近所の墓に挿して回る。

 カラスが花を引き抜いく悪さをするが、こうして沢山の花をギッシリ挿しておくとカラスも諦めるのだ。

 盆・正月・春秋の彼岸・先祖祭り・両親の命日の7回は、お墓にお参りし同じように花をギッシリ詰める作業を繰り返している。

 いささかマンネリ気味ではあるが、遣らないと気が落ち着かないので、偉大なるマンネリイベントとして特に区分している。

 家に帰りつくと、クマゼミがワシワシと鳴いていた。

 ミンミンゼミは、年がら年中耳の中でシーシーと鳴いているので判別が付かず、クマゼミかアブラゼミ以降にならないと蝉の鳴き声と認識できない。

 ある意味、年間を通して私の耳は夏なのである。

 こうして耳が悪くなり、目が悪くなり、そして頭が悪くなり、ついでに意地の悪さに拍車がかかるのだ・・・・。

 ただ、お迎えの儀は今暫くお待ち下さいとお願いをし、先祖も「了解」と言ったような気がした。

 帰りの車の運転は、殊の外慎重に安全運転に心がけたことは申すまでもない。

 「死亡欄見ているパンを食べながら」・・・・しろ猫

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雨の江津湖にて

2019-07-13 21:21:20 | おでかけ
 1年前の自分のブログ記事を紹介してくれるサービスがあるのだが、去年はもの凄い暑さの中ふんえん誌の編集で江津湖の横を通った道すがらの事を書いている。

 今日は奇しくも、同じふんえん誌の編集があって同じ道を歩くことになった。

 その記事に乗っかろうと思ったのだが、去年は梅雨明けの猛暑の様子を書いているのに対して、今日は気象条件がまるで違う梅雨は続行中で、しかもかなりのまとまった雨が予想されている。

 江津湖の駐車場に着くと、雨の中にもかかわらす沢山の車と人でごった返していた。

 よく見るとお揃いの緑のジャンパーばかり・・。

 
 (雨の中で作業中)

 どうやらゴミ拾いなどの作業をしている様子。

 手に手にゴミをもって歩いて行く先には清掃車が待機中。

 
 (ゴミの収集)

 全員が若者達で、しかも同じ色のジャンパー。

 なにやら江津湖を綺麗にする会といった雰囲気がムンムンと漂って来た。

 かなりの雨の中で、ボランティア活動といったところであるが、気象条件も考慮した方か良かったかも・・。

 濡れた足元に用心しながら吟社への道を歩いていると、何ということでしょう、雨の中でボートの練習中。

 
 
 (練習中のボート)

 下は水、上からは雨。

 どうってことはありませんよ、と言う感じでみなさん練習に余念が無い。

 ボランティアといい、ボートの練習といい計画通り実行中といった感じである。

 ところが途中で2人のオバサンが擦れ違いざまに「あらお帰りですか?」「ええ誰も来ていなかったので帰るところです」という会話が聞こえてきた。

 指示された時間に雨の中を出かけたが、多分雨がひどいので予定が変更になった風なニュアンス。

 ふんえん誌の編集は、雨がどんなに酷かろうと、まず変更はないだろう、などと水たまりを避けつつ吟社へ到着。

 「江津湖では、感心にも雨の中若者がゴミ拾いしていましたよ」と主幹に言うと、「そう言えば、自治会でも今日は確か江津湖周辺の美化の日だったけど・・・。雨が酷くて中止じゃないかな」などとおっしゃる。

 途中で逢ったおばさん達の会話とつながる部分があって、どうやら謎の解決はその辺に糸口があるようだ。

 そんな会話などお構いなしに雨は一段と激しくなり、参加人員がいつもより少ない編集室は与えられた作業に没頭することに。

 噴煙吟社創設70周年の大会用の「課題」などを考えたりしながら、今までに無いかなり充実した編集作業が終わったのは17時をとっくに回っていた。

 やっと少しは乾きかけていた靴を履いて、雨の中をトボトボと駐車場までの道を逆順に歩く。

 
 (水浸しの緑地帯)

 帰りに、今朝の若者が作業をしていたあたりを見てみると、なんと全面水浸し。

 編集作業中に長時間に亘って、ピカピカ・ゴロゴロと雷がなり滝のような雨が降っていたが、私が帰る頃はやや小振りになっていて助かったのだが、先ほどまでの大雨の結果が目の前に展開していた。

 水不足で困っている地域もあるのに、何という降りようなのだろう。

 時期的に、場所的に、しかも量的になんと降雨量が偏在するものか。

 蒸し暑さを嘆いている去年のブログに比して、気温24度でむしろ肌寒いくらいの今日、天を仰いだり足元の水たまりに用心したりしながらの道行きはあまりにも両極端に違いすぎる。

 今夜から明日にかけて強い雨雲が接近する予報だが、せめて明日の夕方からのロアッソのゲームには影響がないようお願いしたい。

 「幸福度バロメーターは感嘆符!」

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