ソーシャルワークの TOMORROW LAND ・・・白澤政和のブログ

ソーシャルワーカーや社会福祉士の今後を、期待をもって綴っていきます。夢のあるソーシャルワークの未来を考えましょう。

シルバーが就労の担い手に

2008年05月31日 | 社会福祉士
 岡村先生が初代の理事長をしていた関係で、O市シルバー人材センターの理事をお引き受けしている。昨日、その総会に出席したが、会員が約8500名であるが、総会参加者が900名以上で、1割以上の多くの皆さんが自主的に参加されており、自らの組織といった意識の高さが伺われた。さらに、会員になっておられるだけあって、皆さんお元気そうであり、意見も活発である。

 最も驚くことは、年間28億円の事業収入を得ており、昨年度に比べて1億円以上事業収入が増えているということである。元気な高齢者が増えていくことを考えると、シルバー人材センターといった公的な側面は一部残っている組織だけでなく、他の民間企業も、高齢者向けの人材派遣事業を積極的に行うことで、高齢者の就労支援をしていってほしいものである。また、高齢者の起業家育成も促進して欲しいものである。

 昨今の風潮として、医療や介護の問題で、高齢者が悪者や邪魔者のように捉えられる場合がある。また、高齢者金持ち論といった発想がある。前者については、医療や介護ニーズは加齢と共に生じることであり、それを自己負担と社会負担で支え合っていくことは、逆に過去に日本社会を支えてくれた現在の高齢者を支えるのは当たり前の話であると思っている。後者については、確かに金持ちの高齢者も多いが、生活にあえいでおられる高齢者も多いことも事実である。そのため、低所得高齢者には自己負担での十分な配慮が必要である。

 そのためにも、働くことが可能な高齢者に対して、多様な就労の機会が与えられることが求められている。現役世代が「働き過ぎ」を言われ、ワークライフバランスが求められる時代にあって、システムとして、仕事を分かち合うワークシェアリングの仕組みを具体化していく必要がある。そうすれば、国民負担の考えからすれば、高齢者の多くは、租税や保険料を使う側から払う側に移っていく側面が強くなり、高齢者を邪魔者扱いする風潮は少なくなるであろうし、そうあって欲しいものである。

ケアマネジャーの仕事を楽しいものにしよう

2008年05月30日 | ケアや介護
 ケアマネジャー向けの講演会に行くことが多いが、そこでまず言われることが、以前に比べて「おもしろくなくなった」という意見が多い。おもしろくないことは、私も十分承知している。そこで、講演では、どうすれば「おもしろい」仕事に戻れるかということが話しの中心になる。

 ケアマネジャーがおもしろくなければ、そのケアマネジャーを介してサービスを利用している高齢者やそのご家族にはご迷惑をかけることにはならないかと案じるし、おそらくケアマネジャー以上におもしろくないことになっているのではと想像する。その意味では、再度、おもしろい仕事に戻す必要がある。

 このおもしろくないことになったのは、とりわけ改正介護保険以降であり、介護予防ケアマネジメントが導入された以降であり、介護予防ケアマネジメントがおもしろくないと考えられる。この介護予防ケアマネジメントは確かに介護報酬が1ケースに対して1ヶ月400単位と低く、さらにケアマネジャーの場合は、その上地域包括支援センターに一部報酬を献上する(指導なり、支援の費用も言えるが、適切な指導や支援がなされていない場合には、文字通りピンハネ、適切に実施されていれば、指導・支援費)ことになる。しかし、おもしろくない理由は、一部あったとしても、介護報酬が安いことやピンハネされることが主要な理由ではないと思える。

 それは、利用者の足に靴を合わす仕事から、靴に足を合わす仕事に戻ったからではないかと考える。これは、介護予防というよりは財源抑制のあおりを食って、あるいは財源抑制の使者として、予防のケアプラン作成をしていることから、起こっているのでないかと分析する。

 この「おもしろくない」状態を打破していくためには、再度足に靴を合わすというケアマネジメントの原点に戻ることが大切である。同時に、予防という美名のもとで、サービスのメニューや量を減らすのではなく、予防という視点で、利用者の能力や意欲といったセルフケアを可能な限り活用していくことを考慮して、必要なサービスを提供していくことが求められているのだと考える。

 これは、ケアマネジメントの最も基本である、利用者のニーズに合わせた支援をすることであり(ニーズ・オリエンテッド・アプローチ)、既存のサービスに合わせて支援することではない(サービス・オリエンテッド・アプローチ)ことを、再度確認することである。その上で、例えば、要支援での週1~2回のサービスでは、セルフケアを活用してもなおかつ利用者のニーズを満たし得ないとすれば、それは、ケアマネジャーが一段となって国や地方自治体等に働きかけ、制度自体の改正を迫っていく必要である。

 ただし、予防ということは大変難しい仕事であり、利用者の意識を変えたり、意欲を高めるのには、時間をかけて作り上げる信頼関係が不可欠である。同時に、人々の意識や意欲の根底にある価値観までを変えることは、ケアマネジャーの仕事ではない。そのため、ケアマネジャーはすべての利用者が意欲が高くなったり、意識が変わるわけではないという認識も大切である。しかし、多くの人々には意識を変えたり、意欲を高める可能性であり、その機会をできる限り提供していこうとするケアマネジャー側での意識が大事である。

ケアは「究極のサービス業」

2008年05月29日 | ケアや介護
 有料老人ホームや居宅介護サービスを行っており、上場しているシルバーサービスの副社長と食事をした。久しぶりのゆったりとした懇親であったが、共感したことが多く、その時に話し合った、彼の思い、すなわち私の思いを紹介してみる。

 彼はケアは「究極のサービス業」であり、人生の最後の死にも立ち会う、他の職業では経験できない素晴らしいサービス業であるという。その会社では、利用者の利益を最優先するという理念をもとに、毎朝職員にはこの理念を諳んじさせ、仕事をしているという。職員が意欲を持って働く基礎は、会社がもっている理念であるという。

 そして、私も思うが、日本のケアの水準は世界一であり、これを誇りにすべきであるという。そして、フィリッピンやインドネシアから外国人介護福祉士といったことで戦々恐々とするのではなく、逆に日本からアジアの国々にケアのノウハウを輸出することを考えるべきであるという。ケアを日本のリッツカールトンとし、世界を制覇していくぐらいの気持ちが大切であるという。

 そのためには、現状のヘルパーの介護報酬を上げ、同時にケアの質をさらに高めていくことが必要であるべきだということで、意見が一致した。

 介護が3Kとされ、さらに報酬が低いことが毎日のニュースとなるなかで、このような経営者が多数輩出され、介護職員の意欲や能力を高める職場環境を作って欲しいと思った。

社会福祉士の命運は出版社にも波及する

2008年05月28日 | 社会福祉士
 社会福祉士や介護福祉士のカリキュラム改正で、出版社はここ1年で新しいカリキュラムに合わせた教科書作りで、多忙を極めている。昨日、ある出版社の役員の方とお会いしたが、今回の改正で、社会福祉士になりたい人や入学してくる人は増えるのかとの質問があった。

 答えに窮したが、全入時代で、増やすことには自信がないが、維持していくのには、大学などの教育する側に意欲や目標に向けた戦略次第だと思ったが、あまりへりくつをこねることはせず、「がんばります」とのみ言っておいた。

 社会福祉士の教科書を作ってきた出版社は、ある意味、我々大学や一般養成施設と運命共同体であるということを再認識した。その意味では、今後、ソーシャルワーカーの魅力を高めていくためには、大学等の教育機関や職能団体だけでなく、出版社も大きな力になってほしいと思った。

 それでその出版社に是非作って欲しいと頼んできたのが、高校生が読んで、ソーシャルワークを「やってみたい」、ソーシャルワーカーに「なりたい」、ソーシャルワークを「勉強したい」と思える、高校生向けの魅力ある本である。

 今まで多くの人がイメージしてきたソーシャルワーカーに、次のようなソーシャルワーカーも登場して欲しい。学校で子ども・保護者や教師と一緒に仕事をしているスクールソーシャルワーカー、ホームレスの自立支援で頻繁に訪問しているソーシャルワーカー、海外の発展途上国でHIVの予防や相談に関わっているソーシャルワーカー、在宅のターミナルケアに関わっているソーシャルワーカー、刑務所で受刑者の社会復帰に向けて支援しているソーシャルワーカー、里親を育成したり、里親と里子の人間関係の調整を支援しているソーシャルワーカー。こんな方々がグラビアで登場し、仕事のおもしろさを語って欲しい。

 こんな本であれば、偏差値の点数でやむなく入ってきた大学1回生用の入門テキストとしても、ソーシャルワーカーになる動機づけを高める目的で、入門書として十分に使えるであろう。

 社会福祉士の制度の命運は出版社にまで波及することが分かった次第である。教科書つくりを始め、出版社の役割や使命も重要であることが分かった。そこで、まずは、実践能力を高めることができような社会福祉士の教科書をまずは急いで作っていただきたい。

リーダーは孤独である

2008年05月27日 | 社会福祉士
 年を取り、年齢相応に、大学の内や外で様々な委員会・団体・組織・審議会等の委員長等にならざる得ないことが多い。このリーダーの役割が日本では大きく変わってきたのではないのかと思う。

 安定した、また右肩上がりの社会では、リーダーは取り巻きや部下の出した意見をまとめ、調整することで解決していた側面が強い。ところが、現在では、リーダーは自らの理念に基づき勇気ある決断が常に求められているような気がする。

 自民党政権での元小泉首相は勇気ある決断をし、その決断を何としてもやり遂げることで、高く評価される日本の最高責任者になったといえる。自らの理念として郵政民営化を決断し、それを実現するために果敢な努力を行ったのではないだろうか。そこには、衆議院の解散選挙では、自民党を割ってでも、容赦なく刺客を候補者として送り出し、勝ち抜くという信念とその行動が社会から信頼されたのではないだろうか。それゆえ、現福田首相にあって、国民の調査結果では、小泉首相再復帰待望論になっているのだと言える。ただ、付け加えておくと、社会保障を極めて停滞させ、セフテイ・ネットが崩れてしまったことで、私は国のリーダーとして小泉前首相を評価していない。

 我々の組織や団体はそれほど大きいものではなく、国を動かしていくこととは比較できる代物ではないが、どのような組織のリーダーであっても、こうした時代にあっては、リーダーは理念に基づき勇気ある決断をする必要があると感じている。同時に、その決断は実行できるよう周到な準備のもとで、絶対勝てる(社会から歓迎される)仕掛けを作っていくことが大切である。そこで勝てなければ(歓迎されなければ)、リーダーから去るのみである。

 その意味では、リーダーに立つ者は孤独である。勇気ある決断ができない福田首相、さらにはその孤独に病魔が襲った安部首相、両者とも孤独であろうことが創造できる。こうしたことを考えると、組織や団体は、誰がリーダーになるかにより、大きな影響を受けることになる。そのため、それぞれの組織や団体は長になる人材を順次輩出していくといった意識をもつ必要があろう。さもなければ、組織は弱くなっていくことが目に見えている。

 リーダーであることでは、二つの悩みがある。一つは、最後は孤独であると実感することである。もう一つは、最終決断することの怖さである。
 
 最初の孤独については、私自身が団体や組織をマネジメントしていく上で、孤独であることを身をもって感じることが多い。その際に、むやみやたらに人に電話をかけたり、酒を飲んだり、部下に当たったりで、解消するのではなく、自らの理念が社会的な受け入れられるか、評価されるものであるかどうかを自問することで、孤独を乗り越えていかなければならないと思っている。

 その意味で、このブログは、自らの理念を社会に訴える窓口になっており、その反応をコメントで得ることで、孤独からの解放に役立っているのかもしれない。その意味では、私のブログを読まれる人に対して、私は孤独のはけ口にして、ご迷惑をかけているのかもしれない。申し訳ございません。

 第二の最終段階での決断について、自らの責任で重要な決断をする時には、他の人の意見を聞いたり、周りを見渡したりするが、最後にはいつもラインホルド・ニーバー(Reinhold Niebuhr)牧師の祈りがよぎる。この祈りは第2次世界大戦中、第一線の塹壕でクリスマスを迎えた米軍兵士に牧師が届けた祈りである。

The Serenity Prayer
God, give us grace to accept with serenity the things that cannot be changed,
Courage to change the things that should be changed,
and Wisdom to distinguish the one from the other.

日本語訳は以下の通りである。

 神よ、
 変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたたまえ。
 変えることのできないものについては、それを受け容れるだけの冷静さを与えたまえ。
 そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。

 私はプロテスタントではないが、最後は私の心の奥にある神に尋ねることになる。まさにそのことが孤独でもある。





明日の朝日新聞朝刊に注目を

2008年05月26日 | 社会福祉士
 新聞に私のコメントが出たり、私のことが書かれていて喜ぶ年ではないが、明日(5月26日、なお九州地域は5月27日)の朝日新聞朝刊に「社会福祉士が変わる」というテーマで一面広告がでることには、素直に歓喜したい気持ちで一杯である。

 ただ、明日の朝日新聞の全国版一面を使って載る「社会福祉士が変わる」ことの広告内容については、明日の新聞に期待してもらい、ここではここまでくる上での経緯をお話ししたい。

 まずは、多額の広告費を出していただいた会員校には感謝の気持ちで一杯である。各大学等は恐らく何らかの見返りというよりは、今回の制度改革に対する祝儀の気持ちの現れであると思っている。その意味では、残された課題にしっかりと応える仕事をしていかなければと考えている。

 この新聞広告を思い立ったのは、社養協の地方ブロックの委員長会で、もう少し目立つことが出来ないのかとの意見として、近畿のブロック長大塚保信先生(大阪体育大学)と中国四国のブロック長岡崎仁史先生(広島国際大学)等の発案によるものである。これを受けて、事務局としては広告費の捻出について様々な案を考えた。初めは、会員校教員からの寄付金ではどうかといった意見もあったりしたが、確実にお金を集めるのには、有志の大学等からご寄付を頂くしか方法がないとの最終の結論に達した。

 その意味では、明日の新聞を見た後での会員校教員からの評価が最も心配である。「社旗福祉士の仕事が変わり、よく分かったので、よかったね」と言ってくれることを祈っている。それであれば、このような新聞広告の企画は続けることができると思っている。厚生労働省は7月を福祉人材確保強化月間にし、社会福祉士だけでなく、介護福祉士等の介護職の確保も積極的に図っていく月間にするということを聞いている。これ時期に合わせて、私案であるが、地域で安心していきいきと生活するためには、社会福祉士が必要不可欠といった意見広告を再度出すことで、今回の会員校への高校生の入り口部分に加えて、次回は4回生の出口部分での意見表明が出来ないかと考えている。

 是非、明日の朝日新聞朝刊を読んで下さい。そして、多くの国民に社会福祉士の仕事の理解が広がりましたでしょうか。ご意見を楽しみにしています。

介護保険制度改正議論が本格化

2008年05月25日 | 社会福祉士
 介護保険制度の財源は逼迫しており、改革が迫られていることは事実である。財源のみを抑制する基本的な方法としては、①軽度者を外すこと、②自己負担率をアップすること、③保険料を高くすること、④被保険者層を広げること、があり、これらのバリエーションを組み合わせることになる。さらに、全体としての自己負担率は変わらなく、小手先の改革ではあるが、保険料の租税の1対1の割合を崩し、租税割合を高くすることも考えられる案ではあるが、よほどのことがない限り財務省の抵抗で無理である。

 5月13日に財務省が出してきた提案は、介護保険制度改正に先手を打たれたものであり、出鼻をくじかれた感がいがめない。具体的には、上記の①軽度者を外すことを基調にしており、この軽度者は要支援だけでなく、要介護1や要介護2までと広くとらえており、中度者までを含んで外す提案である。ある意味、ドイツや韓国での対象者に近づけようということである。こうした軽度者を外していくについては、今回の改正ではなく、保険料が今回高くなった後の、次期改正の議論になるのではないかと予想していていたが、背に腹は代えられないということであろうか。

 具体的には、①全く軽度者を対象外にする場合、②軽度者の内でホームヘルパーからの家事などの生活援助のみを利用している者の生活援助給付部分を対象外にする場合、③軽度者は除外しないが自己負担を2割にする場合、に分けた提案である。①では年間の高齢者の保険料が15,000円、②では800円、③では1,700円下がるという。

 この財務省の案で決定的な問題は、軽度者には介護ニーズがないのかといった議論が不在であること、さらに、介護ニーズをどの程度公的に負担するのかの議論がされていないことである。このことは、高齢者の声に耳を傾けることである。以前にもアメリカの国民負担率で述べたが、相互扶助のもとで支え合うことの方が、はるかにリスクが少なく、同時に実質的な国民の負担は少なくなると考えるが、それは保険料を払い,サービスを利用する高齢者が最終的に決めることである。

 福田首相は「骨太の方針2006」に基づき、社会保障費の自然増分2200億円を毎年削減すると言っているが、それで国民のセフテイ・ネットが守られるかどうかである。財源の削減が先にあるのではなく、日本のセフテイ・ネットをどのようにするかの提案があり、結果として削減の議論をすべきである。さもなければ、国民は政治に不信を抱くだけである。その意味では、介護保険に限ったことではあるが、国民が議論する素材を提供してくれたことでは、財務省の提案を初めから否定することはないと思う。但し、怖いのは、これを既成事実化し、提案したことが国民の納得を得たかのごとく進むことである。

そのため重要なのは、利用者のことを最もよく知っているケアマネジャーが、上記の①から③の案が実現されれば、現在の利用者はどこが困り、どこが解決可能かを発言することである。ケアマネジャーには本来こうした利用者のアドボカシー(弁護)を行うことが仕事の一部であり、日常では、個々の要介護・支援者をアドボカシー(ケース・アドボカシー)しているが、今回は要介護・支援の高齢者全体をアドボカシー(クラス・アドボカシー)する正念場である。各市町村の介護支援専門員協会、さらには都道府県や全国の介護支援専門員協会は社会的な使命として、利用者を弁護する立場から発言していただきたい。

今日の議論は保険料や軽度者についてであり、他方、サービス事業者との関係での財源と介護報酬の関係についての議論も必要であるが、ここでは発言しておらず、それはそれで改めて議論されるべきことであり、既に、訪問介護や居宅介護支援事業については言及した通りである。

社会福祉士実習での「実習指導者研修会」に是非ご参加を!

2008年05月24日 | 社会福祉士
 今回の社会福祉士制度の改正では、実践能力にある人材の養成がコンセプトであり、そのため、実習と演習の教育水準を高めることに焦点が当てられた。実習については、実習内容が詳細に明記されたのと同時に、養成施設の一部実習担当教員や実習施設の実習指導者には義務研修が課せられることになった。

 ここで最も心配していることは、実習施設の担当職員がお金を出してまで研修に来てくれるかである。この研修は、日本社会福祉士会が厚生労働省から委託を受けて実施するものであり、各地域で今年からまずは3年計画で行われることになっている。3年間で、約9000名の研修が必要であると予想されている。

 そのため、現在まで実習をお願いしていた施設だけでなく、新たにお願いする施設についても、施設長の皆さんには、是非研修に社会福祉士の実習担当職員を派遣していただきたいと願っている。同時に、社会福祉士をもった経験年数3年以上の方は、是非この研修会に積極的に参加していただきたいと思っている。こうした実習を受けた者でなければ、社会福祉士の実習ができなくなった(行政機関については、当分の間免除)。

 このようなことを行うことで、経験のある優秀な社会福祉士が社会福祉士になるであろう後輩を養成するという、他の専門職では当たり前の本来の実習の仕組みが作られることになる。ただ、現実には、施設等では、職員数が少なく、多忙を極めており、研修会に職員を派遣してくれるかが心配でならない。

 本来であれば、こうした研修を受けた社会福祉士の資格者がおり、実習を受入施設であるかどうかが、第三者評価制度や介護サービス情報の公表制度の一つの評価なり調査の項目になるべきであると思っている。さらには、実習を担当していただいた職員は、それぞれの大学での外部非常勤講師として位置づけ公表するといった大学側での配慮も必要不可欠である。

 韓国では、大学がコミュニテイ・センターを運営していたり、教員が社会福祉法人や宗教法人の運営するコミュニテイ・センターの所長を兼務していることが多く、座学と実習が直結しやすい仕組みができている。日本でも、ごく一部の大学は社会福祉法人を作り、特別養護老人ホーム等を付設しているところも見られる。しかし、これらはまれな大学であり、ほとんどは全く関連のない施設や団体にお願いしないと事が運ばない状況にある。

 いずれにしても、施設長といった経営者や社会福祉士の実習指導を行ってくれている方には、今回の「実習指導者研修会」に是非ご理解を賜り、派遣して下さいますことを、心からお願い申し上げる次第である。

 

スクールソーシャルワーカーを「見える」ものに育てよう

2008年05月23日 | 社会福祉士
 今年、文部科学省は10/10の補助事業として、15億円で全都道府県の141地域に「スクールソーシャルワーカー」を配置する「スクールソーシャルワーク活動事業」を実施することになった。社会福祉士の新たな職域を拡充する絶好のチャンスが到来している。このチャンスを活かして、全国津々浦々の小学校・中学校等にスクールソーシャルワーカーが配置されていく契機にしていきたいものである。

 そのためには、学校現場で即活躍できる有能な人材を大学において養成していくことが緊急の課題である。具体的には、不登校児、被虐待児、いじめ等に対して、教師と連携を取りながら、ソーシャルワーカーとしての解決能力をもった人材を養成することである。

 そうした緊急性を感じているが、よくよく調べてみると、多くの社会福祉士を養成している社会福祉系大学では、既に「スクールソーシャルワーク論」なり「学校ソーシャルワーク論」といった名称で授業を開講していることが分かった。今までは学校や教育委員会で採用がない中で、さらには社会福祉士の受験科目でもないにも関わらず、そうした教育の必要性を感じて、地道に実施されてきた姿に敬意を表したい。同時に、そうした地道に努力されてきた大学に、この「スクールソーシャルワー活用事業」で光が当たることが強く願うものである。

 このようなスクールソーシャルワーク論に類する科目を置いている大学は、分かっただけでも、10数校もある。それらは北星学園大学、上智大学、日本社会事業大学、田園調布学園大学、東京学芸大学、関西福祉大学、立命館大学、兵庫大学、吉備国際大学、四国学院大学、大分大学、沖縄大学である。これらは個人的な調査で得られたものを頂いただけで、他の大学でも開講しているであろうし、漏れていればご容赦いただき、コメントでご一報いただきたい。また、大学院で、こうした科目を開設しているところもあると、聞いている。せっかく講義を開講しながら、埋没している部分に光を当てて、この良きタイミングを利用して、生き返らせていく必要がある。

 こうした大学では、さらに座学の科目だけでなく、演習や可能な限りの実習を加えることができれば、社会福祉士としてのジェネリックな教育を基礎にして、スペシフィックな学校領域での応用教育を追加することになり、一段とレベルの高いスクールソーシャルワーカーとして活躍できることをアピールしていくことが可能である。

 そのためには、社会福祉士の資格を得た上で、それらを修得した学生には何らかの資格が付与されれば、社会に対しては「見える」スクールソーシャルワーカー養成になると考える。同時に、ジェネリックゆえに見えにくかった社会福祉士を具体的にイメージすることにも貢献することができる。

 ただし、こうした議論の前提として、スクールソーシャルワーカー養成教育が、学校現場で効果を発揮するものであると、教師や他の人々から認められることが大事である。その意味では、教育内容の質を担保しながら、スクールソーシャルワーカーの養成を慎重に進めていかなければならないこともまた真である。

社会福祉士の職域としての一般企業

2008年05月22日 | 社会福祉士
大学生の青田刈りで、4回生の大企業への就職はほぼ内定し、企業への就職戦線は一応終息し、現在は公務員試験へと移行している。さらに今後は、社会福祉施設や社会福祉協議会に移っていく。そのような流れで、後手となる社会福祉施設や社会福祉協議会に優秀な人材が得られるかといった課題がある。

 今日は、求人で最初に動き出す企業と社会福祉士等をもった社会福祉系学生の関係について考えてみたい。

 現状では、一般企業と社会福祉系学生は別個の世界のように考えられがちであるが、以前のブログで、アメリカのコロンビア大学での社会福祉大学院の卒業生が企業にも多く就職していることを書いたが、日本ではどうであろうか。

 以前は、企業福祉といった名称で企業の中での福利厚生や労務管理等での社会福祉系学生を位置づけていく研究や教育を部分的には実施してきたが、その成果はほとんど表れていない。一般企業へのこうした視点での就職は十分でなく、学生が身につけた専門性から採用されるということが少ない。

 ここ最近は、一般企業への就職は、福祉サービスの供給主体の多元化から、シルバー産業と言われる企業への就職は増えたことは事実である。さらに、今後の方向としては、再度一般企業への専門性を活かした就職の道も模索していく必要がある。具体的には、企業のあるセクションには経済学部や法学部ではなく、社会福祉学部や社会福祉学科から採用したいという求人がくる仕組みを作っていくことが必要である。

 例えば、職員の子育てや介護といった課題に応えられる福祉厚生セクションに社会福祉士を採用することで、職員の継続した就労を支援したり、ワ-クライフバランスを保つことを可能にすることができる。さらには、障害者雇用率のもと企業には障害者雇用が義務づけられており、雇用率も高まりつつあり、また大企業では、障害者向けの福祉工場をもつところも増えてきており、こうしたセクションを運営や管理するスタッフとして、社会福祉士資格をもった者の採用を働きかけていく必要がある。

 そのためには、上記のことができる人材を大学で養成すると共に、同時に企業の人事担当者の意識を変えていくための運動を進めていく必要がある。あるいは、いくつかの企業と提携して、モデル企業を作っていくことから初めてはどうだろうか。

 そうなれば、社会福祉学部や学科は、企業だけでなく、行政や社会福祉施設等にも就職でき、多様な就職先があるという発想に逆転することができる。

人は経済原則で働くのか?

2008年05月21日 | 社会福祉士
 日本の社会保障が崩れていくのではないかということを心配する中で、20年ほど昔に教えられた「スウェーデン病」を思い出した。これは、スウェーデンでは国民負担率が高く、社会保障は充実しているが、そのことが、人は働く意欲をなくし、経済成長を妨げており、公園には仕事をしないでぶらぶらしている人が多く、こうした病の国になってはいけないということであった。ウィンブルドン5連覇を果たしたテニスプレーヤー「ビヨルン・ボルグ」は、高い税金を避け、スウェーデンに移住したのは、その当時の有名な話である。現在は、またスウェーデンで住んでいるという噂を聞いたことがあるが。

 この病は今どうなっているのか。現在、スウェーデンの依然として国民負担率が高く、大きな政府であるが、経済成長率は3%程度であり、日本の1%に比べてはるかに高い。同様に、ヨーロッパの多くの国は日本より国民負担率は高いが、経済成長率も高い。このことは、20数年前に言われた、国民負担率が小さいほど、国民は意欲を持って働き、経済成長率が高くなるという仮説は崩れたのではないだろうか。

 20数年前は、確かに日本の経済成長率は高かったし、同時に国民負担率も低かった。しかし現在では、スウェーデン病の仮説は当てはまらず、国民は富を得るという経済原則のみで働くのではないと考える。スウェーデンを例にすると、社会のために働くといった意識をもつことは十分に可能である

 小泉首相以降、国民の所得格差が大きくなり、一方で驚くべき高額所得者がおり、他方で働いてもワーキングプアーがいるといった状態になってきた。そのため、働く意欲を高めるために弱くした累進制を再度見直し、国際競争率を高めるために低くした法人税を再度引き上げ、国民や企業や一緒になり、超高齢社会を支えるために働く意義を見いだしていきたいと願い。

 こうした意見は、一見ユートピア思想であり、実現が難しいと思えるかもしれないが、国民が日本という国に誇りをもつことは、決して「日の丸」を見ることで可能になることはなく、社会のために企業も国民も働いているといった姿勢こそが、国民が日本を誇れることになると思う。

オープンソースで、BPSDへの対応方法を共有化を!

2008年05月20日 | 社会福祉士
 オープンソースのことを述べてきたが、この考えが今日の研究会で即役に立った。

 私は、「ケアマネジメントに対するコンピュータ支援研究会」を、コンピュータソフトの会社、民間の研究所、研究者、実務者が一緒になり長年行ってきている。私のケアマネジメントでの「星座理論」という命名は、この研究会で生まれた成果の一つである。

 ここ研究会では、現在は、認知症をもっている人の約8割があるステージで表れるとされるBPSD(behaviourl and phychological symptoms of dementia 認知症者の行動・心理症状)に対してどのようにケアマネジャーが対応するのべきかということを明らかにし、さらにそのような適切な対応を支援するケアプランのプログラムを開発することを目指している。

 BPSDとは、徘徊、暴力、異食、自傷、入浴の拒否といったことであり、古くは問題行動、時には周辺症状と呼ばれてきたものである。このBPSDは、ある意味では、認知症者が何かをしたいとするニーズが変形して生じるとされている。そのため、ケアマネジャーや他の職員は、そうしたBPSDの背景にある利用者の思いを気付くことができれば、利用者に適切な支援ができるとの考えをもとに、研究会を行っている。

 この研究会には、有能な実務者が多数参加していただいており、BPSDの背景となる身体状況、心理状況、社会環境状況を理解し、BPSDの背後にある利用者の気持ちについて、今まで集積してきた経験知を活用しながらケアプランの作成を支援していくことを目的にしている。

 ただ、BPSDの背景となる動機なり背景要因は多様であり、きわめて個別的なものである。そのため、コンピュータではケアマネジャーに納得いく完全な支援が難しいことは明白である。

 そこで、コンピュータのソフトの中に、自由に書き込めることができ、身体的・心理的・社会的要因と思えるデータを集積していくものを作っていくべきだというご意見を、現場サイドの方から頂いた。これは、まさに昨日まで考えてきたオープンソースの発想に発展できると思えた。この書き加えたことを、まずは自らの機関・施設内で共有し、次には、同じソフトを使っているケアマネジャーが共有していければ、より高い水準のプログラムになっていくことができると考えた。そのため、そうしたシステムを組み込むことの意義に同調した。

 これを発展させることができれば、「ウィキペディア百科事典」ばりの、BPSDの背景にある本当の思いを気づくことのできるソフト開発が可能になるのではないか。研究会では、コンピュータソフトの会社にも了解を得て、こうした皆で開発していくプログラムを推進していきたい。そうすれば、見えなかったことが見えてくる。このことこそ、私が口酸っぱく主張してきた実践と理論を結びつけることになり、驚くべき成果を生み出していくであろう。

 余談であるが、先日私のもとで博士の学位を取り、アメリカのカンザス大学で研究をしているF君の話をしたが、彼によれば、こうした認知症者へのケアの実践や研究は日本が進んでいるという。そこで、彼は上記のようなBPSDに対する対応についての日本で行った実証研究を英文論文にし、あるジャーナルにアプライしていることを話してくれた。何を言いたいかと言えば、オープンソースの仕組みを使って一層研究をすれば、日本は認知症者へのケアの実践と研究は世界のリーダーの地位を得て、世界の国々に情報を発信し、研究と実践の両面で他の国々にまで貢献できると言うことである。

 是非、実践者も研究者も、仲間を広げて、オープンソースの仕組みを活用して、発想を現実のあるものに変えていきましょう。

 

ブログで目指すこと

2008年05月19日 | 社会福祉士
ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)
梅田 望夫
筑摩書房

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 友達から借りた梅田望夫さんの『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる』 (筑摩書房)を早速読んだが、私のブログに対する情緒的な感情を理論的に整理してくれていたので、大変分かりやすかった。そこで、私のブログに対する思いを、この本をもとに説明してみることとする。

 ブログ人口は、アメリカで2000万人、日本で500万人であり、驚くほど多くの人がやっていることになる。私が使っているこのgooのブログも、先日100万人を突破したとのことである。

 梅田さんは日本とアメリカのブログの違いを比較しているが、日本ではハンドルネームで行っている者が圧倒的であるが、アメリカでは実名のブログが多く、内容も自己主張の強いことを特徴にあげている。これもお国柄であろうが、もしかすれば、私はアメリカ型のブログであるのかもしれない。

 本題に入るが、ウェブの特徴のひとつに「オープンソース」というものがあり、これは、ある人が作ったソフトウェアのプログラムを無償で公表し、世界の不特定多数の開発者が自由にソフトウェア開発に参加し、大規模ソフトウェアを開発する方法である(28頁)。

 これは、我々がよくヤフー等で用語や人名を調べていると、「ウィキペディア百科事典」にぶつかり、役立つことがあるが、この百科事典もオープンソースの一種である。不特定多数の者が書き込んで、百科事典を作っており、刻一刻と変化している代物である。

 この本を読んで分かったことは、私はブログでこのオープンソースを狙いにしていることが自覚できた。例えば、現在進行している不連続の連載である「地域でのネットワーキング論?」は、私がもっている可能な限りのネットワーキング論についての素材を提出し、それに実務者や研究者から書き込みを期待し、そこから、今まで不明瞭であった具体的なネットワーキング過程が整理されてくることを期待することであった。とりわけ、そこには、実務者も研究者も参加することで、実践と理論のフィードバックを継続的に進めていくことを可能にすることにもなる。

 ウィキペディア百科事典と同様であるが、ブログはネットワーキング論の完成品を作ることよりも、多くの人々がコメントすることで、完成品に向けてのプロセスを提示する舞台装置であると言える。

 このオープンソースの考え方は、今後の研究、教育、実践を高めていく上で、確かに多くのヒントを与えてくれている。新たなエビデンスを導き出していく手法になっていく予感がする。

 明日も、ブログを書かなくっちゃ。

 

 

ブログで切り開くことのおもしろさ

2008年05月18日 | 社会福祉士
 ある出版社の編集者から、私のブログが社会福祉の領域では画期的であると評価してくれた。その理由は、ソーシャルワークの考え方について発言をし、オープンにしているところであるそうだ。そのため、理論と実践を近づけ、現場と大学を結びつけ、大学への敷居が低くなったことであると言われた。うれしかったが、同時に、この際に、ブログについての私の心の変化について述べておきたくなった。

 最初は、社会福祉士を受験する人へのサジェッションでもすることで、合格率を少しでも上げられないかという思いから、何となくブログをスタートしたものである。その後、ソーシャルワークやケアマネジメントを中心に自らの意見を表明していく場に変えてきた。その過程で、ハンドルネームでは思い切った責任あることが書けないことから、4月1日よりカミングアウトし、実名にした。その時に訴えたいことが山ほどあるので、ブログは当分書き続けられるであろうと思っていること自信も綴った。

 確かに、ブログは原稿を書くよりも気楽な側面がある。原稿の場合は、緻密に、文章も練り直しながら書くものである。それに比べて、ブログは思いつくまま,徒然に書いており、段落間や、今日と明日のブログの内容の連続性を考えることなく書けるという魅力がある。

 ただ、書きやすさだけでなく、数ヶ月書き続けることで、私なりのブログに対する意義が整理できてきた。ブログの魅力は、自らの考えを表明し、それに対して読み手の方から意見を直接求めることができることである。現実のところは、その反応(コメント)は弱いが、直接ご意見にふれられるのが身に染みる思いがする。

 とりわけ、私のブログのタイトルが「ソーシャルワークのTOMORROW LAND」ということで、研究者と実務者を結びつけ、ソーシャルワークの理論と実践を結びつける可能性が潜んでいるように思えてならないからである。実際,それについては、少しは手応えを感じている。

 具体的に、コメントを頂くこともあるが、直接話しをしてくれたり、メイルを頂いたりすることもある。その中で、研究や実践でのヒントになっているとの意見を頂いたときには、明日もがんばろうという気持ちになる。その意味で、ブログを書いている時に気分は、原稿を書いていると言うよりも、多くの仲間とカンファレンスやデイスカッションをやっているような気持ちで綴っている。

 こうした気持ちで毎日ブログに向かっていることが、編集者からして画期的に映ったのかもしれない。

 今日のこの原稿を書いている時に、ブログの新たな可能性に期待を込めて、インターネット上のネットワーキングで、市民参加型の「まちづくり」を目指した「ネット井戸端会議SNS」を開設している友達が、ブログについて書かれた本を貸してくれた。タイミングのよいことであり、明日は、この本に私が共感したことについて書くつもりである。

障害者自立支援法での「障害者支援施設ケアプラン」

2008年05月17日 | 社会福祉士
 全国社会福祉協議会から『障害者自立支援法対応版 障害者支援施設のケアプラン』が4月に刊行された。これは私が委員長で研究者や実務者で委員会を構成し、障害者自立支援法のもとでの障害者施設のケアプラン作成について検討してきたが、その成果である。もともと、身体障害者施設でのケアプランについては刊行してきたが、今回の障害者自立支援法に対応して、その内容を全面改正したものである。

 障害者自立支援法では、施設のケアプランが義務化され、以前には身体障害者施設のみをターゲットにして検討していればよかったが、今回は三障害が一体され、全ての障害者施設を知的障害者、身体障害者、精神障害者が区別なく利用することになるため、アセスメント・データでは、三障害の特性を考慮したものに変更する必要があった。

 今回の改訂版を作る作業の中で、障害者自立支援法になり、ますます施設で作成され、実行されるケアプランが極めて重要な意味を持ってくることを感じた。それは、以下のような理由からである。

 第一に、障害者自立支援法では日中活動と夜の居住支援部分が別個の報酬になり、理念的には、利用者の自己選択や、施設に居住施設化としては意義があるが、現実には、利用者の生活が分断されるのではないかと心配していた。

 その意味では、入所者の意向を尊重した日中活動を含めたケアプランを作成することで、毎日の生活の連続性を確保するシームレスな生活支援が可能になる。同時に、一施設内サービスに留まらない以上、在宅のケアプランに近づいていくことになる。このことは、施設が居住の場に変わるだけでなく、本法律の趣旨でもある地域移行を容易にすることとつながっていく。このことは、施設での実のあるケアプランを作らないと、利用者は以前以上にバラバラな生活になってしまう恐れがある。

 第二に、障害者自立支援法では就労支援を強調するが、施設内外での授産や就労前サービスを含めたケアプランを作成することで、社会復帰を支援していくことでも、ケアプラン作成の意義が今まで以上に強くなっている。場合によっては、「自立訓練」、「就労移行支援」、「就労継続支援」とも結びつくことができ、利用者の個別性を尊重した就労支援につながっていくからである。

 第三の理由は、施設から地域に移行を進めることについての意義である。ある論文で、知的障害者施設についてであるが、個々の入所者のケアプランを積極的に作り実施している施設ほど、地域移行比率が高いという調査結果がある。この結果について真意は分からないが、興味ある結果であることは間違いない。

 ある意味では、地域移行していく段階で、利用者のプランは「施設のケアプラン」、「地域移行のケアプラン」、「在宅のケアプラン」があり、3つのケアプランをいかに連続性のあるものにしていくのかがポイントである。そのため、「施設のケアプラン」のおいても、地域移行に向けての利用者の目標や意向、そのために必要なニーズを付加し、それらに対応した支援内容が示されることになる。そうすれば、在宅生活に加速した支援になっていくといえる。 

 『障害者自立支援法対応版 障害者支援施設のケアプラン』では、以上のようなことに対して必ずしも十分な議論ができたとは思っていないが、それなりの整理ができたと思っている。また、さらに今後も充実させていきたいと思っている。

 障害者施設の方だけでなく、介護保険施設の方、さらにはケアマネジャーも、関心のある方は是非お読み下さい。特に、介護保険施設でケアプランに関係している人には、入所者の「したいこと」、「好きなこと」、「できる」といったストレングスを捉えるアセスメントを、さらにはこうしたストレングスを表現できない認知症等で意思表示が十分でない人へのアセスメントについては、職員が感じたり、気づくことの重要性を本著から学んで欲しいと思っている。